指曲がり症公務災害(労働災害)・障害認定闘争が切り拓いた地平~過労性疾患の補償・予防に問題提起
片岡明彦(関西労働者安全センター事務局)
目次
指曲がり症認定闘争の重要な局面
自治労が取り組みはじめた、給食調理員の変形性手指関節症(通称・指曲がり症)公務災害認定闘争は、重要な局面を迎えていると思う。
要素は3つあり、第1に、公務上外を争った裁判闘争で3つの裁判が勝訴確定したことである。とりわけ重要なのは、堺市の3名の給食調理員を原告とする裁判での大阪高裁判決(今年2月27日)で、被告・地公災基金側の控訴が棄却され、地公災基金が上告しなかったことである(この堺市裁判は、自治労ではなく自治労連傘下の堺市職が取り組んでいた)。これで、地公災基金が内部的に採用してきた「認定基準」は、司法上は無効となった。
第2は、審査会段階で公務外認定が取り消されるケースが出てきたことことである。指曲がり症については、すべて「地公災基金本部協議」事案とされ、公務上外を一括して本部が決定しているのが実態で、本部事務局と本部嘱託医師群(氏名不詳)によって、公務上外が判断されている。厚生労働省管轄の労災保険ではあまり考えられないことである。こうして公務外認定を受けた事案が、行政認定手続の第二審にあたる支部審査会で、判断が覆されるケースが出てきた。川崎市支部審査会、奈良県支部審査会による逆転裁決である。いずれも、原処分段階では「指曲がり症ではない」として病気の存在を否定されて、「門前払い」された事案である。基本診断の部分で誤りを指摘されたわけで、「本部協議」の意義の根幹を揺るがす内容と言わざるを得ない。
第3は、障害補償に関して、障害8級の認定者が出現したことである。川崎市職調理員の不服審査請求に対する審査会裁決によるものだが、これによって、地公災基金の指曲がり症障害認定に関する、非常に狭く、不当な障害認定基準を突き崩す突破口ができた。また、第2の点とあわせ、地公災基金本部事務局と嘱託医師群が形成してきた「指曲がり症に関わる医学的見解」が、全体としてもはや通用しなくなってきていることを示す現象と理解できる。
地公災基金本部が作り上げてきた指曲がり症認定制度(公務上外認定基準、障害認定基準を柱とする)の科学的、合理的根拠はもはや瓦解したといえるのである。
このような成果を上げた指曲がり症認定闘争は、そのものとしても優れた運動であるといえるが、この運動は、より普遍的な意義をもつものとなってきた。作業関連性疾患の労災認定問題として、また、地公災基金の改善問題として、今後につながる成果を上げてきていると思う。
今なおあらためて指曲がり症認定中請に取り組む価値がある。これは同時に一斉認定闘争開始から15年経った「今」の給食調理職場を見直すきっかけにもなる。新たな中請の動きが広まれば、動きのとれない地公災基金に新たな判断を強く迫ることとなり、指曲がり症問題だけではなく、ひいては地公災基金制度のウミを一気に切開できる可能性がある。自治労が提唱し推進したこの運動は、様々な人々 の力で当初の予想を超える成果を勝ち取っており、さらなる可能性を秘めるに至ったといえるだろう。
また、闘争開始からこれまでの間には、密接に関連するかたちで新たな「学校給食事業における安全衛生管理要綱」(1994年4月労働省)が出され、同じ原因と考えられる手根管症候群の多発が学会で指摘され、給食調理職場における様々な調査研究、改善活動が前進したなど、様々な出来事があったことも押さえておかなければならない。
認定闘争をはじめとするこれまでの運動や調査研究の成果を踏まえ、認定制度の大幅改善を地公災基金・当局に迫るとともに、認定闘争開始から15年、大きく変化した学校給食調理職場における安全衛生・作業関連疾患に関する調査、研究、改善プロジェクトが、自治労を中心として収り紺まれるべき時期に来ているのではないだろうか。
表1 指曲がり症公務災害認定に関する主な経過
