VDT作業による「眼精疲労等」に労災認定、「VDT症候群」は公務外:国立大学事務職員/東京

Bさんは、ある国立大学の事務職員。時間割作成などのVDT作業に従事していた。教室や教員名、単位数などを打ち込み、学生の登録も含めて便利になるはずだったが、肝心のソフトウエアがうまく動かないなどのトラブルも。一方で新年度は迫ってくる。Bさんの業務量が増えていき、眼の疲れ、頭痛、めまいなどの症状に悩まされた。

1992年3月、眼科医にかかったところ、「眼精疲労等」という診断を受けた。その後もあまり具合は変わらず、これといった治療方法もみつからずにいたところ、その眼科で大学病院を紹介された。そこでの診断は、「VDT症候群」であった。

やはり仕事が原因だったことを確信させられたわけである。状態は仕事もたびたび休まざるを得ないぐらいに悪化していた。自分だけの問題ではないと感じたBさんは、1993年初めに公務災害の申請をした。

1995年8月、文部大臣からの認定通知がようやく届いた。それによると、1992年3月に発症した「眼精疲労等」については公務災害として補償するが、同年12月の「VDT症候群」については公務上の災害ではないという結論。

Bさんとしては、「眼精疲労等」も「VDT症候群」も身体の症状としてはなんら変わらないと思っている。医師の診断書でも、眼科で原因がよくわからないので大学病院を紹介したところ、軽度の「VDT症候群」と診断されたという経過である。

なぜ原因がはっきりしない「眼精疲労等」が公務上で、原因がVDTだと断定している「VDT症候群」が公務外なのか。1995年12月、納得できないBさんは、人事院に審査申し立てすることにした。

1996年9月、人事院による職場の調査が行われた。自分で集めた資料をもとに説明もした。そして、人事院がもうすぐ決定を出すと言われた時期に、VDTホットラインの新聞記事をみつけた。12月には、相談を受けた神奈川労災職業病センターが正式に代理人になり、意見書を作成した。

幸い身体の状態は、1995年はじめから始めた鍼灸治療が功を奏したのか、ずいぶんよくなった。現在はほとんど通常の勤務に戻っている。「自分のことをきっかけにして、職場の人たちが自分たちの労働や条件を真剣に考えるようになってほしいと思っているんです」、とBさんは語る。

1997年3月に代理人意見書を提出し、「眼精疲労等」と「VDT症候群」の連続性、病名の付け方の問題などを主張。しかし7月、残念ながら人事院は、「VDT症候群」を公務外としてBさんの申し立てを棄却した。

判定書によると、「眼精疲労等が持続したりVDT症候群を発症するほど過重な負担がかかるものであったとは認められない」、「VDT作業から離れても症状が持続しており申立人の有する何らかの素因が主因となったもの」と決めつけている。

Bさんは必ずしも納得しきれないが、裁判までやるのはやはり難しい。さらにこの問題が解決しないと人事異動が行われず、ずっと同じ職場にいざるを得ない。そのことの方が苦痛でもある。裁判提訴は断念した。

記事/問合せ:神奈川労災職業病センター

安全センター情報1997年11月

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