四国電力西条火力発電所アスベスト被害(石綿肺・中皮腫)裁判和解。しかし遺憾の意を表するも謝罪せず/愛媛

記事/問合せ:愛媛労働安全衛生センター事務局長・白石昭夫

3被害者に6,900万円、安全対策を確約

四国電力西条火力発電所でアスベストに曝露し、悪性中皮腫やアスベスト肺となった元労働者や、遺族が四国電力の責任を追及するため提訴していましたが、本年7月20日、高松地裁の勧告を経て、和解に応じました。

和解は、3名の被害者の肉体的・精神的苦痛を受けたことに対し既払金に加えて合計6,900万円の解決金を支払い、今後同様の被害が出ないよう安全対策を講ずるという内容です。
四国電力は、最後まで和解内容においても「謝罪」の文言を認めず、そのため「被害者の肉体的・精神的苦痛をうけたことを厳粛に受け止め、深く遺憾の意を表す」にとどまりましたが、事実上、四電の責任を認めたものと理解しています。

裁判は四電がアスベスト曝露を否定し全面的に争ってきたため、裁判が長期化しました。原告は全員が高齢であり、提訴後に石綿肺が悪化し死亡したり、原告予定であった遺族も高齢で亡くなるなど苦しいものでした。
そのため、これ以上の裁判の長期化は原告にきわめて苦痛を強いるものでもあるため、原告らとしては、四国電力の責任を明確にするために判決を得る途もありましたが、被災者の一人が裁判中に無念の死を遂げ、もう一人も闘病中であることから、訴訟の長期化を避けるため、和解による早期解決を選択することとし、本和解に至りました。

隠蔽体質・官僚主義の四電

家族が悪性中皮腫と医師から告げられ、四電に相談に行ったとき、実際はすでに悪性中皮腫の患者が出ていたのに「四電にはそのような患者はいない」と説明され、労災申請を諦めて時効になってしまった人もいました。また、石綿肺と診断され元の職場に相談に行っても、健康管理手帳申請にさえ協力してもらえなかったりしました。四電に一生懸命尽くしてきたのに、相手にさえしてもらえなかったと悔しい思いをされたわけです。

しかし、被災者や遺族は、愛媛労働安全衛生センターなどの協力などにより石綿肺として労災認定され、時効労災として国から認定されました。国が四電による労災だと認めたわけです。
被災者や遺族は、提訴前に、自分たち以外にも困っている人がいると考え、四電に対し、アスベスト被害状況の公表、被災した元職員の労災申請などの協力、被災労働者や遺族への謝罪と補償を求めました。しかし四電側は「アスベストにばく露させていない」と、原因も責任も認めることなく、労災認定者には謝罪も補償も一切応じませんでした。また、見舞金制度を設けたりしましたが、悪性中皮腫で闘った遺族にはそれさえ支払わないというもので、より怒りを増幅させるものとなりました。
その結果、話し合いでは解決できないと判断して、提訴にふみ切りました。

原告や支援者にとって、四電との話し合いや裁判は、常に四電の情報の非公開、隠蔽体質を感じざるをえませんでしたし、全面対決による裁判の長期化は、問題を解決しようとしているのではなく、役員や担当者たちの時間稼ぎ、責任逃れ、そういった官僚主義と映りました。

第一次裁判のリベンジだ!

四国電力のアスベスト裁判は、1993年に日本で初めての西条火力発電所でのアスベスト裁判として取り組まれましたが、私たちはこの裁判を第一次裁判と考えています。

四国電力アスベスト中皮腫労災死裁判が松山地裁で和解~日本初の発電所被害/愛媛

石綿曝露-せきめんばくろ-四国電力アスベスト中皮腫労災死事件/日本初の発電所労働者アスベスト裁判の記録-愛媛労働安全衛生センター編(Web版)

第一次裁判の当時は社会的にはアスベストに対する危険性の認識が不十分で、さらに発電所でのアスベストばく露の実態も情報公開に閉鎖的な四電の体質のため、裁判は困難をきわめました。
アメリカから医学者が来日して証言が行われたり、日本の多くの医師や専門家らが外国の発電所の被害内容を翻訳して裁判所に提出するなどして取り組まれました。

この第一次裁判は1999年に500万円の和解で終結しましたが、勝利したとは言え全面勝利とは言いがたい内容でした。

私たちは、今回の裁判は全面勝利できなかった第一次裁判の続きと考えています。苦しい裁判を一人で闘われて勝ち取られたからこそ、今回の裁判もあると考え、和解終結のため今回の裁判には加われませんでしたが第一次裁判を闘った浅木さんと共に延長戦を闘うのだと四電との交渉や裁判に共に取り組みました。

曝露実態解明と実質的勝利

今回の裁判では、行政上の認定を得ていることや、中皮腫や石綿肺など医学的な面だけでなく、他の多くの被害の実態が明らかになり、第一次裁判の状況とは大きく異なりましたが、電力会社という企業の持つ閉鎖性はなんら変わりません。

今回の和解は、裁判の中で火力発電所でのアスベストのばく露状況などを明らかにしたことや、実質的勝利を得たことにより今後の発電所でのアスベスト被害者の救済に道を切り開いた「勝利的和解」と考えています。また、今回の和解金も賠償金として、第一次裁判の原告も加えて勝ち取ったものと考えています。

今回の勝利的和解が、今も隠れている多くの発電所被害者の方の労災認定や補償の弾みになると考えています。また、私たちにどんどん相談してもらいたいし、協力を続けていくつもりです。

まだ闘いは終わっていない!