1988.5 | 岡山県美作町の給食調理員が指山がり症(変形性手指閾節症)で地公災基金岡山県支部に公務災害認定申請(全国初) |
1988秋以降 | 自治労が全国一斉中請運動はじめる |
1989~1991 | 地公災基金からの委託で「学校等給食施設における給食調理員の勤務実態に関する労働衛生学的調査」(中央労働災害防止協会)実施。(中災防報告) |
1992.3 | 中災防報告公表 |
1993.3~ | 「一斉認定中請」に対する公務上外一括認定通知 |
1997 | 安来市調理員1名が提訴(被告:地公災基金島根県支部長、松江地裁) 豊中市調理員2名が提訴(被告:地公災基金大阪府支部長、大阪地裁) |
1998.11 | 障害補償申請者26名に対して障害認定一斉通知(地公災基金)-9名(12級1名、14級8名)認定、17名等級外で非該当 |
1999.8.25 | 堺市調理員3名が提訴(被告:地公災基金大阪府支部長、大阪地裁)※1997年11月27日公務外認定処分 |
2001.4.25 | 豊中市裁判大阪地裁判決(平成9年(行ウ)第63号公務外認定処分取消請求事件松本哲泓裁判長)、原告勝訴(確定) |
2001.5.23 | 堺市裁判大阪地裁判判決(平成11年(行ウ)第61号公務外認定処分取消請求事件松木哲泓裁判長)、原告勝訴(被告控訴) |
2001.7 | 川崎市調理員1名の公務外認定処分取消裁決(地公災基金川崎市支部審査会)、審査請求では初めての取消裁決 |
2001.12 | 上記に加え川崎市調理員2名の公務外認定処分取消裁決 |
2002 | 宝塚市調理員1名が提訴(被告:地公災基金兵庫県支部長) |
2002.12.27 | 橿原市調理員6名中5名の公務外認定処分取消裁決(地公災基金奈良県支部審査会) |
2003.2.10 | 安来市裁判松江地裁判決(平成9年(行ウ)第5号公務外認定処分取消請求事件横山光雄裁判長)、原告勝訴(確定) |
2003.2.19 | 川崎市調理員2名の障害認定非該当認定処分取消裁決(「非該当」だったものが9級、14級に) |
2003.2.27 | 堺市裁判大阪高裁判決(平成13年(行コ)第55号公務外認定処分取消請求控訴事件吉原耕平裁判長)、控訴棄却(確定) |
現在までの認定数は114件
指曲がり症認定状況の詳細について、地公災基金が明らかにしていないために、正確な数字はつかめないのだが、「安来市裁判判決より前までの認定件数累計は110件」(地公災基金担当者談)とのことなので、これに勝訴確定した安来市原告1名、そのあとの堺市原告3名をあわせると114件ということになる。
まず、指曲がり症の公務上外、障害補償認定状況の経過を若干振り返ってみる。
(1)一斉申請運動開始(1988年)から公務上外認定一斉通知(1993年)まで
自治労によると、この期間の認定結果は全体としては表2のとおりで、この第一次申請者173名のうち、公務上は73名、公務外は100名だった(認定率42%)。
なお都道府県別の数字は(数字が若干異同するが)、表3のような状況だったということである(『ブックレット自治体労働と安全衛生①新版学校給食一調理員の安全と健康』102頁)。
(2)一斉通知(1993年)以降、豊中市・堺市大阪地裁判決(2001年5月)まで
一斉通知以降、自治労本部は各当該単組と都道府県本部に取り組みを委ねた。
一斉通知で公務外とされた100名のうち、地公災基金各支部審査会に対して、公務外認定処分取消を求め審査請求したのは40名程度だったとされ、その結果はすべて棄却だった。そして、地公災基金本部審査会に再審査請求したのは、さらに少ない人数だったが、これらもすべて棄却された。ユ997年、再審査請求で棄却された安来市1名、豊中市2名が提訴した。
1999年には自治労連堺市職に所属する堺市3名が提訴した。堺市3名は1996年に認定申請し、1997年に公務外認定を受け、再審査請求中に提訴したものだった。
