石綿曝露-四国電力アスベスト中皮腫労災死事件/鈴木意見書参考文献-⑭「原子力発電所のエンジニアの悪性胸膜中皮腫」

第2部 アスベスト疾患のひろがり
第2章 悪性中皮腫とはどんな病気か
Ⅱ 鈴木康之亮意見書添付資料 Ⅲ「参考文献」翻訳
5 発電所と石綿関連疾患に関する文献

⑭「原子力発電所のエンジニアの悪性胸膜中皮腫」

M.Huncharek, Canadian Tumor Reference Centre
K.Smith, National Institute of Canada
R.Milatou, Yale University School of Medicine,and Department of Biosafety,
Yale University Health Service, USA
British Journal of Industrial Medicine, 45, 1988, pp.498-499

職業的にアスベスト曝露をしている群における死因の大きな部分を悪性胸膜中皮腫が占める1。以前は、中皮腫への低危険群と考えられていた職業群においても、最近はハイリスクであるという報告がとくに関心をよんでいる5。この報告では、原子力発電所のエンジニアの「間接曝露者(bystander)」のアスベスト曝露に関連する胸膜中皮腫の一例を示す。われわれの知る限り、仕事に関連したアスベスト曝露のあとでこの職業群での中皮腫の発生の報告は初めてである。

症例報告

以前は健康だった49歳の男性が、急性の軽い右胸痛となり、1979年2月に入院。胸部X線フィルムは胸水を示した。胸腔穿刺が行われ、胸水は良性と判明。患者は退院して、基本的に外来でフォローされた。

胸部X線フィルムは、胸水を示し続けた(1979年3~5月)。1979年6月の2度目の胸腔穿刺は、悪性と出たが、病因ははっきりしなかった。8月に、透視で数個の1~3mmの側壁胸膜のプラークを認めた。胸膜生検では多数のプサモーマ(psammoma、石灰沈着)小体を持つ悪性新生物で、腺癌か悪性中皮腫に合致した。肺以外には、原発巣の証拠はなかった。1979年10月、右胸膜-肺切除術が行われ、縦隔と横隔膜面で下部胸壁の壁側胸膜に及んでいた。顕微鏡では、右肺の切除は、乳頭産生を示す上皮様の悪性細胞の増殖で特徴づけられる多巣性の胸膜のプロセスを示した。肺には病変はなかった。ムチンを染めるPAS染色は陰性(他の組織化学染色は実施せず)、細胞学・組織学的な形態は悪性胸膜中皮腫に合致した。手術後に、患者は化学療法、放射線療法を受けた。(1979年11月~1980年1月)

患者は1980年12月まで元気で行動的であったが、息切れが増して発熱した。入院して、心膜炎と奇脈、クスマウル徴候、中等度の心のう水を示した。心のう穿刺を試みたがうまくいかず、心のう切開を行い、心のう膜生検をした。生検で悪性中皮腫を認めた。

退院後、息切れはどんどんひどくなり、熱は続き、夜間の呼吸困難になった。1981年1月に再入院し、緩和ケアーを受け、1981年1月の遅くに死亡した。剖検では、上皮型の悪性中皮腫が、縦隔、横隔膜、心膜から心筋に浸潤しているのが示された。

この患者は、27年間、原子力の研究エンジニアとして雇われ、原子力反応物質のデザインと発展に、もっと特殊に言えば、Na冷却原発のデザインに携わってきた。興味深いことに、中皮腫を診断し治療している間に、医師にはアスベスト曝露はなかったと言っている。彼は、直接はアスベストを扱わなかったので、これは理解できる。以前の職業歴には、大工の助手を1950年に4か月(20歳)しているが、明らかなアスベストの曝露はなかった。

