泉南アスベスト国家賠償訴訟:第一陣大阪地裁判決(2010.05.19)-国の責任認めた判決と控訴断念・解決求めた東京行動
古谷杉郎(全国労働安全衛生センター連絡会議 事務局長)
目次
泉南被害の解決をアスベスト対策見直しの出発点に!
原告勝訴の大阪地裁判決
5月19日、大阪地方裁判所は、泉南アスベスト国賠訴訟第一陣原告(被害者数26名、うち死亡者11名)のうち、23名の被害者について国の責任を認め、総額4億3505万円の支配を命じる原告勝訴の判決を言い渡した。
判決の概要は、以下のとおりである(裁判所作成の「理由の要領」。より詳しくは、「判決要旨」を参照していただきたい)。
1 石綿関連疾患についての医学的または疫学的知見の集積時期並びに被告が石綿紛じんばく露による被害の実態及びそれへの対策の必要性を認識した時期
(1)石綿関連疾患に関する医学的支は疫学的知見は、石綿肺については昭和34年に、肺がん及び中皮腫については昭和47年に、おおむね集積された。そして、被告は、それぞれの時期において、石綿粉じんの職業ばく露(長期又は多量のばく露)を防止する措置を講ずる必要性を認識したものというべきである。
(2)戦前の保険院(助川)調査の結果は、初めて石綿紛じんにより石綿肺が起こる可能性を示したデータとしての意義があったものの、医学的又は疫学的知見としては仮説に止まり、その後の検証を待たなければならないものであった。
2 昭和35年の時点における石綿肺防止のための被告の省令制定権限不行使の違法性の有無
労働大臣には、昭和35年の旧じん肺法成立までに、局所排気装置の設置を中心とする石綿紛じんの抑制措置を使用者に義務付けることが強く求められていた。
しかし、労働大臣は、この時点において、かかる省令を制定せず(あるいは旧安衛則を改正せず)、その後、昭和46年に旧特化則において局所排気装置の設置を義務付けるまで、局所排気装置等の設置の義務付けをしなかった。そのため、全国的に石綿粉じんの抑制が進まず、石綿産業の急成長のもとで石綿粉じんばく露による被害の拡大を招いたというべきである。
そうすると、労働大臣が、旧じん肺法制定時までに、省令を制定・改正して、上記措置を具体的に義務付ける規定を置かなかったのは、旧労基法の趣旨、目的や当該権限の性質に照らし、その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くもので違法であったというべきである。
3 昭和47年の時点における被告の省令制定権限不行使の違法性の有無
昭和47年に定められた特化則においては、石綿を取り扱う屋内作業場について、定期に、石綿粉じん濃度を測定し、記録を保存することが義務付けられたが、石綿粉じんばく露によって肺がんや中皮腫に罹患することが医学的又は疫学的に明らかになった時期であったから、測定結果の報告及び改善措置を義務付けることも必要であった。しかし、これらの措置を義務付けなかったのであり、このことは、許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くもので違法であったというべきである。
4 省令制定権限不行使の違法と石綿粉じんばく露による損害との間の因果関係
(1)被告の省令制定権限不行使の違法と、昭和35年以降の時期において石綿粉じんにばく露し石綿関連疾患に罹患した労働者である原告ら又はその被相続人ら(後記(2)、(3)、(4)の原告らを除く。)の損害との間には、相当因果関係がある。
(2)被告の違法が認められる昭和35年までに石綿事業所の勤務を終え、同年以降に石綿粉じんにばく露したことを認めることのできない原告1名については、その請求は理由がない。
(3)石綿工場の労働者の家族である原告1名については、現在の重篤な呼吸障害の原因が石綿粉じんばく露によるものであると認めることはできない(父親の損害賠償請求権の相続分については一部理由がある。)。
(4)石綿工場の近隣で農業を営んでいた住民1名については、旧労基法及び安衛法によって保護される地位にない上に、同人の健康被害が石綿粉じんばく露によって生じたものと認めることもできない。
5 損害
