近鉄高架下アスベスト被害(中皮腫)事件(02):倉庫内吹付アスベスト原因の胸膜中皮腫、所有者・近鉄に損害賠償求め提訴:高架下店舗(文具店)/大阪
片岡明彦(関西労働者安全センター 事務局)
目次
近鉄の不誠実対応にやむなく提訴
大阪府内の近畿日本鉄道(近鉄)高架下の商店街の一角でH文具店を約30年間営んできたH氏は、2001年秋に胸膜中皮腫を発症、闘病の末2004年7月20日に死亡した。享年70歳。
H氏は原因はH文具店2階の壁に吹き付けられている石綿だと考え安全センターなどに調査を依頼、石綿であることを確認した後、家主である近鉄に対して謝罪と損害賠償を求めようとしていた矢先の死だった。
ご遺族はH氏の遺志を受け継ぎ、アスベスト訴訟弁護団(関西)(代表・浦功弁護士)を代理人として近鉄側に損害賠償を求めてきたが、近鉄側が不誠実な対応に終始したため、やむを得ずの提訴となった。
吹きつけ石綿が原因の中皮腫について、建物の所有主の責任を問う初めての裁判であり、安全センターとしても積極的に支援していくことにしている。
また、今回の問題は建物に吹き付けられた石綿が原因で中皮腫被害が発生することを示した。現在、教員の中皮腫患者など同様の被害が顕在化しつつある。
H氏の訴えは社会に対する命がけの警告なのである。
吹付アスベスト放置の責任問う
裁判を担当するアスベスト訴訟弁護団による本訴訟についての解説資料を以下に紹介する。
吹付けアスベストによる健康被害損害賠償請求訴訟の提起(解説:アスベスト訴訟弁護団)
アスベスト訴訟関西弁護団
代 表 弁護士 浦 功
事務局長 弁護士 位田 浩
1 当事者
(1)原告
鉄道の高架下建物内に吹き付けられたアスベストの粉じん曝露により悪性胸膜中皮腫に罹患し、2004(平成16)年7月20日に死亡した被害者の遺族(妻及び子3人)
(2)被告
①近畿日本鉄道㈱
②近鉄ビルサービス㈱
2 請求額
合計金額 73,256,546円(弁護士費用666万円を含む)
3 請求原因
(1)本件高架下建物への吹付けアスベストの施工と賃貸借
被告近畿日本鉄道㈱(以下「被告近鉄」という)は、鉄道の経営、土地建物の売買・賃貸等を主たる業とする会社であり、その傘下に約149社の子会社・関連会社を有し、売上高(子会社・関連会社を含む)が1兆1000億円を超える巨大企業であるが、1969(昭和44)年、○○駅付近の線路を立体交差事業により高架化した際に、同駅周辺の高架下を商店街とすべく、本件高架下建物(以下「本件建物」という)を含む貸建物を築造し、建物内部に吹付けアスベストを施工した。
本件建物は、不動産の売買・貸借・管理等を主たる業とする近鉄ビル㈱が㈱○○文具店に賃貸した。近鉄ビル㈱は1973(昭和48)年に近鉄不動産㈱に商号変更した後、2002(平成書4)年4月1日に被告近鉄と合併した。
被告近鉄ビルサービスは、被告近鉄と近鉄不動産㈱との合併に先立つ2002(平成14)年3月12日、近鉄不動産㈱から本件建物の賃貸人としての地位を承継した。
(2)アスベストについて
ア アスベスト(石綿)とは
アスベストは、単一の鉱物名ではなく、一群の 繊維状(ほぐすと綿のようになる性質をもった) 鉱物の総称である。これまで工業的に使用されて きたアスベストは、蛇紋石族であるクリソタイル (白石綿)と角閃石族であるアモサイト(茶石綿)、 クロシドライト(青石綿)、アンソフィライト、トレモライト及びアクチノライトの6つに分類される。このうち、実際に大量に使用されてきたのは、 クリソタイル(白石綿)、アモサイト(茶石綿)、クロシドライト(青石綿)である。
アスベストは、耐摩擦性(摩擦・摩耗に強い)、 耐熱性(燃えないで高熱に耐える)、断熱・防音・吸音性(熱や音を遮断する)等の物質的特性を持ち、経済的にも安価であったことから、糸や布な どの紡織品、屋根や外壁に使われるスレート・ ボード類や煙突・上下水道に使われるパイプ、 パッキングやガスケットなどのシール材、プレーキライニングやクラッチフェーシングなどの摩擦材、ボイラーや加熱配管などの熱損失を防ぐための保温材、耐火・断熱・吸音・結露防止目的での石綿吹付け材など、産業界において幅広く使用されてきた。
