『アスベスト問題の過去と現在-石綿対策全国連絡会議の20年』(2007年発行) 7 被害の掘り起こしと管理規制強化の積み重ね

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石綿被害掘り起こし等の本格化

この間、石綿全国連と全国労働安全衛生センター連絡会議(全国安全センター、1990年5月設立)は、1991年7月2日に、全国14か所の相談窓口で「アスベスト・職業がん110番」を実施。1日で325件の電話相談があり、うち職業曝露による健康被害相談が131件であった。同様に翌1992年4月28日に実施した第2回目の「アスベスト・職業がん110番」には193件の相談が寄せられた。以後、各地域の安全センターや労組等により日常的な相談体制が継続されている。わが国における石綿による健康被害の掘り起こしの本格化であった。横須賀における地域ぐるみでの被害者の掘り起こしと組織化、全建総連や全港湾等による組合員における被害の掘り起こしや組織化などのモデル・パターンも形成されていった。

わが国における中皮腫・石綿肺がんの労災認定件数の推移は、1985~91年度10件台、92~97年度20件台、98・99年度各42件、2000・01年度各55件、02年度78件、03年度123件、04年度186件と徐々に増加していくが、クボタ・ショックまでの間の労災認定件数の数割は石綿全国連関係団体の努力によるものではないかと思われる。

1990年には、石綿全国連は遠藤直哉、森田明両弁護士の協力を得て米ジョンズ・マンビル社の信託基金に対する日本の被害者の補償請求にも取り組んだ(約百人が請求、1996年に11人に補償金が支払われ、その後数名追加されている)。

労組による労働現場の安全衛生環境対策、市民らによる安全な建築物の解体・除去等を求め、監視する取り組みも積み重ねられた。アスネットからは、1994年7月に『ノーモアアスベスト―これからの有害廃棄物対策』(クロウジン出版事務所)、1996年8月に『ここが危ない!アスベスト―発見・対策・除去のイロハ教えます』(緑風出版)が出版されている。

規制法案再提出ならず

石綿全国連は、1992年9月25日に、シンポジウム「これからが本番!アスベスト対策」を開催。11月5日に開催された第6回総会では、規制法案の再提出をめざすことを確認したが、この実現は容易ではなかった。1993年4月20日、シンポジウム「ノンアス社会への展望」を開催、同年5月20日には、めざす会が衆参両院の全厚生委員会委員に規制法の早期成立を要請した。

一方、5月18日に、「石綿業にたずさわる者の連絡協議会」(8労組―産別組織ではなく単組―の名で社会党に対して、規制法を国会に提出しないよう要請するという動きがあった。また、社会、公明、民社3野党共同提案での再提出を模索してきたところ、細川連立政権に代わり(その後、羽田、細川連立政権と続く)、与党間調整という従来にない事態のなかで再提出の機会をつかめなかった。

石綿全国連は、1993年11月4日に第7回総会とオーストラリアのブルース・ホーガン氏をゲストに「アスベスト規制法をめざす国際交流集会」を(8日広島、17日大阪でも)開催、1994年3月9日には、衆議院第1議員会館内で労働、厚生、環境、建設、通産の5省庁とのヒアリング(9月労働省、10月建設省、11月通産省と各々再度意見交換)を実施した。同年11月15日の石綿全国連第8回総会(同時に「アスベスト規制法を求める討論集会」を開催)では、この間の成果として、①規制強化への(翌1995年の労働安全衛生法令の改正につながる)労働省等の国の動き及び東京都が従来の指導要綱を条例化したなど行政の動き、②労働界においても連合にあって規制強化を求める動き(社会党、連合、石綿全国連で協議を重ねており、労働安全衛生法令による規制強化等については建設的な意見交換ができていた)、③業界にあっても厚形スレート瓦業界での勉強会「アスベストを考える会」が開催された、④被災者の補償で和解成立、等があげられている。

アスベスト規制法制定をめざす国際交流集会(1993年11月4日)