(1)慰謝料額の算定は、じん肺法が定める管理区分に応じてすることとする。肺がん、中皮腫及び著しい肺機能障害を伴うびまん性胸膜肥厚は、管理区分の管理4と同等のものとする。
管理2で合併症なし 1000万円
管理2で合併症あり 1200万円
管理3で合併症なし 1500万円
管理3で合併症あり 1700万円
管理4、肺がん、中皮腹又はびまん性胸膜肥厚 2000万円
石綿関連疾患による死亡 2500万円
(2)損害賠償額の修正要素
ア 被告は、仮に賠償義務があるとしても、使用者等のそれに比して相対的に低い割合に限定されるべきである旨主張するが、採用することができない。
イ 原告らの一部は、労災保険給付等を受領しているが、原告らの請求方式に照らし、このことを損害賠償額の算定につき斟酌すべき事由とはしない。
ウ 喫煙が肺がん発症のリスクを相当程度高めているという事情を考慮し、喫煙歴のある肺がん患者の損害賠償額を定めるについては、損害賠償額の10%を一律に減額することとする。
エ 使用者(ないし事業者)でもあり、労働者でもあった者については、使用者として石綿紛じんにばく露した期間等を考慮して損害賠償額を減額する。
原告・弁護団らの声明
これに対して、原告団・弁護団、泉南地城の石綿被害と市民の会、大阪泉南地域のアスベスト国賠訴訟を勝たせる会は連名で、以下の「声明」を発表した。
- 本日、大阪地方裁判所第22民事部は、全国に先駆けてアスベスト被害に対する国の不作為責任(規制権限不行使)を正面から追及した大阪・泉南アスベスト国家賠償請求訴訟(第一陣。被害者26名。)において、国の責任を認め、国に対して総額4億3505万円の支払いを命じる原告勝訴の判決を言い渡した。
- 本判決は、まず、国の不作為について、国がアスベストの危険性を昭和34年から知っていながら、昭和35年において「局所排気装置の設置を義務付けなかったこと」及び昭和47年に「石綿粉じん濃度の測定結果の報告及び改善措置を義務付けなかったこと」は違法であると認定して、国の不作為責任を認めた。また、判決は、国の責任は、使用者らと共同不法行為の関係にあるとして、一次責任があると判示した。さらに、判決は、「石綿による健康被害が慢性疾患でかつ不可逆的で重篤化する」という被害の重大性を認め、アスベスト被害を償うに相当な損害賠償を命じた。その一方で、判決は、近隣ばく露による被害について、不当にもその因果関係を否定した。
- 本判決は、何よりも、アスベスト被害について、国の責任を初めて認めた画期的判決である。
泉南アスベスト被害は、70年以上も前から深刻な被害発生が確認されていたわが国のアスベスト被害の原点であり、本判決は、かかるアスベスト被害について国の責任を断罪した。このことは、泉南アスベスト被害の早期救済はもとより、すべてのアスベスト被害について、国の責任の明確化と被害者救済のあり方の抜本的な見直しを迫り、これ以上のアスベスト被害を発生させない万全な規制や対策の強化を求めるものである。
本判決は、同じくアスベスト被害について国の責任を追及している首都圏建設アスベスト訴訟等にも大きな励ましとなるものである。
さらに、本判決は、アスベスト被害が広範囲に広がっているアジア諸国にも、アスベスト使用の危険性について重大な警告を発するものであり、重要な国際的意義も有している。
しかしながら、近隣ばく露による深刻な健康被害を認めなかったことは、見過ごすことのできない不十分な点であると言わざるを得ない。 - 泉南アスベスト被害の救済は急務である。「生きているうちに救済を!」は原告ら被害者すべての共通の願いであり、「被害の原点を救済の出発点に!」は広範な世諭である。
私たちは、国が、本判決を真摯に受け止め、自らの責任を認めて原告ら被害者に謝罪し、控訴を断念して正当な賠償金を支払うこと、そして、泉南アスベスト被害者全員の救済システムづくりなどを内容とする泉南アスベスト被害の早期解決に応じることを強く要求するものである。
判決当時の大阪・東京行動
この日は、雨模様にもかかわらず、全国各地から支援団体や個人がかけつけて裁判所前を埋め尽くした。時間が来ると、「ウイシャルオーバーカム」の歌声に送られながら、原告団が法廷に向かった。