他方で、アスベストは、人の生命・身体・健康に深刻な被害を及ぼす有害性を持っている。
アスベストは縦にさける傾向があり、次々と細かい繊維となっていく。こうした微細なアスベスト繊維は、細いものになると直径0.02~0.03ミクロン程度の太さしかなく、人が呼吸をする際に鼻や気管・気管支の繊毛を通り抜けて呼吸細気管支・肺胞に到達する。アスベスト繊維は、呼吸細気管支や肺内に沈着し、後述のような石綿関連疾患を引き起こすのである。
アスベストの中でもクロシドライト(青石綿)は、発がん性などの有害性が最も強いものであり、少量の曝露でも致死的疾患である中皮腫を引き起こす危険がある。
イ 日本におけるアスベストの使用状況
日本では、明治20年代にアスベスト製品の輸入が始まり、富国強兵、殖産興業の国策のもとでアスベストが大量に使用された。その後、1942年から48年までは太平洋戦争の影響により輸入が途絶えたものの、戦後は1949年にGHQの許可を受けて石綿が輸入され、その後輸入量は増加の一途をたどった。1960年代初めには年間10万トンを超え、1970年には30万トン近くに達した。1974年には35.2万トンの最高を記録し、その後、増減を繰り返しながら減少していったが、日本にこれまで輸入されたアスベストの量は1000万トンを超え、これらがほぼ全部使用された。
日本での主な使用先は、石綿紡織品、石綿含有建築材料、シール材、石綿板・石綿紙、摩擦材、保温材、吹付け石綿、石綿タイルなどである,,吹付け石綿の日本での使用開始は、1950年代とされている。
ウ アスベストの曝露機会
人がアスベストの曝露を受ける機会は少なくない。アスベストは、幅広く工業原料として活用されてきたことから、様々な業種・業界で働く労働者が曝露を受けることになった。また、それらの労働者の家族やアスベスト使用工場の近隣の居住者においても、アスベスト曝露を受けることがある。
アスベスト繊維は微細であり、非常に軽い。一旦空気中に舞い上がったアスベスト繊維が床面に到達するまでには何時間もかかることになる。そのため、アスベスト繊維が落ちている場所を人が 歩くと、アスベスト繊維が簡単に空中に舞い上がり、人が曝露してしまうことになる。
建物内の吹付け石綿は、吹付け施工されてから 低濃度であるが徐々に飛散し、吹付けのある部屋 内に居住する人がアスベスト粉じんを吸入するこ とになる。
エ アスベスト曝露の医学的所見
アスベスト曝露を受けた者には、胸膜肥厚斑及び石綿小体という特徴的な医学的所見が認められることがある。これらの医学的所見がある場合は、アスベスト曝露の指標とされるが、吸入した石綿の種類や曝露量や曝露期間に応じて出現率は異なり、必ずしも被曝露者全員に見られるものではない。
オ アスベストに関連する疾患
アスペスト(石綿)関連疾患とは、アスベストを吸入することによって生じる疾患のことであり、現在、石綿肺、肺がん、中皮腫及び良性石綿胸水・びまん性胸膜肥厚が知られている。
(3)亡○○のアスベスト曝露と悪性中皮腫の罹患
ア 本件建物の吹付けアスベストの状況
本件建物は、○○駅の高架下に東西に延びる商店街の一角に存在する。本件建物は1辺が約8~9メートルの方形をしており、室内は高さが約5メートルある。壁面のうち天井端から約1.1~3.2メートルの幅で、クロシドライト(青石綿)を25パーセント含有する吹付け材が吹き付けられていた。吹付け材の厚さは約3cm程度である。
亡○○が店長をしていた○○文具店は、本件建物を1階部分と2階部分に分け、1階部分を店舗とし、2階部分を倉庫(兼事務所)として使用してきた。その結果、アスベストが吹き付けられている部分は、2階倉庫に含まれることとなった。2階には、文房具類の在庫商品を置く棚を設置して商品を置いておくぼか、帳簿等を付けるための机や椅子などを置いていた。
イ 本件建物内におけるアスベスト粉じんの飛散・発生状況