この時期以降、自治労本部が先頭に立つ体制が解除されたこともあって新規の申請の規模は縮小したものの、裁判、審査請求とともにそれなりの件数が取り組まれた。
自治労奈良県本部に属する橿原市職では、一斉申請時の4名に加えて、12名が認定された(公務外は3名)。
- 1996年9月20日に5名申請、1997年3月7日に5名全員公務上認定。
- 1998年2月2日に10名申請、1999年11月12日に2名公務上、8名公務外。
- 公務外8名のうち6名が審査請求し、2002年12月25日に5名公務上、1名棄却裁決(表1)。
自治労兵庫県本部では、1997年3月に約40名の一斉申請を行い、1998年2月時点までにそのうち約3分の1について処分が決定し、うち9名が公務上となっていた。そして、これも含めて2001年5月時点までに、
- 神戸市ー申請25名に対して、公務上13名、公務外4名、未定8名
- 尼崎市ー申請13名に対して、公務上4名、公務外9名
- 明石市一申請2名に対して、公務外2名
- 宝塚市一申請2名に対して、公務外2名
との結果となり、申請42名に対して公務上17名、公務外17名だったとされる。公務外とされた事案のうち、尼崎市で審査請求、宝塚市で審査、再審査請求、そして裁判(表1)が取り組まれてきている。
自治労川崎市職労では、6名が申請し、6名が認定されている。
・1997年3月に6名が申請、1999年12月に3名公務上、3名公務外。
・この公務外3名が、2000年2月審査請求し、2001年7月に1名、2001年12月に2名が公務上と裁決された(表1)。
・一斉申請時の3名の認定者について障害認定申請が行われ、2001年3月にすべて「非該当」とされたが、そのうち2名が審査請求し、2003年2月19日取消裁決(8級、14級)。(表1)
自治労千葉市職労では、1997年11月に1名が認定されている。
以上、一斉申請よりあとの奈良県橿原市、兵庫県、川崎市、千栗市の公務上認定件数を合計すると合計36名。
前述のように、地公災基金は安来市、堺市の4名を除いて、これまでの公務上認定件数は110名としており、一斉申請・一括通知時の公務上認定件数73名を差し引くと37名となり、上記36名の他にあと1名が公務上認定を受けていると考えられる。
「障害補償決定上の考え方」
この期間は、指曲がり症についての障害認定も行われているが、これが問題であった。
1993年の一括通知以後、認定者の退職に伴い障害認定中請が順次行われたが、これに対して、地公災基金本部は、通常の障害認定基準を適用せず、独自に内部基準を策定、申請者を長期間待たせたあげく、1998年11月に非常にひどい内容を決定し、通知した(表1)。以降の障害申請に対しても、すべてこの基準を適用しており、川崎市の事案も同様である。その「独自の内部基準」とは、次のものである。
指曲がり症に係る障害補償決定上の考え方
指曲がり症が公務上の災害として取り扱われる場合であっても、その増悪に関して公務との相当因果関係が認められるものであり、当該疾病自体はあくまで私病であることから、当該疾病によって障害が残存したとしても、当該残存障害が早晩生じるものである以上、当該残存障害と公務との問には、相当因果関係は原則として認められない。
しかしながら、通常認められる程度を超える障害が残存すると医学的に認められる場合については、公務の一定の関与があったものと推認することが相当であることから、公務との相当囚果関係が認められる余地があると判断し、以下の場合については、障害補償を行うこととする。
(1)疼痛について
圧痛、叩打痛、運動時痛が残存しても「常時疼痛を残すもの」とは認められない。
しかしながら、以下の場合には、疼痛として障害補償を行うこととする。
- 両手指にローレンス分類の症度3度及び4度の指節間関節が広範に存在すること。
- 治ゆ時に同部位のいずれかに運動時痛が発生していること。
