『アスベスト問題の過去と現在-石綿対策全国連絡会議の20年』(2007年発行) 1 石綿被害の本格化はこれから
※ウエブ版では脚注をなくし、日本語の情報を優先して参照先にリンクを張っており、PDF版の脚注とは異なる。
欧米に遅れた使用の開始と中止
国際労働機関(ILO)は、世界の労働災害・職業病による年間死亡者数が190~230万人、そのうち、アスベスト(石綿)だけで毎年10万人の命を奪っていると推計している。西欧と北米、日本、オーストラリアで、現在、約8億人の人口に対して、毎年約1万件の中皮腫と2万件の石綿肺がんが発生しているとする推計もある。まさに石綿は、人類史上最悪のインダストリアル・キラー(産業殺人者)なのである。
石綿が深刻な健康被害をもたらすことが明らかになり、また社会問題化するにつれて、各国は対策に乗り出す。対策はどこの国でも、まず、職業曝露による労働者の健康被害の防止の観点から、最初にじん肺を予防するための対策、次いで発がん物質としての性質に着目した対策へと進み、並行して、労働者だけでなく一般住民や環境保護の観点からの対策や規制も導入されるようになる。いずれにしろ、それらは管理して安全に使用しようという対策であるが、やがて石綿の「管理使用」は成り立たないという事実を直視することにより、より抜本的な対策である「使用禁止」という方向に進んでいく。「使用禁止」も、より有害性の高い青石綿(クロシドライト)やより飛散性の高い吹き付けの禁止から始まり、全石綿の部分的禁止や段階的禁止、そして全面禁止へと進むというのが共通したパターンである。クロシドライト、茶石綿(アモサイト)等の角閃石系石綿が使用されなくなってからは、蛇紋石系の白石綿(クリソタイル)が残された石綿であることから、クリソタイルの禁止=全石綿の禁止として議論される場合が多くなっている。
石綿は、その優れた不燃・耐熱性、絶縁性、耐摩耗性等の性質から、あらゆる産業分野で利用されてきた。よく最盛時の用途は3千種類以上と言われるが、これは1959年の段階ですでにケベック・アスベスト情報サービスがあげていた数字である。しかし、どこの国でも、主な用途は建材に集約されていく傾向をたどっている。
アメリカの連邦地質調査所(USGS)が2006年に、「1900年から2003年までの世界的な石綿の供給及び消費のトレンド」という報告書をまとめている。ここで推計された実効消費量を用いて、日本、アメリカ、イギリス、スウェーデン、オーストラリア及び世界の人口1人当たり年間石綿消費量の推移を示したのが図1である。
これら諸国―いわゆる先進工業国が、20世紀に、世界平均をはるかに上回る石綿消費国であったことは明らかである。日本は、他の諸国に比べて、本格的な石綿の産業利用の開始も遅れたが、使用を中止するのも遅れた。様々なレベルでの対策が他国と比べて遅くなかったかどうか、それらの対策の実効性はどうであったか等といった議論が可能ではあるが、実際に使用しないようになったのが、スウェーデンなど北欧諸国よりも四半世紀遅く、他の諸国からも15年くらい遅れたことは、図1をみれば一目瞭然である。
石綿疾患の流行にもタイムラグ
石綿は、中皮腫、肺がん、石綿肺等の致死的な健康被害を引き起こすが、これらの疾病の潜伏期間は長い。ほとんど全てが石綿曝露によるものと言われ、石綿被害の「指標疾患」とみなされている中皮腫の潜伏期間はその中でも最も長く、一般に初回曝露から20~50年とされている。石綿が、「静かな時限爆弾」と呼ばれるゆえんである。
森永謙二編『職業性石綿ばく露と石綿関連疾患―基礎知識と労災補償―』(改訂新版・2005年)は、主な石綿関連疾患が各国で最初に報告された時期を、石綿肺―イギリス1906年、アメリカ1918年、日本1929年、石綿肺がん―アメリカ、イギリスとも1935年、日本1960年、中皮腫―イギリス1935年、アメリカ1960年、日本1973年、と紹介している。
図2は、図1で取り上げた各国における人口百万人当たり年間中皮腫死亡数の推移を示したものである。