本件建物においては、1970(昭和45)年ころから、吹付け材に含有するアスベスト繊維が粉じんとなって飛散し、2階倉庫内の商品棚や商品、床面などに降り積もっていた。
本件建物は電車の走る線路の高架下にあり、本件建物の天井や壁は電車が通過するたびに轟音とともに振動が生じていた。このような振動により、吹付け材の劣化が進行することになり、飛散するアスベスト粉じんの量は徐々に増加していった。
亡○○は、商品の出し入れ等のために毎日頻繁に2階倉庫内に立ち入り、その際には、床や商品棚のアスベスト粉じんが大量に舞い上がった。また、商品棚にたまっている粉じんを払い落としたり、箒で床の掃き掃除をした際には、大量のアスベスト粉じんが発生した。1990(平成2)年ころ以降には、吹付け材の劣化も激しくなり、棚や床に積もった粉じんはさらに増えてきた。
ウ 亡○○のアスベスト粉じん曝露の状況
亡○○は店長として、毎日、午前8時頃には本件建物に出勤して店を開け、午後8時頃に閉店するまで本件建物内で過ごした。亡○○が2階倉庫に上がってアスベスト粉じんに曝露した機会は、次のとおりである。
- 1日に5~6回、文具の納入業者が納品する際、2階倉庫に荷物を搬入するために上がった。
- 文具店は、商品の20~30パーセントを店に展示し、それ以外の商品は倉庫に置いており、客が展示商品以外のサイズや色を望む場合や大量に商品の注文を受ける場合に、多い日で 約50回、少ない日でも約20~30回は2階倉庫に上がった。
- 週に数回、売れ筋の商品を取り出しやすくするために約1時間2階倉庫の在庫商品の整理整頓を行っていた。また、毎月の締め日の直前には2階倉庫内の机に向かって伝票の整理等を集中的に行っていた。
- 月に1~2回は、家庭用竹箒を使用して2 階倉庫内を20~30分かけて清掃していた。その際に集められる粉じん(アスベスト繊維が大量に含まれる)は、毎回ちりとりに一杯となった。1990(平成2)年頃に掃除機を購入した後は、掃除機により掃除を行うようになったが、掃除機のはき出す排気のために大量に粉じんが舞い上がった。年末には数時間かけて大掃除を行った。
- 毎年の棚卸しの際には、在庫商品の上に積もっている粉じんをはたき落としていた。とくに、2階倉庫の壁際に設置した商品棚の在庫商品には大量の粉じんが積もっており、強い息を吹きかけて、落としたりしていた。
- 亡○○は、2階倉庫の事務机や床で仮眠を取ることもあった。
亡○○は、1970(昭和45)年から2002(平成14)年6月までのおよそ32年の長きにわたり、以上のような日常業務をほとんど年中無休で行ってきた。
したがって、亡○○は、30年以上にわたって本件建物内の空気中のアスベスト粉じんを吸入していたのである。
工 剖検肺等の分析結果
亡○○の剖検肺を用いて石綿小体の算定を光学顕微鏡で行ったところ、石綿小体が肺乾燥重量1グラムあたり平均72本検出された。これは、一般人の約2倍の検出量である。
電子顕微鏡を使ったアスベスト繊維の分析では、肺内石綿濃度は、乾燥1グラムあたり1900万本で、職業的石綿ばく露がない場合(乾燥1グラムあたり183万本)の10倍以上であった。また、検出された石綿の85パーセントがクロシドライト(青石綿)であった。なお、クロシドライトは一般の大気環境中に検出されることは稀である。
オ 亡○○の悪性中皮腫の罹患
以上のとおり、本件建物においては、内壁に吹き付けされたクロシドライト(青石綿)を含む吹付け材の劣化に伴って、大量のアスベスト粉じんが飛散し、亡00がこれを吸入したことは明らかである。
亡○○は、2001(平成13)年11月ころから次第にせきが酷くなり、夜も寝付けない日が続くようになった。2002(平成14)年になって近くの病院で診察を受けた結果、胸水が確認された。同年6月10日、○○病院に検査入院し、悪性胸膜中皮腫の診断を受けたが、同院では治療が困難であるため、○○医大病院を紹介された。
