石綿曝露-せきめんばくろ-四国電力アスベスト中皮腫労災死事件/あとがき
四国電力アスベスト裁判に関する記録がようやく出版にこぎつけました。本書の内容は日本で初めてとなった、発電所労働者の「アスベストによる死」に取り組んだ人々の物語であり、記録です。
昨今、アスベストの危険性の認識は徐々に広がりつつあるようにも思えます。
それでも、アスベスト使用については欧米で全面使用禁止に進みつつある中にあって、日本は今なお世界第2位のアスベスト使用大国です。
厚生省の発表にみられるように1999年の中皮腫(ちゅうひしゅ)による死亡件数は647件で1995年から5年間で約3割増加しています。
しかしなお過去の日本の労働環境のなかで知らぬ間に曝露した潜在的なアスベストの被害の実態が一体どれほどの規模であり、現在挙げられている件数がそのうちどの程度現れているものなのかという点については依然疑念が晴れないのです。今後それがどう顕在化してゆくのか、という将来的な見通しこそ非常に重要になるのです。まだまだ件数の少ない中では、被災者の取り組み、特に裁判は大変な困難を強いられています。
今回の裁判は1991年に愛媛労働災害職業病対策会議(現在は愛媛労働安全衛生センターに改名)が全国労働安全衛生センター連絡会議が呼びかけて行なったアスベストホットライン第1号の相談でした。和解にいたるまでに9年、死亡されてから15年、長い時間がかかりました。また裁判のために多くの人々の協力も必要でした。当初から手弁当で裁判を支えてくれた瀬戸内法律事務所の草薙順一弁護士、全力で奮闘いただいた藤田育子弁護士、横須賀アスベスト裁判の弁護団長を務めた横浜の共同法律事務所森田明弁護士、この人達の協力がなければ裁判すらありえませんでした。
また、この裁判では医学における専門的知識が不可欠でした。死亡診断書や死体解剖所見書、X線フィルムなどについて専門的な助言をいただいた広島の宇土博医師、東京の平野敏夫医師、名取雄司医師には大変お世話になりました。全国労働安全衛生センター連絡会議や労働者住民医療連絡会議の呼びかけで協力いただいた全国の医師、研究者、活動家、これらの方々の協力がなければ裁判に必要な文献の検索や翻訳もできませんでした。
さらに、この裁判のメルクマールといえるニューヨークマウントサイナイ医科大学鈴木康之亮教授の法廷での証言は決定的でした。
そして、この裁判は新居浜医療生活協同組合や愛媛労職対に参加する労働組合の皆さんの協力で支えられました。
最終的に裁判は和解で決着しました。和解額は低いものでしたが、口頭ながら四国電力から謝罪の言葉を引き出す事ができました。また、この裁判は今後のアスベスト裁判のための重要な資料も多く残しました。
本書は、当初専門家向けの資料集として出版する予定でしたが、アスベストの問題を多くの人に提起するために物語形式を用いました。プライバシーに関わる部分については一部人物の名称を変えているところがありますが、内容は基本的に全て事実です。
最後に出版に際しては、晴耕雨読の高松源一郎氏より膨大な記録の整理だけでなく、執筆までの協力をいただきました。
改めて、協力をいただいた全ての方々に対し深くお礼を申し上げます。
平成13(2001)年1月