『研究活動家』白道明(ペク・ドミョン) 『科学の名』で弱者の側に立つ 2020年8月22日/韓国の労災・安全衛生
被害が、被害という名を得るのにも努力が必要だ。ある努力を、努力という言葉で曖昧に覆い隠してしまうのは行き過ぎだ。努力はすべきこと、すれば良いように見える。しかし、ある努力は日常をすべて破壊し、被害が更にゾッとするようになった後で、やっと被害と認められる。今はみんなが事実として受け容れる半導体労働者の職業病と石綿、加湿器殺菌剤、原発の放射能の被害も、初めはそうだった。
医師であり科学者、研究活動家の白道明は『そんなはずはない』に対して闘ってきた。石綿を使ってはいけないと? そんなはずはない。半導体工場で働いたために白血病に罹った? そんなはずはない。肺の損傷が加湿器殺菌剤のためだと? そんなはずはない。『そんなはずはない』が『そのようなこともある』から『そうだ』に変わるまで、白道明がした仕事は研究だった。被害事実を収集し、データを分析し、具体的な立証資料として作り出した。白道明の努力と研究のおかげで、多くの人々が被害を訴えたり主張する人ではなく、被害者になることができた。
ソウル大教授(保健大学院長)として、定年退職を1年前にした彼は、相変わらず活発な研究活動を続けている。7月には、2013~2017年に癌の診断を受けたラドン寝台の使用者125人の資料を分析して『ラドン寝台健康影響調査』結果を発表した。3月に大邱でコロナ19が広がった時は、ボランティアに参加した。1月には、産業災害と性暴力、有害化学物質の被害者などを研究した『職業・環境病の生存者文化の概念と可能性摸索』という研究報告書も出した。彼は研究室の中にだけいるのではない。記者会見、一人デモの現場で彼の姿を見付けるのは難しくない。二回行われたラドン寝台被害者の記者会見もすべて参加してマイクを握った。2015年には加湿器殺菌剤のメーカーのオキシ本社があるイギリスに遠征デモに行くこともした。「被害事実を立証し、知らせ、更には社会を変えることが科学者の責任」と信じるためだ。 13日にソウル大の研究室で白道明教授と会って、彼が考える『安全社会』について聴いた。
■白道明教授「安全問題を被害・加害の構図で見ると、答えからますます遠くなります」
現場で被害者の声を聴く『研究活動家』白道明教授
90年代初めに職業病・産業災害政策を見て
政治的な影響が作用する現実を痛感
被害者のいる所を直接訪ね歩いて
データを分析して資料を作って
-医大を卒業後にイギリスとアメリカで産業保健学を勉強(修・博士)されました。韓国では聞き慣れない分野でしたが、どのようにして関心を持つようになったのですか。
「私は75年度の入学生なので、とても殺伐とした時代でしたよ。付き合っていた友人のグループで、卒業をするか、(労働)現場に入るか、こんな話をしたりしていました。休みの間、九老工団のリール釣りの部品工場に偽装就職しました。その広い空間がとんでもない騒音でぎっしり埋まって、昼休みになると、ピタッと止まったのを思い出します。ソウルのいわゆる『貧民街』で1ヶ月暮らしてみたりもしましたし、江原道のある無医村で1ヶ月間暮らして、診療活動を助けたりもしました。天主教の原州教区の看護師、4人の方と生活しながら、住民たちを世話する場所でしたが、どうしてそのようなシステムができたのだろうか、私がそちらに行っても意味があるのか、そのように考えましたね(清渓被服労組のアンケート調査活動にも参加しましたよ)。そこの問題を提起しなければならないという活動家グループがありました。医大生の私にどれほど多くのことが分かったでしょうか。見付けた資料の中に『コーネルメディカルインデックス(CMI Index)』があったので、それが適用できるように作業して渡した程度でした。」
-医大の勉強だけでも時間が足りなさそうですが、そうした理由があったのですか。
「ウーン・・・・(世の中に)問題がありますが、それが必ず政治だけの問題というよりも、社会全体のすべてが問題だという気がしました。私にできることは何かを考える視点でした。『職業病』という話をしただけでも不穏な人、不純な人と言われる時代でしたが、その、何と言うか。職業病を研究したり診断する医者になるのも意味があると考えました。(その時代を生きながら、やれた)自己満足ないしは自分慰安だったようです。」
1992年に始めた石綿の有害性の研究
2009年の石綿使用禁止を導いて
半導体事業場ベンゼン使用報告書