酸素ボンベを付け無理を押して参加し、しばしばせきこんで苦しむ原告には看護士の付き添いが認められた。酸素ボンベのシューシューという音だけが響く法廷で、「被告は…金員を支払え」という裁判長の第一声に、「勝った」と、どよめきが広がった。原告勝訴の一報を伝えるために記者の一部が外にかけ出す。「勝訴」、「国の責任を認める」と書かれた垂れ幕をもって裁判所の中から水しぶきを上げて走りでた弁護団を迎えて、固唾をのんで待ち受けていた支援者からも万歳の嵐が沸き起こった。
原告・弁護団の代表で記者会見に臨んだ後の「判決報告集会」も興奮に包まれた中での開催。集会終了後、上京団の第一陣はただちに東京に向かった。
一方、東京でも参議院議員会館において判決報告集会が開かれ、国会議員36名(本人出席15名、秘書出席21名)をはじめ百名が参加するなかで、判決の第一報が報告された。
5月20日の各紙朝刊は大々的に判決の内容や原告らの声を伝え、朝日新聞の社説は、「鳩山政権はまず国として石綿被害を拡大させた責任を認め、被害者に謝罪すべきである。そして控訴せずに、被害者対策に乗り出した方がよい」。「石綿の被害は過去のことではない。この判決を、対策の遅れを取り戻すきっかけとして生かしたい」と書いた。
国の反応としては、判決を聞いた鳩山首相は、「命を大切にする政府としてはしっかりと対応を考える必要がある」と首相官邸で記者団に語った。平野官房長官は、「国の主張が相当部分に認められていない」としたうえで、「控訴も含め、関係省庁で検討していく」と述べたなどと伝えられた。
原告団らの上京行動開始
5月20日午前、上京した原告・弁護団らを中心に約1300名が厚生労働省前に集まり、早期解決を求める個人請願行動を行った(写真左)。
午後は、社会文化会館において、「大阪・泉南アスベスト被害の早期全面解決を求める大集会」に900名以上が参加した(写真右)。辻恵・民主党副幹事長、佐藤茂樹・公明党大阪府本部代表、山内徳信・社民党参議院議員、吉井英勝・共産党アスベスト対策チーム責任者代理が来賓挨拶、国に控訴断念などを求める集会宣言を採択した。
翌21日には、環境省の石綿健康被害救済小委員会が開催された。この日は、今後の救済制度のあり方に関する議論を行っていく上での検討課題を整理すべく、中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会の古嶋右春さんと飯田浩さん、全建総連・宮本一労働対策部長、尼崎市健康福祉局・鈴井啓史参与からのヒアリングが行われ、途中で中座せざるを得なかったが、泉南の原告らも多数傍聴した。
小委員会では、委員長に促されて環境省事務方が大阪地裁判決の概略を報告。古谷杉郎委員(石綿対策全国連絡会議事務局長)は、「判決は、非労働者曝露の原告2名について、アスベストによる病気/健康被害/損害を認めず、入口で排除した。普通ならば、その余は判断するまでもなしとしてもよいところを、たしかに中途半端な言及はあるが、環境省としては、環境行政の責任はまだ十分検討されてはいないと謙虚に受け止めてほしい」と要望した。
浅野直人小委員長(福岡大学法学部教授)も、「多分控訴などはないだろうと信じておりますけれど」と切り出して、「指摘された点については、裁判所からお墨付きをもらったといような理解をしているわけではないと思う」と発言している。
なお、原告団らは、小委員会を中座して厚生労働省におもむき、同省労働基準局総務課調査官らに面会して、控訴を断念し、早期全面解決に応じるよう求めた要請書を手渡した。
解決要求テントを設置
原告団は週末を除き、2日交替での上京行動。弁護団や勝たせる会のメンバーは、週末以外は基本的に東京に残留というかたちで、東京行動が続けられた。「生まれて初めて新幹線に乗り、生まれて初めて東京に出てきた」という方も少なくない。
そういう原告の、厚生労働省前、首相官邸前、国会前での必死の訴えに多くの人々が聞き入り、6月1日までに14号を数えた「泉南アスベスト被害救済 国会通信」の受け取りも非常によかった。
24日には、民主党アスベスト対策推進議員連盟の役員がそろって細川厚生労働副大臣に面会し、「最大限、控訴しないよう前向きに検討してほしい」等と申し入れた。
25日には、民主党大阪府連合会も、民主党本部に控訴しないで早期解決を求める要請。地元の泉南市と阪南市も26日、それぞれの市長と市議会議長の連名で、判決を受け入れて控訴しないよう求める要望書を、厚生労働大臣と環境大臣宛てに送付している。