結局、規制法案の再提出は実現できなかったが、石綿全国連の働きかけなどもあって、以下に述べるような管理規制の一定の強化が積み重ねられていった。

1995年労働安全衛生法令改正

1995年に、労働安全衛生法関係政省令の改正が行われた。主な改正内容は、①クロシドライト、アモサイトの輸入・製造・使用等の禁止(業界はそれ以前に使用中止)、②規制対象を含有率5%を超えるものから1%超に拡大、③発じんしやすい場所での対策として湿潤化に呼吸用保護具・作業衣の使用を追加、④建築物の解体・改修等作業開始前の石綿等の使用状況の調査及び結果の記録、⑤吹き付け石綿の除去作業場所の隔離、⑥耐火・準耐火建築物に吹き付けられた石綿の除去作業の労働基準監督署への事前届出等である。

石綿協会は、1995年から、「a」マークの自主表示を「石綿含有率が1重量%を超える建材全て」に拡大。同協会は、「今回の改正は、協会の自主規制と相まって、石綿含有製品の製造から廃棄までの『管理』を徹底・強化させる効果を生むことになると思わ」れるとした[『 せきめん』No.588(1995年)]。石綿全国連は、「規制の強化として評価できるが、吹き付け石綿の全面禁止、作業環境評価基準の引き下げ、健康管理体制の強化、クリソタイルの使用禁止等が今後の課題として残されている」とした。

また、労働省が1989年に「健康管理手帳交付対象業務等検討会」を設置し、石綿業務を含めて検討を行っていた結果が、1995年末に取りまとめられ、それを踏まえて翌1996年に再び労働安全衛生法関係政省令の改正が行われて、離退職後の健康管理のための健康管理手帳の交付対象に、「石綿の製造・取扱業務に常時従事したことのある労働者」で、「両肺野に石綿による不整形陰影または胸膜肥厚がある場合」が追加された。健康管理手帳所持者は、半年に1回、指定医療機関で無料で健康診断が受けられる。

阪神大震災被災地の石綿問題

1995年1月17日の阪神・淡路大震災は多大な被害をもたらしたが、吹き付け等の石綿が使用されている倒壊・損壊建築物が多数あり、それらの復旧・解体等工事や廃棄物処理などに伴う石綿粉じんの飛散が懸念された。

阪神・淡路大震災の東海建築物の吹き付け石綿

環境庁、労働省はじめ関係省庁や地方自治体も対策を検討、行政指導等も行った。基本的には吹き付け石綿の事前確認と解体前除去、散水等といったことだったが、3月頃までは水道が復旧しなかった等の制約に加え、工事を急かされる中で法的裏付けのない対策にまで従わない業者も少なくなかった。クロシドライトが吹き付けられた鉄骨をユンボでつかみ、吹き付けをふるい落として、剥き出しのままトラックの荷台に乗せて搬出するなどという実態もみられた(上写真の現場)。

被災地のアスベスト対策を考えるネットワーク(被災地アスネット)がつくられ、5月に被災地のアスベスト汚染を考えるシンポジウムを開催、独自に調査や分析、情報提供や監視活動等を行った。アスネットも「阪神大震災マスク支援プロジェクト」として、現地で6万枚以上のマスクを配布したりもしている。

環境庁による発生源近傍及び定点での大気中石綿粉じん濃度の追跡継続調査や自治体による濃度測定も行われ、最高で5~11繊維強/l等と公表されているが、被災地アスネットが独自に実施した、吹き付け石綿の事前除去も散水もなされていないビルの解体現場周辺では160繊維/l、250繊維/lという石綿濃度も記録されている。結局、被災地にどれだけの石綿が存在していて、どれくらいの飛散があったのかの全体像は不明。健康・環境影響のフォローアップもなされていないままである。

石綿全国連は、被災地の関係団体等とも連絡を取りながら、1995年1月末に労働省に「兵庫県南部地震復旧作業でのアスベスト飛散防止に関する要請」を提出、3月に環境庁、労働省と意見交換、5月にも環境庁、労働省、厚生省に対して再要請を行った。さらに4月には、鈴木康之亮教授を講師に「アスベスト被害と規制を考える集会」を開催、7月の参議院選挙に当たって政党アンケートを実施し、11月7日に第9回総会とアメリカのジャーナリスト、ポール・ブローダー氏をゲストに「アスベスト被害と企業責任を問う集会」を開催している。

