石綿曝露-四国電力アスベスト中皮腫労災死事件/ 第1部 あとを継ぐ者たちのドラマ-第3章 裁判

第1部 あとを継ぐ者たちのドラマ

第3章 裁判

訴 状

 愛媛県西条市 原告 上甲百合子
 同所     原告 上甲恵美
 同      原告 上甲政孝
 広島市    原告 中川典洋
        松山市一番町一丁目一四番地一〇井手ビル二階
        瀬戸内法律事務所電話〇八九・三二・一六六六
        右原告ら訴訟代理人
         弁護士 草薙順一
         弁護士 藤田育子

 高松市丸の内二番五号 被告 四国電力株式会社
        右代表取締役  山本博

損害賠償請求事件
 訴訟物の価額 金 六、四四四万八七一円
 貼用印紙額  金 二七万五、六〇〇円
 予納郵券額  金 九、四二〇円

請求の趣旨

一 被告は、原告上甲百合子に対し金三、二二二万四三六円、原告上甲恵美、原告上甲政孝及び原告中川典洋に対し各金一、〇七四万一四五円並びに右各金員に対する訴状送達の日の翌日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二 訴訟費用は被告の負担とする。

  との判決並びに仮執行の宣言を求める。

請求の原因

一 当事者

1 被告は、電気事業等を業とする株式会社である。
被告会社の前身は、日本発送電株式会社であるが、昭和二六年五月一日に四国電力株式会社となり、現在に至っている。

2 原告上甲百合子は、被告の従業員であった亡上甲一郎(以下「一郎」という。)の妻であり、原告上甲恵美、同上甲政孝及び同中川典洋はいずれも右一郎の子である。

二 被告会社における粉塵作業及び石綿粉塵曝露の実態

1 被告会社は、日本発送電株式会社時代の昭和一六、七年ころから終戦ころまでの間に、西条市に火力発電所三基を設置して発電事業を開始し、被告会社もそれを引き継いで、今日まで発電事業を行ってきた。

2 ところで、右発電所内の各発電装置のボイラー(気罐)室の壁の内部には、右発電所が設置された当初から、石綿がボルトで着装されて断熱材として使用されており、ボイラー本体及び付属設備の出入口の蓋部分や電線、配線等にも石綿が絶縁体として巻かれて使用されてきている。

3 西条火力発電所においては、通産省の指導により、三基の発電所の運転時間に応じて、定期の点検、清掃作業が行われる。右定期検査には、簡易のもの精密定期検査の二種類があり、前者は約二か月、後者の場合は約三か月をかけて作業が行われることになっている(以下、両者を併せて「定期検査」という)。

4 右定期検査の際には、発電所は全部運転を停止して、被告会社の電気保修工がボイラー室内及びタービン、発電機に至るまで点検し、故障箇所の修理などを行う外、電気運転員も駆り出されて、定期検査期間は、清掃等の作業に従事することとされている。また、下請けの電気保温工が、断熱材ないし絶縁体として使われる石綿の取り替えの作業を同時に行う。
 右定期検査時以外にも、電気保修工は、故障箇所が発見された場合には、同様の修理作業を行うのである。

5 定期検査時には、ファンを回してボイラーを冷却させた上で作業を行うものの、ボイラー室内は、灰や煤、とりわけボイラー内の熱風で断熱材や絶縁体として用いられている石綿が粉塵となって飛散し、これらの粉塵が充満している状態であり、更に、修理作業に伴い、新たに内部の石綿が粉塵となって飛散する。また、同じ発電所内で、下請けの電気保温工が石綿のプレス、切断、取り付け等の作業を行うが、右作業により発生する石綿の粉塵も飛散して、辺りに充満している。

6 定期検査作業等に当たって、作業員らは被告会社から作業着や防塵マスクを支給されるが、作業着はとくに防塵のための工夫を凝らしたものではなく、防塵マスクに取り付ける防塵フィルターもその性能が不十分であるため、細かい粉塵はフィルターを通り抜けて、容赦なく鼻腔に入ってくる。しかも、熱風の舞う狭い作業所での作業のために、作業員は暑さと息苦しさのために、実際には防塵マスクを付けたり外したりしながら作業をしているのが実情である。このように、作業員らは、作業着や防塵マスクを着用するものの、その性能が不完全であり、また、その着用についての指導が徹底していないために、石綿を含む粉塵や蒸気などを全身に浴びたり、鼻腔からの吸引を避けられない状況であった。

三 職業病の発生

1 石綿は織維状の珪酸化合物であり、これを吸引することによって塵肺を引き起こすこと、また、石綿が塵肺の原因物質の中でも特に危険なものであることは、早くから指摘されてきたところである。

