電気工事会社定年後、再雇用時に中皮腫を発症、給付基礎日額を定年退職時基準に是正(自庁取り消し)/ 静岡
給付基礎日額半減の不利益を是正
2017年11月24日、名古屋西労働基準監督署は、一度決定した中皮腫患者の労災保険の給付基礎日額を自庁取り消しのうえ変更する決定を行った。
患者の男性は、最初に決定された給付基礎日額が低額だったことを不服として審査請求を行ったものの、棄却されていた。労基署による自庁取り消しは、男性の死亡後、妻がこの事案を引き継ぎ労働保膜審査会に再審査請求をしている最中に行われた。
休業補償に関しては当初決定額の9,357円14銭から20,577円94銭に変更され、遺族補償年金に関しては当初決定額9,358円から20,263円に変更された。葬祭料の基礎となる給信基礎日額も当初決定額の9,358円から20,263円に変更された。
最初の相談
Iさんは、1971年4月から2013年10月まで全国に支店を持つ電気工事会社で正社員として施工や現場管理業務に従事した。
2013年10月の定年退職の翌日から1年ごとに契約更新する嘱託職員として再雇用され、JR浜松工場で中央監視システム構築の仕事に従事していた2016年1月に悪性胸膜中皮腫を発症した。正社員時代に古いビルやデパート等の改修工事現場で吸い込んだアスベストが原因だった。
JR浜松工場は、2010年7月よりリニューアル工事が行われ、Iさんは既存の建物を撤去した後に建てられた、石綿のない新築の施設で仕事をしていた。
2016年9月末に名古屋西労基署が労災認定したものの、嘱託職員になってからの低い平均賃金で休業補償給付の支給額が決定されてしまい不満に思っていたところ、中日新聞で2016年10月29日に浜松市でアスベスト被害相設会が開催されることを知り、お連れ合いと娘さんとともに来場され相談された。
労働保険審査会裁決
実は2016年7月に労働保険審査会が、Iさんのように定年退職後、再雇用されているときに中皮腫を発症した男性の労災保険の給付基礎日額の算定について、画期的な裁決を出していた。
かつて石綿パッキンを製造していた大阪府にある工場で定年退職まで働いた男性が、退職後、既に石綿製品の製造を中止していた同じ工揚に再雇用され、パートとして働いていたときに中皮腫を発症し、労災保険請求したところ、労災認定した労基署に給付基礎日額をパート時の低い賃金で算定されてしまったため審査請求した事案についてだった。
審査請求は棄却されていたが、再審査請求で労働保険審査会は、「定年退職を契機として、いったん会社を離職し、その後、新たに会社と従前とは異なった内容の労働契約を締結して、会社にあらためて再雇用されたものとみるのが相当で、定年退職時に最終曝露事業揚を離職したもとのするのが相当」として、男性の労災の給付基礎日額をパート時の賃金でなく、より高い定年退職前3か月間の賃金で算定することを命じる裁決をした。
この裁決を詳しく見ると、4つの理由があることがわかる。1つ目は、男性は定年退職後、正社員から契約社員へと変更されるとともに、「班長」の役職も解かれていること。2つ目は、男性の給与明細書等に記入された就労実態を見ると、1日の労働時間に変更は認められないものの、1か月当たりの勤務回数は正社員当時20日前後であったものが、契約社員となってからは16日となり、時間外労働や休日労働にも従事していなかったこと。3つ自は、男性が正社員当時は基本給のほか資格手当等多くの手当が支給されていたが、契約社員になると、基本給と通勤手当が支給されているにすぎず、基本給についても324,600円から100,000円へと大幅に変更されていること。4つ目は、契約社員となってからは、石綿に曝露する作業には従事していないこと、であった。
この再審査請求の代理人を務めたのがアスベストセンターの斎藤洋太郎さんだったことから、筆者はこの裁決をIさんから相談を受ける前にもらっていた。Iさんにも大阪の男性と司じような賃金、身分等の変更が再雇用時に行われており、この男性と同じようにすでに決定された給付基礎日額を変更させることが可能だと思った。Iさんには愛知労働局に審査請求することを提案し、労職研が支援することになった。
労働局・労基署での面談
審査請求書を提出する前に愛知労働局の監察官と所轄の名古屋西労基署の副署長、労災課長と面談をした。この労働保険審査会の裁決書を見せることによって、Iさんの事案について審査請求することなく、すでに決定された給付基礎日額が名古屋西労基署に変更してもらえるのではと考えたからである。
労働局の監察官、労基署の副署長ともに「労働保験審査会が示した大阪の事案に関する給付基礎日額の算定方法は、じん肺の労災認定時に用いられる運用で、中皮腫のような石綿関連疾患では発症前3か月間の賃金で給付基礎日額を算定することになっている。いったん定年退職してから再雇用され、賃金、身分等が変わっていても同一事業揚での雇用の継続性が認められるので、給付基礎日額の変更は行えない。不服がある揚合は審査請求してほしい」という意見で、最終的に12月9日付けで審査詰求を行った。