- 治ゆ時において同部位のIP、PIP関節又はMP関節のいずれかの運動可動域が正常運動可動域の50%以上制限されていること。
のいずれをも満たす場合、障害等級第14級(準用)と決定する。
なお、「広範」とは、両手指のDIP関節の他にIP、PIP関節又はMP関節を必ず含んで8関節以上とする。
(2)機能障害について
- ローレンス分類の症度3度及び4度のDIP関節が強直又はこれに近い状態にあるものは、「手指の末関節を屈伸することができなくなったもの」を適用する。
- ローレンス分類の症度3度及び4度のIP、PIP関節又はMP関節の可動域が正常運動可動域の50%を超えて著しく制限されている場合は、「手指の用を廃したもの」とする。
なお、著しく制限されている場合とは、治ゆll寺、鑑別時において75%以上制限されている場合とする。(不可逆性を評価) - ローレンス分類の症度3度及び4度のIP、PIP関節又はMP関節の可動域が治ゆ時において正常運動可動域の50%程度を上回る制限があり、鑑別診断時においても正常運動可動域の50%程度を上回る制限がある場合は重症例であるので、運動痛がなくても疼痛と評価して障害等級を決定する。
(3)欠損障害について
欠損障害については、補償法別表において、「手指を失ったもの」、「指骨の一部を失ったもの」とされており、失ったものとは、切断したもの、離断したものをいい、一部を失ったものとは、指骨の一部を失っていることがエックス線写真において明らかであるもの又は遊離骨片が認められるものをいうことから、指曲り症の障害は、欠損障害に該当しない。
この文書は、①指曲がり症は本来私病であって増悪だけが公務上疾病であり、残存障害は原則公務上としては認めないとする考え方、②通常の手指の障害認定基準とは異なる技術的判定基準の採用、という2つの特徴をもつ。しかし、このようにあまりに問題なものは、逆に、「とても脆い」という性格をあわせ持つものである。
基礎疾患としての高血圧症をもった方が、過労によって脳出血を起こし、業務上認定されたとしよう。半身不随の障害が残存した場合に、その後遺障害を、業務上部分とそうでない部分に分けて、前者だけを障害認定の対象としようとするのは不可能なのである。慢性有機水銀中毒である水俣病で問題になったように、症状としての末梢神経障害を、有機水銀中毒による末梢神経障害とそうでない末梢神経障害に判別することも不可能なのである。このようなことを指曲がり症について地公災基金はやろうとしている。
ほとんどの疾病は多要因である。
ある要因をもつ集団とその要因を持たない対照集団との間でその疾病に関する発症頻度に差があることに着目し、罹患率比、オッズ比などで相対危険度を算出して原因を定量的・定性的に評価し、その分析に基づいてその要因を制御することで、問題となっている疾病の発生を低減させることができる。ある要因が作業(職業)に関連する要因であるとき、その疾病は作業関連疾患ということができる。
「職業性疾病」という言葉を使おうと中身は同じことである。そうした考え方で職場の労働者に発生している健康障害を見直すことは、予防面で大きなプラスになる。作業関連疾患の概念が、予防にとって有用な概念であるとはそういうことである。指曲がり症は、手指をよく使う職業に従事する人の作業関連疾患である。調理員はその典型例であるに過ぎない。そして、こうした因果関係の考え方は、補償に際しての認定面にも適用できることは当然である。
「本来私病」という見解自体が、地公災基金当局の妄想というほかないし、「増悪だけが公務上」など本来あり得ない。そうしたことを理由に、通常の障害認定基準よりも基準を厳しくして、等級を値切ることなど許されないし、できることでもないのである。
医学的根拠を持たず、しかも従来の労災補償制度における障害認定基準を無視した指曲がり症障害認定基準には、地公災基金本部と嘱託医師群の指曲がり症に対する基本的考え方と姿勢がよく表現されている。