2 しかるに、近時の研究や報告によって、石綿には他の粉塵に比べて極めて高い発がん性があることが明らかになっている。石綿肺による死亡者のうち、肺がん・悪性中皮腫によるものが二〇パーセントにのぼるという調査結果もある。また、肺がん・悪性中皮腫の発生は石綿塵肺の進行程度とは必ずしも対応せず塵肺の進行が末期になっていなくても悪性腫瘍で死亡する危険は同様に高い。石綿の発がん性は、石綿が他の発がん物質のキャリアーとして作用するとともに、石綿線維が、気管細胞等の異常増殖を引き起こし、発がんしやすい状態を作り出すためと考えられている。ことに、悪性中皮腫は、石綿吸入特有の腫瘍とされている。胸膜、腹膜等が好発部位であり、必ずびまん性に進行し、症状出現後、大多数が二年以内に死亡する。また、悪性中皮腫は、石綿肺を引き起こすよりも相当低い曝露量でも発生すること、更に、石綿による肺がんは曝露開始より一五から四〇年、中皮腫は二〇から五〇年もの長い潜伏期間をもつことも明らかになってきている。

3 右のような研究や調査、臨床報告などを受けて、労災補償の場面においては、近時、石綿を扱う作業に従事する労働者が肺がんや悪性中皮腫に羅病した場合には、これを職業病として認定し、労災の適用を認める扱いがなされるようになってきているのである。

四 一郎の作業内容と羅病

① 一郎は、昭和一九年四月一日被告の前身である日本発送電株式会社に雇用され、昭和二六年五月一日には被告新居浜支店・西条営業所管内の西条火力発電所に電気運転員として配置されて、電気運転の作業に従事していたが、昭和四〇年一一月一日からは同発電所で、電気保修員の発令を受けた。

電気保修員の作業内容は、前記のとおり、定期検査時の発電所のボイラー、タービン、配線等の点検、修理作業の外、日常的な修理点検作業が主なものであったが、電気運転員も、電気運転の作業の外に、前記のとおり、定期検査時にはその作業のために動員され、一年間に二、三ヶ月は定期検査の作業に従事していた。

② 一郎は、昭和四六年三月一日には保修班長の辞令を受けたが、部下を指揮・指導する外、自らも従前同様の電気保修員としての作業も行っていた。

③ その後、昭和四七年三月一日から同五一年二月までは、被告会社の関連会社である四電エンジニアリング株式会社出向扱いとなり、昭和五一年一月一日付けで再び被告会社に戻り被告会社で従前と同様の仕事に当たり、昭和五八年三月一日に役付待遇で右四電エンジニアリング株式会社に出向したものの、昭和五九年二月二四日に死亡したため、出向を解除され、被告会社に戻った形にした上で解職扱いとなったのである。

2 一郎の所属や職務名は、前記のとおり数回かわっているものの、その職場は社から死亡により退職するまでの間、一貫して西条火力発電所であり毎年、一年間のうち二、三ヶ月は少なくとも前記のような定期検査時の点検、修理作業に従事してきたものである。

3 一郎は、昭和五九年二月二四日被告会社を死亡退職した。死亡診断書によると悪性中皮腫とされているが、その後の病理解は肺がん(大細胞がん)と診断された。

右悪性中皮腫の診断を下したのは、生前、一郎が入院治療を受けていた国立療養所愛媛病院で一郎の治療に当たっていた主治医の井川均が悪性中皮腫に罹患していた可能性も高いのであるが、いずれにしても一郎は、勤務していた被告会社の西条火力発電所の作業環境が劣悪であり、長年にわたり粉塵、とりわけ極めて発がん性の高い石綿の粉塵に晒された結果、悪性中皮腫ないし肺がんにかかり死亡したものである。

五 被告の責任原因

1 一般的安全配慮義務

一郎と被告会社との間には労働契約が締結されていた。従って一郎に対し、労働契約上の賃金支払義務にとどまらず、信義則上、一郎の労務提供に対し、労働者である一郎の生命及び健康を危険から保護するよう配慮すベき義務(安全配慮義務)を負担していた。

2 安全配慮義務の内容

① 労働法規上の義務

一郎が働いていた被告会社の作業現場は、前述のような作業内容及び作業環境であって、とりわけ定期検査時には、石綿を含む多量の粉塵が発生する状況であったから一郎が悪性中皮腫ないし肺がんに罹患する危険性は極めて大きかった。従業員をこのような作業に従事させるについて、被告は、使用者として従業員たる一郎に対し、その生命身体を危険・疾病から保護すべき安全配慮義務を負っており、かかる義務内容の最低基準は、労働基準法、同規則等によって具体化されている。

すなわち、

イ 粉塵の発散の防止及び抑制義務(労働安全衛生法二二条一号、同規則五七六条、五七七条、五八二条、特定科学物質等障害予防規則五条)

ロ 作業環境測定義務(労働安全衛生法六五条、同法施行令二一条一号、粉塵障害防止規則二五条、特定化学物質等障害予防規則三六集)

ハ 粉塵の滞留及び飛散防止義務(労働安全衛生法二七条、同規則五八二条、粉塵障害防止規則六条、特定化学物質等障害予防規則五条)

