近鉄高架下アスベスト被害(中皮腫)事件(01):建物内吹付アスベスト原因で胸膜中皮腫発症-発端/大阪
片岡明彦(関西労働者安全センター 事務局)
はじめに
2003年4月に「文具店を営む父が胸膜中皮腫になりました。2階の倉庫の壁にアスベストらしきものが吹き付けられていてそれが原因なのではないかと思う」という内容の相談電話が関西労働者安全センター事務所にあったのが事の始まりだった。
これを書いている今が2020年7月なので、およそ17年がたった。
父であるH氏は2004年7月20日に中皮腫で死去された。
2006年6月20日、ご遺族は、H文具店が入居していた近畿日本鉄道(近鉄)のある路線の高架下店舗の所有者である近鉄を相手取って損害賠償裁判を提訴し、大阪地裁、大阪高裁は原告勝訴、裁判は最高裁までもちこまれたのち、大阪高裁に差し戻しとなった。
そして2014年2月27日、大阪高裁判決で原告全面勝訴となり、被告近鉄は上告せず確定した。
H文具店は高架下商店街の一角にあったが裁判終結のあと、すぐとなりにある高架下商店街でも2人目の胸膜中皮腫患者が発生した。その間、近鉄は老朽化した商店街の吹付けアスベストについてきわめておざなりな対策をつづけた。商店会は要求をまとめ近鉄と交渉を重ねたのち一斉に立ち退いた。
いわゆる「近鉄高架下アスベスト被害(中皮腫)事件」(以下、近鉄事件)の発端から今日までを以下に記述していくのだが、近鉄事件は今なお終わってはいない。なぜなら、 アスベスト疾患、とりわけ、中皮腫の潜伏期間は長く、これ以上の被害者が出ない保証はどこにもないからである。
サンプル採取、分析結果
2003年4月、H氏ご家族からの相談電話のあとほどなくして、現場のH文具店を訪問、問題の2階倉庫の吹付けアスベストの状態を視察した。文具店店舗は、近鉄高架下の部分を区画に分け、店舗として近鉄が賃貸ししている物件であった。いわゆる「スケルトン貸し」で店舗の内装、外装工事は借主であるH文具店でなされ、2階部分が倉庫、事務スペースとして使用されていた。
吹付けアスベストとみられる吹付が施工されていたのは、近鉄の「ある路線」の高架下のコンクリート部分で、天井の高さから一定の高さまで施工されていた。したがって、倉庫部分の壁側は吹付けアスベストがむき出しのままのところが多く、露出もしていた。一部は内装壁板で覆われていた。見たところ吹付けアスベストである疑いが極めて濃厚で、青みがかった灰色であったので、主たるアスベスト成分は青石綿(クロシドライト)と予想された。青石綿の発がん性は他の種類のアスベストに比べてとても高い=発がん毒性が強いことはわかっていたので、現場の吹付壁面の劣化状況や飛散状況をみたときには、少し怖いなと感じた。すぐ上を頻繁に通過する近鉄電車の振動によって劣化の進行も早まっただろうと思われ、壁際には剥離した吹付材が少なからず落下していた。
分析試料用にプラスチックのフィルムケース分を採取した。現場からの帰路、すぐにアスベストのX線回折装置のある知り合いの研究者のところに持ち込んで分析してもらったところ、やはり青石綿だろうということになった。
この試料採取と最初の分析を行ったのは、2003年4月14日である。
そして、民間の分析機関に試料を送付して正式な分析報告書を作成してもらった。その報告書では、青石綿の含有割合は25%であった。これで、青石綿吹付アスベストであることが確定した。
記事/問合せ:関西労働者安全センター