今回の和解について原告、アスベスト訴訟関西弁護団、中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会四国支部、NPO法人愛媛労働安全衛生センターは高松地裁の記者クラブで記者発表を行いました。第二次四電裁判といえるこの裁判の意義と成果を訴えることができたと思います。

裁判所の和解勧告は最終的に別掲の内容でしたが、裁判所の見解は四電の責任と謝罪の必要性を明確に認めるものであったと言えます。

しかし、執拗に「謝罪」を拒み、たとえ判決が下されても、控訴で裁判を長期化することにより、自分たちが役員や担当者の責任さえ逃れることができるとの考えはあからさまに見えていました。

裁判が行われた高松地裁は、原告の住んでいる愛媛県西条市から150kmも離れたところにある香川県高松市の中心部にあります。裁判所に行くには原告は何時間もかけて行かなければなりません。一方、四電本社は裁判所のすぐ隣にあります。裁判の傍聴には四電本社から黒い背広を着た職員がぞろぞろやってきます。原告側傍聴の数をはるかにしのぐ数です。

裁判の最中に夫を亡くした妻の加藤タマミさんは、遺影を抱えて出席しましたが、被告側はお悔やみの一言もありませんでした。和解成立の後、四電は廊下をぞろぞろ帰りはじめようとしたとき、同じく遺族の菅野豊美さん(四国支部世話人)が、大声で「お悔やみのひとつもいえないのですか!」と一喝。四電側傍聴者の全員が一人ひとり頭を下げる場面がありました。
しかし、記者発表の直後に四電から出されたコメントは「当社はアスベストにばく露させていない」というものでした。
「この会社の体質はどこまで行っても変わらない!」、「まだ闘いは終わっていない」と感じさせられました。

資  料

第一次裁判

1993年提訴、1999年和解。被害者:淺木一雄、原告:妻と子
被害者-S4.3生、悪性中皮腫 S59.2死亡、54歳
S19-S58.12 電気課、時効後認定(石綿健康被害救済法)特別遺族年金H18.7.6(2006)
裁判の記録として「石綿曝露」出版、愛媛労働安全衛生センター編

第二次裁判

2008年8月11日提訴、被害者:A、B、原告:A(後死亡、妻と子が承継)、B
2009年12月22日提訴、被害者:C、原告:妻(後死亡)、子
請求額合計9,350万円
被害者A-S8.7生、石綿肺、管理3と続発性気管支炎合併、提訴後、管理4、H22.5.8死亡76歳
S27.4-S35.4 四電電気課、S40.4-H5.7 四電エンジニアリング電気補修
H19.1(2007)高松労基署認定
被害者B-S4.7生、石綿肺、管理2と続発性気管支炎
S21-H1 四国電力職員西条火力発電所ボイラー係
H19.11(2007)新居浜労基署認定
被害者C-T7.1生、悪性中皮腫、H11.7(1999)死亡82歳
S23.8-S48.1 四国電力職員西条火力発電所タービン係
時効後認定(石綿健康被害救済法)特別遺族年金H18.7.6(2006)
原告ら代理人弁護士-浦功、位田浩、友弘克幸
連絡先:06-6363-1053(アスベスト訴訟関西弁護団)

(和解条項)

  1. 被告らは、原告らに対し、亡A、原告B及び亡Cが、被告らの職場に勤務した経歴を有し、そのうえで石綿関連疾患に罹患し、これにより肉体的・精神的苦痛を受けたことを厳粛に受け止め、深く遺憾の意を表するとともに、今後とも、同様の被害が発生することがないよう安全対策を講じるよう努力することを確約する。
  2. 被告らは、原告らに対し、本件解決金として、既払金のほかに、合計6,900万円を、平成23年8月31日限り、原告ら指定口座に振込送金して支払う。
  3. なお、振込手数料は、被告らの負担とする。
  4. 原告らは、その余の請求を放棄し、原告Bは、今後、管理区分が変更された場合でも、被告らに対する新たな請求をしないこととする。
  5. 原告らと被告らは、原告らと被告らの間には、本件に関し、本和解条項に定めるもののほか、何らの債権債務のないことを相互に確認する。
  6. 訴訟費用は、各自の負担とする。