1998年n月に、この障害認定基準によって地公災基金が一括処理した以降、公務上外認定においても、同根と考えられる出来事が起こっている。
奈良県橿原市調理員については、それまで申請者全員が認定されていたものが、1998年2月2日申請分の10名については、問題の一括障害認定(1998年11月)よりあとの1999年11月処分決定時には、実に8名が公務外とされてしまった。
理山は、「変形性手指関節症とは考えられない」ということだった。2002年12月25日には、うち5名についてはその判断が覆ったが、未だ1名については、再度「変形性手指関節症ではない、年齢相応の退行性変化である」とされた。同じ「変形性手指関節症」という症状をみて、年のせいなのか、作業によるものかが判断できる」、「そもそも私病だ」といった基本認識に基づく「判断」がされていることがわかる。
尼崎市調理員で蕃査請求中の事案は、「甲状腺機能障害によるもの」として公務外とされたものである。川崎市調理員で障害等級について不服審査請求し、2003年2月19日の取消裁決によって「8級」と判断された事案は、「全身性の関節症の一部であってそもそも公務外。よって障害も非該当」と判断されていたものだった。
尼崎市、川崎市の事案については、要するに、1998年11月の一括障害認定頃から以降、科学的に間違った、しかも、医学的に低レベルの判断が本部サイドで行われ続けてきている、という実態がある。
橿原市、川崎市の取消裁決はあったが、橿原市で1件はまた棄却されていること、川崎市で8級に認定され直したものの、認定にあたっての考え方は.1998年11月の「考え方」が適用されていることをみるならば、たとえ審査会で修正されたとしても、その裁決は、地公災基金のメンツに配慮した政治的なものに止まっており、根本的には何も変わってはいないと認識すべきである。
前述したように、「考え方」は非常に脆弱であるにもかかわらず、基本的に温存されたままである。1998年11月の一括障害認定結果が不当なものにもかかわらず、審査請求はまったく取り組まれていないが、そのことが地公災基金を安心させ、あとの取り組みに尾を引いたことは明らかだろう。筆者は当事者でなかったので理由はわからないが、到底信じ難いことである。
次に述べるように、裁判闘争はほぼ完全勝利で、給食調理員の指曲がり症に関する公務上外判断のベースは司法上確立した。それは、「考え方」の基本認識とは相容れないものである。実際、法廷における地公災基金側の展開は、「考え方」そのものであり、その医学的中身は、きわめてレベルの低いものであった。
指曲がり症の「公務上外認定基準」完全崩壊
裁判闘争の結果、地公災基金が内部的に採用してきた認定基準は完全崩壊した。どの判決も、その認定基準自体を「違法」とは認定していないという意味では、「ほぼ」完全勝利である。しかし、地公災基金の上告がなかったため、堺市裁判大阪高裁判決が確定した現在、「誤診に基づく請求」といった場合でないかぎり、判例に基づけば指曲がり症の公務外認定取消訴訟は必ず原告が勝利すると断言できよう。
最近、堺市事案を地公災基金側で担当していた地公災基金大阪府支部を別件で訪ねた際、「大阪高裁判決が確定したが、これ以降の請求にはどう対処するのか」、と事務局の一人に尋ねたことがある。「今後の認定作業についての本部からの指示は今のところない。ただ、今後は堺市レベルの労働実績がある場合は、認定すると考えるのが自然だと思う」と言っていた。それはもちろん個人的見解に過ぎないが、まったく彼の言うとおりである。
地公災基金の認定基準はわかりやすいものである。ただ、時と場所で、その内容が少し変遷している。
表4は、一括通知時(1993年)に筆者が地公災基金大阪府支部から人手したメモの内容(これは1993年2月に自治労大阪府本部の要請に応じて、同支部が担当事案の公務外理由を説明したときに使用したもの)と、同支部が被告となった豊中市訴訟での被告準備書面の記載を対比したものである。
