労災認定の目安示した「芳香族アミン取扱事業場で発生した膀胱がんの 業務上外に関する検討会」報告書-膀胱がんとオルト-トルイジンのばく露に関する医学的知見-2016年12月

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オルトトルイジンのばく露による膀胱がんの要件(事実上の労災認定基準)

本報告書は三星化学福井工場における膀胱がん多発と労災請求を受けて、その業務上外を検討するために設置された検討会の報告書である。

報告書は結論部分において、オルトトルイジンの職業性ばく露についての事実上の労災認定基準といえる次の要件を示した。

  1. ばく露期間10年以上、潜伏期間10年以上
    オルト-トルイジンのばく露業務に10 年以上従事した労働者で、ばく露開始後10 年以上経過して発症した膀胱がんについては、業務が相対的に有力な原因となって発症した蓋然性が高いと考えられる。
  2. 10年未満の場合は個別に総合的に関連性検討
    検討オルト-トルイジンのばく露業務への従事期間又は膀胱がん発症までの潜伏期間が10 年に満たない場合は、作業内容、ばく露状況、発症時の年齢、既往歴の有無などを総合的に勘案して、業務と膀胱がんとの関連性を検討する必要がある。

以下、報告書全文。

芳香族アミン取扱事業場で発生した膀胱がんの業務上外に関する検討会参集者名簿(五十音順)

氏 名役 職 等
頴川 晋東京慈恵会医科大学附属病院泌尿器科 主任教授 診療部長
小川 修京都大学医学研究科泌尿器科学教授
白石 寛明国立研究開発法人国立環境研究所環境リスク・健康研究センター フェロー
角田 正史北里大学医学部 准教授
名古屋 俊士早稲田大学理工学術院 名誉教授 (※第1回検討会)
村田 克早稲田大学理工学術院創造理工学部 准教授
(※第2回検討会以降)
(座長)柳澤 裕之東京慈恵会医科大学医学部環境保健医学講座 教授
(オブザーバー)甲田 茂樹独立行政法人労働者健康安全機構労働安全衛生総合研究所 所長代理

芳香族アミン取扱事業場で発生した膀胱がんの業務上外に関する検討会開催状況

第1回検討会 平成 28 年 6月 22 日
第2回検討会 平成 28 年 9月 28 日
第3回検討会 平成 28 年 10 月 17 日
第4回検討会 平成 28 年 11 月 30 日
第5回検討会 平成 28 年 12 月 20 日

第1 検討会の目的

平成28 年1 月15 日、福井労働局管内の染料・顔料の中間体を製造する化学工場(以下「本件事業場」という。)において、オルト-トルイジン等の化学物質を取り扱う業務に従事していた労働者から、使用した化学物質が原因で膀胱がんを発症したとして労災請求がなされた。

業務上疾病を列挙した労働基準法施行規則別表第1 の2 の第7 号及び第10 号に基づく告示においては、個別のがん原性物質又はがん原性工程における業務による膀胱がんを含む尿路系腫瘍が具体的に列挙されているが、本件事業場の労働者が取り扱っていたオルト-トルイジン等の化学物質による尿路系腫瘍は列挙されておらず、また、過去にも当該化学物質による膀胱がんを業務上疾病として認定した事例はなく、労働者が従事していた業務と膀胱がんとの因果関係は明らかになっていない。

このため、医学、化学、労働衛生工学の専門家から成る本検討会において、労働者が従事していた業務と膀胱がんとの因果関係について、専門的な見地から検討を行ったものである。

第2 膀胱がんに関する医学的知見

1 膀胱がんについて

膀胱は骨盤内にある臓器で、腎臓で作られた尿が尿管を経由して運ばれた後に、一時的に貯留する一種の袋の役割を持っている。膀胱を含め、腎盂、尿管、一部の尿道の内側は尿路上皮(移行上皮)という粘膜に覆われている。膀胱がんは、尿路上皮のがん化によって引き起こされる。膀胱がんの90%以上が移行上皮がんであり、まれに扁平上皮がんや腺がんがみられる1)。

(1)病理学的・組織学的特徴

膀胱がんは画像診断や経尿道的膀胱腫瘍切除術(TURBT)による確定診断により、筋層非浸潤性がん、筋層浸潤性がん、転移性がんに大別される。

ア 筋層非浸潤性がん

膀胱筋層には浸潤していないがんであり、表在性がんと上皮内がんが含まれる。表在性がんの多くは浸潤しないが、放置しておくと進行して浸潤したり、転移を来すものもある。上皮内がんは、膀胱の内腔に突出せず、粘膜のみががん化した状態をいう。

