ルポ「1カ月」~東日本大震災・福島第一原発事故・ニュースにならなかった日々(目次)~柚岡明彦
安全センター情報2013年7月号~2016年7月号(25回連載)
- 石巻市
- 黒い津波に襲われて/あのなかに近所の人が・南相馬市
- 夫と孫を黒い津波に奪われて㊤・南相馬市、大熊町
- 夫と孫を黒い津波に奪われて㊥・大熊町
- 夫と孫を黒い津波に奪われて㊦・大熊町
- いわき市平薄磯(1)
- いわき市平薄磯(2)
- いわき市平薄磯(3)
- いわき市平薄磯(4)[完]
- 原発災害(1)
- 原発災害(2)「遺体が捜せない」
- 原発災害(3)「家族が捜せない」
- 原発災害(4)原発作業員の証言
- 原発災害(5)振りまわされる住民たち
- 原発災害(6)土との絆、断ち切られた
- 原発災害(7)土との絆、断ち切られた
- 原発災害(8)牛との絆、断ち切られた
- 原発災害(9)関連死
- 原発災害(10)残る人の残る理由
- 原発災害(11)人々のつぶやき
- 原発災害(12)クビの嵐
- 原発災害(13)クビの嵐
- 原発災害(14)ペットたち
- 原発災害(15)「見えてこない人」へのあまりに不完全な取材
- 最終回
これは、東日本大震災、福島第一原発事故直後の2011年3月18日から4月24日までの1ヵ月余、取材を続けた記者によるルポです。
筆者である柚岡明彦氏はあるメディアの記者です。当時、多数のメディアが現地取材のために記者を福島に派遣しましたが、彼は1ヵ月余現地にとどまり取材を続けました。他の地域からの応援で入った記者としては異例の長さだったと思います。
放射線被ばく管理のために、放射線線量計をもって取材をしていた記者も多かったはずで柚岡氏も同様でした。ホームページに掲載する作業をしながら、彼が被ばく線量すらかえりみないで取材に集中していたのではないかと一抹の不安がよぎったほど、何かに取り憑かれたような取材行動を彷彿とさせる記事だなと感じました。
このルポに柚岡氏が込めた意味については、連載第1回の末尾に書かれてあります。このような記者が存在することの大切さを感じていただけたらと思います。