航空写真で被災現場を探す:外国人労働者の労災隠し/大阪

関西国際空港島

写真を目の前にして首をひねるばかりのKさん。見ているのは、いま急ピッチで建設が進められる関西国際空港島の全体を、上空から写した航空写真だ。

Kさんは、去年の9月に韓国から短期滞在ビザで来日し、土木作業などに従事している出稼労働者。5月半ばから、ある親方の下で関西国際空港の工事現場で働くことになった。ところが、しばらく経った26日の昼食休憩後、現場に行こうと梯子を降りるとき、足をかけたパイプが外れて転落し、左足首を骨折してしまった。当初は親方が補償をしてくれるということだったが、1か月たっても治療費すらもらえず、全部自分で負担するという状態が続いていた。

一次下請会社の名前だけ

7月はじめ、関四労働者安全センターで相談を受けたときは、左足をギプスで固定して松葉杖で歩くという状態だった。労災保険の補償給付請求をしようにも、直接雇っていた親方に全く協力の意志がないらしい。Kさんは日本語が全くできないから、元請会社の名前もわからない。
「何か現場の看板に書いてあった漢字を覚えていないか」「ヘルメットについていたマークは?」「どんなところの工事だった?」と言っても、わかったのは、Yという一次下請会社の名前らしきものだけだった。しかたがないので、休業補償給付請求書を病院で作ってもらい、空港島を所轄する岸和田労基署へ。

とにかく労災申請

手がかりがほとんとないため、それでは、航空写真で「働いていたのはどのへんだったか?」ということになったわけである。現在、関西空港での工事の数、っまり労働保険が成立している事業数は百を超えている。その中のどこでの労災なのか。発注主である空港会社に手がかりはないかと問い合わせても、Kさんの名前はデータの中になく、最終的には島にわたり、どこだったか見て回るしかないのではということになった。
Kさんのやっていた仕事は、鉄筋を運んだり、ネジを絞めたりというもので、日当は17,000円。親方のHに連れられ、鉄筋専門の会社Yの手元(補助的な作業員)として、空港島の現場に入っていたのだった。ケガをした後、仕事にならなかったため待機し、仕事が終了した夕方に親方らとともに陸にあがり、Y社の車で駅まで連れて行ってもらった。親方は、駅で待ち合わせて一緒に帰り、その後の対処を考えるつもりのようであったが、言葉の通じないKさんにそのことは十分に通じていなかった。結局、Kさんは、同じ韓国人の同僚と大阪市内へ帰り、近所の親切な在日韓国人に病院を紹介され受診したのだった。

シラ切る親方

当初、親方もKさんもそれほど治療が長引くとは思わなかったから、家まで毎日来るなら日当分を補償するということで話がついていた。ところが、松葉杖で身動きがとりにくいKさんは思うにまかせず、親方も見舞にこないという状態が続き、話はこじれてきたというわけだ。
元請不明のまま1週間が過ぎ、労基署が親方の電話番号に電話してもシラを切る状態が続いた。その当時一緒に働いていた同僚の韓国人労働者を捜し当て、会社名を覚えていないか聞いてみることにした。その同僚も一次下請の会社名は覚えているが、どうしてもそれ以上は思い出せない。もう直接行って確かめるしかないかと話し合っていたところ、もう一人一緒にいたという別の労働者と電話で連絡がとれた。その労働者は、現場でもらったタオルに書かれてた元請会社の名前Tを覚えていたのだった。

同僚が元請名を覚えてた

翌日、直ちに建設大手であるT社の大阪支店の担当課に電話連絡したところ、その日のうちにKさんの労災事故発生が確認された。そして3日後には、一次下請Y社の労務課長と親方Hがセンターを訪れ、労災補償請求手続をとることを約束し、一件落着となったのである。
この結果に行き着くまでに、親方のHの口からやり取りの中で様々な言葉が出てきた。「忙しい中で、何とかええようにと思っているのに、勝手な行動でダメになった」。Kさんは日本語を話せない。病院へ行くのも親切な近所の在日韓国人の世話になっている。そのままにしているHこそ勝手なものだ。

労災隠し横行

また、こうも言った。「話を聞いて、金をくれたらKを黙らせてやるという奴がいたけれど断ったんや」。とんでもない話だ。資格外就労者で弱い立場の労働者を黙らせるのは、この業界の下請構造という特徴からくる最も排除しなければならない問題だ。建設業界は災害多発職場であることから、近頃は表向きにはかなりの対策がとられているように見える。しかし、現実にはKさんの実例のように、相変わらずの労災隠しが横行しているであろうことが垣間見えるのである。

関西労働者安全センター

安全センター情報1992年10月号