イ 筋層浸潤性がん

膀胱の筋層に浸潤したがんである。このがんは膀胱壁を貫いて、壁外の組織への浸潤、リンパ節や肺や骨への転移の危険性がある。

ウ 転移性がん

原発巣の膀胱がんが、他臓器に転移した状態をいう。膀胱がんが転移しやすい臓器は、リンパ節、肺、骨、肝臓などがある1) 。

(2)膀胱がんの危険因子

膀胱がん発症の危険因子として、喫煙、職業性発がん物質へのばく露、飲料水中のヒ素、フェナセチン(鎮痛剤)やシクロフォスファミド(抗がん剤)などの特定の医薬品、放射線照射などが挙げられる。

中でも喫煙は最も重要な危険因子であり、男性の膀胱がんの50%、女性の膀胱がんの30%に関与しているとされ、喫煙者は非喫煙者に比較して膀胱がんの発症リスクが約4 倍高いとされている。タバコに関連した発がん物質として60 種類以上の物質が指摘されているが、中でもタバコの煙に含まれる芳香族アミンの一種や活性酸素種が膀胱発がんに影響を与えていると考えられる1,2)。

(3)好発年齢及び罹患・死亡状況

年齢別にみた膀胱がんの罹患率は、男女とも60 歳代から増加し、40 歳未満の若年での罹患率は低い。また、女性よりも男性が膀胱がんの罹患率が高く、女性の約4 倍となっている1)。

国立がん研究センターがん対策情報センターが公表しているがん統計によると、平成24 年に膀胱がん(上皮内がんを含まない。)の診断を受けた者の推計値は20,574 人であり、年齢別にみると、60 歳以上が18,909 人で、全体
の92%を占めている。公表年の10 年前の平成14 年に膀胱がん(上皮内がんを含まない。)の診断を受けた者の推計値は15,914 人であり、国内の罹患者数は増加傾向にある。

人口動態統計調査(厚生労働省)によれば、平成27 年の膀胱がん(膀胱の悪性新腫瘍)の死亡者数は8,130 人であり、悪性新生物による死亡者のおよそ2.2%を占めている。

(4)職業性の膀胱がんの臨床病理学的特徴

職業性の発がん物質へのばく露から実際の膀胱がん発症までは、約20 年の潜伏期間があると考えられている。ベンジジン等の発がん性のある芳香族アミン類によって生じる膀胱がんの臨床病理学的特徴としては、①若年発生の傾向があること、②悪性度が高く、浸潤性の傾向があること、③上部尿路の再発リスクが高いことなどが指摘されている2)。

発がん物質とそれによって惹起される遺伝子変異の特徴との関連に関する研究は進んでいるが、オルト-トルイジンを含む芳香族アミンによる特徴的な遺伝子変異はいまのところ報告されていない。

第3 膀胱がんの有害因子の考察

1 有害因子


本件事業場における労働者の膀胱がんの発症を受けて、厚生労働省の依頼により実施した独立行政法人労働者健康安全機構労働安全衛生総合研究所(以下「労働安全衛生総合研究所」という。)の調査3)によると、本件事業場は、アニリン、オルト-トルイジン、2,4-キシリジン、オルト-アニシジン、オルト-クロロアニリン、パラ-トルイジンの6 種類の芳香族アミンを原料に溶媒として有機溶剤を加え、ジケテンを滴下しながら染料・顔料の中間体を製造しており、6 種類の芳香族アミンのうち、オルト-トルイジン、アニリン、2,4-キシリジンの使用量が多かったとしている。

また、6 種類の芳香族アミンの中で、IARC(国際がん研究機関:International Agency for Research on Cancer)が膀胱がんを引き起こすとして、ヒトに対する発がん性を認めている化学物質はオルト-トルイジンのみであり、IARC は2012 年にオルト-トルイジンの発がん性分類をグループ1(ヒトに対して発がん性がある:carcinogenic.)と評価している4)。その他の5 物質に関するIARC の発がん性分類は、オルト-アニシジンがグループ2B(ヒトに対する発がん性が疑われる:possibly)、2,4-キシリジン及びアニリンがグループ3(ヒトに対する発がん性について分類することができない:not classifiable)であり、パラ-トルイジンとオルト-クロロアニリンについては発がん性の評価をしていない。また、本件事業場が取り扱っている化学物質のうち、芳香族アミン以外の化学物質について、IARC がヒトに対する発がん性を認めているものはない。

以上から、本検討会においては、オルト-トルイジン、アニリン、2,4-キシリジンの使用量が多いこと、IARC の発がん性分類がグループ1 と評価されている化学物質はオルト-トルイジンのみであることから、オルト-トルイジンのば
く露と膀胱がん発症との関連性について検討することとする。