26日には、正午をはさみ、原告10名と弁護団11名、勝たせる会3名に首都圏建設アスベスト訴訟原告団やじん肺、公害関係団体等約500名が参加して、厚生労働省に訴える大行動と同省をぐるりと一周するデモ行進が行われた(写真左)。
そして26日夕方、厚生労働者向かい側に「解決要求テント」を設置して、不退転の決意を表明した。設置後さっそく、国会議員も含めて多くの方が激励に訪れた(写真右、工藤仁美衆議院議員)。26~27日、あけて31日の夜には、若手弁護団と勝たせる会のメンバーらがテントに泊まり込んだ。
27日には、夜中11時半まで厚生労働省前で訴え続けたところ、遅くまで残業していた職員たちが手をふって激励してくれたという。
28日には、橋下大阪府知知事が厚労大臣、環境大臣あてに、「今回の判決を契機に、早期に大阪泉南アスベスト被害を抜本的に解決されること」等とした要望を提出した。
(右)5月26日、「解決要求テント」を設置。国会議員も激励に
控訴断念報道と関係閣僚会議
28日付けの日本経済新聞朝刊は、「国、石綿訴訟控訴せず 関係閣僚きょう調整」と特ダネで報じた。夕刊各紙とテレビがこの報道を追ったが、この日朝の閣議前に開かれた関係閣僚会議の結果は、「いろいろな意見が出ましたが、結論は出ませんでした。私も一定の考えを持って発言いたしましたが、まだ、協議事項であり政府全体の議論の中なので、私の考え方というのは今の段階で申し上げるべきではないと思います」(長妻厚生労働大臣の閣議後記者会見)ということであった。
小沢環境大臣は、「長妻大臣が『控訴は断念したい』という発言でありましたが、その主な理由は、今回の泉南の裁判については、他の事例と分けて考えることができるということでございまして、そういった意味では、そういった発言を受けて私からは『長妻大臣の考えを支持をしたい』という発言をいたしました。私の理由は2つ申し上げまして、1つは、今回の泉南の事案、少なくとも厚労省事案は屋内案件でありまして、そういった意味では他の事案に波及する可能性が無いと考えられること。それからもう1つは、環境省の立場から言いますと、いわゆる、原因企業が、この泉南地域ではすでに消滅をしているといった時に、被害者、患者の皆さん方を救うのは政治しか無いではないのですかという発言をいたしたのでございます」。「千葉さん[法務大臣]は、法務省の事務方から説明があって、全体像の、全体への影響、特に初めての判決でありますので、アスベストに関しては、そういったことの影響というのを考える必要がある、と。こういう意見でした。仙谷[国家戦略担当]大臣は、要するに最終弁論からいわゆる判決に至るまでの期間がどれぐらいかと聞いた上で、約半年という中で、対応がいま目の前にそういう資料を出されて2日までに決めてくれというのもおかしいじゃないか、と。もうすこし事前に、いろいろな対応ぶりというのがなきゃおかしい、と。そんなことがあって月曜日にもう1回という話になりました。菅さん[財務大臣]も同じ旨の話を言っていました」と発言している。
弁護団総会で首相等宛て要望書
29日には、泉南で原告団総会が開催された。
この日の議論の結果に基づいて、原告団・弁護団として、首相及び厚生労働、環境、法務、財務、国家戦略担当の各大臣宛ての要望書を確認した。鳩山首相宛て要望書の内容は、以下のとおりである。
1 要請の趣旨
2010年5月19日に言い渡された大阪・泉南アスベスト国家賠償訴訟の判決を真摯に受け止め、控訴断念を決断されることを心より要請します。
2 要請の理由
2010年5月19目、大阪地方裁判所は、大阪・泉南アスベスト国家賠償訴訟について、国が規制権限行使を怠ったことを明確に認める判決を下しました。私たち原告はこの判決により被害者救済への貴重な光が与えられた思いでした。この判決に励まされて、20日からは病苦をおして上京し、厚労大臣をはじめ政府のみなさんに「控訴断念」を連日訴え続けてきました。
5月28目の各紙の報道によれば、関係閣僚会合において、長妻厚労大臣、小沢環境大臣からは、この判決を受け入れ、控訴を断念したいとの意向が表明されたとのことです。私たちは、この報道を見て、再度救済への大きな光を与えられた思いです。
