福島県に入って取材を始めた1日目の2011年3月18日、福島市を歩いていたらトリミング店が目に入ったので、訪ねた。店内に多くの犬や猫がいる。ほとんどが飼い主と連絡がつかないまま保護しているという。社長の男性(50)が語る。

「こんな状況だからね、この業界でメシを食っている者として何かをしたいんだ。今回は原発だから腰を据えてやらないとね」。

社長の説明によると、雑種の大型犬レオくんは、家が崩壊した飼い主からしばらく預かっていて欲しいと頼まれてこの店に来た。ダックスフントの海ちゃんは怖がりだ。やはり飼い主の家が断水状態なので店に来た。シーズーのナナちゃんは地震の前日からお泊まりだった。飼い主は出張先の横浜から帰ってこられないのでそのまま滞在している。ダックスフントのクロちゃんはもともと病弱だ。飼い主から「生活するのがやっとだから」と預けられた。

社長とともにこれらペットの世話にあたっている紺野未夏さん(24)、野地美紀子さん(24)の2人の店員にも話を聞く。

野地さんは3月11日、南相馬市にある原町店にいた。お泊まりの1匹、トリミングを終えて後は飼い主の迎えを待っている4匹の計5匹が店内にいた。そこに巨大な揺れ。駆けつけてきた2人の飼い主に2匹を手渡せた。残りの3匹の飼い主には連絡がつかない。野地さんは、カルテの住所を見て1匹を車で送りとどけた。残り2匹。このまま置いていくわけにはいかない。野地さんは13日に福島市の姉の家に避難するのと一緒に、2匹を福島市の本店に運んできた。私が訪ねた3月18日になっても飼い主と連絡がとれないままだという。野地さんは犬を抱きかかえて話した。
「ここに逃げてくる途中、とぼとぼと歩くワンちゃんを見たんです。家が流されたのか、家族と離ればなれになったのか、残されたのだろうかって」

このトリミング店には原町店のほかにもう一つ浪江店もあり、社長によると、浪江店の店長は17日夜に7匹を連れて名古屋市にある夫の実家へ避難したという。そんなことを説明しながら、社長は悩みを語った。
「このままボランティアで預かり続けていると、いずれは資金が底をついてしまう。こっちがつぶれてしまうよね。でもね、『ペットを捨てて逃げてきた』という報道を見てね、それを止めたいと思うんだ。うちは会津若松市に270坪の訓練・繁殖所もあるから、そこで格安で預かります・値段は、通常はご飯と散歩付きで1日3500円だけれど、1日1500円にしますって貼り紙を避難所にしようかと考えたんだけれどね、でもね、こんな状況では『まずは人の命が大事だ』と言われるよね」

連載第19回で紹介した、南相馬市の避難所にいる田中隆雄さんと愛犬レオくん。田中さん夫婦は、ペットを受け入れてくれる避難所を求めて転々としていた。市が出す県外避難用のバスには、犬はだめだと断られたので乗らなかった。「この子を置いていくなんてできないよ」

私は愛犬家を自認している。
それなのに、「ペットたちもまた震災と原発の被害に遭っている」という簡単なことに、社長らの言葉を聞くまで気づかなかった。私はこの日から、避難所まわりの合間にペットについての取材も始めた。たちまち、震災直後からペットの救出に動き始めている人々がいることに気づいた。それまではペットの存在に気を配ることなど無かったのだから、「ペットも大切な家族」と考えて行動を始めた人たちの存在もまた見えていなかったのである。

翌日の3月19日、避難所となっている県立橘高校(福島市)の駐車場で、志賀真梨恵さん(23)に声をかけた。駐車場に置いた車の中の雄犬ハルちゃん(4)の様子を見に来ていた。
志賀さん一家は3月11日、「これまで経験したことがない長い揺れ」がおさまってすぐに、両親と弟、祖父の計5人で南相馬市原町区の自宅を出て福島市に向かった。祖父は年齢的に集団生活はきついだろうと考えて福島市内の親戚宅に避難させた。自宅は東京電力福島第一原発の半径20㌔圏の外にあったが、「地震そのものよりも原発にびっくりして」とふりかえった。