2 ばく露形態

前述の労働安全衛生総合研究所の調査結果報告書3)によると、作業環境測定時(平成28 年1 月)のガス状オルト- トルイジンの平均値は12.6µg/㎥ (0.003ppm)であり、この数値は日本産業衛生学会の許容濃度1ppm、ACGIH (米国産業衛生専門家会議:American Conference of Governmental Industrial Hygienists)のTLV-TWA(時間加重平均の許容濃度)2ppm、OSHA (米国労働安全衛生庁:Occupational Safety and Health Administration)のPEL(許容ばく露限度)5ppm を下回っていた。

また、災害調査において実施されたガス状オルト-トルイジンの個人ばく露測定とオルト-トルイジンの尿中代謝物の測定から、高濃度ばく露が疑われる作業と個人ばく露の程度との間に合理的な関連性は認められなかったとしている。

一方で、尿中代謝物が高値を示した労働者は、終業後に作業で使用していた手袋を蒸留有機溶剤で洗浄していたことから、労働者のゴム手袋に付着していたオルト-トルイジンの総量と尿中代謝物の関係を確認したところ、相関傾向が得られたとしており、オルト-トルイジンの経皮ばく露による生体への取り込みが示唆されたところである。

なお、同報告書では、有機溶剤に係る特殊健康診断結果や保護具の着用状況から、過去において、経気道ばく露によるオルト-トルイジンの生体への取り込みがあった可能性を示唆している。

第4 オルト-トルイジンのばく露と膀胱がん発症との関連性について

1 オルト-トルイジンのばく露と膀胱がん発症との関連性に係る検討項目

本検討会では、オルト-トルイジンのばく露と膀胱がんとの関連性について、現時点における膀胱がんの発がんメカニズムに関する知見を整理した上で、オルト-トルイジンのばく露による膀胱がんの発症リスクをばく露期間、潜伏期間の観点から検討することとした。

これらの医学的知見の整理及び発症リスクの検討に当たっては、海外文献のレビューにより行った。検討対象とした海外文献は、2012(平成24)年にIARC がオルト-トルイジンの発がん性分類を2A(ヒトに対しておそらく発がん性がある:probably)から1 に分類換えを行った際のモノグラフ4)及び根拠となった文献のほか、Pub Med(米国国立医学図書館内の国立生物科学情報センターが作成するデータベース統合検索システム)により、検索条件“bladder cancer (膀胱がん)o-toluidine(オルト-トルイジン)”OR ”urinary cancer(尿路系がん)o-toluidine(オルト-トルイジン)”で検索した。

2 オルト-トルイジンによる膀胱がんの発がんメカニズムについて

(1)研究報告

オルト-トルイジンによる膀胱がんの発がんメカニズムについては、多くの種類の酵素による代謝活性化が関与しているものと考えられており、IARC モノグラフ(2012)4)では、オルト-トルイジンの代謝について、完全には解
明されていないとしている。このため、オルト-トルイジンの代謝経路の解明には、今後の研究が待たれるところであるが、本検討会の文献検討結果は以下のとおりである。

ア ヒトの膀胱内のオルト-トルイジン付加体を測定したBöhm ら(2011)5) は、膀胱がん患者の腫瘍サンプルからオルト-トルイジン由来のDNA 付加体が高率で検出されたとしている。

イ ラットに投与されたオルト-、メタ-、及びパラ-トルイジンの代謝を観察したCheever ら(1980)6)は、メタ-トルイジン、パラ-トルイジンに比べて、オルト-トルイジンの尿中濃度が最も高かったとしている。

ウ Zenser ら(2002)7)は、化学的にオルト-トルイジンのアミノ基と類似したアミノ基を有するN-アセチルベンジジンによる膀胱がんのイニシエーションを報告している(図1)。

これによると、N-アセチルベンジジンは肝臓でN-グルクロン酸抱合を受け、N-アセチルベンジジン-N’-グルクロニドを形成する。N-アセチルベンジジン-N’-グルクロニドは腎臓でろ過され、膀胱腔内の尿に蓄積される。尿中のN-アセチルベンジジン-N’-グルクロニドは、酸に不安定であり、酸性の尿中でN-アセチルベンジジンに再度変換される。膀胱上皮には、プロスタグランジンH シンターゼ(PHS)が比較的多く、PHS の活性化により、DNA 付加体であるN’-(3’-モノホスホ-デオキシグアシノン-8-イル)-N-アセチルベンジジンを形成させ、これがDNA 付加体を形成し、最終的に腫瘍発生に寄与するとしている。