2002(平成14)年7月、亡○○は、○○医大病院に入院して胸腔鏡検査を受け、同病院において悪性胸膜中皮腫上皮型の確定診断を受けた。
カ アスベスト曝露と悪性胸膜中皮腫発症との因果関係
悪性中皮腫は、アスベスト曝露を原因とする特異的な疾患であり、日本では、他に原因はぽとんどみあたらない。
労災の認定基準においても、石綿曝露作業に従事したことのある労働者が中皮腫を発症した場合、石綿曝露作業の従事期間が1年以上ある場合は、石綿曝露による業務上疾病として取り扱われることになっており、アスベスト曝露と悪性胸膜中皮腫との間に因果関係の存在することが当然の前提とされている。
亡○○の出生後死亡までの居住地には、アスベスト(クロシドライト)曝露を受けるような環境はなかった。また、文具店で仕事を始めるまでの職歴を見ても、石綿曝露作業をしたことはなかった。亡○○がアスベストを曝露する機会としては、本件建物以外には存在しない。
以上の事実を総合すると、亡○○が本件建物内においてアスベスト粉じんの曝露を受けたことにより悪性胸膜中皮腫に罹患したことは明らかである。
(4)アスベストの危険性に関する知見
ア 海外における一般的知見
1907(明治40)年にイギリスのMurray医師が石綿肺の報告を行って以来、石綿による石綿肺、肺がん、中皮腫の発症例の報告が多数なされた。
1955(昭和30)年、イギリスのDollがコホート調査を行い、石綿曝露による肺がんのリスクが10倍になると報告した。
1960(昭和35)年、国際じん肺会議において、南アフリカのWagnerらは、クロシドライト鉱山のある南アフリカで4年間に33例の胸膜中皮腫を経験し、うち32例は石綿鉱山の従事者およびその家族、鉱山付近の居住者、石綿運搬従事者などに石綿ばく露歴を認めたことを報告し、悪性中皮腫と石綿ばく露との因果関係を疫学的に明らかにした。
1964(昭和39)年には、ニューヨーク科学アカデミーが主催する「石綿の生物学的影響」と題する国際会議、国際対がん連合(UICC)が主催する「石綿とがん」と題する国際会議が相次いで開催され、石綿の発がん性が各国から報告された。
1972(昭和47)年の国際がん研究機関(IARC)が主催した「石綿の生物学的影響」と題する国際会議においては、アンソフィライト以外の全ての種類の石綿が中皮腫を引き起こし、中でもクロシドライトが最も危険性が高いことが報告された。また、同年には、国際労働機関(ILO)及び世界保健機関(WHO)が石綿の発がん性を指摘した。
イ 日本における知見及び労働行政の対応
1927(昭和2)年、大阪鉄道病院の鈴木医師が日本初の石綿肺の報告を行った。
1937(昭和12)年から1940(昭和15)年にかけて、保険院社会保険局健康保険相談所大阪支所長らにより、大阪府泉南郡の石綿工場従業者の健康障害の調査が行われ、X線撮影した251名中65名に石綿肺が発見されたとの報告がなされた。
1947(昭和22)年、労働基準法施行規則により、石綿肺が業務上疾病に指定され、労災補償の対象とされた。
1952(昭和27)年、奈良の石綿工場において実施された検診により、203名中10名に石綿肺が発見されたとの報告がなされた。
1956(昭和31)年、労働省労働衛生試験研究として「石綿肺の診断基準に関する研究」議題が要望され、共同研究班が組織された。その調査結果において、石綿工場での作業従事者に有意な石綿肺所見率が認められたとの報告がなされ、1958(昭和33)年には上記研究の報告書が提出された。
1960(昭和35)年、石綿肺を保護範囲に含むじん肺法が制定された。
労働省は、昭和46年(1971年)1月5日付け基発第1号「石綿取扱い事業場の環境改善等について」において、「最近、石綿粉じんを多量に吸入するときは、石綿肺をおこすほか、肺がんを発生することもあることが判明し、また、特殊な石綿によって胸膜などに中皮腫という悪性腫瘍が発生するとの説も生まれてきた」と記述し、「石綿粉じんを多量に吸入するときは」「肺がんを発生することもある」と石綿のがん原性(肺がん)について言及した。