実は、中皮腫の発症・死亡状況をできる限り正確に把握・監視すること自体が各国共通の課題となっており、その実態を把握することは容易ではない。そのための努力のひとつとして中皮腫登録制度を整備することがあり、イギリス(安全衛生庁(HSE))とオーストラリア(健康福祉研究所(AIHW))については、それに基づくデータを使っている。
他の3か国については世界保健機関(WHO)死亡データベースからデータをとったが、WHOの国際疾病分類では、第10版(ICD10)から、中皮腫に独立したコードが与えられるようになった。図2では便宜的に、第9版(ICD9)が適用されている年については「胸膜の悪性腫瘍」の数字を使っている。これらの数字が中皮腫死亡の実態をどれだけ正確に反映できているかは必ずしも定かではない。アメリカが1998年から1999年に激変しているのはコード分類の変更によるものである。
そのような限界を踏まえつつも、図2は、日本における中皮腫―石綿被害がじわじわと増加してきたこと、また、本格的な石綿使用のタイムラグを反映してのことであろうが、中皮腫の「流行」が他国に比べて遅れたことを示していると言える。
最も早く石綿の使用を中止したスウェーデンなど北欧諸国を含めて、各国の研究者のみならず政府も、石綿被害がピークを過ぎたとはみなしていない。より正確に将来の被害を予測する努力も積み重ねられているところであるが、中皮腫死亡件数の歴史的推移にもとづいた将来予測として、西ヨーロッパにおける胸膜中皮腫による男性の年間死亡数が、1998年の5千件から2018年頃に約9千件へと、20年間でほぼ2倍となり、35年間で合計約25万件の死亡になるという推計が有名である。同様の手法を用いて推計された日本の将来予測では、2000年以降の40年間の男性胸膜中皮腫死亡数が約10万3千人で、過去10年間(2,088人)の50倍近くになる可能性があると推計されている。日本がイギリスなどと同様の道を辿るだろうと予測されているのである。
石綿による健康被害が、職業上石綿に曝露した労働者だけでなく、汚染された労働者の作業服を洗濯した家族や石綿鉱山・工場等の周辺住民にまで発生することも、古くから明らかにされてきた。それらは、直接及び間接の職業曝露、傍職業曝露(家庭内曝露)、近隣曝露、その他の環境曝露、等と類型化もされている。また、統計の整備や調査研究の進んだところの経験から、中皮腫1件につき石綿肺がん2件という比率や、中皮腫全体に占める職業曝露の寄与が約80%(男性で90%,女性で25%、残りは環境曝露等によるものとも考えられる)などという数字も導き出されている。壮大な人体実験とも言うべき犠牲のうえに、石綿関連疾患の研究が進んだと言えるのである。
今われわれの前には、欧米や日本の負の教訓を生かして、世界的な石綿被害の拡大を食い止めるという課題が提起されている。
クボタ・ショックの実相
兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場では、水道管等の石綿セメント管(クロシドライト及びクリソタイルを使用)を1954~75年の間、石綿含有住宅建材(クリソタイルのみを使用)を1970~97年に製造していたが、1979年に最初の石綿肺、1986年に最初の中皮腫による死亡者が出たとされている。
2004年度末時点で同社が把握していた石綿関連疾患による死亡者の累計は74人、他に療養中のものが15人で合わせて89人(中皮腫46人、肺がん17人、その他33人)であった。この時点で、在籍者及び同工場に1年以上在籍した退職者の合計は1、015人。そのうち、より有害なクロシドライトを使用した石綿管製造作業に10年以上従事した者の44・6%(124人)、原料供給(オプナー)作業に従事した者の41・0%(16人)が罹患という恐るべき被害実態であった。
これら被害事例のほとんどは労災認定を受けているので、会社だけでなく国も、そして患者を診ていた医療機関等ももちろんこの被害実態を知っていたわけであるが、事実を公表し、近隣住民等に警告することはかつてなかった。労働者被害の多発に加えて、職業曝露歴を持たない工場近隣住民にも5人(うち2人はすでに死亡)中皮腫患者がいること、クボタが住民患者に対して見舞金を支払うことを検討中という事実を、2005年6月29日付けの毎日新聞夕刊がスクープ。これをきっかけに石綿問題が日本中を揺るがすことになった。クボタ・ショックと呼ばれた事態である。