エ English ら(2012)8)は、オルト-トルイジンによる膀胱がんの発がんの機序を代謝酵素シトクロムP450(CYP)の働きに着目して報告している(図2)。

これによると、体内に取り込まれたオルト-トルイジンは肝臓内のCYP の触媒により、N-ヒドロキシ-オルト-トルイジンを形成し、N-ヒドロキシ- オルト-トルイジンは腎臓でろ過され、膀胱腔内の尿に蓄積される。N-アセチル転移酵素(NAT1)は膀胱内でN-ヒドロキシ-オルト-トルイジンのO- アセチル化を触媒して、N-アセトキシ-オルト-トルイジンを形成する。N- アセトキシ-オルト-トルイジンの活性化により生成された求電子性のニトレニウムイオンがDNA に結合し、DNA を損傷する。

一方、CYP の分子種であるCYP2E1 は、オルト-トルイジンの芳香環水酸化に関与し、4-アミノ-メタ-クレゾールを形成する。4-アミノ-メタ-クレゾールは、N-アセチル転移酵素(NAT2)の触媒によりアセチル化され、N-アセチル-4-アミノ-メタ-クレゾールを形成する。4-アミノ-メタ-クレゾールとN-アセチル-4-アミノ-メタ-クレゾールは硫酸抱合体及びグルクロン酸抱合体として尿中に排泄されるが、抱合されなかったN-アセチル-4-アミノ-メタ-クレゾールは、酸化を受けやすく反応性のキノンイミン誘導体を形成し、これが酸化還元サイクルを経て活性酸素を生成するとしている。

(2)まとめ

以上のことから、体内に取り込まれたオルト-トルイジンは、肝臓内の酵素によって代謝生成物を形成する。オルト-トルイジン及び代謝生成物は、腎臓でろ過され、膀胱内の尿中に高濃度に蓄積する。尿中のオルト-トルイジン及び代謝生成物は、膀胱内の酵素により活性化されDNA 付加体を形成し、DNA 損傷を引き起こす結果、発がんを誘導すると考えられる。

また、オルト-トルイジンの代謝生成物とそのキノンイミン誘導体の酸化還元サイクルにより生成される活性酸素は、DNA を損傷し、発がんを助長すると考えられる。

(図1)[Zenser ら(2002)Fig.2]
(図2)[English ら(2012)Fig.2]

3 オルト-トルイジンのばく露と膀胱がんの発症リスクの関係

(1)研究報告

ア Ward ら(1991)9)は、米国ニューヨーク州の化学工場の労働者1,749 人を対象に後ろ向きコホート研究を実施した。対照集団はニューヨーク市を除くニューヨーク州の一般住民である。

このコホート研究によると、オルト-トルイジンとアニリンのばく露が明らかな群の膀胱がんのSIR(標準化罹患比)は6.48(90%信頼区間=3.04 -12.2)としている(表1)。ばく露が明らかな群をばく露期間別に分析すると、5 年未満では膀胱がんの発症はなく、5 年以上10 年未満で1 人が発症、SIR は8.8(90%信頼区間=0.45-41.7)、10 年以上で6 人が発症、SIR は27.2(90%信頼区間=11.08-53.7)、トレンド検定はP<0.01 で有意であったとしている(表2)。

また、オルト-トルイジンとアニリンのばく露が明らかな群を、ばく露作 業に雇用された時からの期間別に分析すると、10 年未満では膀胱がんの発 症はなく、10 年以上20 年未満で1 人が発症、SIR は2.03(90%信頼区間 =0.10-9.64)、20 年以上で6 人が発症、SIR は16.4(90%信頼区間=7.13 -32.3)としている(表3)。

イ Ward ら(1991)9)のコホート研究について、対象労働者数を追加し、再解析を実施したCarreón ら(2014)10)では、ばく露が明らかな群をばく露期間別に分析し、5 年未満のSIR は1.98(95%信頼区間=0.80-4.08)、5 年以上10 年未満のSIR は4.52(95%信頼区間=0.93-13.2)、10 年以上 のSIR は6.24(95%信頼区間=3.63-9.99)としている(表4)。

また、ばく露が明らかな群に最初に雇用された時からの期間別に分析す ると、10 年未満のSIR は1.74(95%信頼区間=0.04-9.68)、10 年以上 20 年未満のSIR は3.41(95%信頼区間=0.93-8.72)、20 年以上30 年未 満のSIR は4.75(95%信頼区間=2.17-9.02)、30 年以上のSIR は3.97 (95%信頼区間=2.11-6.79)である(表4)。