アスベスト被害と企業責任を問う11.7集会(1995年11月7日)

1996年大気汚染防止法改正

環境省は、阪神・淡路大震災を契機として、翌1996年、大気汚染防止法令を改正した。主な改正内容は、①一定の吹き付け石綿のある建築物の解体・改修等を「特定粉じん排出作業」に指定、②都道府県知事への作業計画の事前届出、③作業種類(解体、改造又は補修)ごとに、隔離、集じん装置設置、湿潤化等の作業基準の遵守の義務付け、等である。ただし、作業現場からの石綿粉じんの排出なり、現場周辺大気環境中の石綿粉じん濃度なりに関する規制・基準は設けられていない。

1970年頃から「石綿公害」が問題となり、一般環境対策が望まれてきた中で、1989年に石綿製品製造工場対策、1991年廃棄物処理対策、そしてようやく建築物対策へと進んだというわけではある。しかし、濃度基準ばかりでなく、規制対象範囲や内容についても、労働安全衛生法令等も含めた関係法令間で「整合性」がとれていない点も少なくなく、また、規制の「隙間」も数多く残されたままであった。

石綿協会は、「特に過去に製造され、現在は製造されていない石綿含有製品のうち、解体等に伴い石綿粉じんの飛散が著しいと考えられるものについては、しっかりとした管理をすることが重要…今回の法改正により従来行政指導でなされてきたものが、罰則を伴って規制されることにより、石綿粉じんによる大気汚染の防止がより一層徹底されることを歓迎する」とした。過去に自らが製造・販売してきた有害物の後始末が再びビジネスになることを歓迎しているようにも受け取れるコメントである。なお、同協会は1996年3月に『THE ASBESTOS せきめん読本』を発行している。

石綿全国連は、1996年3月に環境庁、建設省、労働省と交渉を行い、11月27日の第10回総会では、改正大気汚染防止法の規制対象に石綿スレート等の成形板を含めさせ、建築基準法関連の例示から石綿スレート等の削除を求めていくなどの方針を確認している。総会後、「アスベストの禁止をめざす11・27集会 広がるアスベスト被害・海外で強まる禁止の動き」を開催し、奈良医大の車谷典男教授から「アスベストの人体影響」と題して、日本における疫学研究のレビューと米海軍横須賀基地の労働者を対象とした最新の研究成果が紹介されたほか、市民エネルギー研究所の真下俊樹氏から使用禁止をめぐるフランスの最新の動きについても報告された。

改正大気汚染防止法は、1997年4月から施行され、同年2月にはアスベスト飛散防止対策検討会報告書、1998年3月には「建築物の解体等に係る石綿飛散防止対策マニュアル」が取りまとめられ、1999年2月に環境庁アスベスト飛散防止対策研究会編として同マニュアル(ぎょうせい)が出版されている。

石綿全国連は、1997年3月、環境、労働、通産、建設、厚生の5省庁との交渉を実施、11月13日に第11回総会を開催して、国際情勢に関する学習会として、前年に続き真下俊樹氏からフランス、また、神奈川労災職業病センターの川本浩之さんからイギリスの状況が報告された。

●アスベスト問題の過去と現在-石綿対策全国連絡会議の20年
はじめに
1 石綿被害の本格化はこれから
2 日本における石綿の使用
3 石綿肺から発がん性、公害問題も
4 管理使用か禁止か
5 石綿の本格的社会問題化
6 石綿規制法案をめぐる攻防
7 被害の掘り起こしと管理規制強化の積み重ね
8 石綿禁止が世界の流れに
9 日本における原則使用禁止
10 地球規模での石綿禁止に向けて
11 クボタ・ショックと日本の対応
12 石綿問題は終わっていない
●石綿対策全国連絡会議(BANJAN)の出版物