『アスベスト問題の過去と現在-石綿対策全国連絡会議の20年』(2007年発行) 4 管理使用か禁止か―ILO石綿条約

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禁止措置導入の動き始まる

ときはまさに、管理使用から使用禁止へと世界的流れが変わり始めた時期であった。内外の石綿業界は、管理規制の強化の問題にとどまらない可能性を予知したからこそ、前記のような動きになってきたものと理解できる。

アメリカでは、1970~72年にミネソタ州、ニューヨーク州などが禁止したのを受けて、連邦政府も1973年に吹き付けを禁止した。

1972年にデンマークが、吹き付け及び断熱材への石綿の使用禁止を導入。同じく1972年にイギリスがクロシドライトの輸入を中止(企業による自主措置)。スウェーデンが1975年にクロシドライトの流通及び使用を禁止し、続いて1976年に断熱材への(クロシドライト以外の石綿の)使用を禁止した。

1983年に欧州経済共同体(EEC)として、クロシドライトの流通・使用を原則禁止する指令を採択。同じ年にアイスランドが、全石綿の原則禁止を導入した世界初の国となった。翌1984年にはノルウェーもこれに続き、1985年にはEECレベルで全石綿について吹き付けなど6品目への禁止。1986年には、デンマークとスウェーデンが全石綿の原則禁止を導入
アメリカでは石綿訴訟が激増。世界最大の石綿企業と言われたマンヴィル社が、被害訴訟の負担に耐えかねて1982年に計画倒産したことも大きな注目を集め、環境保護庁(EPA)が段階的禁止導入の提案を行うに至った。
なお、IARCが1977年に、「人に対する化学物質の発がんリスクに関するモノグラフ14巻アスベスト」で、また1982年の再評価でも石綿の発がん性を再確認、1986年にWHOが「環境保健クライテリア(EHC)53 石綿及びその他の天然鉱物繊維」を、1987年にはIARCが「石綿のヒトに対するがん原性の根拠」に関する見解を公表している(石綿は第1群(ヒトに対してがん原性である)に分類された)。

国際論争を反映したILO条約討議

ILOは、1981年及び1983年に、「石綿の使用における安全に関する専門家会議」を開催し、「石綿の使用における安全 実施要綱」(別掲図)を起草、これは理事会の承認を受けて出版された(翌年石綿協会が日本語訳を「石綿を安全に使用するための実施要綱」として発行している)。同じ理事会ではまた、1985年の第71回ILO総会の議題のひとつとして「石綿の使用における安全」を取り上げることも決定され、同総会で第1次討議が行われた。


そして1986年の第72回ILO総会で、第2次討議が行われたうえで、「石綿の使用における安全に関する条約」(石綿条約、第162号)が採択されたのである。

石綿条約をめぐる討議は、この時期の国際的な論争を反映するものとなった。すなわち、使用者代表は、「これからも石綿の使用は増大するだろう。使用禁止は発展途上国の雇用に影響を与えることにもなるので、発展途上国の施設建設に有効な措置をとるように石綿の安全な使用(管理使用)を規定した条約とすべき」と主張。

これに対して労働者代表は、「石綿の安全な使用ではなく、石綿の使用における安全を討議しているのであり、防止・抑制措置だけでなく、段階的な禁止・代替措置を含めた総合的な対策が必要」との立場であった。

北欧諸国を代表したスウェーデン政府代表は「条約には使用禁止の原則を入れるべき」と述べ、開発途上国の政府代表は「発展途上国にとっては、やっと石綿を使用できる技術をもちえた段階であり、代替促進や使用禁止は大きな負担になる。常識的な工学的抑制措置を基準とした柔軟な条約とすべき」との立場が多かった。

〈労働者代表+北欧諸国政府代表グループ〉対〈使用者代表+開発途上国政府代表グループ〉、〈EC、アメリカ等の政府代表〉が中間に位置するという構図となった[伊藤彰信「ILO石綿条約の討議に参加して」『いのち』No.250(1987年) 次頁別掲図]。

工学的管理等と代替・禁止を並列

結果的にILO石綿条約には、クロシドライト及び石綿の吹き付け作業の禁止が盛り込まれ、また、工学的管理等または認可等と、必要かつ実行可能な場合の代替または禁止を並列するものとなった(原案では、前者が十分できない場合には後者とされていて、労働者代表は後者を前者に優先させることを強く主張した)。

日本政府は、管理使用を支持する立場で、使用禁止に反対した。また、日本独自の作業環境評価基準という考え方を容認させる、個人保護具の使用を「一時的、緊急的」以外に「例外的」措置としても認めさせる、さらに、一定の建物等からの石綿の除去を「認可制」とすることに反対して、いずれも何とか主張を認めさせた。「作業場から発散される石綿粉じんが一般環境を汚染することを防止する」規定についても全文削除を求めたが、これは受け入れられなかった。いずれにしろ、きわめて消極的な態度をとったわけである。日本政府がこの条約を批准するのは、19年後の2005年のことである。

石綿協会は、「我国の規制が現在以上に厳しさを増大する様な条約の締結に反対」という姿勢で臨み、「AIA会員相互間では率直な話し合いも出来たし、又仲間意識もあって非常に協力的で大いにプラスとなった事、又…日経連に所属していた事から、有益な助言、協力も得られ、今回はほぼ満足出来る内容にまとめる事が出来た」と評価している[『 せきめん』No.487(1986年) 別掲図]。これは、自分の都合に合わせて条約を解釈するやり方であり、AIAもこの後、管理使用はILO石綿条約によって裏打ちされているとして宣伝していくことになる。

他方、世界の労働組合等は、1974年のILO職業がん条約の「労働者が就業中にさらされるがん原性物質・因子を非がん原性物質・因子または有害性の低い物質・因子で代替化させるあらゆる努力を払う」等の原則と石綿条約の「労働者の健康を守るために必要かつ技術的に実行可能な場合には代替または禁止の措置を定める」等の積極的な要素を強調しながら、両条約の批准、石綿対策の強化を促進していった。

●アスベスト問題の過去と現在-石綿対策全国連絡会議の20年
はじめに
1 石綿被害の本格化はこれから
2 日本における石綿の使用
3 石綿肺から発がん性、公害問題も
4 管理使用か禁止か
5 石綿の本格的社会問題化
6 石綿規制法案をめぐる攻防
7 被害の掘り起こしと管理規制強化の積み重ね
8 石綿禁止が世界の流れに
9 日本における原則使用禁止
10 地球規模での石綿禁止に向けて
11 クボタ・ショックと日本の対応
12 石綿問題は終わっていない
●石綿対策全国連絡会議(BANJAN)の出版物