審査請求
審査請求では、正社員であったときは基本給のほか職能給や他の手当がある課長格の高額な賃金だったのが、嘱託職員になってからは月28万円の基本給と3,900円の交通費が支給されるだけになり、労働時間も短くなったこと等や、嘱託職員としての勤務先では石綿曝露がなかったこと、大阪事案の労働保険審査会裁決に従うべきこと等を主張した。
その後、再審査請求時にIさんの勤務先だった電気工事会社から定年退職直前3か月間の賃金台帳の開示を受けたが、一番総支給額が多い月で60万円近い遣いが定年前と嘱託職員時の賃金にはあった。申立書を提出して間もない12月26日にIさんは亡くなられた。葬儀に会社の同僚の方々が多く参列されていたのが印象的だった。
Iさんの死後、審査請求はIさんのお連れ合いのYさんが継承した。2017年2月23日に浜松労基督署で行われた聞き取りにはYさんと代理人の筆者が行った。聴取後、3月末日の定年を目前に控えた審査官は、「Iさんの申立書やあなた(筆者)の意見書を見ると確かにそうだと思うけれど、労働基準法や関係する通達を見るとあなたたちの主張を認めることはできない。(大阪事案の)裁決書は、じん肺に罹患した労働者の給付基礎日額の決め方で、石綿関連疾患に躍患した労働者には当てはまらない。今後、このような裁決が複数労働保険審査会で出れば法律も変えられるだろうけれどね」と言い放った。
聴取から1か月ほど経った3月30日、審査請求は棄却された。労基法第12条における平均賃金(給借基礎日額)算定期間は、平均賃金算定事由発生日(職業性疾患になった日)の直近の賃金締切日から遡った3か月間であること、昭和63年3月14日付け基発150号通達により、定年退職による退職者を引き続き嘱託等として再雇用している揚合は継続雇用しているとみなすことから、Iさんの定年をもって事業所からいったん離職したとはみなすことはできないというものだった。また、Iさんの最終石綿曝露事業揚との労働契約が定年前の正社員時であったことも、請求人らは被継承人(Iさん)が直前の作業で石綿作業に従事していない旨訴えているが、じん肺については作業転換の特例が施行規則により定められているが、石綿に関しては特別な規定も通達も存在しない、と退けた。
厚生労働省との交渉
筆者はIさん以外にもニチアス羽島工場に高卒後から定年退職まで勤務し、定年後契約社員となり働いた後、再雇用され同工場で月6万円でアルバイトをしているときに中皮腫を発症したため、1日あたりの労災保険の給付基礎日額を4,000円ほどにされてしまった事案に関わっている。Iさんの事案の審査請求中、2017年1月19日、アスベストセンターの斎藤洋太郎さんの協力で、近藤昭一衆議院議員の東京事務所で厚生労働省労働基準局の担当者と面談し、Iさんとニチアス羽島の元労働者の事案について、給付基礎日額の計算を先に出た大阪事案の裁決に基づいてやり直してほしいと要請した。しかし、厚生労働省の担当者は大阪事案の裁決は個別事案とし、「発症前3か月の舞金で給付基礎日額を算定することになっている」と繰り返すばかりだった。
Iさんの審査請求棄却直前の3月15日に行われた全国安全センターの厚生労働省交渉でも是正を要望した。労働基準局補償課の回答は、「定年退職時の賃金や石綿曝露の各時点の賃金のうち一番高い額などを基準とすることについては、災害発生時の稼得能力を適正に評価し、これに基づいた災害補償を実施することで労基法上の使用者の災害補償責任を担保するという労災保険制度の趣旨に反することから従来の取り扱いを変更することは困難」というものだった。
5月16日にIさん事案の再審査請求を行った。
衆議院厚生労働委員会
斎藤洋太郎さんや患者と家族の会の働きかけで、6月9目、衆議院厚生労働委員会で堀内照文議員が中皮腫患者の労災通院費の問題等とともに、Iさんのように、定年後再雇用時の値い賃金が労災保険の給付基礎日額の算定基礎になり、給付基礎日額が倍額になってしまっている問題について質問してくれた。堀内議員は、大阪事案に係る労働保険審査会の裁決が出ていることを踏まえた上で、Iさん事案の審査請求が棄却されたときの愛知労働局の決定書も引用してこの問題について追及した。これに対する山越政府参考人の答弁は「個別事案ごとに適正に判断をしていきたいというふうに考えております」というものだった。
しかし、この質問の影響か、厚生労働省労働基準局補償課は「(大阪事案について)労働保険審査会の裁決で示された、定年退職後同一企業に再雇用された後に石綿関連疾患等の遅発性疾病を発症した揚合の給付基礎日額の決定については、当面の間、本省で個別に判断することとするので、現在調査中のものも含め、該当事案を把握次第、本省に報告すること」とした通達を、6月2日付けで発出した。