表4 豊中市裁判等での地公災基金説明の指曲がり症の公務上外に関する認定基準
また、堺市訴訟、安来市訴訟における地公災基金の説明は、表5のとおりであった。
表5 堺市、安来市裁判での地公災基金説明の指曲がり症の公務上外に関する認定基準
豊中市、安来市がほぼ同一である。同じ時期、つまり、1993年一括通知の時に公務上外が決定されたからだろう。
堺市については、「総平均調理食数200食以上」という要件が削除され、単独校と給食センターの区別がなくなっており、堺市事案判定時には、当初の認定基準を変更していたものと思われる。豊中市についての中にある「…多い年度が相当数ある」という表現における「相当数」とは、堺市、安来市に関する内容から、「半数以上」を想定していると思われる。
ところで、こうした「調理食数と経験年数」という「数量」を軸とする認定基準は、表1にある「中災防報告」がベースになっている。中災防報告は、指曲がり症と調理労働の関連性調査であり、「経験年数が10年を超え、かつ、総調理食数(各年度の1日平均調理食数を年数分合計したもの)が2,000食をこえると発症しやすくなる」としたことから、この記述をベースとして認定基準が作成された。
地公災基金の基本的考え方は、「指曲がり症は調理労働に特異的に起こる疾病ではない(多要因である)。したがって、よほど過重な調理労働をした人に発症した指曲がり症だけしか認定できない」、というものである。これは、他の疾病についても一貫した考え方である。前半分は真実だが、後半部分が問題なのである。
中災防報告を含めて指曲がり症に関する疫学調査はすべて、調理員集団において対照集団よりも指曲がり症が多発していることを示しており、「過重」というなら、調理労働そのものが、「過重」な手指作業だというのが論理的帰結である。
この調理員集団における指曲がり症の多発という事実を前にして、では、認定に際してどうするのか、つまり、これが認定基準であるが、地公災基金は、頸肩腕障害や腰痛の認定基準にも貫かれている上記の考え方を適用して(地公災基金はこれを過重性基準と表現している)、中災防報告の「経験年数10年超かつ総調理食数2000食超」に加え、「同規模施設の平均食数を上回る年度が半数以上ある」、などの「過重性基準」を設定した。
各判決は、この認定基準を、認定当局である地公災基金の裁量権の逸脱であり、すなわち違法であるとまでは断じていない。一般的に言って、行政当局の認定基準については、「それは行政の内部基準である。迅速に認定作業をするためのものであって、基準を満たさない場合でも認定されるものは当然あり得る」として、司法判断の際の参考基準として重視はするが、司法の場における判断はまた別物である、というのが裁判所の現在のスタンスである(不満ではあるがこれが現実)。
指曲がり症の場合も同様だった。ただし、地公災基金の設定した上記認定基準に対する見解は明快だった。
豊中市・堺市裁判大阪地裁判決文では、
「他方、被告は、中災防報告のいう目安を参考として、それらを満たしたうえ、なお、当該職員の平均調理食数が、全国の同等規模施設における平均調理食数を超える年度数が当該職員の経験年数の半数以上に及ぶことなどを公務上認定の運用基準にしているなどというのであるが、これは、詰まるところ、全国の平均的な水準以下の給食調理業務に従事している限りでは、変形性手指関節症発症の危険につながるような公務過重には至っていないという前提に立つものというべきである。しかるに、被告からは全国の平均水準以下の給食調理業務では変形性手指関節症の危険を内在しないという科学的な根拠は主張されていないし、これを認めるに足る証拠もない。
