泉南アスベスト国家賠償訴訟:第一陣大阪地裁判決の要旨(2010.05.19)

1 石綿関連疾患についての医学的又は疫学的知見の集積時期並びに被告が石綿粉じんばく露による被害の実態及びそれへの対策の必要性を認識した時期

(1)石綿関連疾患に閑する医学的又は疫学的知見は、石綿肺については昭和34年に、肺がん及び中皮腫については昭和47年に、おおむね集積された。そして、被告は、それぞれの時期において、石綿肺、肺がん及び中皮腫が、石綿粉じんの長期又は多量のばく露によって生ずるものであることを認識するに至ったのであるから、かかる石綿粉じんの職業ばく露(長期又は多量のばく露)を防止する措置を講ずる必要性を認識したものというべきである。

(2)戦前の保険院(助川)調査の結果は、初めて石綿粉じんにより石綿肺が起こる可能性を示したデータとしての意義があったものの、医学的又は疫学的知見としては仮説にとどまり、その後の検証を待た校ければならないものであった。したがって、昭和22年に医学的知見が確立していたという原告らの主張は採用することができない。

2 昭和35年の時点における石綿肺防止のための被告の省令制定権限不行使の違法性の有無

(1)労働大臣は、石綿肺の医学的又は疫学的知見が昭和34年におおむね集積され、石綿粉じんの職業ばく露(長期又は多量のばく露)が石綿肺の原因であること、及び現に相当重大な石綿肺被害が発生していることを認識するに至ったのであるから、石綿肺の被害の防止策を総合的に講ずる必要性を認識していたということができる。したがって、石綿粉じんばく露被害を含むじん肺対策のために旧じん肺法が成立した昭和35年までに、石綿粉じんばく露防止策(発生源対策ないし飛散対策)を策定することが強く求められていたということができる。殊に、石綿粉じんばく露による健康被害が、慢性疾患でありかつ不可逆的で重篤化するという特質を有することに照らすと、その対策は喫緊の重要課題であったというべきである。他方、使用者としては、上記措置を講ずるために人的、物的、経済的負担を負うことにはなるが、労働大臣としては、それを理由に石綿粉じんにさらされる労働者の健康や生命の安全をないがしろにすることはできないというべきである。

(2)他方で、石綿粉じんばく露防止策の中核である局所排気装置を設置する技術的基盤はあり、粉じんの測定機器も存在し、測定方法や粉じん濃度の評価指標(恕限度)を設定することも可能であったのであるから、旧労基法が粉じん等による危害防止や労働者の健康保持等のために講ずべき措置の基準等を省令に委任した趣旨に照らし、労働大臣には、昭和35年の旧じん肺法成立までに、局所排気装置の設置を中心とする石綿粉じんの抑制措置を使用者に義務付けることが強く求められていた。そして、そのような内容の省令を制定しておけば、その後の石綿肺罹患の危険性を相当程度低下させること、あるいはその後に生じた被害の拡大を相当程度回避し得たものと推認することができる。

(3)しかるに、労働大臣は、この時点において、かかる省令を制定せず(あるいは旧安衛則を改正せず)、その後、昭和46年に旧特化則において粉じんが発散する屋内作業場について当該発散源に局所排気装置の設置を義務付けるまで、局所排気装置等の設置の義務付けを行わなかった。そのため、全国的に石綿粉じんの抑制が進まず、石綿産業の急成長のもとで石綿粉じんばく露による被害の拡大を招いたというべきである。そうすると、労働大臣が、旧じん肺法制定時までに、省令を制定・改正して、上記措置を具体的に義務付ける規定を置かなかったのは、旧安衛則の制定・改正権限を定める旧労基法の趣旨、目的や当該権限の性質に照らし、その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くもので違法であったというべきである。

3 昭和47年の時点における被告の省令制定権限不行使の違法性の有無

(1)前記のとおり、石綿粉じんばく露と肺がん及び中皮腫の発症との間に関連性があるという医学的又は疫学的知見(ただし、中皮腫が低濃度ばく露によっても発症するとする点は除く。)は、昭和47年におおむね集積された。また、粉じん測定機器としてメンブランフィルター法も実用化され、一般の事業場において日常的に、石綿粉じんのみの濃度を測定することが可能になった。

(2)特化則においては、石綿を製造し、又は取り扱う屋内作業場について、6か月以内ごとに1回、定期に、石綿粉じん濃度を測定し、記録を保存することが義務付けられたが(36条1項)、石綿粉じんばく露によって肺がんや中皮腫に罹患することが医学的又は疫学的に明らかになった時期であったから、石綿粉じん被害を予防するため、また、その後の労働安全行攻に活用するために、上記測定が実行されることを担保する措置として、測定結果の報告及び改善措置を義務付けることが必要であり、また、そのような報告義務、改善義務を課することにさほどの障害があったとは認めがたい。そうすると、これらの措置を義務付けなかったことは、許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くもので違法であったというべきである。