ニ 石綿の飛散防止義務(特定化学物質等障害予防規則三八条の三)件呼吸用保護具を着用させる義務(労働安全衛生法二七条、同規則五九三条)

ホ 粉塵障害防止規則二七条、特定化学物質等障害予防規則二七条

へ 粉塵曝露回避義務(労働安全衛生規則六一四条、粉塵障害防止規則二三条、二四条、特定化学物質等障害予防規則三七条、三八条)

ト 安全衛生教育義務(労働安全衛生法五九条、六〇条、同規則三五ないし四〇条、粉塵障害防止規則二二条)

チ 健康診断実施義務(労働安全衛生法六六条、同規則四三ないし五二条、特定化学物質等障害予防規則三九条)

などである。

② 塵肺法の適用

特に昭和三五年に施行された塵肺法では、粉塵作業に従事する労働者が塵肺に罹患し、重篤な症状に至ることから、その防止のため、使用者に対し次のような義務を定めている。

イ 粉塵の発散の防止及び抑制、保護具の使用その他適切な措置を講ずるよう努める義務(同法五条)

ロ 労働者に対して塵肺に関する予防及び健康管理のため、必要な教育を行う義務(同法六条)

ハ 健康診断実施義務(同法七条、八条)

ニ 塵肺管理区分決定通知義務(同法一四条)

ホ 作業の転換に努める義務(同法二一条)

へ 要療養通知義務(同法二三条)

一郎の作業環境は前述のとおりであって、定期検査の期間中は、石綿の切断や装着等が同じ場所で行われ、石綿の粉塵が充満している中で作業を行っていたのであるから、塵肺法の適用のある粉塵作業に該当するものと考えられ(同法二条一項三号、三項、同法施行規則別表二四参照)、被告会社は塵肺法が定める義務をも負っていたものと解すべきである。

③ 安全配慮義務の具体的内容

従って、被告会社は、使用者として以下のような措置をとって、従業員一郎が悪性中皮腫等に罹患しないようにすべき労働契約上の安全配慮義務あったというべきである。

イ 粉塵の発散抑制

ロ 環境測定

粉塵発生職場においては、その空気中における濃度の測定を継続的に行い、測定結果は記録・保管するとともに測定の結果、異常がある場合はすみやかに適切な措置を講じなければならない。

ハ 粉塵の滞留・飛散の防止

ⅰ 作業場所

作業は通気のよい場所を選び、狭陰な場所での作業はできる限り避けなければならない。

ⅱ 粉塵の吸引・排塵装置の設置

屋内作業については、粉塵の発生源に局所排気装置を設けて粉塵の吸引・排塵に努めなければならない。右排気装置は、粉塵の粒径に応じた、排気が有効に行われるものでなければならず、又、右装置の定期自主検査を行わなければならない。

ⅲ 全体換気装置等

屋内作業場については、前記の局所排気装置の外、室内全体換気装置の設置、狭陰な場所の換気については工事孔(給気孔、排気孔)の設置など、換気効率を高める努力をしなければならない。

ⅳ 石綿の飛散防止

石綿の粉塵が発散する屋内作業場については、散水をする等、石綿を湿潤な状態にして飛散を出来るだけ防止すべきである。

ニ 呼吸用保護具(防塵マスク)の着用

粉塵吸引防止のためには、前記の設備面での改善と並行して、適切な呼吸用保護具を給付し、着用させるべきである。なお、単に給付するだけではなく、自ら保護具の着用の意義を理解し、正しいマスクの着用と管理が重要であることを認識させることが必要である。

ホ 粉塵の曝露回避

ⅰ 作業時間の短縮

粉塵の曝露の機会をできるだけ少なくするように粉塵職場での作業時間の短縮をはかるべきである。

ⅱ 配置転換

また、長時間の粉塵職場での稼働は塵肺の罹病を引き起こすのでその前に、適切な配置転換を行うべきである。

ⅲ 着替え場所等の確保

へ 塵肺教育

塵肺を防止のためには、塵肺の危険性や塵肺予防の必要性を労働者が明確に理解し、認識することが必要であり、右理解、認識をもって初めて、防塵マスクの着用等の措置も塵肺予防の対策として実効を有するに至る。従って、使用者が労働者に対して、塵肺の危険性や塵肺予防法などの塵肺に関する情報を与え、教育することが必要である。

ⅱ 塵肺教育の内容

❶ 塵肺の病理などの医学的な教育

❷ 塵肺の予防法、防塵対策についての教育

❸ 塵肺に関する法制度等についての教育

ⅲ 塵肺教育の方法

右のような教育の方法は、場当り的ではなく、組織的、かつ、定期的に行う必要がある。具体的には、医師などの講演や労働者及び使用者による勉強会などを実施する必要があった。

ト 塵肺の早期発見と予防

ⅰ 早期発見の必要性

塵肺は、急性の疾患ではなく、粉塵を一定期間吸入することによって、徐々に進行する疾患である。それゆえ、粉塵職場において作業を行う労働者に対して、定期的に健康診断を実施し、塵肺の発見に努めれば、まだ初期の段階で塵肺を発見することが可能であるし、塵肺の症状が進行するのを防ぐために、その労働者を粉塵職場から離脱させるなどの措置を講じることもできる。