サムソンの依頼で行った研究だったが
営業秘密より知る権利を先に考え
白血病被害立証の証拠として作用
-実際に帰ってきて見た現実は、茫漠としていたようです。
「留学を終えて帰ってきたのは1992年でした。87年6月抗争以後、88年に『民主』者が入った多くの団体が作られて、91年度に源進レーヨン事件(源進レーヨンで働いたキム・ポンファンさんが二硫化炭素中毒で死亡したことで世に知らされた産業災害事件。工場は1993年に閉鎖され、2017年までに900人を超える労働者が二硫化炭素中毒の診断を受けた。)が分かって、それなりに業務上疾病というものが問題になり始めました。
その時、労働部が開催した会議に出席しましたが、職業病や産業災害に関する提案があれば、ちょっとしてみなさいって。そこで、事業場の物質の安全に関する資料を作って、仕事をする人たちに与えようと話しました。それが採択されて、94年度から施行されました。そして、それが拡がっていく過程を見ていると、アー本当にこれは違う、という思いが強く浮かびました。私が提案したのは『知る権利』の次元で、実際の事業場で使う物質を把握して、問題を整理して、事業主も知って、働く人たちにも分かるようにしようということだったのに、アメリカで作られた物質安全保健情報をそのまま韓国語に翻訳して、事業場に備えつけて終わりでした。政府は何かを変えたと言いながら、ただそのようなやり方で、恩着せがましく包装をすることで、実際に変わるものはないんです。」
-頑張って何かを作ったのに、失望が大きかったでしょう。
「実際、以前の労働部が変わって労働政策が変われば、多くのことが良くなるのではないかと期待しましたが、違いましたよ。『トップダウン方式』というのは、問題解決にそれほど役に立たないんだなと感じました。盧泰愚政府も88のオリンピックを前に、職業病に対する申告をさせました。ある人が鉛の事業場で働いていたが具合が悪くて辞めて、何ヶ月か後に申告をしました。血中の鉛成分を測定したところ、59だったとして(産災申請が)棄却されました。基準の60に達しないと言うんです。鉛の成分が何ヶ月間で身体から抜けたのですが、健康状態が正確にどうであれ、鉛の成分がどれだけ、なぜ抜けたかを総合的に判断をするべきなのに、単に恣意的な基準を作って、だめだと・・・・、このようにすることは、絶対に問題を解決することではないでしょう。」
-政治的解決方法に限界を感じたのですね。
「安全保健の問題なのに、解決のやり方は政治的な空気によって処理されるようだったんですよ。IMF外国為替危機が勃発して、90年代末から2000年代の初期まで、大企業の大きな労組組織を中心に、筋骨格系疾患の問題が多く提起されました。リストラのために労働強化が進んで、労働強度を調査する作業をしましたね。これをどのように解決するかと思いましたが、人権や労働権の問題では解決できず、労使交渉で危険手当をもっと多く出すということで終わりました。(私の研究が)労使交渉に有利な内容として利用されたのです。労組の中でも労組政治というのがあるからです。危険をなくしたり減らすべきなのに・・・・危険手当を多く出すことで解決するというのが・・・・それが本当に、私としては辛かったのです。」
-現場に行って、被害者の声を多く聴く研究者として知られています。その時の経験から悟りを得たのですか。
「問題を抱えている方たちの話を直接聴くと、この問題がどこで詰まって、なぜそうなったのか、どのように解決すべきかが、少しはよく見えるようです。産業安全公団で研究院を作った時、私がパートタイムで研究室長をしましたが、その時にした活動の一つが、発ガン物質を使う脆弱事業場の点検でした。石綿というのは良く知られた発ガン物質で、ヨーロッパでは早くから禁止されましたが、石綿は余りにも広範囲に使われているもので、韓国ではこの問題を、どこからどのようにするべきか、アイディアがありませんでした。その時に石綿の事業場の近くにいる被害者を訪ね歩く作業をしました。釜山の石綿事業場で働いた具合の悪い方たちの集りがあって、会いましたが、とても役に立ちました。忠清道で働かれた方たちとも会えました。」
白道明教授の研究室には『94石綿事業場』という厚いフォルダがある。教授は国内で最も長く、最もしつこく、石綿の有害性を研究した学者に挙げられる。韓国は日本よりも3年も遅く2009年に石綿の使用を全面禁止し、2010年に石綿被害救済法を作った。