4 環境関係法における規制監督権限の不行使及び立法不作為を理由とする国家賠償責任の有無(争点2)

石綿粉じんによる健康被害の問題が労働者だけでなく、広く一般環境上の問題としてとらえるべきであるとする医学的ないし疫学的な知見が、平成元年までの間に集積されていたことを認めるに足りる証拠はないから、被告に、環境関係法における規制監督権限不行使及び立法不作為の違法があったとはいえない。

5 毒劇法における規制監督権限の不行使を理由とする国家賠償責任の有無(争点3)

毒劇法における「毒物又は劇物」は、急性毒性を発現する物質を予定したものであるが、石綿は「毒物又は劇物」の範ちゅうに含まれるものではなく、これを政令によって劇物と定めて規制の対象とすることは、法律による委任の範囲を超えるものであって許されない。したがって、国賠法上違法とはいえない。

6 情報提供権限不行使ないし情報提供義務違反を理由とする国家賠償責任の有無(争点4)

規制権限の行使とその規制に関する情報提供とは、行政権限の行使においては不可分の関係にある。本件では、前記のとおり、昭和35年ないし昭和47年において、労働関係法における被告の省令制定権限の不行使が箸しく合理性を欠くものであったというべきであるから、その関係で、被告には、国民に対する石綿被害ないし危険性に関する適切な情報提供についてもやはりこれを怠ったものといわざるを得ない。ただし、これは、上記の省令制定権限不行使の違法の一要素として評価すべきものと解する。

7 省令制定権限不行使の違法と石綿粉じんばく露による損害との間の因果関係(争点5)

(1)被告の省令制定権限不行使の達法と、昭和35年以降の時期において石綿紛じんにばく露し右綿関連疾患に罹患した労働者である原告ら又はその被相続人ら(後記(2)、(3)の原告らを除く。)の損害との間には、相当因果関係がある。なお、昭和35年から昭和47年までの時点では、石綿粉じんばく露と肺がん、中皮腫及びびまん性胸膜肥厚の発症との間に関連性があるという医学的又は疫学的知見は集積されておらず、また、昭和47年以降も、石綿粉じんばく露とびまん性胸膜肥厚との間に関連性があるという医学的又は疫学的知見が集積されていたと認めるに足りる証拠はない。しかし、いずれの疾病も石綿粉じんの職業ばく露、すなわち長期又は多量のばく露によって生ずるものであり、量-反応関係にあって、その粉じんばく露防止対策は、ばく露抑制という点で共通であるから、その対策に対応する被告の被害に関する予見の内容も、職業ばく露(長期又は多量のばく露)による健康被害というもので足りるのであり、病名、病態のそれぞれについて予見するには及ばないと解すべきであるから、各疾病が昭和35年以降の石綿粉じんばく露により生じたと認められる場合には、被告の省令制定権限不行使を理由とする違法と、これらの疾病との間の相当因果関係は肯定すべきものと解する。

(2)被告の違法が認められる昭和35年までに石綿事業所の勤務を終え、同年以降に石綿粉じんにばく露したことを認めることのできない原告1名については、その請求は理由がない。

(3)石綿工場の労働者の家族である原告1名については、慢性肺疾患であるびまん性胸膜肥厚又は石綿肺等の所見を認めることができず、現在の重篤な呼吸障害の原因が石綿粉じんばく露によるものであると認めることはできない(父親の損害賠償請求権の相続分については一部理由がある。)
 また、石綿工場の近隣で農業を営んでいた住民1名については、旧労基法及び安衛法によって保護される地位にない上に、同人の健康被害が石綿粉じんばく露によって生じたものと認めることもできない。したがって、同人の相続人である際告2名の請求はいずれも理由がない。

8 損害(争点6)

(1)請求の方式の適否及び損害額の算定方法

ア 包括一律請求について

本件のように、石綿粉じんばく露による被害が相当広範な範囲に発生し、被害者、さらには訴訟当事者が多数に及ぶ訴訟においては、1人1人の損害(積極損害、逸失利益等の消極損害)を個々に積み上げていく方式では、立証が困難である上に煩瑣であり、審理が長期化して紛争の解決が甚だしく遅延することとなるおそれが大きい。また、原告らは、石綿工場での石綿粉じんへのばく露という共通の原因により、石綿肺、肺がん、中皮腫又はびまん性胸膜肥厚という石綿関連疾患に罹患したものであり、被害内容をある程度類型化することが可能である。そこで、当裁判所は、認定した原告らあるいはその被相続人らの被害について、類型別に慰謝料として一律評価をした上で、個別の減額事由の有無を考慮することとする。