ⅱ 健康診断の方法

健康診断は、塵肺の知見を有する医師により、定期的に実施すべきであった。

ⅲ 健康診断結果の通知と管理

健康診断の結果は、労働者本人に通知するとともに、塵肺症状に応じた配置転換、労働時間の短縮等適切な措置を講じることができるように、被告会社において、個々の労働者の診断記録を管理し、健康状態の変化を把握すべきであった。

3 安全配慮義務の不履行

被告会社は、一郎に対し、以上のような安全配慮義務を負担していたにもかかわらず、前記のような粉塵作業に従事する一郎に対し、その就業以来長年にわたって、何ら右のような必要な措置を講ずることなく、右いずれの安全配慮義務も履行しなかった。そのために、一郎は石綿粉塵による悪性中皮腫ないしは肺がんに罹患し、死亡するに至ったものである。

六 損害

1 一郎は、被告の安全配慮義務の不履行により以下の損害を被った。

イ 逸失利益 三、四四四万八七二円

一郎は、死亡当時五四歳一一か月で、死亡前の年収は、同年齢の男子の平均賃金を下回ることはなかった。そこで、就労可能な六七歳までの一三年間の逸失利益の現価を、年収を基礎とし、生活費三〇パーセントを控除して、ホフマン方式により中間利息を控除して計算すると、左記のとおりその額は三、四四四万八七二円となる。

ロ 慰謝料 三、〇〇〇万円

一郎は死亡当時、五四歳の働き盛りであり、一家の大黒柱であった。また、被告会社においても、管理職として部下の指導に当たるとともに、自らも率先して仕事に従事しなくてはならない存在であった。

一郎の罹患した悪性中皮腫ないし肺がんは、非常に危険で悲惨な病気であり、病苦に喘ぎながら、家族を残して死んでいった一郎の精神的苦痛は計り知れない。右一郎の精神的苦痛を慰謝する金額は、三、〇〇〇万円を下らない。

2 一郎の死亡により、原告上甲百合子は二分の一、原告上甲恵美、同上甲政孝及び同中川典洋は各六分の一の割合で右損害賠償請求権を相続した。

七 よって、原告らは被告に対し次の金員の支払いを求める。

1 債務不履行に基づく損害賠償として、原告上甲百合子に対し三、二二二万四三六円、原告上甲恵美、同上甲政孝及び同中川典洋に対し各一、〇七四万一四五円

2 右各金員に対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

右のとおり訴えを提起する。

平成五年一一月一六日    右原告ら訴訟代理人  弁護士 草薙順一

                         弁護士 藤田育子

松山地方裁判所 御中

平成六年(一九九四)二月一六日の第一回口頭弁論で四国電力側被告訴訟弁護人は「答弁書」の中で「請求の趣旨」については棄却を、訴訟費用についても原告らの負担とする、との判決を求めた。

「請求の原因」については、一 四国電力が電力事業会社であることは認めるが、上甲百合子さんが妻である等の事実は《不知》であること、二 石綿を使用していた箇所等については《否認する》、三 また石綿が原因の死については労災認定がされるようになってきていることについては《不知》であること、四 作業内容と悪性中皮腫の関係については《否認》、五 また一郎さんの医師が誰であったかは《不知》、安全配慮義務違反については《争う》、六 損害については《不知》、七 支払いについては《争う》とした。

簡単に言うと上甲一郎さんが四国電力で働いていたことは認めるがあとのことは知らないし、職場環境・死因については全面的に否認と争う、という姿勢である。

原告代理人が訴状を書くにあたっては広範囲の視点で論理は組み立てられ展開されたが、その内のひとつに貴重な、ある供述を得ていた。それは職場の元同僚の証言である。

「供述録取書」に纏められていた。以下のようなものだった。

右の者は、平成五年(一九九三)七月一二日瀬戸内法律事務所(松山市一番町一丁目一四番地一〇)において、当職に対し、次のとおり供述した。

一 私は、昭和一五年三月二五日に四国電力株式会社の前身である日本発送電株式会社に入社し、戦争中、昭和一八年一月から昭和二〇年五月まで兵役につきましたが、終戦後に復職し、その後、昭和二六年五月一日に右日本発送電株式会社が四国電力株式会社になってからは、四国電力の従業員として、昭和五一年に定年退職するまで、同社に勤めておりました。

二 私が勤務していたのは、入社時から退職するまでずっと西条市で、入社当初は、これから西条に火力発電所が建設されるという段階で、私自身、一号機の建設作業に従事し一号機は昭和一七年一一月に竣工しました。
その後、戦争中にかけて、二号機、三号機も完成し、私が復員してきたときには、出力二五、五〇〇KWH(キロワットアワー)の発電機が三基稼働している状態でした。