志賀さんは、ハルちゃんを見つめながら話した。
「家の中で飼っていました。いまは車の中で生活をさせているから、いつもより『遊んでー』って吠えますね。犬は体育館のなかに入れられないんです。だからちょこちょこ様子を見に来ています。それもしょうがないのかなって。衛生的にも悪いですからね」
避難所の壁には「ペットの入場はご遠慮下さい」と貼り紙がある。

さらに翌日の3月20日、橘高校の体育館をふたたび訪ねた。駐車場にとめた軽自動車の中にいた石上礼久さん(27)に声をかけた。体育館には入らずに、ボーダーコリーのバロン(3)と一緒に車中泊をしているという。くばられるパンやおにぎりをバロンと分け合って食べている。
石上さんは3月11日、浪江町の自宅の近くにいた。大きな揺れがおさまった後、バロンを連れて歩き出した。車の行列をぬって小高い丘にあがった。着いた瞬間に津波が見えた。さらに山に向かって逃げた。迎えに来た兄の車に乗り、両親と妹、妹の子と12日に橘高校に来た。
犬以外は全部置いてきたという。チャボ・カメ・熱帯魚……。石上さんは悔しさを抑えて淡々と語った。
「(バロンは)家族ですからね。ありきたりな表現ですけれど。自分も車が落ち着けますから。この子は結構活発ですし、自分もエコノミークラス症候群(静脈血栓塞栓症)になるのが怖いので、バロンとひんぱんに散歩するようにしています」

3月21日、私は各団体に電話をかけまくった。
財団法人・日本動物愛護協会(東京都港区)と、社団法人・日本動物福祉協会(東京都品川区)などは、1995年の阪神大震災を機に設けられた緊急災害時動物救援本部の活動を活性化させていた。本部の担当者によると、まずはペットフードの配送を重要課題として取り組んでいるという。数日前に支援物資の一部を仙台市に発送したところで、これから宮城・福島・岩手・茨城・千葉の各県に発送するところだという。

日本動物愛護協会の担当者によると、阪神大震災以来、各地の被災地に入ってきたが、今回はやはり異常事態だという。ペットフードが何十㌧も寄せられているのに、それを運ぶための肝心のガソリンがない。
「早く物流が回復することを願っています」と悲痛な声をあげる担当者は、また、デマとの闘いにも忙殺されていると嘆く。
「保健所等に保護されたペットが数日間で処分されてしまう」という情報がインターネット上に氾濫していて、それが事実ではないことを各自治体に確認し、その情報を発信しているという。「必死で火消ししています。あってはならないうわさが流れている。それが情けない」

日本動物福祉協会の担当者は、被災者と、ペットを一時的に預かる各地のボランティアとの間の仲介に取り組んでいた。被災者がペットを預ける際の注意点を聞いた。哀しいことだが、被災者の苦境につけ込んでペットを預かるかわりに高額な請求をする悪質な団体もあるし、あるいは善意からとはいえ受け入れ能力を超えて預かったために逆にペットをさらなる悪環境にさらしてしまうボランティアもいる。逆に預けたままほったらかしにしてしまう無責任な飼い主もいる。

  1. 預かりボランティアの身元がはっきりしているか。連絡先が携帯電話だけの場合は危ない。
  2. まっとうな受けいれボランティアや団体は通常、預かったペットが事故に遭った場合や体調が悪化した場合はどうするのかなどを定めた誓約書を交わすことを求める。責任感の表れでもあるし、飼い主が預けたまま取りに来なくなることを防ぐためでもある。そうした誓約書を求める団体の方が安心できる。
  3. 収容する場所がゲージのみのボランティアや、あまりにも多数を引き受けている団体は避けた方がいい。例えば100匹を引き受けているボランティアでは、散歩がちゃんとできているだろうか。多数を1カ所に収容すると、犬にストレスとなるし、病気にもつながる。
  4. 「前金3万円を支払ってくれれば預かります」などと最初から最後まで金銭の話に終始する受け入れボランティアは疑った方がいい。ただし、どうしても必要な経費を請求することはボランティア活動にとって悪いこととは言えない。どういう考え方の持ち主なのかをきちんと見極める。
  5. 焦らないこと。状況がある程度落ち着いてくれば、地元の行政や獣医師会も動き始める。