同様にWard ら(1991)9)のコホート研究の公表後、同一工場で新たに 膀胱がんの診断を受けた労働者を対象に同研究のフォローアップを実施し たMarkowitzら(2004)11)の報告では、確実にばく露した群の11 例の膀胱がん症例のうち、最も短いばく露期間の症例は2年であり、2 例の症例が認められた(表5)。

ウ Rubino ら(1982)12)は、イタリア北部の染色工場に1922 年から1970 年の間に雇用されたベンジジン、α-ナフチルアミン、β-ナフチルアミン、オルト-トルイジンなどの芳香族アミンを取り扱う労働者919名を対象にした後ろ向きコホート研究を実施した。対照集団はイタリア全国の人口か ら予想される死亡例数である。

このコホート研究では、労働者全体の膀胱がんの死亡は36 例で、観察値/期待値は29.27(P<0.001)であった(表6)。同じく膀胱がん死亡例を最初のばく露からの期間別に評価すると、10 年まではなし、11 年以上20年以下で8 例、観察値/期待値は21.62(P<0.001)、21 年以上で28 例、観察値/期待値は36.84(P<0.001)であった(表7)。また、労働者全体の ばく露期間別では、10 年以下で8 例、観察値/期待値は12.50(P<0.001)、11 年以上20 年以下で13 例、観察値/期待値は34.21(P<0.001)、21 年 以上で15 例、観察値/期待値は71.43(P<0.001)であった(表8)。

表9 は、膀胱がん死亡(36 例)をばく露カテゴリー別に区分けし、リス ク評価を行ったものである。このうち、カテゴリーG はオルト-トルイジンと4,4’-メチレンビス(2-メチルアニリン)を原料にフクシン及びサフラニンT を製造する工程であり、膀胱がん死亡は5 例、観察値/期待値は62.50 (P<0.001)であった(表9)。労働者全体に係る膀胱がん死亡の観察値/ 期待値は29.27(P<0.001)である(表6)が、労働者全体の膀胱がん死亡には既知のがん原性物質であるベンジジンやβ-ナフチルアミンを取り扱う労働者が含まれている。

以上を踏まえると、カテゴリーGはオルト-トルイジンと4,4’-メチレンビ ス(2-メチルアニリン)の複合ばく露であるが、このカテゴリーの膀胱がん死亡の観察値/期待値の62.50(P<0.001)は、オルト-トルイジンのばく露が膀胱がんの発症に寄与していることを示唆するものと考えられる。

カテゴリーGの膀胱がん死亡の5 例について、ばく露期間は12 年から 33 年(平均22.0 年)、潜伏期間は12 年から40 年(平均27.4 年)となっ ている(表10)。

エ Sorahan ら(2000)13)は、ウェールズ北部の化学工場の男性労働者2160人を対象に、オルト-トルイジン取扱作業従事年数(0 年、1 年以上5 年未 満、5 年以上)によって、膀胱がんの死亡、罹患等を検討した。対照集団 は、イングランド及びウェールズの一般人口である。 対照集団を100 としたときの工場労働者全体の膀胱がんのSMR(標準化 死亡比)は141(95%信頼区間=82-225)で有意差はなかった。

同様に 膀胱がんの罹患率のSRR(標準化リスク比)は107(95%信頼区間=65- 168)で有意差はなかった。 オルト-トルイジン取扱作業に従事する労働者の膀胱がん死亡は3 人(従事年数が1 年から4 年で2 人、5 年以上で1 人)で、期待値は0.2 であり、 対照集団を100 としたとき、SMR は1589 で有意であった。

オルト-トルイジン取扱作業に従事する労働者の膀胱がんの死亡のRR(リ スク比)は、従事年数が1 年から4 年で4.44(95%信頼区間=0.76-25.79)、 5 年以上で5.48(95%信頼区間=0.51-59.14)であり、有意差はないが、 トレンド検定はP=0.08 であった(表11)。

また、オルト-トルイジン取扱作業に従事する労働者の膀胱がん罹患の RR は、従事年数が1 年から4 年で6.73(95%信頼区間=1.59-28.41)、5年以上で7.65(95%信頼区間=1.03-56.87)であり、それぞれ有意に高く、トレンド検定でもP=0.002 であった(表12)。

(2)まとめ

ア 後ろ向きコホート研究におけるオルト-トルイジンのばく露と膀胱がんの発症

Rubino ら(1982)12)の後ろ向きコホート研究では、既知の発がん物質であるベンジジンやβ-ナフチルアミンの取扱作業に従事する労働者を含む労働者全体の膀胱がん死亡の観察値/期待値が29.27(P<0.001)であったが、オルト-トルイジンの取扱作業に従事する労働者における膀胱がん死亡の観察値/期待値は62.50(P<0.001)であった。