三 私の仕事の内容ですが、当初は発電所(一号機)の建設作業に当たっていましたが、復員後は西条火力発電所内で、定年まで電気保修の仕事にずっと携わってきました。昭和五一年に四国電力は退職しましたが、昭和五六年までの五年間は、四国電力の関連会社である四電エンジニアリング株式会社に再就職し、西条火力発電所で四国電力当時と全く同じ仕事をしておりました。

四 私が、昭和二〇年に復職したときは、西条火力発電所に上甲一郎さんもおり、上甲さんをはじめ、その当時同じ部署にいた人たちとは、私が退職するまで、ずっと一緒に仕事をしておりましたので、上甲さんの仕事の内容などに関してもよく知っています。AさんやBさんたちもよく分かっていると思います。

五 西条火力発電所の内部の仕組みですが、一号機から三号機までほぼ同じで、発電機本体(ボイラ室)とEP室と呼ばれる、本体から出る灰を処理して副産物を取るための装置、タービンなどがあります。
そして、発電機の本体部分及びEP室にはそれぞれ四か所のマンホール状の出入口が設けられ、マンホールの蓋のパッキングにはアスベストが使われていました。また、ボイラー室の内壁の鉄板の間にも、断熱材としてアスベストがボルトで装着・固定されおり、その他にも、EP室内の電線や発電機の配線にもアスベストが絶縁体として巻かれ、使用されておりました。
発電装置は、当初は石炭を使用する旧式のものでしたが、昭和三〇年ころからは三基とも新式のものに取り替えられました。新式のものは、一基で五〇、〇〇〇から七〇、〇〇〇KWHの力があり、従来の三倍近くの発電能力を備えたものですが、基本的な構造は以前と変っておりません。

六 電気保修の仕事に変わってからの作業の内容ですが、三基ある発電機の定期掃除と、故障や異常が発覚した場合の保修の仕事が主なものです。
定期掃除は、各発電機の運転時間に応じて、通産省からの指導に従って、簡易定期掃  除ないし精密定期掃除が行われていました。簡易定期掃除は大体二か月、精密定期掃除の場合は三か月位をかけて行われます。定期掃除のときは、発電機を全部止めてタービンも抜き、内部の機械類も全部点検するため、三基を一度に行うことはなく、各基の運転時間が異なることから、毎年決まった時期にやるというわけではありませんが、一年のうちかなりの期間、この定期掃除の作業に従事していることは間違いありません。

七 定期掃除のときの作業の状況ですが、先程もお話ししたように、発電機自体を止めてしまい、ファンを回してボイラーを冷却させます。ボイラー室やEP室は建屋の中にありますが、タービンの部分には被いはありません。同じ発電所内の狭いところで作業をするわけですから、ボイラーのファンを回すことにより、熱風で内部の粉塵が飛び散り、作業をしている間は粉塵がもうもうと充満している状態です。
電気保修員は、ボイラー室やEP室の外部から機器類を点検し、異常が見つかれば出入口の蓋を開けて内部を調べたり、修理したりします。その際には、ボイラー室内部に充満しているアスベストを含む粉塵をまともに被ることになります。

八 定期掃除時の作業時間は、概ね午前八時から休憩をはさんで七時間くらいで、休憩時に事務所に戻って休む以外は、前記のとおり粉塵の充満する発電所内部で作業に従事します。
定期掃除の際には、会社から定期掃除用にと防塵マスクと作業服を渡されます。防塵マスクは、取り外しのできる防塵フィルターの付いたものですが、作業中かけ通しでは暑くて息苦しいため、実際には付けたり外したりしていました。マスクをかけていても、細かい粉塵はフィルターを通して鼻腔に容赦なく入ってきて、作業が終わると鼻の中は真っ黒になりますし、咳をすると真っ黒な痰が出ます。また、会社から支給される作業服は普通の菜っ葉服で、毎日会社が洗濯してくれることにはなっていましたが、自分で持ち帰って洗濯してくる作業員もいたようです。作業服には、一日の作業が終わると洗濯槽の底に積もるほどに、粉塵が付着しているありさまでした。作業後は会社で入浴するのですが、浴槽の中が真っ黒になったものでした。
これらの防塵マスクや作業服の装着について、会社側から強制されることはなく、私自身は、作業服は普段自分が使っているものを着用していましたし、防塵マスクのフィルターの交換も申し出たことはありませんでした。

九 私たちが、定期掃除で保修作業を行っているとき、同じ場所で、下請けの保温工の人 達がアスベストのプレスや切断、取り付けなどの作業を行っていました。そのアスベストは畳一畳分くらいの広さのある板状のもので、その作業によるアスベストの粉塵も辺りに充満している状態でした。

一〇 定期掃除の際、粉塵の充満や飛散を防止するための換気等の特別な措置は全く取られておらず、作業員は先程も述べましたように、ほとんど一日中、粉塵で空気の汚染された発電所内にいるというのが実態でした。
それ以外に、とくに会社の方から防塵のための措置を命じられたことはありませんでした。