-2009年に作った『サムソン電子半導体の事業場(器興工場)の危険性評価諮問報告書』は、半導体の白血病労働者の産業災害を認める重要な資料になりました。その研究はどのように進めたのですか。
「研究調査自体は実際、大して難しくはありませんでした。サムソンは発ガン物質は使わなかったと言いましたが、有機溶剤などを作る時は不純物が混ざっていますね。石油化学物質から出てくる有機溶剤の最も重要な不純物の一つがベンゼンで、ベンゼンが白血病を起こします。そしてサムソンが行ったという調査からは、不純物に対するチェックが抜け落ちていました。勤務が三交代で行われているのに昼間だけしか測定せず、実際、中間中間で整備をする時に有害物質が多く出ることになるのに、整備する時間についての測定もしていません。」
白道明教授の研究チームは、サムソン電子器興工場でベンゼンが使われていたという内容の報告書を作った。勤労福祉公団が実施した疫学調査とは全く違う結果だった。この報告は、器興工場で働いて白血病に罹って亡くなった、故ファン・ユミさんの遺族などが勤労福祉公団(被告補助参加人はサムソン電子)を相手に提起した産業災害訴訟で、被害者に有利な証拠として作用した。裁判は一・二審いずれも被害者の勝訴だった。当時の研究と裁判に基づいて、サムソンは2014年に調停委員会を作り、2018年に被害者に対する補償案と再発防止のための対策を発表した。
-その研究は、本来サムソンが依頼したものでした。サムソンに有利な結果を得ようとして依頼した研究だったと思いますが。
「(研究結果を知って)サムソンからある人が訪ねてきましたね。自分たちが別の所に任せて再分析をするので、そのように発表しろと言って。(どんな所に任せたのか)分かりません。どこか分からないのに、それはダメでしょうと言いましたよ。その人がその時、このような話をしました。白道明という人は、とても背も高く、声も大きくて、荒くれ者だと思っていたのに、実際会って見ると違っていて、とても一寸と・・・・、あれだったそうです。 (何と答えられたのですか) なに・・・・私はそんなに声が大きい人間ではないと、そうでしょう。(笑い)」
-それでも実際に研究結果を公開するまでに、少しは悩まなかったんですか。
「実際は私がしたのではありません。私は研究チームを組んで、こんなやり方でやれば良いと、進行をしました。それを知ったある人が訪ねてきて、報告書をちょっと持って行っても良いかと尋ねました・・・・、私は持って行かれるのをただ知らない振りをしただけです。私どもはサムソンと契約というものをしたし、それを見れば、秘密維持条項があります。サムソンは営業秘密だと主張しましたが、安全保健に関する資料は営業秘密にならないというのが私の考えでした。もしこれが公開されて、サムソンが告発するなら、営業秘密と安全保健について知る権利に関して、一度正式に争ってみなければならないと考えました。ところが、そんなことにはなりませんでしたね。その代わりに、裁判所が専門家の意見を証拠として採用すると言って、それを出しました。(白道明教授は法廷で証言すると明らかにしたが、裁判所は報告書だけを証拠として採用した)。」
被害者ほとんどの弱者のグループに属して
少数者が尊重されるほど、社会は安全
裁判という長い闘いを避けて
専門家の領域で、早い解決法を見付けなければ
-みんなが不可能だろうと考えた裁判が、被害者の勝訴で終わりました。結果を見てどうでしたか。
「そうですね。 裁判というものが、必ず経なければならない段階だったのか、よく分かりません。(被害が認められるまでの)時間が本当に長く掛かりました。専門的な領域で、専門家らしく議論がされたなら、遙かに早く、簡単に解決されたのではないかと思います。被害者は社会的な弱者グループに属する場合が多いせいなのか、議論自体が被害者の意見を受けて進められないようです。後でサムソンが調停委員会を開いて、私が仲裁委員になりましたが、サムソン側を代表して出てきた人たちは放送会社の出身でした。安全保健の専門家たちは後方にいて。サムソンは白血病の問題を広報の問題だと考えたようです。チャンと話ができませんでした。」
白道明教授は環境保健学会長だった2012年に学会所属の研究者たちと一緒に、6ヶ月間、加湿器殺菌剤の被害95件についての研究を行って報告書を発表した。研究者9人が費用を持ち出して負担した。この研究に基づいて、政府は遅ればせながら加湿器殺菌剤被害の実態調査を始めた。
-加湿器殺菌剤の被害調査はどのようにすることになったんですか。
