『アスベスト問題の過去と現在-石綿対策全国連絡会議の20年』(2007年発行) 8 石綿禁止が世界の流れに

※ウエブ版では脚注をなくし、日本語の情報を優先して参照先にリンクを張っており、PDF版の脚注とは異なる。

海外の動きの一時的停滞

国際的には、1986年のILO石綿条約後、WHOも1989年に「石綿の職業曝露限界」という報告書を取りまとめ、有害性が著しく高く曝露限界の提案ができないクロシドライト及びアモサイトの使用禁止、及びクリソタイルの曝露限界として当面2繊維/cc、将来は1繊維/ccとすること等を勧告した。

一方で、1988年のIARC「人に対する化学物質の発がんリスクに関するモノグラフ43巻 人造鉱物繊維」では、グラスウール、ロックウール、スラグウール、セラミックファイバーが第2B群(ヒトに対してがん原性となる可能性がある)に分類された。これをもって内外の石綿業界は、代替物質の安全性が確認されていないのに、石綿を禁止すべきではないと主張することになる。IARCは、2001年に再評価を行い、「モノグラフ81巻 人造鉱物繊維」では、マイクログラスウールとセラミックファイバーは第2B群、断熱材グラスウール、ロックウール、スラグウールは第3群(ヒトに対するがん原性として分類され得ない)に再分類している。

アメリカでは、EPAが1989年に、1996年までに段階的にほとんど全ての石綿の使用を禁止する規則を制定した。しかし、アメリカ・カナダの業界団体等が起こした訴えに対して、1991年10月に第5巡回連邦高等裁判所は、主に規則策定手続上の不備を理由に無効とする判決を下し、EPAは翌年2月に上告を断念。このことをわが国の石綿協会が日本での規制法制定反対のキャンペーンに利用したことはすでにみたとおりである。

一方、EECでは、1991年に全ての種類の石綿をカテゴリーⅠの発がん物質(ヒトに対して発がん性あり)に分類して、クリソタイル以外の全石綿を禁止、クリソタイルの禁止も14品目に拡大した(同年、曝露限界も、クリソタイル0.6繊維/cc、クリソタイル以外の石綿0.3繊維/ccに引き下げている)。

この時点で、EECの基本方針を「管理使用」から「使用禁止」に転換することが議論になり、欧州委員会は、1993年に「販売・使用可能な石綿製品リスト付き禁止案」の起草までしたが、合意にはいたらず棚上げにされた(この時点では、フランスとイギリスが強硬な禁止反対派であったと伝えられている)。石綿協会は、『せきめん』や『石綿の動向』で、そうした動きも紹介している。

しかし、全石綿の使用禁止を導入する国は、1990年オーストリア、91年オランダ、92年イタリア、93年ドイツと続き、94年にはすでに禁止を導入していたオーストリア、スウェーデン、フィンランドが欧州連合(EU)に加わり、この時点でEU加盟15カ国中8か国がすでに禁止を導入しているという状況になった。

フランスの全面禁止決定

1996年にフランス政府が、石綿を含有するほぼすべての製品の製造、輸入及び使用を禁止すると発表した。フランスでは1994年以降急速に世論が盛り上がり、1995年に政府が国立衛生医学研究所(INSERM)に対して石綿の健康影響に関する調査研究の徹底的なレビューを要請。その報告書が提出されたのが1996年6月21日で、7月3日には政府の禁止方針発表という急展開だった。禁止措置は1997年1月1日から施行され、それ以前に、一戸建て住宅を除く全ての建物の所有者への石綿の使用状況の調査及び一定の場合には除去を義務付け、また、作業環境の許容基準を0.1本/ccに引き下げるという政令も公布された。

石綿協会は、INSERM報告書の「まとめ方のスタンスは比較的公平なものと言える」としながら、政府の禁止決定まで2週間足らずと「極めて短期間であり、レポートが求めているような議論が十分に行われたか疑問が残る」。そして、「今回のフランス政府の決定で、欧州全体が石綿禁止に傾いたわけではない。石綿協会は『有用な天然資源である石綿は、今後もクリソタイルを管理使用』していくため、一層の努力を続けていく所存」と表明している[『石綿の動向』No.29~31(1996~1997年)]。