ところが、他の閣僚からは、直ちに決めることはできないなどの慎重論が出されたとのことで、結論は次回閣僚会議に持ち越されたとのことです。そして、最終判断は、鳩山総理大臣において行われると聞いております。
本件を直接担当されておられる厚労省、環境省の大臣自らが、判決結果を真摯に受け止め、控訴断念の意向を表明され、やっと救済の光が見えてきたにもかかわらず、「控訴断念」の結論が先送りにされたことは、誠に残念でなりません。
このたびの判決に至るまでに、既に無念の死を遂げた原告も多く、生存している原告らも高齢化と重篤化に苦しんでいます。司法により国の責任が認められた以上、被害者救済を行うことは、「いのちを大切にする」「いのちを守る」鳩山政権の責務であり、一日たりとも先延ばしにすることは許されません。
これまでの長きにわたる原告らの苦しみに思いをいたし、これ以上、被害者らの苦しみを引き延ばさないでください。控訴断念を訴える原告らの血を吐くような思いを真摯に受け止めてください。原告らの長い辛苦に終止符を打つべく、総理大臣として控訴断念の最終決断をしていただくよう心より要請いたします。
国の控訴決定に抗議
31日の月曜日に再び上京した原告団らは、さっそく要望省を首相官邸と各省に届けるとともに、「解決要求テント」を再開した。
ところが、この日深夜に原告らは「控訴決定」を知らされる結果になった。
新聞報道によれば、同日夜に再度関係閣僚会議が開かれ、厚生労働大臣が「控訴を断念すべき」と主張、環境大臣も同調したものの、他の閣僚の同意を得られず、最終的に首相から一任された国家戦略担当大臣に判断を任せるかたちで控訴が決まったという。翌1日に控訴手続がとられた。
これに対して原告団・弁護団は6月1日、以下の「国の不当控訴に抗議する声明」を発表した。
- 国は、5月19日に言い渡された大阪・泉南アスベスト国賠訴訟の判決に対し、被害者の声を一度も聞くことなく、控訴する旨を明らかにした。
- 主務官庁である厚生労働省・環境省は、原告被害者らの切実な被害の訴えを受け止め、早くに控訴断念を表明し、また、鳩山政権は、「いのちを守る」ことを公約に掲げていた。
にもかかわらず、今回の控訴は、原告被害者らのこうした期待と信頼を大きく裏切るものであり、絶対に容認することはできない。さらに、「控訴断念・早期解決」の広範な世論にも真っ向から反するものであり、極めて不当である。 - 判決は、4年間に及ぶ慎重審理の結果、アスベスト被害における国の責任を明確に断罪する初めての判断を示した。本来であれば、国は、この司法判断を謙虚にかつ真摯に受け止め、早期に被害者救済に踏み出すべきであった。
ところが、国は、この司法判断を踏みにじり、いたずらに被害者の苦しみを引き延ばして、国民のいのちと健康を守る責務を放棄している。 - 私たちは、広範な世論と共に、控訴断念にあと一歩のところまで迫った。原告団・弁護団は、引き続き、画期的な一審判決や、厚生労働省・環境省の控訴断念の判断、さらには温かく大きな支援の声に励まされ、原告らの命あるうちの救済を実現するため、一刻も早い政治による解決を求めて全力を尽くす決意である。
(右)解決テントに泊まり続けた勝たせる会の澤田慎一郎さん
控訴後の関係閣僚の発言
6月1日の閣議後の関係閣僚の記者会見の内容を紹介しておこう。
仙谷国家戦略担当大臣―「私の方から、アスベスト訴訟の控訴について、昨夜の段階で、法務省に控訴手続をとるようにという指示をしたという報告と、今、政府相手の訴訟が私の知る限り件数で1万8,000件ぐらいあり、本省・法務省扱いが約2,000件弱ありますが、その中で政治的、社会的な対応が必要な訴訟があるのかどうなのか、その日程管理等を含めた進行管理が、各省の大臣官房でどのようになされているのか、なされていないのか、早急に調べて官房長官まで御報告いただきたいとお願いいたしました」。