「環境保健市民センターの仕事を一緒にしていたので、センターに申告した方々のケースをよく観ることができました。初めは妊婦を中心に調査しましたが、妊婦だけの問題でなく、家族の問題でした。 全体を観なければならないと考えました。2011年末と2012年の初めに、疾病管理本部が動物実験の結果を発表しました。加湿器の殺菌剤に問題があって、原因不明の肺の損傷との因果関係が推定されて、使用中断を勧告しました。
その直後に、保健福祉部の担当局長と会いましたが、手を引くと言いましたよ。福祉部の業務分掌ではないと。(消費者の被害だから)産業資源部の問題で、ここ(動物実験)までは私たちがしたから、後は被害者が訴訟によって解決すべきだということです。法廷に行って解決せよと。イライラしました。この問題の性格上、前に見たことのない疾患なので、病院に行って診断書を書いて欲しいと言うのも難しく思えました。このように、各自個人が適当に問題を解決せよと言えば・・・・、ちょっと余裕があって、情報もあって、訴訟ができる人たちしかできないでしょう。そうすることができない人たちはどうするのか・・・・本当に違うと思いましたよ。」
-それで自費ででも研究を進めることになったのですか。
「該当の物質が人間に病気を起こしたとすれば、動物実験の他に『容量反応関係』を分析しなければなりませんでした。曝露した人と曝露しなかった人、曝露した人の中でも病気がある人とない人、接触した家族。それらを調査しました。環境保健学会が家庭を訪問する調査と、作成された診断書を分析する調査を行って、人件費を0にして、追加的な医療検査を最小化して、最小の費用で調査をしました。1000万~2000万ウォン程かかったと記憶しています。」
■「なぜ世の中が変わらないのか知りたいので『質問を投げる作業』を続けなければ」
加湿器殺菌剤の被害実態調査を
各自個人がしなければならない状況にイライラ
自費で研究した後に報告書を発表
肺損傷真相委員会の委員長も引き受ける
-研究報告書の発表の後、肺損傷真相調査委員長を引き受けられたでしょう。
「チャンとした調査をしなければならないと、かなり永い間要求して、2013年に民官合同の肺損傷真相調査委員会が作られ、私が民間の委員長を引き受けました。そして、当初は(政府は)簡単にチャートレビュー程度だけだと考えていたようです。私たちは曝露を確認して、キチンと検査をして、ケースをキチンと整理すべきだと言いました。その時、被害を受けた人たちに、一人当たりの検査費用として10万ウォンずつ準備すれば、何千万ウォン程度の予算が必要だったのに、それを出さないのですよ。それを出さない、じゃできないと言って、私は委員長を辞退しました。ジン・ヨン議員が福祉部長官に指名された時、国会の議員室を訪ねて、初めから説明して、再び調査を始めました。」
加湿器殺菌剤が国内で初めて発売されたのが1994年、加湿器殺菌剤を使った原因不明の肺損傷患者が多数発生したという事実が知らされたのが2011年だった。2013年に政府次元の被害受付窓口が作られた後、2017年に加湿器殺菌剤被害者救済法が施行されるまで、政府が予算と部署間の責任の所在を巡って右往左往して、真相調査も被害回復の救済手続きも遅れた。2018年にスタートした社会的惨事特別調査委員会は、7月に「詳細な調査の結果、加湿器殺菌剤の使用者は約627万人、死亡者は1万4000人と推定される」とし、「現在の申告者は6817人に過ぎない」と発表した。
化学物質の被害を否認する側が
有利なデータだけを持ってくるなど
不確実・偏向した情報のために難しかった
なぜ被害が発生したのかに集中すれば
価値に対する選択は難しくない
化学物質の被害を否認する側も『科学』を武器として使う。今は『事実』となったサムソン白血病と加湿器殺菌剤の被害も『有害ではない』『被害事実との因果関係を立証できない』という研究調査結果があった。オキシから加湿器殺菌剤の吸入毒性実験を依頼されて、それを行ったソウル大のチョ某教授は、金銭を受け取ってオキシに有利な研究報告書を書いた疑惑(収賄後不正処置と証拠偽造・詐欺)で起訴された。チョ教授は一審では有罪、二審では無罪を宣告されたが、ソウル大研究真実性委員会は裁判とは関係なく、チョ教授が資料を操作し、研究データを縮小・歪曲解釈したと結論付けた。
-被害者が最もたくさん聞く言葉は『そんなはずはない』です。被害者が自らさえをも、何度も疑うことになります。被害事実を立証する研究結果に対して『過剰診断』という攻撃も多いです。