パリに本部を置いてきた国際石綿協会(AIA)は、フランスが禁止に踏み切った後に移転し、結局、カナダ・ケベック州のモントリオールに落ち着いた。その直後、1998年9月にAIAはモントリオールで、クリソタイル石綿国際会議を開催している。54か国約3百名の参加で、発展途上国の政府・行政機関、そして労働組合からも多く出席したのが特徴と言われた。会議の場で、カナダ連邦政府資源省大臣が、「クリソタイル石綿の安全使用を促す目的で、発展途上国へ25万ドルの教育・訓練資金を拠出する」と発表したという[『石綿の動向』No.34・35(1997年・1998年)]。黄昏を迎えつつも、自ら舞台から引く意志のない石綿産業の姿を象徴するものであった。石綿協会は、これらの情報を伝えた後、1999年2月の第39号をもって『石綿の動向』の発行を終了した(『せきめん』誌は、2002年3月号から月刊から隔月刊になり、2005年3/4月号をもって発行を休止した)。

石綿問題が国際貿易紛争化

続いて1997年初め頃から、イギリスも、また、EUレベルでも、イギリスが閣僚理事会議長を務める1998年前半にも全面禁止を導入しそうだという情報が伝えられはじめた。石綿全国連は発足当初から国際情勢には敏感であり、1986・87年の総会でもフランス等の動きをフォローしていたが、インターネットの普及もあって、世界の石綿問題、労働安全衛生問題等に取り組む諸団体・個人のネットワークが急速に拡大・強化されつつあったのである。石綿全国連に加盟する全国安全センターが、その月刊誌『安全センター情報』に「アスベスト禁止をめぐる世界の動き」という連載コーナーを設けたのが1998年5月号からだった。石綿協会の『石綿の動向』等に代わって、国際情報についても労働者・市民サイドがリードする時代が始まった。

1998年2月にはベルギーが原則禁止を導入し、同じく2月にEUが車両用ブレーキ・ライニングへのクリソタイル使用の段階的禁止を決定するに至り、カナダは、フランスが石綿の輸入等を禁止したのは自由貿易に反する技術的貿易障壁だとして世界貿易機関(WTO)に提訴した。石綿問題は、名実ともに国際貿易紛争になったわけである。世界の石綿産業にとっては、相対的に縮小しつつあった欧州市場を守るということよりも、欧州における禁止が地球規模の禁止に拡大するドミノ効果を何よりも恐れていたと考えてよい。この時期にケベック州政府がその駐日事務所に日本での動向調査を指示し、石綿全国連にも調査に来るなどということもあった。

EU新指令と世界アスベスト会議

1998年9月にEUの毒性、環境毒性及び環境に関する科学検討委員会(CSTEE)が、「クリソタイル石綿及び代替候補物質に関する見解」の最終報告を発表した。ここでは、セルロース、ポリビニルアルコール(PVA)、パラ・アラミッド繊維の3つを取り上げて、そのいずれもが「発がん性及び肺の繊維化の誘発に関して、リスクは(クリソタイルよりも)相対的に小さいようだという合意に達した」と結論づけた。この検討は、IARCが1988年に人造鉱物繊維の発がんリスクに警鐘を鳴らしてから、石綿禁止反対派から、「代替物質の安全性が確認されていないのに禁止すべきでない」という主張がなされていたことに対応したものである。

また同年11月に公刊されたWHOの「環境保健クライテリア(EHC)203 クリソタイル石綿」は、「クリソタイル石綿への曝露は、量―反応関係をもって、石綿肺、肺がん及び中皮腫の過剰リスクをもたらす。発がん性に関する閾値は確認されていない」、「クリソタイルよりも相対的に安全な代替品が利用可能な場合には、それらの使用が考慮されるべきである」と結論づけた。これは、1986年のEHC53が全石綿を1括りにしたものであったので、クロシドライトは有害だがクリソタイルは安全という主張を裏付けるために、石綿擁護派からクリソタイル単独の評価を求められて始まった作業の結論であった。

1999年7月、EUがついに全石綿の流通・使用を禁止する指令を採択した。唯1の例外は塩素プラントの電解槽に使用される隔膜向けだけで、これも2008年までに見直される。新指令は、すでに原則禁止を導入している国も含めて全加盟国に遅くとも2005年までに、新指令に沿った禁止を実行することを求めた。新指令のもとでの一番乗りとしてイギリスが、同年11月から禁止措置を実行した。EUはWTOの裁定を待たずに、フランスの禁止措置を支持する立場を鮮明にしたわけで、WTOの裁定次第では禁止措置が無効化される危険性もはらんでいた。