1年後の2005年度末時点で、クボタ・ショック後に発症、あるいは会社に連絡があったものを加えて、前述の数字は、死亡者105人、療養中20人、合計125人(内中皮腫60人、肺がん29人、その他36人)へと40%も増加し、さらに増え続けている。死亡者は、在籍1年以上の労働者数の1割を超えたことになる(2006年度末の数字はクボタ全体で死亡者124人、療養中28人、合計152人と発表されているが、ほとんどは旧神崎工場関連と思われる)。
住民被害に関しては、車谷典男・奈良県立医科大学教授と熊谷信二・大阪府立公衆衛生研究所生活衛生課課長による「尼崎市クボタ旧神崎工場周辺に発生した中皮腫の疫学評価」が2006年4月に公表されている。患者本人または家族へのインタビュー及び医学証拠の収集等によって確認された、クボタ旧神崎工場近隣に居住していたこと以外に石綿曝露歴が認めがたい中皮腫患者の数は公表時点で99人、さらにその後も増えているとのことである。この報告書は、「クボタ旧神崎工場周辺に中皮腫患者が有意に集積していること、これらの原因として同工場で使用されたアスベスト、特にクロシドライトが決定的な役割を果たしていることを示すものである」と結論づけている。
工場の中で(労働者に)百人を超す被害者(中皮腫60人超)、工場の外で(近隣住民に)中皮腫だけで百人を超す被害者を出し、その数がどこまで増えるか、誰にもわかっていないという状況である。被害規模の大きさに加え、職業病と公害が同根の産業災害であることを如実に示しているという意味でも、十分な検証が行われ、内外に教訓を伝えるべき事例であるとさえ言えよう。
遅すぎたとはいえ、ここまで実態が明かされたのは、いまだにクボタ一社にとどまっている。クボタ・ショックによって、中皮腫という病名とその原因が石綿であることは日本中に知れわたった。それ以前、2004年度までの中皮腫の累計労災認定件数が502件だったものが、2005年度の労災認定件数503件、2006年度1、006件、合計2、011件へと、わずか2年のうちに4倍に増えた(肺がんは、各々、354件、219件、790件、合計1、363件)。クボタ・ショック直後に、厚生労働省は2004年度以前分の労災認定事例に係る事業場名を公表したが、新たに認定された、全体の4分の3に当たる分の情報は公表されていない[ウエブ版編注:その後毎年公表されるようになった]。他の企業による公表内容は量質ともにクボタの足元にも及ばず、尼崎以外の住民被害の実態はほとんど明らかにされていない状況が続いている。
また、新たに制定された石綿健康被害救済法による救済を受けた中皮腫の事例数が、2006年度1年間で2、734件にのぼり、累計労災認定件数と合わせると総計4、745件となり、これは、補償/救済すべき対象を2006年までの全中皮腫(死亡)数と考えれば、全体の約37・6%が補償または救済を受けた計算となる。肺がんの方は、新法による救済が499件、累計労災認定件数と合わせた総計1、859件となり、補償/救済すべき対象を中皮腫(死亡)数の2倍と仮定すると、補償・救済率は7・4%強にとどまっている。(表1)
「隙間なく公正な補償・救済」の実現はもとより、わが国における石綿被害の実態の解明も、今後の課題として残されているのである。
●アスベスト問題の過去と現在-石綿対策全国連絡会議の20年
はじめに
1 石綿被害の本格化はこれから
2 日本における石綿の使用
3 石綿肺から発がん性、公害問題も
4 管理使用か禁止か
5 石綿の本格的社会問題化
6 石綿規制法案をめぐる攻防
7 被害の掘り起こしと管理規制強化の積み重ね
8 石綿禁止が世界の流れに
9 日本における原則使用禁止
10 地球規模での石綿禁止に向けて
11 クボタ・ショックと日本の対応
12 石綿問題は終わっていない
●石綿対策全国連絡会議(BANJAN)の出版物