アスベスト混入ベビーパウダー(タルク)で中皮腫、不支給を自庁取消し労災認定:時効事案特別遺族給付金・時計部品製造

死亡13年後に時効救済申請

Tさんの夫の進さんは、1993年5月に36歳の若さで腹膜中皮腫で亡くなった。当時、中皮腫が石綿が原因で発症する病気であることを誰も教えてくれなかった。
2005年6月のクボタショックをきっかけに石綿による被害を知り、夫の病気も石綿が原因ではないかと思うようになった。2006年3月、石綿被害健康被害救済法による救済制度がはじまるとすぐに、特別遺族年金を三鷹労働基準監督署に請求した。

時計部品製造などに従事

夫は、新潟から上京後、足立区にある時計部品の軸石を製造するA工業に就職。約8年半勤務した後、コーヒーショップのチェーン店を経営するF社に転職し、店長職を約2年務めた。
Tさんは、新聞で家屋の内装材に石綿が含有されていることを知り、アスベストセンターに相談。夫の職歴をたどっていくうちに、A社でベビーパウダーを多用していたこと、F社で複数の店舗の改修工事に立ち会い、自らも簡単な補修工事をしていたことがわかった。そのため、F社を管轄していた三鷹労基署に石綿健康被害救済法による遺族特別年金を請求したものだった。

不十分調査で不支給処分

三鷹労基署は、F社での石綿曝露を中心に調査したが、石綿曝露の事実が確認できないという理由で、2006年8月に不支給処分を出した。TさんがA工業でベビーパウダーを使っていたことを調査してほしいと訴えていたにもかかわらず、担当官は、A社に石綿使用の有無を書面で問い合わせただけで全く調査していなかった。

三鷹労基署の不当な業務外決定に対し、Tさんは直ちに東京労災保険審査官に審査請求の手続をとった。そして、A工業における夫の作業工程を詳述した意見書を提出した。Tさんは、当時A工業でパートとして働いており、進さんと知り合ったのだった。そのときの作業工程や職場環境をよく覚えていた。

時計軸石製造でベビーパウダー使用

A社では、時計の軸石を製造するために、最初に「石のせ」という作業工程があった。
時計石と呼ばれる細かい材料(人工ルビーやサファイア)を、直径8~9cmの軸と呼ぶ円形盤に載せる。軸には1千から2千個の穴が開いており、そこにヘラで石を載せる。石はブロード板と呼ばれるものの上におき、さらしの小袋にベビーパウダーを約20g入れたものを振りかけて石どうしや石と軸がくっ付かないようにしていた。ブロード板も石の種類が変わるごとに掃除をするため、付着したベビーパウダーを手ではたき落としていた。この作業を7~8人が、1日に6回~10回程度繰り返した。こうして意見書では、「石のせ」作業工程では、ベビーパウダーが打ち粉として多用されている実態を明らかにした。

1975年労働省調査でベビーパウダーのアスベスト混入確認

さらに、1975年労働省(当時)労働衛生研究所労働環境部の調査で、神山宣彦氏(現東洋大学教授)が、「環境中の繊維状鉱物の計測に関する研究」でタルクとベビーパウダーの中のアスベスト定量分析の結果を報告している。
それによれば、ベビーパウダーを製造する7社の製品のうち全てにタルクが使用され、そのうち5社の製品から0.8%~1.8%の石綿(クリソタイル=白石綿)が含有されていた。こうした研究発表資料も審査官に提出し、検討を求めた。
労災保険審査官が交替したが、たびたび審査官との折衝も行いながら、ベビーパウダーによる石綿曝露の可能性を認めるよう取り組んできた。

突然の自庁取消し

審査請求も決定間近になってきた昨年12月、突如としてTさん宅に、三鷹労基署の労災課長から電話が入った。「不支給処分の決定を自庁取り消し、請求を足立労基署に送付した」とのこと。事情が呑み込めないTさんは、アスベストセンターに連絡し、12月28日、三鷹労基署に出向き説明を求めることになった。

三鷹労基署は次長と課長が、「突然でたいへん申し訳ございません」と頭を下げて謝罪したものの、不支給処分の自庁取り消しの理由については、「三鷹労基署の調査が十分ではなく、A工業での石綿曝露の可能性があるため」としか答えられなかった。まったくお話にならない。Tさんは、審査請求で三鷹署の決定を取り消すよう求めていた。
原処分庁である三鷹署がここにきて不支給処分を取り消したため、審査請求は取り下げざるを得なくなってしまった。審査請求の権利すら潰されたうえ、足立労基署で再び業務外になれば、これほどの酷い仕打ちはない。遺族の感情を躁躍し、愚弄するのも甚だしい。私たちは烈火のごとく怒り、三鷹労基署の次長、労災課長はただうつむくばかりでらちが明かなかった。

再び業務外の前例はありません

今年1月早々、東京労働局の労災補償課の監察官から電話が入った。昨年の三鷹労基署の説明が不十分だったので、あらためて説明したいと言う。Tさんと永倉、飯田とで東京労働局に出向き説明を受けた。監察官からは、「社会的な影響を考えると慎重に検討せざるを得ず、時間がかかってしまった。調査不足が明らかなので自庁取り消しとなった。これまで自庁取り消ししたもので再び業務外になった前例はない」という説明を受けた。そのためTさんは、審査請求を取り下げることを決心し、審査官に提出していた全ての資料を足立労基署に回送した。

ベビーパウダーばく露中皮腫認定の意義

そして3月下旬、ようやくTさんのもとに特別遺族年金の支給決定通知が届いた。三鷹労基署で業務外とされてから約1年半、思わぬ展開に翻弄されながらも認定を勝ち取ることができた。
Tさんの認定は大きな意義がある。ベビーパウダーの原料であるタルク(滑石)に混入していた石綿を認めさせたことである。ベビーパウダーは、少なくとも1987年に厚生省薬務局が指導文書を出すまでは規制対象になっていなかった。石綿健康被害救済法がなければTさんの救済はなかった。その意味でクボタショック以来の石綿問題に対する取り組みの成果である。
Tさんの夫の中皮腫の原因が、A工業時代のベビーパゥダーに含まれていた石綿であることを確信し、時効労災での認定を追求し続けた。こうしたTさんの闘いによって、石綿曝露の事実が掘り起こされ、新たな道が切り開かれたのである。

東京労働安全衛生センター

安全センター情報2008年6月号