同じ1971(昭和46)年4月、特定化学物質等障害予防規則(労働省令第11号)が制定され、石綿は日常の作業で労働環境の空気汚染を起こす「第2類物質」に指定された。
1972(昭和47)年6月、労働安全衛生法が制定・公布され、石綿は労働者に健康障害を生じるおそれのあるものとされた。同年9月には、新たに特定化学物質等障害予防規則(労働省令第39号)が制定され、石綿粉じんが飛散する屋内作業場において排気装置の設置等により労働者の健康障害予防措置をとるべきことを定められた。
1973(昭和48)年7月に小泉岳夫らが「Asbestosisを伴った胸膜中皮腫の1例」と題する論文を、1974(昭和49)年8月には姜健栄らが「石綿肺に合併した胸膜中皮腫の1例」と題する論文を発表し、胸膜中皮腫の発症例を紹介した。
1975(昭和50)年9月には、特定化学物質障害予防規則が改正され、石綿等の切断作業、解体作業時に労働者の健康障害予防措置をとるべきことを定めるとともに、吹付けアスベストを原則禁止した。
1976(昭和51)年に「石綿粉じんによる健康障害予防対策の推進について」(基発第408号)が出され、石綿を可能な限り有害性の少ない他の物質に代替させること、石綿により汚染された作業衣からの2次汚染を防止するため、作業衣の洗濯や持ち出し禁止等清潔の保持の徹底を図ることなどが規定された。
ウ 吹付けアスベストの飛散の危険性
吹付けアスベストは、単にアスベスト繊維に水やセメント等を混合して天井や壁に吹き付けたものであるから、経年劣化により、吹付けアスベスト層の表層部から次第にアスベスト繊維が毛羽立ち、表層部のアスベスト繊維がほぐれて飛散し出すようになる。さらに、吹付けアスベスト層が局部的に剥離して落下したり、層自体が下地からはがれたりして、大量のアスベスト粉じんが発生するようになる。
このような吹付け材の劣化によるアスベスト粉じんの飛散の可能性は、吹付け工法が実施されていたころから当然予測できたものである。
エ まとめ
以上のとおり、人の生命・身体・健康に対するアスベストの危険性については戦前から広く知られており、世界的には、1950年代前半には石綿肺のみならず、アスベストによる肺がんや中皮腫の発症例が多数報告され、1960年のワグナー論文により、環境曝露、家庭曝露を含むアスベスト曝露と悪性中皮腫発症との因果関係が疫学的に証明された。さらに、1964年には、複数の国際会議において相次いでアスベストの発がん性が報告された。これに対し、日本においても、1937年(昭和12)年以降、石綿肺の調査等が実施され、1947(昭和22)年には労働基準法施行規則により石綿肺が業務上疾病に指定されて労災補償の対象とされた。1956(昭和31)年には労働省労働衛生試験研究として「石綿肺の診断基準に関する研究」が開始され、1960(昭和35)年、石綿肺を保護範囲に含むじん肺法が制定された。
以上のような状況に照らせば、遅くとも1964(昭和39)年頃までには、アスベスト粉じんが人の生命・健康に重大な影響を及ぼすことは、医学界のみならず広くアスベストに関わる産業界においても知見は確立していたものである。
(5)被告らの責任
ア 被告近鉄の責任
a 一般不法行為責任
被告近鉄は、駅高架下に付属する本件建物を所有するものである。
建物の所有者は、自己の所有する建物について、人の生命・健康を害する危険が生じた場合には、建物所有者自らがその危険を除去するか、または、建物の使用者に対し、その旨警告して安全対策をとらせる注意義務がある。とりわけ、建物所有者が土地建物の売買・賃貸等を業とする者である場合、売買または賃貸にかかる建物の構造上の安全性能や当該建物に使用されている建材・塗料等の安全性などについて、より高度な注意義務が課されるべきである。