給食調理員の公務が、いかなる程度に達した段階で変形性手指関節症を発症させる危険を内在させるに至るかについて、一定の数値等をもってこれを示すことは未だ困難というほかないが、前述の上野らの報告(甲4)は、勤務年数10年以上の者の指曲症有所見者の比率が多いとしており、中災防報告の、食数を500食ごとに区切って有所見の割合を比較した別紙表F9によると、1,501食ないし2,000食における有所見割合が16.7パーセントでありへ累積割合が2.3パーセントから75パーセントに増加しており、また、同報告の勤務年数を5年ごとに区切って有所見の割合を比較した別紙表F11によると、6ないし10年において有所見割合が125パーセントであり、累積割合が0パーセントから6.8パーセントに増加しているのであるが、これらによれば、2,000食、10年を越えた点をもって目安とした中災防報告は合理性を持つものといえ、少なくとも中災防報告に示された目安にまで達しているときは、相当の危険を内在させるに至っていると認めることができるものというべきである。ただし、中災防報告は、右各表から明らかなとおり、調査対象の母数が多くないこと、1,501食から2,000食、6年から10年の各過程において有所見割合が増加していることからすれば、2,001食、11年といった数値は単なる目安であって勤務期間中の公務の内容を勘案して判断することを要するのは当然である。」
(※上野とは上野満雄氏(現・自治労顧問医、当時岡山大衛生)のことである)
安来市裁判判決文では、
「上記中災防判断基準は、一定量、一定期間の給食調理作業が変形性手指関節症発症の要因たり得るとの前提に立ちながら、平均水準以下の給食調理作業に従事している限りでは変形性手指関節症の発症につながるような公務過重には至っていないとの前提に立つものであるといえる。しかし、本件証拠をみても、そもそも、平均水準以下の給食調理作業では変形性手指関節症発症に至る危険が内在化しないとの事情はない。また、同様に総平均調理食数ないし平均調理食数が200食以下の場合には、変形性手指関節症発症に至る危険が内在化しないことを裏付けるに足る的確な証拠もない。そうすると、平均調理食数が全国平均のそれを上回る年数が少ないことや総平均調理食数が200食を下回っていることをもって、当該疾患の公務起因性を直ちに否定することは早計であるというべきである。
よって、以下では、当該職員の公務内容、性質、作業環境、公務に従事した期間等の労働状況、疾病発症の経緯、発症した症状の推移、公務以外の他疾患、他の危険要因の有無等、諸般の事情を総合的に判断して、当該公務と手指先端部の屈曲との間に相当因果関係が認められるか、具体的には、本件において、原告のなした給食調理作業に内在又は随伴する危険が現実化して当該疾病を発症又は増悪させたといえるか否かを検討することとする。」
堺市のケースでは、「経験年数10年、総調理食数2,000食」に達していない段階で、指曲がり症を自覚したり、診断を受けていた。この点について判決は、
「原告が最初に手指関節の変形に気付いたのは昭和53年であり、給食調理員としての経験が5年程度の時期であって、発症時期が早いということはいえるが、当初の症状は右中指だけで軽微であったものが給食調理員を継続している中で徐々に他の手指にも及び痺痛等も増悪したことが認められ、原告に右発症の原因となる要因が認められないことからすれば、経験則上、その間の因果関係を肯定するのが相当というべきである。」
としており、先の引用中にある「単なる目安」という表現の意味は、機械的線引きはできない、ということを意味しているわけである。
成果を制度改善の契機に
地公災基金の指曲がり症認定基準を、裁判所は認めなかった。疫学的証拠が明らかなこと、力学的負荷が指曲がり症の原因になると認められること、給食調理労働には発症原因となる力学的負荷が具体的に多数存在し、被災者がそうした労働に従事していたこと、を原告の主張どおり認めたわけである。先に紹介した「指曲がり症に係る障害補償決定上の考え方」のところで述べたように、「考え方」にいう「本来私病」とする「見解」と、判決の考え方とは相容れないことは明らかである。したがって、「考え方」による不当な障害認定制限について、司法上の争いを行えば、少なくとも、「非該当」として等級づけさえ拒否された多くの事案が救済される可能性は非常に高かったと言わざるを得ない。川崎市、橿原市の裁決内容もそのことを強く示唆している。