このことから、オルト-トルイジンのばく露は膀胱がん発症の有力な原因と考えられる。

イ ばく露期間

Ward ら(1991)9)の後ろ向きコホート研究によれば、オルト-トルイジンのばく露と膀胱がんの発症リスクについて、ばく露期間10 年以上で有意差が認められる。

Carreón ら(2014)10)は、ばく露期間5 年以上10 年未満ではSIR を4.52 (95%信頼区間=0.93-13.2)としており、これは統計的に有意には至っていないものの、オルト-トルイジンの5 年以上10 年未満のばく露が膀胱がんの発症に関与していることが示唆された。

また、5 年未満で膀胱がんを発症している事例(最短2 年)も報告されているが、5 年未満のばく露期間で膀胱がんの発症リスクを増加させることを示唆する研究報告はなかった。

ウ 潜伏期間

Ward ら(1991)9) 、Carreón ら(2014)10)の後ろ向きコホート研究では、オルト-トルイジンのばく露開始から膀胱がんの発症までの潜伏期間について、20 年以上で有意差を認めている。

Rubino ら(1982)12)によれば、オルト-トルイジンの取扱作業に従事する労働者の膀胱がん死亡例の平均潜伏期間を27.4 年としているが、その範囲は12 年から40 年としている。死亡例5 例のうち2 例については、潜伏期間が12 年であった。

また、Carreón ら(2014)10)においても、ばく露開始後10 年から20 年の発症例が報告されている。

したがって、少なくともオルト-トルイジンのばく露開始から10 年以上経過した後、膀胱がんを発症するものと考えられる。

4 喫煙の影響

Ward ら(1991)9)らの後ろ向きコホート研究では、対象集団の喫煙率は43.4%であり、米国の一般集団と大きく乖離した数字ではないとして、オルト- トルイジンのばく露による膀胱がんの発症リスクについて、喫煙による影響を排除することなく評価している。

喫煙は膀胱がんのリスクファクターの一つであることは間違いないが、オルト-トルイジンと喫煙の影響を分けて、リスク評価することは困難である。

第5 結論

オルト-トルイジンのばく露による膀胱がんは、労働基準法施行規則別表第1 の2 の列挙疾病に掲げられておらず、過去にもオルト-トルイジンによる膀胱がんを業務上疾病として認定した事例はない。このため、本検討会では、オルト- トルイジンを対象として発がんのメカニズム、ばく露と発症リスクの関係について文献検討を行った結果、以下のとおり取りまとめ、膀胱がんはオルト-トルイジンの長期間のばく露により発症し得るとの結論に達した。

(1)発がんのメカニズム

体内に取り込まれたオルト-トルイジンは、肝臓内のCYP により代謝生成物を形成する。オルト-トルイジン及びその代謝生成物は、血液によって腎臓に運ばれた後、ろ過され膀胱の尿中に蓄積する。尿中のオルト-トルイジンとその代謝生成物は、それぞれ膀胱内のPHS による活性化、NAT1 によるO-アセチル化を経る活性化によりDNA 付加体を形成し、これがDNA を損傷し、膀胱がんを発症させるものと考えられる。また、活性酸素はDNA を損傷し、膀胱がんの発症を助長するものと考えられる。

(2)オルト-トルイジンのばく露と膀胱がんの発症リスク

後ろ向きコホート研究によると、オルト-トルイジンにばく露した労働者において、膀胱がんの発症が有意に増加していることから、オルト-トルイジンのばく露は膀胱がんの発症の有力な原因の一つと認められる。

ばく露期間別に膀胱がんの発症リスクをみると、10 年以上のばく露で有意差が認められた。5 年以上10 年未満のばく露では、統計的に有意に至っていないが、膀胱がんの発症に関与していることが示唆された。5 年未満のばく露での膀胱がん症例も報告されているが、症例数も少なく、研究対象も偏っていることから、発症リスクを増加させることを示唆する研究報告は認められなかった。

潜伏期間をみると、オルト-トルイジンのばく露開始から膀胱がんの発症までの潜伏期間については、20 年以上で有意に増加するとの報告が多いが、ばく露開始後10 年以上20 年未満の発症例の報告も認められた。少なくともオルト-トルイジンのばく露開始から10 年以上経過した後、膀胱がんは発症するものと考えられる。