被告近鉄は、鉄道の経営のほか土地建物の売買・賃貸等を主たる業としているが、被覆材として使用される吹付けアスベストから飛散する粉じんが人の生命・健康を害する危険が生じることを当然に予見することができたものである。本件建物については、壁に吹付けアスベストが施工され、しかも人の生命・健康等にもっとも有害なクロシドライトが使用されており、その吹付け材からアスベスト粉じんが飛散して本件建物を使用している亡○○らが曝露を受けるおそれがあることを容易に知ることができたのであるから、アスベスト粉じんが飛散することのないようにするため、吹付けアスベストの吹き付けられている壁面を非石綿建材で覆って囲い込むなどの飛散防止措置をとるべきであった。吹付けアスベストを囲い込むことは特段難しい技術ではなく、本件施工時にも容易におこなうことができた。また、仮に被告近鉄がそのような飛散防止措置をできないとすれば、本件建物を管理・使用している近鉄不動産または○○文具店に対して、本件建物にはアスベストが吹き付けられており、アスベスト粉じんが飛散するおそれがあるので、粉じんの曝露を受けないように対策をとるよう警告すべき注意義務があった。
しかしながら、被告近鉄は、そのような飛散防止措置はおろか、警告することすらせずに放置したため、亡○○は、本件建物内で飛散し続けた大量のアスベスト粉じんの曝露を受け、悪性胸膜中皮腫に罹患したものである。
したがって、被告近鉄は、民法709条により、亡○○やその相続人である原告らがこうむった損害を賠償する責任がある。
b 工作物責任
被告近鉄は、本件建物の所有者である。
本件建物は、店舗として人が日常的に出入りする建物であるところ、その壁面に施工された吹付け材の劣化に伴いアスベスト粉じんが飛散し、本件建物を使用する人の生命・健康を害する危険を有していた。しかし、アスベストの飛散を防止する措置は一切とられていなかったものであって、本件建物の設置又は保存に暇疵があったというべきである。
そのため、亡OOは本件建物内で飛散した大量のアスベスト粉じんの曝露を受け、悪性胸膜中皮腫に罹患したものである。
したがって、被告近鉄は、民法717条1項但書により、亡○○やその相続人である原告らがこうむった損害を賠償する責任がある。
c 近鉄不動産の責任の承継
被告近鉄は、近鉄不動産との合併によりその権利義務を包括承継したものであるところ、近鉄不動産は、2002(平成14)年3月まで、本件建物をOO文具店に賃貸していた賃貸人である。
建物の賃貸人は、賃借人やその同居者ないし使用人が賃貸建物を使用するに際して、人の生命・健康を害する危険が生じた場合には、信義則上、建物賃貸借契約に基づき、もしくは建物賃貸借契約に付随する注意義務として、その危険を防止すべき注意義務がある。
近鉄不動産は、不動産の売買・賃貸・管理等を主たる業とする者であるが、被覆材として使用される吹付けアスベストから飛散する粉じんが人の生命・健康を害する危険が生じることを当然に予見することができたものである。そして、本件建物について壁に吹付けアスベストが施工され、しかも人の生命健康等にもっとも有害なクロシドライトが使用されており、その吹付け材からアスベスト粉じんが飛散して本件建物を使用している亡○○らが曝露を受けるおそれがあることを容易に知ることができたのであるから、アスベスト粉じんが飛散することのないようにするため、アスベストの吹き付けられている壁面を非石綿建材で覆って囲い込むなどの飛散防止措置をとるべき注意義務があった。
しかしながら、近鉄不動産は、そのような措置を一切とることなく放置したため、亡○○は、本件建物内で飛散し続けた大量のアスベスト粉じんの曝露を受け、悪性胸膜中皮腫に罹患したものである。
したがって、近鉄不動産は、民法415条または民法709条に基づき、亡○○やその相続人である原告らがこうむった損害を賠償する責任があるところ、被告近鉄は、鉄不動産を吸収合併したのであるから、 同損害賠償義務を承継したものである。
イ 被告近鉄ビルサービスの責任
被告近鉄ビルサービスは、2002(平成14)年3月12日、上記近鉄不動産から、本件建物の賃貸人たる地位を承継した。それゆえ、上記の近鉄不動産と同様の注意義務を負うところ、何らの安全措置もとらなかった。したがって、同被告も民法415条または民法 709条に基づき損害賠償責任を負う。
