頸肩腕障害、労災認定獲得へ-うすけぼ支部 闘いの道程●東京

記事/全国一般東京東部労組 書記次長 矢部明浩
お問合せ/東京労働安全衛生センター

1. 端緒―組合結成

「うすけぼ」(Uisqebaughi ケルト語で「ウイスキー」の意味)―東京都内を中心に店舗を展開するアサヒビール系列の会員制パブレストランに、2007年8月25日、調理人たちの労働組合が誕生しました。

ことの発端は、うすけぼ昭和通り店に勤務するサブチーフの自宅待機問題でした。同店でランチ給仕中のパートタイマー店員に厨房から”暴言”を吐いたとして、偶然居合わせた総支配人に聞きとがめられ、出勤停止のうえさらなる懲戒処分を食らいそうだ、と全国一般東京東部労組に駆け込んできたのが、現委員長のSさん。

それでは、組合に加入して団体交渉で会社と応酬しましょう、という結論に。専従スタッフの助言もあり証拠書類の給与明細をためつすがめつ眺めていると、残業代の計算方法がおかしい=足りないことが判明しました。職場で働く仲間もキット同じ憂き目に遭っているはずだ。すわ同志糾合!かくして「未払い残業代請求」で意思一致する調理人の同志6人が、労働組合という格好の「居場所」を見つけ出したのでした(ちなみに請求額は6人でナント2,300万円あまり!)。

2. 闘いの火蓋―団交、認定闘争

第1回の団体交渉は、S委員長のいわゆる“暴言”は、取り立てて問題となるような内容ではなかったと、出勤停止処分は解除され、懲戒処分の対象とならないことが確認されました。2回目以降から、残業代の未払い、名ばかり管理職問題などが、議題にのぼせられ、丁々発止のやり取りが展開されてゆきます。

一方、2007年の秋ぐちにかけ、支部書記長のYさん(47)と同副委員長のHさん(54)が、長年抱えている上肢の違和感をとつとつと本部担当者に訴えはじめました。2人とも4半世紀以上もの間、調理業務に携わってきたベテラン中のベテラン料理人。常時立位姿勢を保ちながら調理器具を駆使、ひねり、返しといった微妙な腕の動きを要求されたり、かなりの重量がある具材入りの容器を持ち続けたり…長年の両腕酷使で、頸・肩・腕にガタがきてもむべなるかな。「これって、やっぱり職業病(労災)なんですかね?」。

それぞれの上腕( Yさんは右、Hさんは左)を見せてもらうと、二人とも手首と肘の部分に各々軟骨が飛び出ている。肩から腕にかけて痛みも走るということです。「痛いんですけど、ガマンしてましたね。うちの職場ではこんな調理人ゴロゴロいますよ」。Hさんがさりげなくつぶやく言葉を聞いて、本部担当者は愕然としました。「4月ごろ、3キロほどのデミソースの缶詰を右手だけで持ち上げようとしたら、グキッときたんですよ」とは、Yさん。

「労災申請しましょう」―。迷わず持ちかけた本部担当者の申し出に2人は力強くうなずいてくれました。

早速、支部で2名分の5号様式「療養補償給付たる療養の給付請求書」を用意し会社に証明を要求しましたが、先方は、「労働時間等について争いがある。団交中でもあり証明はできない」とのこと。支部が、「争いのある事項については、異議を留めてもかまわない。その趣旨を書面に明記し5号様式に添付すれば問題ないではないか。早急に証明を」と懸命に食い下がっても、聞く耳を持ちあわせません。止むを得ない。事業主証明拒否のまま、2007年10月、2人が受診中のひらの亀戸ひまわり診療所に、職業病=「頸肩腕障害」として5号様式を提出しました。

3. 本丸へ―親会社へ申入

団体交渉が数次重ねられつつも、会社は労災認定に関し非協力的な態度に終始し、何ら誠意ある回答を示しません。徒に時は過ぎてゆき、支部には焦燥感だけが残ります。そこで、本部・支部は突破口を切り開こうと、2007年11月、2008年3月、同年4月( 11月と4月は「東部けんり総行動」の一環として)と続けざまに、100%出資の親会社であるアサヒビールに申し入れ行動を展開しました。東京都墨田区吾妻橋にある本社ビル(炎を模したオブジェで有名)において情宣。「調理人としてのプライドを踏みにじるのは―アサヒだ!」「労災で苦しむ労働者に目をつぶるのは―アサヒだ!」「踏みにじられても闘うのは―労働者だ!」支部組合員が繰り出すシュプレヒコールが天高く響き渡りました。

アサヒビールからは、「労災認定への誠意ある対応」を求める申入書の受領は拒否されたものの、この一連の親会社への申し入れ行動により、以後、子会社うすけぼに対する団交においては、支部としてかなり優位な位置づけを保ち続けることができたと思っています。

4. 勝利へ―労災認定

労災認定の所轄労働基準監督署である中央労基署(頸肩腕障害の労災申請にあっては、ことごとく却下攻勢をかける“悪名高き”ところ)にはダメ押しの意味も込め、2008年7月、東京労働安全衛生センターのスタッフの皆さんと全国一般東京東部労組本部・うすけぼ支部総勢7名で申し入れに出向き、労災次長を筆頭とする担当官より審査の進捗状況を確認、Y・H両氏の所属する店舗の集客数の推移等繁閑データを提示し、あらためて労災保険給付の迅速なる決定を求めました。

待つこと1か月ほど。まずは同年8月にYさんに、続いて10月にはHさんに、ついに労災の認定が下りたのでした。

「厨房は劣悪な職場環境」という烙印を押された以上、これから展開される団体交渉では、会社としての責任を明確にさせ、人間工学的に何ら配慮の無い頸肩腕障害を誘発するような作業内容や超長時間労働に目を光らせることを眼目として進めてゆきたいと考えております。

最後となりましたが、熱い厚いご支援をいただいた東京労働安全衛生センター、ひらの亀戸ひまわり診療所、「東部けんり総行動」においてアサヒビール本社で行動をともにしていただいた友誼労組の皆さまがたに対し、あらためて心から御礼を申し上げます。

安全センター情報2009年4月号