一一 定期健康診断は毎年、七月一日から七日までの労働安全衛生週間の間に行われており、胸部のX線撮影や胃の検診など一通りの検査はなされていました。
また、労働安全衛生週間には講習会があり、医師などの専門家が来て講演も行われました。私も受講はしていましたが、そういう話の中で、塵肺という言葉は聞いたような記憶はあるものの、とくに私たちの職場で塵肺にかかるおそれがあるから気をつけるように言われたことはありません。会社から、塵肺について、とくに説明や指導を受けたこともありませんでした。
なお私の職場では、少なくとも私が勤務していた当時までは、塵肺手帳を交付されている人の話を聞いたことはありませんし、塵肺区分などの話も聞いたことはありませんでした。

一二 私は先程も述べましたように、入社以来、一貫して西条火力発電所で電気保修の作業に従事しており、定年退職するまで一度も配置転換はありませんでした。
上甲さんをはじめ、同時期に入社して私と一緒に仕事をしていたAさん、Bさんたちも皆、ずっと同じ職場でした。

一三 上甲さんについては、最初は電気運転員でしたが、その後、電気保修員となり保修班長へと昇格していきました。
電気運転員は三交替制で夜勤がありますが、電気保修員になると基本的には昼間だけの仕事になります。ただ、定期掃除作業の際には、電気運転員も動員されて、発電所内で先に述べたように粉塵を浴びながら作業に当たっていました。また、保修班長になっても、部下の保修員や下請けなどを指揮しながら、自らも現場で作業に当たっていましたから、粉塵を浴びながら作業をしていたことに変わりはありません。
上甲さんは、昭和四七年から昭和五一年にかけて、四電エンジニアリング株式会社に  出向扱いになっていたようですが、仕事の内容は西条火力発電所での電気保修等の作業ということで、それまでと変わりはなかったと思われます。

一四 私は、上甲さんよりも早く四国電力を退職しましたので、昭和五六年以降の作業の内容や作業環境の実態がどうだったかは分かりませんが、少なくとも私の勤務していた当時は、入社当時からほぼ同じ内容、同じ作業環境で定期掃除等の作業が行われており会社の方で、とくに粉塵対策のために改善措置が取られたと感じたことはありませんでした。

右のとおり録取して読み聞かせたところ、誤りのないことを確認して署名押印した。

  松山市一番町一丁目一四番地一〇 井手ビル二階
     瀬戸内法律事務所   弁護士 藤田育子

この証言には長年一緒に働いてきた上甲一郎さんとの労働の日々の匂いと様子がうかがえる。石綿が使ってあろうが、汚かろうが、きつかろうが、こう働いたんだという率直な実感が全体を覆っている。良いも悪いも無い、俺達はこんな風に戦中戦後変わらずに働いてきたんだよという肯定感に溢れた内容である。

四国電力が四国地区の最大の法人で、いかに先進性を誇っていても、実際の発電所の現場というものは普通の生活環境とは全く違ったものである。高温高圧の巨大な工場プラントで、誰がその危険を背負い込むかの違いはあっても、常に危険が隣り合わせの特殊な環境であることに違いはない。電気を起こすためのタービン、それを回すための蒸気、蒸気を発生させるためのボイラー、そのために燃焼させる石炭、燃えて排出する煙を導く、優に人が立って通れるほど巨大な煙道、灰や煙の中の有害物質を取り除く脱硫装置や集塵機、それらを繋ぐ様々な塔や槽、熱交換機といった機器類は高温高圧下で作動しており、種々の人体に有害な金属を溶かすような化学物質が媒体として使われている。これらの装置類に熟知していなければ絶えず酸欠、転落、落下物、爆発等の危険に晒(さら)される。そうした中で働いてきたのだ。これらを社員が自分でやるか下請けや孫受けにやらすかそれは別問題である。

この同僚の言葉は裁判という法律の場を意識しない実質のある証言内容である。四国電力側の「答弁書」の背景にはそうした実質はみられない。

四月になって四電側は次のように弁論を開始した。

上甲一郎さんの死は悪性中皮腫(あくせいちゅうひしゅ)ではない、肺癌である。それは愛媛大学の解剖記録から明らかである。煙草を吸う一郎さんは、一日ロングピースを少なくとも30本吸うヘビースモーカーであった。したがって肺癌の原因として重視せざるをえない、と。上甲さんの死は煙草の吸いすぎである、という主張である。二番目の主張は、上甲さんは粉塵が舞うような職場環境では働いていませんよ、という内容である。

翌平成7年(1995)2月に入り四電側は前年4月の二番目の弁論を強化するように発電所の中で石綿が使用されていた箇所は極めて少なく、職場環境の細部にわたって使用箇所を列挙し、それらの箇所がいかに上甲さんの業務内容と関わりが少ないかを主張した。