同僚へのくわしい質問で、彼が働いていたナトリウム冷却反応物質は、アスベストで被覆されていた。被覆物は、型状のパイプのカバー、アスベストのバルブ・パッキング、壊された被覆の修理用に「泥」状にして使われる粉のアスベストである。同僚の一人は、Na冷却反応物質のテストの間に、アスベストの被覆をのこぎりで切って、多くのほこりが出たと言った。彼によれば、研究エンジニアたちは、この患者も含めて、反応物質の機能を観察している間に、このような工程に居合わせた。

さらにもう一人の同僚は、反応物質の建物内の粉塵は、とてもひどくて、「建物の向こうまで見通せなかった」と言っていた。建物の床にもアスベスト繊維がたえずあったとも述べられた。患者が働いたテストシステムはいつも修正を受けたので、アスベスト繊維による職場の汚染はありふれたものだった。

興味深いことに、3人目の同僚は、聞くところによれば、5年間患者と同じサイトで働いていて、Na反応物質のテスト設備を建築していた。彼は、アスベストで被覆されたパイプ、付属品、バルブ、バルブの集合体を、再度機械にする仕事に携わっていた。加工する前に、被覆をはがして除く必要があった。初めてアスベストに曝露してから20年後に、彼は胸膜中皮腫になり、診断後1年以内に死亡した。

考察

職業的あるいは非職業的な状況での悪性中皮腫の疫学的解析の主な問題は、アスベスト曝露の可能性の十分な証拠を入手することである。「家庭」や近隣(環境中)の状況においては、アスベスト曝露はしばしば認識されておらず、積極的な質問や調査を通じてのみ曝露歴が明らかにされる。「非直接的」(2次的)なアスベスト製品に曝露される職業集団においても、同様なことが起こり得ることがいまや明らかとなった。

アスベスト曝露と中皮腫との関係は、1960年6には記載され、幾多の職業群がアスベスト曝露によりこの腫瘍になる「危険がある」と認識されてきたが、最近では、多の職業群も(以前は高危険群ではないと思われていた)中皮腫になる危険が示されている。例えば、Schenkerらは、アメリカの鉄道労働者における中皮腫による死亡の症例コントロール研究を報告している5。鉄道の退職者委員会(the raikroadretirement board)の報告によると、15,059例の死亡診断書の分析で、アスベスト曝露の職業カテゴリーと強く関連した中皮腫20例がみつかった。この著者も指摘するように、研究の重要性は、従来は研究されていない職業群における中皮腫のリスクの「特徴づけと定量化」にある。Schenkerの分析は、死亡診断書の病名にだけ依存しているので、この群の中皮腫の症例の実数はおそらくもっと多いという事実は、とくに興味深い。

さらに、予期されなかったアスベスト曝露と中皮腫の頻度との関係に焦点を当てた最近の研究が2つある。Paciらによるひとつ目の研究は、1979年から1984年にかけてFlorence大学の病理で悪性中皮腫の疑いとされた例の組織標本を再検している。確認された13例中6例が繊維産業で、rag sorters(ボロ縫い)として働いていた。彼らの誰も、アスベストへの曝露については呼び起こせなかった。

Quinnらによるイタリアの再生繊維産業の第2報は、肺癌と中皮腫のリスクが過剰であることを示唆している2。追跡調査では、かつてアスベストを入れていたポリプロピレンのバッグが、調べられた13のテキスタイル再生工場のうち2か所で使われていた7。これらのバッグは切断されて、世界中に出荷される前に、ボロの包みを覆うのに使われた。これらのバッグを扱っている間にアスベスト繊維に曝露していたとつきとめられたのである。これは、アスベストのない産業の労働者の間にも、「2次的」なアスベストへの曝露による癌のリスクが存在しうることを示している。

ここに示した胸膜中皮腫の原発エンジニアでは、彼の職歴中に間欠的に2次的にアスベストに曝露したことがはっきりした。同僚からの情報で、高濃度のアスベスト粉じんが周期的に存在したことが確認されたので、「傍観者(bystander)」の曝露の状況下にある原発のエンジニアは、実質上は中皮腫になるリスクが増していると言えよう。

Dr.WTE McCaugheyに深く感謝します。

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