イ 石綿関連疾患による精神的苦痛及びその金銭評価

石綿肺、肺がん・中皮腫及びびまん性胸膜肥厚という石綿関連疾患に罹患した者は、息切れ等の症状に始まり、肺機能障害等の重篤化に伴い、仕事を断念せざるを得ず、また、家族の援助・看護がなければ日常生活を送ることができず、酸素吸入を必要とするに至るのであり、甚大な肉体的苦痛とともに精神的苦痛を被るようになる。また、石綿関連疾患が不可逆的な進行性の疾患であることに精神的衝撃を受けるだけでなく、周囲の親族等の罹患者が次々と悲惨な最期を遂げていく状況を目の当たりにして、更に将来に強い不安を抱き、また、家族にかける精神的、経済的、肉体的負担に対する深い負い目にもさいなまれている。

このような石綿関連疾患の罹患者の被る精神的苦痛を金銭評価するにあたっては、同疾患によって受ける精神的苦痛がおおむね、石綿肺等の疾患の亢進具合に相関すると考えられるから、じん肺法が定める管理区分に応じて基準慰謝料額を定めるのが相当と解する。なお、上記石綿関連疾患への罹患による精神的苦痛は、現実に療養を必要とする段階にならなくても、石綿関連疾患全体の進行性、不可逆性といった特質に照らせば、将来の不安自体であっても軽度のものとはいえないから、石綿肺が管理区分2で合併症がない場合であっても相応の慰謝料額を認めるのが相当である。

肺がん、中皮腫及び著しい肺機能障害を伴うびまん性胸膜肥厚は、じん肺において、著しい肺機能の障害があると認められる場合である管理4と同等のものと認められる。

以上の各事情にかんがみると、前記7(1)記載の原告らあるいは被相続人らについて、基準慰謝料額を以下のとおりとするのが相当である。
管理2で合併症なし 1000万円
管理2で合併症あり 1200万円
管理3で合併症なし 1500万円
管理3で合併症あり 1700万円
管理4、肺がん、中皮腫又は
びまん性胸膜肥厚 2000万円
石綿関連疾患による死亡 2500万円

(2)損害賠償額の修正要素

ア 被告の賠償責任の範囲

被告は、仮に、本件において、被告が損害賠償責任を負うとしても、被告の責任は、当該石綿作業場を経営する企業が当該労働者に対して安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任を負うことを前提として初めて認められる、二次的、補充的な責任にとどまるとして、賠償義務は、使用者等のそれに比して相対的に低い割合に限定されるべきである旨主張する。

しかし、被告と使用者らとの責任は、いわゆる共同不法行為(民法719条)の関係にあるというべきであるから、被告の責任の範囲を減縮するには、同法719条1項後段を適用するか、類推適用して、被告の責任の範囲を減縮すべき事情を立証すべきであると解する。しかるに、被告の責任の範囲を減縮すべき具体的事情を認めるべき的確な証拠はない。したがって、被告の上記主張は採用することができない。

イ 慰謝料額を減額すべき個別的事由

(ア)原告らの一部は、労災保険給付等を受領しているが、原告らの請求は、生存する者と死亡した者のそれぞれにつき、その被害全てを総体として把握し、それに対する慰謝料及び弁護士費用について一律の額の請求をするものであり、慰謝料以外の財産上の請求はしないというものである。そして、上記の受給分は、法律的には本件の損害の填補となるものではない。したがって、上記の受給分があるからといって、このことを慰謝料額の算定につき斟酌すべき事由とするのは相当でない。

(イ)喫煙が肺がん発症のリスクを相当程度高めているという事情を考慮すると、被告に肺がんによる損害の全部を賠償させるのは公平を失するというべきであるから、喫煙歴のある肺がん患者の損害賠償額を定めるについては、民法722条2項の類推適用により喫煙歴のあることをしん酌するのが相当である。ただし、喫煙量及び喫煙期間と肺がん発症との具体的な相関性までは認めることができないので、減額は、控えめに、かつ、一律にするのが相当であり、損害額の10%を減額することとする。

(ウ)使用者らであった原告らについて

使用者(ないし事業者)として石綿粉じんばく露により健康被害を被ったことについて、被告に対し省令制定権限の不行使を理由とする国家賠償請求をすることはできないというべきであるが、労働者としても石綿粉じんにばく露した者については、その限りで、被告に対し上記を理由とする国家賠償請求をすることができる。この場合には、使用者として石綿粉じんにばく露した期間等を考慮して損害賠償額を定める(減額する)こととする。

安全センター情報2010年7月号