電算写植操作で頸肩腕障害、労災認定-新認定基準適用も、不要な検査求める悪影響●東京

記事/お問合せ:東京東部労災職業病センター(現・東京労働安全衛生センター)

(参考)上肢作業に基づく疾病【上肢障害】の労災認定基準・申請・認定・審査請求(腱鞘炎、手根管症候群、頸肩腕症候群(障害)、上腕骨外(内)上顆炎等】


1997年10月末、東京・中央労働基準監督署は、Yさん(女性・47歳)の頸肩腕障害を業務上疾病と認定し、約1年6か月分の療養・休業補償を支給した。

Yさんは、経営者も入れて4人の会社で、電算写植オペレーターとして7年間勤務していた。女性はYさんひとりで、出版社の注文により単行本z雑誌、パンフレット、広告などの原稿(手書きまたはフロッピーディスク)を受け取り、電算写植機(モリサワのMKI10)を操作して、書体、歯数計算を行いながら編集者のレイアウト指定にしたがって基本データのコマンドを入力していく作業を行っていた。

1996年1月頃、腕の痛みを覚えて亀戸ひまわり診療所を受診。その後無理をして仕事をこなしていたが、5月に入り症状が悪化し、6月1日から休業せざるを得なくなった。彼女は、定期雑誌4点を担当し.1995年の10月頃か
ら1996年の5月の時期までは、大学の教科書の出版の時期と重なり、単行本の納品も重なったため業務量がピークに達した。

同僚に比べても業務負担の過重性は明らかだった。使用機器も旧式で、文字の盤面は左人指し指、中指、薬指を使って画面操作や外字、文字を打ち込み右手は中指だけで文字を拾う作業を、1日6時間30分以上続けていた。

一連続作業時間は約2時間半で、繁忙期には4時闘を超えることもあった。作業環境も悪く、机が高くて椅子を高くした上に足台を置いていた。室内は夏でも冷房が効きすぎ、膝掛けとジャンパーは欠かせない。手首にサポーターを巻いて、首にはホカロンを巻いて仕事をしていた。

Yさんは,1996年6月に労災申請し,9月に自己意見書や関連資料をまとめて提出した。1997年4月に担当官が異動で替わった。新たな担当官は、「ケイワンの認定実務の経験に乏しい」と言い訳しつつ、療養期間が長いのは他の疾病もあるのではないかと言い出した。そして、彼女の健康保険の履歴や健診結果の記録の提出を求めた。署内の検討会でも業務量は相当なものと認めながら、局医の指示で頸椎のMRI検査も求められた。やむなくMRI検査は受けたが、何の異常もあろうはずはなかった。

1947年1G月末.中央労基署はYさんの頸肩腕障害を業務上認定した。労災申請以来1年5か月が経っていた。頸肩腕障害の認定基準は1997年2月、「上肢障害に基づく疾病の業務上外の認定基準」通達(1997年3月号参照)により22年ぶりに改定された。新認定基準では、対象疾病を拡大したものの運動器障害に限定し、「3か月程度で症状が軽快」、手術施行の場合でも「6か月程度で治ゆ」するとしている。早期認定の努力もせず、頸肩腕障害の実態を知りもしないで新認定基準を鵜呑みにして「6か月で治るはず」とされてはたまったものではない。また、や
たらMRIなどの精密検査を強要するのもよくない。たんなる鑑別診断のために不必要な検査の強要は許されない。

新認定基準による頸肩腕障害の業務上外認定をめぐっては今後も注意していく必要があろう。

安全センター情報1998年1・2月号