NPO法人犬猫みなしご救護隊(広島市)の代表・佐々木博文さん(42)にも話を聞いた。ここは、1990年の個人による野良猫保護活動から始まり、やはり阪神大震災があった1995年に動物愛護団体として発足。2005年にNPO法人格を取得した。

佐々木さんは、捨て犬や捨て猫について「人間がうみだしたもの」と訴える。普段は、広島市動物管理センターに収用された殺処分対象の犬や猫、地域をさまよっている犬や猫を保護しては、2010年に開設した譲渡センターでしつけをして新しい飼い主へ託す活動をしている。老犬であるとかかみ癖が治らないとかで里親が見つからない犬や猫は終生飼育ホームで育てている。

佐々木さんによると、犬猫みなしご救護隊は3月21日からスタッフの被災地派遣を始めた。まずは福島県と宮城県に送りこんだ。追って、仙台市より北の気仙沼市や陸前高田市などへの派遣も始めるという。ドッグフードやキャットフードを配り歩き、各行政機関でペットたちの現状を調べるのが当面の活動内容だ。それから、迷子になった犬や猫を保護して飼い主を捜したり、見つからない場合は預かりボランティアに委託したり、あるいは受け入れ可能な地元の住民や獣医師との連絡調整にあたったりしていくという。

佐々木さん自身は3月13日に被災地に入った。まずは津波被害のあった仙台市若林区での迷子捜しから始めた。たちまち猫4匹、犬2匹を保護した。佐々木さんによると、猫は津波が来るといったんは逃げるが、水が引くと元の場所に戻ってくる。それで佐々木さんは被災地では屋根の上に目を配り、6匹の猫を見つけた。そのうち4匹は捕まえられたけれど、2匹には逃げられた。まだ飼い主が見つからないので避難所に貼り紙をした。2匹の犬のうち、ポメラニアンの雄は道路をうろついていた。推定2~5歳。体重4・8㌔。下半身は泥でぐちゃぐちゃに汚れていた。おそらく津波の跡地をさまよい歩いていたのだろう。ガタガタと震えていて、手を伸ばすとうなった。網で捕まえた。

「人が最優先、は分かるんです。でもですね、この日本には動物愛護法があるんです」。
動物の愛護及び管理に関する法律は第1条で「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する」「もつて人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする」と定めている。また佐々木さんは「災害マニュアルもあるです」。全国諸自治体はそれぞれ例えば「災害時動物救護活動マニュアル」などの名称の決まり事を持っている。そうして佐々木さんは声を大にして言った。
「でもですね、国や行政は動かないんですよ」

佐々木さんは31歳の時、「もうかるから」とペットショップを始めた。東日本大震災の前年の2010年に店を完全にたたみ、犬猫みなしご救護隊の活動に専従するようになったのは、罪の意識からだと語った。
「飼育放棄はペットショップの責任なんです。飼い主の特性を見ずにそれこそ『もうかるから』と売ってきた僕たちに責任がある。だからこそ、今こそ、実行の時だと考えています」

3月21日未明、宮城県若林区から南下してきて福島市にはいった動物愛護団体ANGELS(エンジェルズ=滋賀県)の林俊彦さん(64)に会った。
林さんもまた13日から被災地に入り、ペットフードや、もともとは赤ちゃん用のウェットテッシュをペット用に使ってもらうおうと避難所に配り歩いてきた。同団体はこの東日本大震災を機に「命のリレー隊」を結成。ボランティアらで構成する「捜索隊」が現地に入り、保護したペットを「搬送班」が一時預かり場所となる茨城・埼玉・静岡・滋賀の各県に運び出すという。保護した犬を車に積んでいた林さんは、犬を眺める温和な表情から一転して厳しい顔を見せた。

