中皮腫で看護師が全国で初めて労災認定:アスベスト混入のタルク原因、医療用ゴム手袋再生作業で
アスベスト混入タルクに因る初めての看護師中皮腫労災に取材殺到
8月27日12時のNHKテレビニュースが全国を駆けめぐった。
元准看護師のKさん(52歳)が、手術用のゴム手袋を再利用する時の作業においてアスベスト曝露して中皮腫になり、山口労働基準監督署で労災認定されたという内容だ。ニュースを見た他のマスコミ各社もにわかに理解できない状況だったに違いない。ニュース放映の直後から関西労働者安全センターには問い合わせの電話が殺到し、午後2時半からは、同センター事務所で記者発表が行われた。各テレビ局、新聞社等がたくさん詰めかけたのはいうまでもない。その席上で、Kさんは当時の作業工程を実演してくれたのは、取材に来ていた方にとてもわかりやすかっただろう。
宇部・患者会での出会い
Kさんと私が出会ったのは、2010年11月に山口県宇部市で行われた「患者と家族の会広島支部宇部集会」のときだった。いつもどおり午前中は相談会で、午後からは会員さんたちによる情報交換を兼ねた集いを行った。宇部市は「山口宇部医療センター」があり、中皮腫の治療に精通された先生方もおられるということで、遠方からの受診者も多い。Kさんは山口県防府市在住だが、宇部医療センターに通っている患者だった。あるときインターネットで宇部集会があることを知り、参加してくれた。
そして自己紹介のとき「私は中皮腫の患者で、発見されたときは既にステージIVでした。リンパ節にも転移があり、手術はできないと言われて抗がん剤治療のみ行いました。職業は看護職でした。どこでアスベストを吸ったのかわかりません。住まいは山口ですが、昔2年間だけ大阪にいました」と語った。Kさんの言葉に強く心打たれた私は「大丈夫、任せてください。必ずアスベストを吸った原因を調べましょうね」と答えた。
聞き取りしていくと・・・
集会終了後に、聞き取りを開始した。すると地元の高校を卒業後に大阪府の看護学校に2年間通っていたことがわかり、その場所を聞いた私は過敏に反応した。大阪府高槻市、彼女の生活していた場所は、以前から私が調べているその辺りだったからだ。早速詳細な調査が始まった。
Kさんは、大阪府高槻市に隣接する茨木市高田町のA病院看護学校に入学して、高槻市阿武野にあるT病院の寮に入り、約2年間この区間を通っていた。このあたりには石綿工場があった。旧浅野スレート(1962~2001年)、カナエ石綿(1954~76年)の2件が確認されている(カッコ内はいずれも確認操業期間)。私は「工場周辺の曝露か?」と当初は考えていた。しかし、操業期間が一致しないことと、距離的に無理があった。
Kさんが1978年にA病院看護学校に入学したときは、近隣にあったと思われるカナエ石綿の操業は終わっている。そして、規模も大きく遅くまでアスベストを使用生産していた旧浅野スレート(現工一アンドエーマテリアル大阪工場)は、A病院・T病院共1.5km以上離れた距離にある。この工場から近隣被害が確認されていない段階で、1.5km以上も離れた場所にいたKさんが曝露したとは考えられない。
なぜ私が最初から高槻市のエーアンドエーにこだわったのか?
実は、エーアンドエーマテリアル社旧横浜工場(横浜市鶴見区)において近隣住民の被害が発生しているからだった。ここにきて曝露調査は振り出しに戻った。まずはKさんの生い立ちからだ。小学校、中学校、高等学校…なんらこれといった原因らしきものは無し。
家庭内曝露?父親は山口県内で大型乾燥機製造メーカーに勤務していた。工場勤務だった。かつて私は熱交換器会社に勤務していた方が中皮腫になり、労災認定を手伝ったことがある。この方は、大型乾燥機内に入り溶接作業などをして故障箇所を修理したこともあった。乾燥機内は断熱材が張りめぐらされている。そのとき内部に断熱材として使われていたアスベストを吸ったという。当然この工場には断熱材があっただろう。しかし、Kさんの父親の職場から石綿労災認定者は出していない。すると家庭内曝露はありえない、と思った。
白い粉を使いました
「看護学校時代には机の上の勉強以外、どのような実習がありましたか?」など、われながら恥ずかしくなるような稚拙な質問を投げかけた。原因を調べましょう、と胸を張って言いながら情けないことだ。建物の吹き付けも無いようだった。そういった会話の中で「どこかで粉っぽいものを使った記憶は?」との質問に、大きな展開が待っていた。
「実は、産婦人科医院に勤務していたころに手術用手袋の再生作業で粉を使いました」と思いもかけない言葉が出てきた。Kさんの勤務した病院はO医院(1980~81年)、K産婦人科医院(1981~86年)、Y耳鼻咽喉科(1994~2002年)、A特別養護老人ホーム(2002~06年)、Hクリニック(2006~09年)の5か所だった。
1981年から5年半勤務した病院での作業の中に「白い粉」があった。「その粉は何ですか?」との質問に「打ち粉とか、粉、とか言っていました」という。早速、Kさんの後輩にあたる元同僚の話も聞いた。産婦人科医院では出産の介助や手術をするときにゴム手袋を使用するが、その当時のゴム手袋は使い捨てではなくて、再利用したという。そして二人の話をまとめると、次のようになる。