繰り返しになるが、「考え方」は地公災基金の最大の弱点であって、各裁判が勝利確定した今となっ
ては、即刻撤回、改善されるべきものである。ただし、おそらく地公災基金が自ら改めることはないので、やはり、指曲がり症の認定申請、障害認定申請を新たに起こして件数を増やしながら、改善を迫っていくことが必要だろう。1993年の一括通知のとき、あるいは1998年の一括障害認定のときとは、状況は全く変化したので、自信を持って各申請に取り組むことができるのである。
各個別闘争が成果を積み上げてきたの受けて、自治労本部レベルの取り組みを強化する絶好の機会であることは論を待たないだろう。安全センターは、そうした運動展開を積極的にサポートすべきであろう。
指曲がり症問題に止まらぬ展望
指曲がり症は上肢作業障害のひとつである。したがって、もし労災保険において労基署に労災請求するということになった場合、上肢障害認定基準が適用されることになる。ところが、この認定基準は、地公災基金の指曲がり症認定基準と同様に、本質的に「過重性基準」である。申請数の約4割を認定した地公災基金によるよりも、もっと狭き門となるかもしれない。
指曲がり症裁判が示した論理の最大のポイントは、「ある職業集団において疫学的証拠が明らかな作業関連疾患については、過重性基準で労災認定を行うことは不適切、不公正である」ということである。この批判は、上肢作業障害や腰痛などにも当てはまる。これら疾患の労災認定基準は、「労働負荷に関する同僚に対する比較過重性」を主たる認定要件としており、指曲がり症同様な、不適切、不公正な認定結果が多数を生じていることは、よく知られた事実である。
実際、腰痛、頚肩腕障害、過労死などをめぐる裁判では、同様な論理構成による被災労働者側勝訴の判決が、近年、最高裁判決を含め無視できない数だけ積み重ねられている。指曲がり症裁判の判決も、そうした業務外認定取消裁判における成果から好影響を受けたと考えられ(加えて、被告:地公災基金側が委託実施した中災防報告が、原告の主張を支持していたことが、ある意味決定的であったといえよう。)、また結果として、作業関連性疾患の業務上外が争われた裁判における、非常に質の高い、大きな意義を持つ先例判例となった。
したがって、今後の取り組みによって、指曲がり症裁判、審査会の成果を認定基準改定に結びつけられれば、これはまた、他の作業関連疾患の労災認定のあり方を見直す大きな契機となる可能性を秘めているのである。
また、指曲がり症の公務上外認定、障害認定が本部協議で行われていると述べたが、これは、いわゆる非災害性腰痛、上肢作業障害といった(非災害性の)職業性疾病のほとんどでやられているようである。そして、いずれも「本来は私病」という考え方で、公務上外認定、障害認定が行われていると思われ、たとえば、災害性に発症した椎間板ヘルニアを公務上と認めたとしても、「ヘルニアは本来は私病であるから」、急性症状だけを公務上、慢性症状は公務外とする、といった不合理な取り扱いが平然と行われている。こうした取り扱いや判断の中心にいるのが、地公災基金本部事務局と嘱託医師群であり、指曲がり症できわめて不適切な取り扱いをしてきた張本人であることは、この際重要な点である。
指曲がり症認定闘争を、さらにつきつめて追求していくことで、作業関連疾患全体の認定問題に風穴を開け、同時に、硬直した非科学的な地公災基金制度を大いに揺さぶることができるのである。
せっかくのチャンスを大いに活用したいものである。
安全センター情報2003年5月号