これらのことから、オルト-トルイジンのばく露業務に10 年以上従事した労働者で、ばく露開始後10 年以上経過して発症した膀胱がんについては、業務が相対的に有力な原因となって発症した蓋然性が高いと考えられる。ま
た、オルト-トルイジンのばく露業務への従事期間又は膀胱がん発症までの潜伏期間が10 年に満たない場合は、作業内容、ばく露状況、発症時の年齢、既往歴の有無などを総合的に勘案して、業務と膀胱がんとの関連性を検討する必要がある。

引用文献

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その他参考文献

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用語解説

※見出し語は、欧文ではじまるものはアルファベット順、和文は五十音順で配列している。

  1. ACGIH(米国産業衛生専門家会議:American Conference of Governmental Industrial Hygienists)
    米国の産業衛生の専門家の組織で、職業上及び環境上の健康について管理及び技術的な分野を扱っている。毎年、化学物質や物理的作用及びバイオモニタリングについて、職業上の許容濃度の勧告値(TLV:Threshold Limit Value)や化学物質の発がん性のランクを公表している。
  2. IARC(国際がん研究機関:International Agency for Research on Cancer)
    WHO(世界保健機関)総会の議決に基づいて1965 年に設立された国際機関。化学物質等のヒトに対する発がん性の評価や、がん疫学に関する研究、研究者の教育訓練などを行っている。1)
  3. 3N-アセチル転移酵素(NAT)
    アセチルCoA を補酵素として利用し、芳香族第一級アミンやヒドラジン類、スルホンアミドをN-アセチル体へ変換する反応を触媒する。また、この酵素はN- アセチル化だけでなく、アリルヒドロキサム酸のN,O-アセチル転位反応ならびにN-ヒドロキシルアミンのO-アセチル反応も触媒する。ヒトや実験動物のNAT には、NAT1 とNAT2 とよばれる二つの分子種が存在し、両酵素は基質特異性が異なる。2)
  4. OSHA(米国労働安全衛生庁:Occupational Safety and Health Administration)
    米国労働安全衛生法に基づき1970 年に設置された米国労働省の下部機関。安全で健康な職場を保証するため、安全衛生基準の設定や教育訓練・援助等を行っている。
  5. PEL(許容ばく露濃度:permissible exposure limit)
    OSHA による許容濃度。1 日8 時間、週40 時間の繰り返し労働において作業者に対し有害な影響を及ぼさない時間加重平均濃度。
  6. P 値
    集団間に差がないとする仮説(帰無仮説:得られた集団間の差は、条件の違いによる差ではなく、個体差による偶然の差しかないとする仮説)が正しい確率。P 値が小さいほど、集団間に差がある確率が高くなり、0.05 であれば、比較したデータに関して集団間に有意な差があると解釈する。
  7. RR(リスク比:relative risk)
    ばく露群と非ばく露群との間の疾病頻度(罹患率や死亡率)の比。非ばく露群に比べてばく露群の疾病頻度が何倍になるかをあらわす。
    リスク比=ばく露群の疾病頻度/非ばく露群の疾病頻度で計算される。3)
  8. SIR(標準化罹患比:standardized incidence ratio)
    SMR(標準化死亡比:standardized mortality ratio)
    人口構成や暦年の違いを調整して罹患率・死亡率を比較するための指標。SIR (標準化罹患比)は、ある集団で実際に観察された罹患数が、もしその集団の罹患率が基準となる集団の罹患率と同じだった場合に予想される罹患数(期待罹患数)の何倍であるかを示す。また、同様の方法で死亡数についての比を求めたものをSMR(標準化死亡比)という。4)
  9. TLV-TWA(threshold limit value – time-weighted average)
    ACGIH によって設定された時間加重平均の許容濃度。1 日8 時間、週40 時間の繰り返し労働において、作業者に対し有害な影響を及ぼさない時間加重平均濃度。
  10. アセチル化
    アミノ基-NH2 やヒドロキシ基-OH の水素原子をアセチル基CH3CO-で置換する反応。第一アミンR-NH2 および第二アミンRR’-NH の窒素原子と結合している水素原子をアセチル基で置換する反応をN-アセチル化とよび、アルコールR-OH およびフェノールAr-OH(Ar は芳香族基)の酸素原子と結合している水素原子をアセチル基で置換する反応をO-アセチル化とよぶ。
  11. イニシエーション
    がん遺伝子やがん抑制遺伝子のDNA に変異が生じる過程。
  12. がん原性
    化学的要因、物理的要因、生物的要因などが、動物にがんを発生させる能力。1)