長妻厚生労働大臣―「判決の中で、国の責任というのは概ね3つのカテゴリーで認められていると思いますが、それについて明確にしなくてはならない論点があるというようなことがありまして、色々な意見はありましたが控訴という結論に至ったわけです」。「内閣全体で議論をして、非常に解決が急がれる問題であると思います。ただ、論点を詰めなければ、日本中に多くのアスベスト被害の方がいらっしゃいますので、ここの地域に限らず全体の中でどう対応して行くのかという大きな問題もあります。その意味では、論点を明確化するということを含めて控訴するということですので、我々としてはアスベストの問題は、今後とも取り組むべき大きな課題だという認識は持っております」。
小沢環境大臣―「(高裁和解の道を考える余地も残したほうが良いというお考えかと問われて)今回の大阪の訴訟に関してはですね、一つは屋内という話、それからもう一点は、いわゆる、原因企業が全く消滅してしまっている。そういった中で、本当に大変辛い立場の患者さん、被害者の皆さん達が居るということで有りますので、そこは他の訴訟とは区別をして対応出来るのではないかと、こう思っておりましたので、それを主張して参りましたし、そういった皆さんへの対応というのは、政治しかやるところが無いんだろうという気持ちには依然として変わりはありません」。
「(今後のアスベストの救済策全体の見直しということも表明されていたと思うがと問われて)それはそれでですね、基本的には副大臣級で実務のところを詰めたいと思っていたのですが、昨日ああいう形で仙谷大臣が引取りましたので、それをどういうふうに合体させていくか、改めて協議が必要だというふうに思います。私としては、今回は控訴は断念して、一回ここで区切りをとってですね、副大臣級検討チームで全体像の対応策を考えるという話が、私のスケジュール感だったのですけれども、そこは変わっていくんじゃないかなというふうに思います」。
千葉法務大臣―「この訴訟については、御承知のとおり、原告の皆さんが大変厳しい状況にございます。苦しんでおられるということも十分に承知をしています。その点については、これは最終的に政府全体として方向性を協議させていただいたということですので、共通の認識だと申し上げることができると思います。ただ、アスベスト問題について、やはり全体として今後どのような対応をしていくのか、そしてまたどのようにして解決、救済を図っていくのかということを考えたときに、論点の整理とか法的に今回の訴訟で示されているところだけを基準にすることができるのかどうかというところもありますので、決して何か法的に細かい手続きが云々だから控訴するということではなくして、むしろ今後の全体的なアスベスト訴訟に対する対応、あるいは救済策というものを何とかトータルな形で図っていくことが必要なのではないかと、そういう意味で、今回の判決の判断基準だけで今決めてしまっていいのかという観点で、控訴させていただいたということですので、これからの訴訟と政策的あるいは政府としてのいろいろな対応を早急に議論していくということが大事だと思っています」。
早期解決・対策前進に向けて
これらの発言から、今後の展開を一定程度予想することも可能かもしれない。
いずれにしろ、泉南の原告団らが、解決への確信とたたかい続ける決意を固めて帰っていったことは疑いない。勝訴原告と敗訴原告が分断されずに支え合い、原告と弁護団、勝たせる会等の支援らとの間の信頼関係が明らかに一層かたくなって、激励に訪れた人々に非常によい雰囲気を与えていたことは誰もが認めるところだろう。本人たちが口々に、「自分たちが鍛えられ、成長した」と話していたことも印象的であった。
控訴断念・早期全面解決、さらにはアスベスト対策の抜本見直しに向けて奔走していただいた政務三役や民主党アスベスト対策推進議連をはじめとした国会議員の方々、原告らの東京行動を支えた多くの皆さんにも心から敬意を表したい。
ことはたんに泉南、たんなるアスベスト対策を超えて、政治のあり方をめぐるたたかいの重要な結節点になっていたと感じている。その点では、控訴断念を実現できなかったことは、今後の様々な施策にあたって一定の困難を生じさせるかもしれないし、そのことは重く受け止める必要がある。
しかし同時に、泉南アスベスト被害の早期全面解決と、様々なアスベスト対策をこれを契機に前進させようという関係者の意思とそのための準備が着実に前進したことも事実である。
むしろ、これからが正念場という決意を固めて、取り組みをすすめていきたい。
安全センター情報2010年7月号