また、被告近鉄ビルサービスは、本件建物の賃貸人たる地位の承継により近鉄不動産が 亡○○に対して負う上記の損害賠償責任をも重畳的に承継したというべきである。
4 本件訴訟の意義
(1)吹付けアスベストの飛散による中皮腫罹患について損害賠償を求める事件であること
(2)アスペスト粉じんの飛散する吹付けアスベストを放置した建物の所有者及び賃貸人に対する責任を追及する事件であること
※アスベスト訴訟弁護団はアスベストによる健康被害相談を随時受け付けています。
○弁護団事務局
〒530-0047 大阪府大阪市北区西天満4丁目3番 4号 御影ビル6階 位田浩法律事務所
TEL&FAX 06-6363-1053(アスベスト被害相談専用)弁護士 位田 浩
ホームページ : https://www.asbestoslawsuit.jp/
「壁のあれが・・・」ー発端ー
当安全センターにH氏のご家族から倉庫壁の吹きつけ材のことで電話相談があり、さっそく現場を訪ねた。2003年4月のことである。
濃い青灰色の吹きつけ材で覆われた壁を見ただけで、青石綿(クロシドライト)を含む吹きつけ材であるとおよそ見当がついた。一部を採取し、民間分析会社に定性定量を依頼したところ、数日で結果が判明した。青石綿25%(重量〉。
その後、近鉄不動産への問い合わせもされたが不誠実な対応だったため、H氏とご家族は不信を募らせるなかで、名取雄司医師(中皮腫・じん肺・アスベストセンター所長)らと当センターの慎重な原因調査が進められた。
2004年8月に残念ながらH氏は逝ってしまわれたが、原因と責任の追及はご家族と私たちに委ねられた。病理解剖結果や採取した肺内石綿に関する定性、定量分析に時間を要したが、ようやくすべての結果が出そろった2005年8月、近鉄などに謝罪と補償を求めることになった。
以下は、このときの記者会見で配布されたご家族のメッセージである。
父と共に闘ってーご家族のメッセージ
平成14年6月、私たちの父は「悪性胸膜中皮腫」の診断を受けました。平成13年の暮れより、肺の奥からしぼり出すような咳が続き、春先になっても症状が治まらず、呼吸困難と胸水の増加で入院し、検査を受けた結果でした。
病名を告知され、1万人に1人程度しか発症しない悪性腫瘍で、非常に予後の悪い病気だと知らされました。そして発症の原因が、多くは石綿(アスベスト)の吸引に関係することも知りました。
本人も家族も、何故、このような特殊な病にかかったのか、本当に病名に間違いはないのか、ただ呆然とするしかありませんでした。石綿とは何なのかすら、ほとんど知らなかったのです。
医師から職場環境の質問を受けているとき、ふと家族の1人が、職場である店舗の2階の倉庫の床に薄い青がかった灰色の繊維状の固まりが落ちていることを思い出しました。倉庫の壁に吹き付けてある固まりが劣化して剥離して落ちていたのです。
すぐに店舗の貸主側に吹き付け材料にアスベストが使用されていないか問い合わぜたところ、一切使用していないという答えが返ってきました。どうにも納得がいかなかった私たちは、インターネットを検索し、「関西労働者安全センター」の石綿被害相談窓口に連絡を取り、詳しい調査を依頼しました。
その後、倉庫の繊維のサンプルを採取し、専門家による調査が進められた結果、平成15年4月に最も発ガン性の高いクロシドライト(青石綿)が検出されたのです。なぜ、このような危険なものがむき出しになっている店舗が長年にわたって賃貸されていたのでしょうか。
私たち遺族がぜひとも伝えたいこと、それは、アスベスト被害というのは「特別な場所で限られた人々だけが受ける、特別な被害」ではないのだ、ということです。
私たちの父は「アスベスト工場に勤務していたわけではなく、その工場周辺に居住していたのでもなく、安全だと信じていたごく普通の環境の中で働いていた一般人」だったのです。