  13. 顔料
    着色料で、一般的には水に難溶という点で染料と区別されている。染料に比較すると不透明で隠蔽力が大きく、塗料、印刷インキ、プラスチック、ゴムなどの着色剤として用いられる。
  14. 経尿道的膀胱腫瘍切除術(TURBT)
    全身麻酔あるいは腰椎麻酔を行って、専用の内視鏡を用いてがんを電気メスで切除する方法。膀胱がんの確定診断を兼ねて実施される。筋層非浸潤性がんの場合、病態によってはTURBTでがんを完全に切除できることもある。5)
  15. コホート研究
    一定の特徴(ばく露要因)を共有する集団について疾病や死亡の発生を追跡する調査。例えば、何らかの要因を有する集団(喫煙者)と有しない集団(非喫煙者)を追跡して、発生する肺がんなどの疾病を観察・記録する。その発生率を両群で比べることにより、要因ばく露と疾病との因果関係を解明する。3)また、後ろ向きコホート研究とは、過去に記録されたばく露要因の情報に基づき調査集団を設定し、定められた期間内に発生した疾病・死亡を調査することにより、記録されたばく露要因と疾病・死亡との関係を明らかにしようとする研究である。6)
  16. 酵素
    生物の細胞内で合成され、消化・呼吸など、生体内で行われるほとんどすべての化学反応の触媒(自身とは別の物質の化学反応を促進したり抑制したりする物質)となる高分子化合物の総称。蛋白質だけまたは蛋白質と低分子化合物から成る。
  17. シトクロムP450(CYP)
    還元型で一酸化炭素と結合し吸収スペクトル上450nm 付近に吸収極大をもつヘム蛋白の総称。NADPH-シクトロムP-450 還元酵素から電子を受け取り、薬剤など外因性物質や種々の内因性物質を酸化的に代謝する酵素。主に肝に存在するほか、各種臓器にも少量ながら分布する。薬物代謝やコレステロール代謝などに重要な働きをしている。7)
    CYP は基質特異性(特定の酵素が特定の物質に対して高い反応特異性を示すこと)の異なる複数の分子種からなる超遺伝子群を形成しており、ヒトでは50 種類程度の分子種が報告されている。8)
  18. 浸潤
    がんが周囲に染み出るように広がっていくこと。4)
  19. 腺がん
    体を構成する組織のうち、腺組織とよばれる上皮組織から発生するがん。胃、腸、子宮体部、肺、乳房、卵巣、前立腺、肝臓、膵臓、胆のうなどに発生する。
  20. 染料
    色をもつ有機化合物で、水や有機溶媒に溶かして、繊維製品や皮革・紙などを染色する物質。天然染料と合成染料に分けられる。
  21. 代謝
    生体内にある物質が分解・合成されること。多くの化学反応の連続によって起こり、反応の一つ一つに別々の酵素が働く。代謝経路とは、物質が体内で順次どのような化学反応を受けるかをいい、変化によって生成する物質は図で示される。
  22. 中間体
    化学反応の過程において、出発物質から最終的な生成物質に至る間、途中で生成する物質。中間生成物。
  23. 扁平上皮がん
    体を構成する組織のうち、扁平上皮とよばれ体の表面や食道などの内部が空洞になっている臓器の内側の粘膜組織から発生するがん。口の中、舌、喉、食道、気管、肺、肛門、外陰部、腟、子宮頸部などに発生する。
  24. 溶媒
    溶剤。一つの溶液において,その溶液をつくるにあたって溶かされた成分を溶質といい、溶質を溶かすのに用いた成分を溶媒という。溶質、溶媒の区別がつけにくい場合は多量に存在するほうを通常は溶媒と考える。
  25. リスク(risk)
    本報告書では「疾病に罹患する確率または疾病で死亡する確率」をいう。
  26. 抱合
    体内に取り込まれた水に溶けにくい物質を体外へ排出する場合に別の化合物と結合させて水溶性にする生体内の処理法。グルクロン酸との抱合をグルクロン酸抱合という。
  27. 付加体
    化学物質の生体分子への付加生成物。DNA 付加体はDNA と化学物質との付加体のことで、変異原の多くはDNA と付加体を作る。9)

<「用語解説」の参考文献・URL>

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  2. 加藤隆一ほか編. 薬物代謝学―医療薬学・医薬品開発の基礎として第3 版. 東京化学同人. 2010.
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    http://ganjoho.jp/public/qa_links/dictionary/dic01/hyojunkashibohi.html
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  7. 最新医学大辞典第3 版. 医歯薬出版. 2005.
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    http://www.pharm.or.jp/dictionary/wiki.cgi?CYP
  9. 日本環境変異学会. 関連用語解説
    http://www.j-ems.org/info/glossary.html