同月原告側は次のように反論した。

アスベストが原因の悪性中皮腫の診断は専門家でないとなかなか分かりにくいもので、国立療養所の医師と愛大病院は共にアスベスト疾患の専門家ではないため、上甲さんの死因で判断が異なるという結果になったことはあり得ることで、自然な帰結である。そこで、この分野における先進的研究をしているニューヨークのマウントサイナイ医科大学病理学教授、鈴木康之亮氏に愛大病院で貸与された組織標本の写真と解剖記録を送り意見を求めると、一郎さんの死因は左胸膜原発の悪性中皮腫である可能性が高い、とのことである。鈴木康之亮氏は日本人研究者としてアスベスト疾患研究の第一人者である。

一、肉眼像で原発巣は左肺下葉ではない。左胸膜である。そこからビマン的に拡がっていった腫瘍である。

二、組織病理学的にいって細胞に上皮型と線維肉腫型のコンビネーションが二五パーセントも見られる。

この一、二が揃う現象は悪性中皮腫以外は稀であること、の証言が得られた。

後、組織化学的所見、免疫細胞化学的所感を加えれば100パーセントの検査が行われることになる。パラフィンブロックから新たな切片を作り検査して貰う予定である、と主張した。

さらに、悪性中皮腫は、もうもうたるアスベスト粉塵でなく低濃度でも発現する性格があること、また悪性中皮腫は紙巻き煙草の影響はうけないこともはっきりしている。以上のことから長年にわたる職業的な石綿曝露が上甲さんの死因である、と結んだ。早期解決のためにも標本検査の実施が必要であると付言した。

五月、四電側は原告側の悪性中皮腫説に次のように反論した。

限られた資料で、それも実際に上甲さんの身体を見もしない者が、ある先入観を抱いて行われた鈴木教授の意見は科学的にいって受け容れがたい。被告側としても新たに鑑定を申し立てるつもりであるとし、職場環境からいっても悪性中皮腫ではあり得ないと繰り返した。

八月、原告側は四電側の職場環境の論点を受けて、一郎さんが石綿を始め粉塵と全く関わりがない職場で働いていたかのような主張をしているがそれは非現実的である。一緒に暮らしていた奥さんが作業着、マスク、ガーゼを洗濯している、それも真っ黒に汚れたものを、何十年の間定期検査中はいつもそうだったと言っているではないか、と。実際に石綿は発電所で使われていたし、検査の時には取り外していたのだからいつでも石綿の粉塵が飛散する環境は在ったとするのが自然である。また、被告側は石綿に法規制が加えられるようになったのは1980年代(昭和50年代)頃からだと言うが、ひどい錯誤で、1907年に石綿肺、1935年に肺癌、1953年に悪性中皮腫のいずれも石綿が原因による報告がなされている。1957年大阪労働基準局は環境調査をおこなっている。1960年塵肺法制定、1971年特定化学物質障害予防規制などである。

10月、被告側弁論。一郎さんが工場プラントの定期検査に年に三ヶ月間携わっていたというが実際に職務的に関係があるのはそのうちの10日くらいで、汚れたといってもそれは灰である。石綿ではない。また上甲さんは発病からわずか二ヶ月で死亡したのであり、それは肺癌の病状の速さと合致する。肺癌がヘビースモーカーに非常に高い確率で発生することは確認されていることだ。法規制の事実については理解している、と。

ほぼここまでやってきて、被告側は煙草の吸いすぎによる肺癌死の説を譲らず、職場環境についても工場内部の設備に熟知した者の有利さで、部品とその組み合わせの構造を挙げ、石綿を吸うという環境になかったことを何処までも細部にわたって言及しようとして外部にいる原告側の感覚を何度でも押し返し、弁論は膠着した。また、悪性中皮腫についての論議は新たな検査と報告が為されない限り進展はありえなかった。互いに陣に籠もって次の展開を準備していた。

先に仕掛けたのは被告側だった。

翌、平成8年(1996)6月、被告としても新たな鑑定を申し立てるつもりだと弁論していたとおり富山医科大学北川正信教授の「鑑定書」が出た。

それによれば死因は左肺原発の肺癌である。被告側の支持する死因である。

ただ、肺から石綿小体も出ている。5グラム中270本。石綿線維の種類はアモサイト23パーセント、クロシドライト1パーセント、トレモライトまたはアクチノライト76パーセントである。

肥厚斑が認められる。

石綿肺は認められない。

悪性中皮腫の可能性はあるが最終的に支持できない。

この肺癌に煙草の影響は認められない。

では石綿曝露が原因の肺癌かというと「関連性が否定できない」のレベルで、これは「関連性在り」「おそらく関連性ありprobable」「関連性が否定できない」「関連性は疑わしい」「関連性がない」の五段階カテゴリーのうちレベル3=possibleにあたる、という鑑定であった。

被告側がさらに動いた。発電所に石綿材料を納入している日本を代表するメーカーのN株式会社の大阪支社長が九月二〇日、裁判所に陳述書を提出した。西条発電所に納入した品物はクリソタイルが70~100パーセントでアモサイトは5パーセント程度、日本国内においてトレモライトやアクチノライトを原料として工業的に使った例を聞いたこともありません、と。