このような状況のなかで2000年9月、長年ブラジルにおける石綿セメント製品製造業のメッカであったオザスコ市(サンパウロの西隣に位置する工業都市)で、「世界アスベスト会議―過去、現在、未来」が開催された(GAC2000)。これは、科学者、石綿疾患被災者、労働者、市民、政府当局者等々、様々な立場の人々が1堂に会し、しかも、石綿の輸出国と輸入国、いわゆる先進国と開発途上国、すでに禁止した国と禁止していない国の代表が顔をそろえて、石綿問題の過去と現在を検証し、未来に向けた共通の解決策を探ろうという、初めての画期的な試みであった。5大陸のすべて35か国以上から、3百人をこえる人々が参加した。日本からも石綿全国連の代表らが参加したが、禁止に向けた国際的な潮流が確実になるなかで日本だけが取り残されるのではないかという危機感すら感じた。

石綿禁止は国際潮流に

世界会議初日の9月18日に、WTOは、フランスの禁止措置を支持するという紛争解決パネルの報告を正式に公表した。カナダは予想されたとおり上訴したが、WTOの上訴機関は、2001年3月に自国民の健康や環境を守るためにフランスが石綿を全面禁止したことの正当性を認める最終決定を下した。WTOの紛争解決ルールが開始されて以来、貿易を制限する何らかの措置をWTOが容認した、初めてのケースとなった。石綿禁止をめぐる国際貿易紛争が決着したわけである。

わが国の厚生労働省はクボタ・ショックの後になって、使用禁止が課題になるに至った「状況の変化」として、このWTOの裁定と後述のIMOの決定及び2001年にIARCがグラスウール、ロックウール等に対する評価を「発がん性に分類しない」と変更し、本格的な代替化が可能な状況となったことをあげているが、EUやWTOが以上の決定をするのにIARCの再評価を必要としなかったし、多くの欧州諸国にとっては全面禁止を導入するにあたって、前述のCSTEE報告やEHC203も待つ必要がなかったという事実は指摘しておく必要があろう。

これで各国が禁止措置を導入するうえでの障害はなくなった。2001年中にチリオーストラリアが全面禁止導入を決定した。また、使用禁止を導入したフランスからの提案を受けて検討を進めていた国際海事機関(IMO)は、「海上における人命の安全のための(SOLAS)国際条約」を改正し、2002年7月より、石綿含有製品の船舶への使用の原則禁止が導入された。

EUではその後、全面禁止導入という新たな局面を踏まえた総合的な対策の確立が焦点となり、その一環として2003年4月には、労働者の曝露限界値の0.1繊維/ccへの引き下げ等も行われた。2003年9月に、EUの上級労働監督官会議(SLIC)のイニシアティブによってドイツ・ドレスデンで開催された「2003年欧州アスベスト会議」には、EU全加盟国・加盟予定国の政労使代表等が参加し、欧州委員会とSLIC、各国の政労使及びILOに対する要請事項を列挙した、「労働者の防護に関するドレスデン宣言」が採択された。同宣言は、「アスベストに関連した健康リスクを根絶することは、欧州の経験を普及し、それを他の諸国のニーズに適合させるということを意味している。2003年欧州アスベスト会議は、究極の目標は、アスベストの生産・使用の地球規模での禁止であるという確信を表明」している。

2003年12月に開催された労働衛生に関するILO/WHO合同委員会(JCOH)の第13回会合は、特別の注意を払うことを勧告する世界的な労働安全衛生課題の筆頭として、「石綿関連疾患の根絶」を新たに追加している。

●アスベスト問題の過去と現在-石綿対策全国連絡会議の20年
はじめに
1 石綿被害の本格化はこれから
2 日本における石綿の使用
3 石綿肺から発がん性、公害問題も
4 管理使用か禁止か
5 石綿の本格的社会問題化
6 石綿規制法案をめぐる攻防
7 被害の掘り起こしと管理規制強化の積み重ね
8 石綿禁止が世界の流れに
9 日本における原則使用禁止
10 地球規模での石綿禁止に向けて
11 クボタ・ショックと日本の対応
12 石綿問題は終わっていない
●石綿対策全国連絡会議(BANJAN)の出版物