「原子力発電所の周辺住民の甲状腺癌を研究しましたが、『それだけ健康診断を多く行ったせいで発病率が高く見える』という主張がありました。甲状腺癌は検診が始まってから永くないのだから、その主張が正しいとすれば、甲状腺癌の確認率だけが高くなければなりません。ところが調査してみると(原子力発電所周辺住民には)別の癌も、90年代から発病率が高いのです。このような事実を総合的に判断すれば良いのに、互いに自分のデータだけを持って主張するやり方に論争が流れれば、それはとても難しくなります。そんな時が一番大変だったという気がしますね。」
-被害者の声を聞けば、多少偏向的な情報に偏るのではなく、科学者として警戒する心も出ます。
「資料がなかったり不確かなことがあります。そんな時は選択をせざるを得ない状況になったりもします。実際、私が間違っていると指摘されるのが恥ずかしいのではありません。何か確実な別のものがあるのに、見逃したり見付けられなかったとすれば、それが恥ずかしいのです。それでも不確実な場合は、私の価値判断が入ることになりますが、私が選択できる価値についての選択は、そこまで難しいものはありませんでした。」
-どんなものが基準になるのですか。
「ウーン・・・・、明らかに何か被害があるとすれば、その被害がどのように発生したのかを考えるんです。慶南の昌原のスジョン村で、STXという会社が埋立地で工場の建設工事を行いました。一人の修道女が私に環境影響評価資料を持ってきて、検討してくれと言われました。環境影響評価は通過したというのに、そこに住む住民たちが感じるのは、日常生活をするのが難しいほど、驚くような騒音がありました。そのような場合、この二つ(適切だという評価と被害者の存在)の間にどんな問題があるのか、一体、なにを根拠に評価が行われたのか、なぜこのようになったか、を一つずつ追跡していきます。(結局その工事計画は白紙化されました。2011年6月25日にスジョン村で行われた村祭りに座っておられましたね。)あ、はい。招待を受けて・・・・(笑い)、とにかく被害者の話を聴けば、どんなものから点検すべきかということが、はるかに明らかになります。」
-1月に『職業・環境病生存者文化の概念と可能性摸索』という研究報告書を発表しました。被害者を受動的な位置に縛り付けず、世の中を変える行動の主体と見る内容が印象的でした。なぜ被害者に関する研究をすることになったのですか。
「昨年韓国で『アジア地域の産業災害と環境病被害者の証言大会』がありました。被害者の問題をキチンと解決して、体系化して理論化する仕事をする人たちがいます。その方たちの経験をもう少し上手く共有して、整理すべきだという気がしました。証言大会が終わって、私たち(研究者)同士が集まって何度か会議をしましたが、被害者は生存者になることができるのか、被害者が生存者になるということはどういう意味なのか、質問を投げかけました。それは相手方の変化まで起きるようにすることではないか、と思います。それがまだ私たちの社会では詰まっている部分です。被害者がやれることですが、被害者を超えることだという気がします。石綿が禁止された以後に、学校で石綿を撤去する作業が進められていますが、父兄が提起する問題は、今当面の問題というよりは、次世代を考えています。人権の問題でしょう。他の人たちも人権意識を持って同意しなければ解けない問題があります。最近問題になった慰安婦ハルモニたちと正義連の事態、世越号事件、朴元淳前市長の事件などを見ながら、被害者の方々がキチンと立って、役割をすることがとても重要だという気がします。加害者たちが持っている力と地位があるので、実際、その下に隠されている矛盾と弱点があります。そうした点を目に見えるようにするべきだと思います。被害者によって変化の端緒を作り出すことが重要ですが、権力やある種の力の後に隠れている加害者の姿が見えるようにして、結局は加害者が変わらなければならない問題です。」
-安全は基本権なのに、ある階層にとっては非常な努力をして、闘って勝ち取らなければならない権利になっているようです。単純に、貧富の格差とだけ表現できないと思います。先生が考える安全社会とは、どんな社会でしょうか。