仙台市若林区で救出した犬を車に積み、県外の預かり地まで運ぶ途中の動物愛護団体ANGELS(エンジェルズ)林俊彦さん。下段右のラブラドルレトリバーは、田んぼに流されたコンテナハウスの上にいたところを自衛隊員に保護された。2匹のイングリッシュセターのうち、1匹は福島県双葉町のお年寄りから託された。避難所の体育館から町のバスで脱出する際、飼い主のおじいさんはこの犬も一緒でなければ嫌だと乗車を拒んだ。それで町職員から連絡を受けた林さんが預かることにして、ようやくおじいさんはバスに乗りこんだという。もう1匹は飼い主に置き去りにされたらしい。「いわき市の4号線にはワンちゃんがいっぱいいるよ」

「仙台市役所にある災害対策本部に行ってね、避難所の外にくくられていたり、車の中に置きっぱなしなっていたりのペットがいるから、何とかこちらで引き受けるので広報してくれないかと頼んだんだよ。でもさ、行政は機能していないんだよね。人命優先って。管轄じゃないって」
「被災者はね、当たり前の幸せを失ったんだよ。それでもペットだけは助かった人もいるんだ。それなのにペットは避難所に入れないなんて。そうしたペットを預かることは被災者のストレス軽減にもなると思うんだ。その手伝いをしたいんだよね。それは人道支援でもあると思う」
「それなのになんで行政は広報してくれへんねん。こっちは被災地が復旧するまで無償で預かると言っているのに。だってさ、被災者から金なんて取れませんよ」

林さんらが活動を始めてからまだ10日も経っていなかった。
しかし活動は口コミで広がっていった。そしてANGELSのホームページには悲鳴のようなメールが続々と押し寄せてきた。

「赤い屋根のうちの東側の土間につないでいます」(南相馬市)
「緊急保護して欲しい。ペットを置いて避難できません」(南相馬市)
「どうか家族を助けて下さい」(相馬市)
「1週間経つので亡くなっているかも知れません。一生後悔してしまいます」(南相馬市)
「すぐに帰れると思った。このまま見殺しにしたくない。名前はクロです」(南相馬市)
「家に松本の表札があります。窓を割っていいので捜して欲しい」(南相馬市)
「あきらめたくない」(楢葉町)
「大切な家族です。よろしくお願いします」(富岡町)……。

避難所の壁に掛けられていた迷子ペットの情報

3月26日、石川町の避難所となっている総合体育館を訪ねた。ここはペットの入場が許されていた。だからなのか、どこの避難所でも感じる悲壮感のようなものが、ここでは大変に薄いように感じられる。もちろん避難者は大変な状況なのだが、明らかにここの人々は笑顔が多いのだ、ロビーでおしゃべりに興じている広野町の女性3人組に声をかけた。かたわらにペットの犬たち。記念撮影をしませんかと声をかけたら、それぞれ犬を抱き寄せてやはり笑顔で応じてくれた。離ればなれになった家族や友人知人にメッセージも、とも頼んだ。

池田正子さん(58)「いわき市の体育館にいる夫の寿郎さん、クレーバー(4)と正子は元気です」
長窪敏江さん(69)「小野町で旅館をしているおいっ子の孝一さん、私は元気でやってます。モコ(5カ月)も元気です」
新妻ミヨ子さん(53)「家で留守番している(犬の)シューちゃん、お母さんは元気だよ」

ペット入場可の石川町総合体育館で、左から池田正子さんと愛犬クレーバー、長窪敏江さんとモコちゃん(5カ月)、新妻ミヨ子さん

安全センター情報2016年4月号

目次, 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25