厚生労働省の通達
この通達(基補発0626第1号、1・2月号75頁)は、「定年退職後間一企業に再雇用された労働者が国雇用後に石綿関連疾患等の遅発性疾病を発症した揚合の給付基礎日額算定について」という長い表題。
8月2日、東京の堀内照文議員事務所で厚生労働省の中央労災医療監察官と面談した。このときは、前述のニチアス羽島工場に定年まで勤め、定年後契約社員として雇用された後、再び同社で月の賃金が6万円程でアルバイトをしているときに中皮腫を発症したため給付基礎日額をきわめて低額にされた男性の事例を中心に議論した。二チアスの男性の事案は発症が2008年で、2009年1月の最初の給付基礎日額決定時に不服申し立て(審査請求)を行わなかった事案だった。
新通達は調査中または不服審査中、係争中の事案のみでなく、過去に決定した事案についても適用されるのか問いただすとともに、二チアス元従業員の事案が岐阜労働局から本省に報告されているか確認してほしいと要望を伝えた。中央労災医療監察官は、個別ケースについては答えられないとしながらも、過去に決定したケースについても通達から排除するものではないと返答した。
翌日、堀内議員の秘書さんから、中央労災医療監察官からの連絡を伝えるファックスが届いた。岐阜労働局に確認したところ、二チアスの元従業員の事案については2015年に遺族補償年金の給付が決定しており、そのときに不服申し立てがなく、また、現在、係争中でもないことから、通達の対象外であると考えていると堀内議員事務所に伝えてきたこと、伝えてきた内容が筆者たちとの面談時の話から後退した印象だったため、堀内議員が頑張ってくれ電話で中央労災医療監察官に確認をしたところ、過去に決定したケースでも、労基署の事実誤認があれば是正するケースはあること、通達は係争中を対象としているが、過去に決定した事例を排除するものではないという返事が得られたということを伝えるものだった。
秘書さんからのファックスは、(厚生労働省は)積極的に救済する立揚ではないですが、昨日のレクチャー同様、過去の事例は排除しないとの見解でした。堀内議員からは、現揚で通達の対象外だから切り捨てることのないよう丁寧な対応を求めました、と結ばれていた。
12月1日、二チアス元従業員のお連れ合いと筆者、斎藤洋太郎さんとで岐阜労働局の監察官と面談し、ニチアス元従業員の低額給付基礎日額事案について本省に報告することを要請し、監察官は報告することを約束した。
斎藤洋太郎さんはこの事案について、再雇用後におけるアルバイト時に発症した事案で、(前述の昭和63年3月14日付け基発150号通達のような)当時の継続雇用の考え方にも沿っていないと考えている。岐阜労働局から結果に関する連絡はまだない。
8月22日に筆者は、6月26日付け通達を持って名古屋西労基署ヘ行き、副署長とIさん事案の原処分時の労災課担当者と面談した。副署長はすでにIさんの事案は厚生労働本省に報告したとのことで、筆者は事案の概要を説明し、自庁取り消しで対応しほしいと要請した。
再審査請求
Iさんの再審査請求の審理期日は10月24日になった。名古屋西労基署からはなんの連絡もなく、このまま裁決を受けなければならないだろうと考え、公開審理の1週間前に労働保険審査会に意見書を提出した。
10月24日の公開審理にはIさんのお連れ合いのYさんと娘さん、筆者が愛知労働局と労働保険審査会をテレビ電話で結んだテレビ審理に出席し、斎藤さんは東京の労働保険審査会の公開審理会場に出席して意見を述べた。Yさんは、定年退職してIさんの帰宅が早くなり、正社員のときに比べて労働時聞が短くなり、て夫の労働条件が大きく変わったことを述べた。
自庁取り消し
公開審理から1か月経った11月30日、Yさんから筆者に電話があり、名古屋西労基署が当初決定したIさんの労災保険の給付基礎日額を自庁で取り消し、定年退職前3か月間の賃金で給付基礎日額の算定をし直すことを決めたと労基署の副署長から連絡があったと伝えられた。
なぜ変更することになったのか名古屋西労基署の副署長に筆者が電話したところ、「厚生労働本省からの指示でなく、6月26日付け通達が発出されたことから署で調査をやり直し給付基礎日額の変更を決定した。本省、労働局から意見は聞いた」という返事が返ってきた。遺族補償年金の給付基礎日額に関しては当初決定額から倍以上の変更で驚いた。
Iさんとお連れ合いのYさんがあきらめずアクションを起こしたことが良かったと思った。Yさん、斎藤さんと相談し、再審査請求は12月に取り下げた。
記事/問合せ:名古屋労災職業病研究会事務局長 成田博厚
安全センター情報2018年4月号