「白人黒人の差別政策が廃止されていくらにもならない南アフリカ共和国に行きましたが、白人の家ごとに高圧電流が流れるフェンスで囲まれていました。鉄条網で囲うと白黒葛藤の問題が解決できるのでしょうか? 安全の問題は多くの場合、技術的で工学的な問題と見られるようですが、どんな鉄条網で囲うかより、人々がなぜ塀を越えようとするのか、それを考えるべきだと思います。最も重要なことは、危険を招く行動が出てくる原因、特性を覗いて見ることだと思います。危険な条件でも黙々と仕事をしなければならない人たち、生きていかなければならない人たちの社会的な条件を、どのように解決するのか、どのように、社会的に私たちが一緒にできるか、そのシステムを作らなければなりません。システムというのは『連結』です。少数者が尊重される社会では、犯罪や事件・事故がはるかに少ないのは事実です。被害と加害の構図を、安全と危険の問題に変えれば解決できると考えます。これを持った者と持っていない者の構図につなげると、それは安全な社会とは距離が遠のくのです。そしてそのようにするためには、被害者一人ではできません。なかまがいなければならないし、声を集めなければなりません。」
コロナ19の防疫を正しくするには
具合が悪くても休めない非正規職など
私たちの社会の底辺から崩れていく
人の間の関係の問題点を解かなければ
白道明教授はこの3月に大邱にボランティアに行った後、7月の国会生命安全フォーラムの創立式で『コロナ19と生命安全』をテーマに基調講演をした。白道明教授は「『K防疫』という単語に包装された内容には、多くの問題が一緒に入っている」として、「具合が悪くても、休んだり治療を受けられない私たちの社会の根本的な問題が、コロナという形で暴かれた」と話した。
-その日の講演で「コロナによる防疫と保健の問題は、私たちの社会の一番底辺から崩れて浮き上がってくる問題」であり、「防疫概念の再編が必要だ」と言われた言葉が印象的でした。
「漢字で『人間』という単語は「人」と「間」で作られ、人と人の関係を意味します。人が人であるのは、人と人の間に、すなわち連結があるという意味でしょう。そして伝染病が人の間の接触を通じて伝播しながら・・・・人間の連結を確認しながら、一方で遮断しなければならない『防疫』が、日常の人々の間に内在していた問題を表出させています。非正規職が直面した経済的な不平等、性少数者が受ける社会的な烙印、家族間の断絶まで呼ぶ世代間の不通などが、いずれも人と人との間の『関係』を作れなかった私たちの社会の姿だったと思います。防疫が正しくその役割をするには、このような関係上の問題点を同時に解かなければなりません。実際、低所得ないしは低開発国での防疫上の根本的な問題は、資源や技術の不足ではなく、社会的な関係の問題です。人間というのは、その関係を切れば人間になれないので・・・・伝染(接触)の危険性を無視したり歪曲したりせず、お互いの連結を維持できる、人間的な関係の回復や設定を真剣に考えなければなりません。特に、政府の役割が重要になる時期なのです。 また、防疫を防疫として受け容れられない形があれば、なぜそうなのか・・・・、どのように変えるべきか、真剣に見直す機会を持つべきではないかと思います。」
-定年退職を1年前にされています。近頃、心の中に最も多く浮ぶ思いや質問はありますか。
「そうですね。実際、私がしたことは別に大したことではありませんでした。私がしなければならない仕事をしたのです。私はいつも境界線にいる人間だったようです。被害者がいて、専門家と学者として意見を持とうとすれば、問題を覗き込まなければならなかったのです。私がしたのは、いつも質問を投げかける作業だったようです。なぜ変わらないか。 分かりません。私はこの質問を本当に多くしたようです。考えて、考えて、整理したことの一つは『(data-information-knowledge-wisdom)データ-インフォメーション-ノーリジ-ウィズダム』システムです。資料を集めて、それをどのように情報として作るか。それをどのように知識化して、結局、知恵と鋭い洞察力になるようにするか。私が今までにしたのは、データをインフォメーションにする作業だったようです。問題を解決して、社会が変化するには、あるものに対する責任を問い、その責任に伴う代案を持つべきだと考えます。(科学者の社会的責任は代案を考える段階まで進まなければならないと考えてください。) ウン・・・・なぜ世の中が変わらないのかを知りたいですね。当分はこのような作業を続けることになりそうです。」
2020年8月22日 京鄕新聞 チャン・ウンギョ記者
「研究活動」ベクドミョン、「科学の名」で弱者の側に立つ(京郷新聞 2020.8.22)