鑑定書に出てくる石綿線維は製品の中には含まれていないということになる。クリソタイルは上甲さんの身体から検出されていない。

石綿製品の中に含まれているクリソタイル線維は何処へいったのか。

9月24日、原告側は次のような書面を裁判所に提出した。

北川教授の鑑定書には以下の点で問題がある。検査方法の明記、主文本文の区別と関連、算出方法、死因決定までの理由付け等いずれも記載不十分で詳細を法廷で聞くまで採用しないようにというものである。

同日、被告側は次のように弁論した。死因は悪性中皮腫ではなく肺癌である。石綿線維が上甲さんの肺組織から出てきたが、その種類のトレモライト・アクチノライトは工業製品には含まれていないものである。そもそも石綿というものは土壌中に広く存在し、水道水や都会生活者からも相当の割合で石綿小体が発見されることがある。従って、西条発電所で上甲さんが発電所に使われている工業製品の石綿に曝露したのではないことが鑑定書から裏付けられる。

これで被告の責任はほとんど逃れられたような安堵感が漂う文面である。

都会生活者に相当の割合で石綿小体は見られるものである、と。

更に被告側の攻勢は続いた。

訴訟を起こすときに「奥さん、私、証言に立ちましょう」と言ってくれていた仕事上の同僚が出廷を辞退したことだ。最初に裁判を起こすときに最も頼りにしていた証言者ということにとどまらず、上甲さんと一緒に働き苦楽を共にし、深い同情を寄せてきた身近な人だっただけに百合子さんは悪い予感に包まれた。

翌、平成9年(1997)2月7日、奥さんの上甲百合子さんが法廷に立つことになった。

一郎さんがどんなに仕事から汚れて帰ってきたか、どんなに洗濯が大変だったかを証言した。また原告側の代理人は、百合子さんが訴訟を起こすことになった経緯をもう一度丁寧に再現するよう質問を続けた。夫が死んだときアスベストが原因ですよと医師から言われたこと、葬式の時会社側の人にそのことを伝えたこと、会社からは何も言ってこなかったこと、ずっと職業病のことでひっかかっていたこと、たまたま「アスベスト110番」の記事を読んで相談に行ったこと、主人の死因の悪性中皮腫がアスベストと関係があり、それが職業病ということなら主人のためにも社会のためにも放置できないことなどを語った。

しかし2月27日、追い打ちをかけるように元同僚のCさんが原告側証人を辞退したばかりでなく、裁判所に四電側の意見に沿った陳述書を新たに提出した。瀬戸内法律事務所での最初の供述を訂正し冷静に考えると、上甲一郎さんの職場環境は石綿を曝露するという職能ではなかったという内容で、被告代理人が主張する内容と合致するものであった。これで職場環境を巡る原告側の当事者証言は完全に失われた。

百合子さんは衝撃を受けた。闇の中に一人取り残され孤立していく自分の姿が浮かんだ。近親者からも、だから言ったでしょという声が挙がった。職場と石綿を結びつける第三者の客観的で重要な証言と期待していただけに落胆は大きかった。

四月に百合子さんはもう一度法廷に立った。今度は被告代理人の質問に答えた。

煙草は一日何本吸われてましたか。お酒も相当飲まれてたようですね。あなたは発電設備のことは詳しく知りませんね。定期検査はあなたが記憶しているよりずっと短いですよ。汚れていたと言いますが煤や灰ではなかったのですか。百合子さんは忍耐強く答えたが、どうしても声が沈みがちになることはまぬがれなかった。誰の目にも形勢は不利だった。

四月に入って原告弁護人は裁判所に今後の方針を示す文書を提出した。

北川鑑定でクリソタイル線維が出てきてないが、必ず一郎さんの肺中から検出される筈である。なぜなら石綿製品中に入っているアモサイトが出てきているのだから、製品中に入っているクリソタイルも体内に入っていて当然だ、それが論理的帰結だ、検出できないというのはそれは顕微鏡の精度が低いので見えないだけなのだ、という主張であった。悪性中皮腫とアスベスト、西条発電所の石綿製品の成分中ほとんどを占めるクリソタイル線維、この太いラインを証明しないかぎり現在の劣勢は挽回出来ないとみた、原告代理人の決意の文書であった。

一方、四電側は陳述書を二通続けて裁判所に提出した。上甲さんとほぼ一緒に仕事をしたという四電エンジニアリング勤務の二名の文書である。共に石綿を吸う様な仕事はしなかったと書かれていた。さらにこの二人は7月11日に法廷で同じように証言した。証言は年末まで続いた。いくら聞いても内容は同じであった。これで発電所内部の職場環境の状況を証明する立場の発言は奥さんの上甲百合子さん以外はすべて四電側の証言で揃った。手持ちのカードは無かった。

原告側は訴状の請求の理由の中心を占める四と五の石綿粉塵の舞う職場環境と安全配慮義務違反を証明する証言は得られなかった。

そうして平成9年は暮れた。

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