父が発症した「悪性胸膜中皮腫」は、治療法も確立されておらず、進歩した現代医療においてもおそらく最も治療の難しい病の1つです。その病と闘う日々の中で、数々の医師の方との様々な出会いがありました。 患者を積極的に受け入れ、治療法の確立に向けて熱心に研究活動を進めておられる医師の方々がおられました。その一方で多くの医師は、この病についての治療を放棄しているというのが硯実でした。
最後の最後まで「家族のためにがんばる」と病に対する闘争心を持ち続けた父が、追いすがるように医師の背を見つめ続けていた姿が今も目に焼きついて離れません。
これからも悪性中皮腫患者は増加の一途を辿ることが予想されます。医師の方々には、悪性中皮腫という難病の標準治療法の早期の確立に向けて、真摯に取り組んでい
ただきたい。そして、何より不安に怯える患者を真正面から受け止めてもらいたいと思います。
父が亡くなってからあっという間に1年が過ぎました。父は、店の前を通る小学生のために毎朝必ず8時前から店を開けて準備するような人でした。ただただ真面目に誠実に生きた人でした。その父が最後に「俺の人生は一体何だったのか」と無念の涙を流しました。その問いに家族は何も答えることができまぜんでした。
今回、名取雄司先生をはじめ、多くの関係者の方々のご尽力で、国内で初めて吹き付けアスベストによる環境曝露と悪性胸膜中皮腫発症との因果関係が医学的に立証されることとなりました。
父もきっとこの結果を喜んでくれていることでしょう。
また、残された家族としても、父の問いに少しは報告できる答えを出ぜたと思います。そして父の死が無駄にならないように、国や企業は強力なリーダーシップを取り、アスベスト被害で亡くなった人や今も苦しんでいる人たちを一日も早く救済するとともに、アスベスト被害の拡大を最小限に食い止めるように努力していただきたいと思います。
父を死に追いやった灰色の粉は、今この時も何の対策も講じられることなく放置されたまま、不気味に降り積もっています。 もはや一刻の猶予も許されはしないのです。
一追記一
今回、このような場(紙面上)をお借りして、父との闘病中に家族が経験したこと、感じたこと、現在の胸の内などを、ありのままにお話さぜていただきました。
今後は静かに亡父の冥福を祈りつつ、アスベスト被害に対してどのような対策が取られていくのか冷静に見つめ続けて参りたいと思います。
マスコミの皆様には、遺族への取材についてご遠慮いただくとともに、店のある商店街の取材につきましても除去工事等による解決までご遠慮いただけますようお願い申し上げます。
平成17年8月22日 遺族一同
発症を近鉄に通報後も放置
1975年に5%以上の石綿吹きつけが禁止された。このころからすでに近鉄などの吹きつけ石綿のある建物所有者は対策をとる義務があった。
近鉄はこの義務を果たすことがなかったばかりか、H氏発症後の問い合わせにも「大丈夫」などと無責任に対応し、2005年8月以降の遺族からの謝罪と補償の申し入れにも全く不誠実な態度をとり続けた。
その一方で、文具店のある商店街との話し合いが進められ、除去工事等が実施された。
今回の計画的対策実施については、上記のメッセージにもあるように遺族や我々も協力したのであるが、そうした「配慮」に対しても近鉄は何ら省みることがなかった。
実は今回の計画的な対策工事以前には、H氏発症通報後にもかかわらず、近鉄はずさんな改修工事を放置していた。
写真5は、別の店舗の2階倉庫の壁面の状態を写したもの。撮影は2003年5月。吹きつけ材が大きくはく離して金網部分が露出していた。この店舗はその後居酒屋に改修されたが、飛散防止措置はとられていなかったとみられている。
傲慢な近鉄に提訴決意
近鉄は、H氏本人やご家族の真剣な気持ちを真面目に受け止めようとしなかった。 2005年8月以降、ご遺族の申し入れに対して、近鉄は責任を一切認めず、わずかばかりの見舞金で済まそうと終始した。また、近鉄の責任者がご遺族の話を聞こうという最低限の誠意を見せることもなかった。
こうして、提訴のやむなきに至ったのである。
関西労災職業病2006年7月号より
記事/問合せ:関西労働者安全センター