- 使用済みのゴム手袋を水洗いする。
- 乾燥させる。
- 大きな黒いビニール袋(家庭用のごみ袋)に入れて、その中に「打ち粉」を入れ、打ち粉がまんべんなくビニール手袋に付着するべくビニール袋の口を閉じて混ぜていた。
- 袋の口を開けて手袋を取りだす。その際には、中から粉が舞いあがっていた。
- その後、ガス滅菌。
- 作業は一週間に1回から2回くらいで、手袋が溜まった都度行っていた。手袋は5・6組から10組位単位で行った。
- 「打ち粉」と呼んでいた粉は、500g入り位で缶に入っていた。
- 缶は市販されているベビーパウダーよりも、縦長の缶だった。
- 緑色のラベルが貼ってあったが、何と書いて有ったのか記憶がない。
- 保管場所は屋上へ行く踊り場の棚に置いてあった。
- 当時従業員は看護師を含めて12、3人いて、新任の看護師は様々な雑用をした。職務内容には「ゴム手袋の洗浄と滅菌」作業もあり、次の新任が入るまでの期間数年間は行っていた。
「白い粉」は何だったのか?単純な私は「タルクに違いない」と思った。その根拠はとてもあやふやなものだったが、かつて知り合いの医師から「昔は医療現場でタルクを使用していた」と聞いたことがあるし、他では「海外では外科医が中皮腫になった事例があり、もしかしたら手術用ゴム手袋に付着したタルクが原因かもしれない」と小耳に挟んだこともある。
そうしたある日、片岡さんが「申請するんだろ?それならば外科医の証言をもらったほうがいい」とアドバイスをくれた。労災申請を出すにしても「白い粉」がタルクであるという確証がつかめなかった私は「そうだ、証言を書いて貰おう!」と心のもやもや感が一気に吹き飛んだ。
集まる証言
古くからの知り合いのであり大阪府内で開業医しているS先生(元大学病院勤務の外科医)にお願いして、意見書を書いてもらった。
「1982年にK大学病院に入った当時、タルクは医療材料として使用されていた。医療用ゴム手袋の再生利用についても、手袋を洗浄・乾燥した後にタルクを散布していた。その頃使用したタルクは紙袋に入っていた。一袋500g位だったと思う。タルクは多くの医療現場で使用されてきた」とK大学病院に勤務していた頃の状況を証明してくれたのだ。
なぜ、このようにタルクが使用されたのか少し説明を…。
タルクとは「滑石」とも呼ばれ、ラテン語のタルクム(talcumu)に由来する。身近なものとしては、風呂上りの汗止めや、赤ちゃんのオムッかぶれ防止などに日常使われているベビーパウダーの主成分はタルクだ。タルクは滑りが良くて、皮膚によく付着して乾燥させるので、外用薬などの主薬あるいは基剤にも用いられている。また、タルクは白色または淡紅色の脂肪感に富んだ軟らかい鉱物で、滑らかで、摩耗性が優れ、化学的にも不活性な特性があり、化粧品をはじめ、紙、塗料、プラスチック、薬品など微粒の粉末材料としてあらゆる産業に幅広く用いられてきた。日本医師会治験促進センターのホームページにも「滅菌調整タルクの悪性胸水に対する胸膜癒着術の有効性・安全性に関する研究一第2相試験一」と記載されているほどに、タルクは医療現場をはじめわれわれの生活に密着していた。
2011年8月、Kさん夫妻とひょうご労働安全衛生センター事務局長西山さんと4人で山口労働基準監督署に行った。前もって電話を入れていたので、山口労基署も労災課長と担当者の二人で対応し、部屋に通されて丁寧に説明を聞いてくれた。
「手術用のゴム手袋で?!」と、電話をもらったときは驚いたそうだ。この事例は山口労働局にあげるようになる、ということは当初から聞いていたし、それも当然だろうとも思った。しかし、本省協議になってしまった。それも当然かもしれないが。
そのような経緯の中、山口労基署の担当者が、既に廃院して関東の息子さん宅に住んでいるK産婦人科医院の元院長からの聞き取りを行った。
「勤務医だった時はタルクを使用したが開業してからは植物性のものを使用した」と証言したという。「白い粉」はタルクだったのか、あるいは植物性(コーンスターチ?)だったのか、私はとても不安な日々が続いた。翌2012年始め頃、本省が大阪の居住歴を調べるためにもっと資料がいる」と言っていると聞いた。やはり大阪での居住歴が問題になっているのかとまた気がかりになった。しかし、万が一居住歴に間接的な石綿曝露があろうとも職業で使用していれば労働災害になる。
患者会活動が役割
Kさんがどこかでアスベストを吸って、中皮腫を発症して苦しんでいる。この事実だけで充分だ。他に曝露が見つからないのならば明らかに「白い粉」が原因で、白い粉はタルクだ。呪文のように心に言い聞かせていたある日、Kさんのもとに山口労基署から「認定」の電話が入ってきた。本省協議を2回も繰り返してやっと認定が決まった。待ちに待った認定通知は7月末に届いた。
大きくて意義ある事案だと思った。もちろん看護師さんの手袋再生業務においての石綿曝露というショッキングなニュースだったが、それと同時に患者と家族の会の果たした役割も重要だった。広島支部は今年10月で設立7周年を迎えるが、広島支部は笠原倫子世話人を中心にこつこつと続けてきた。そういった支部活動の中で、ある時期から山口県在住の会員さん達のために「宇部集会」を行うようになった。2010年11月、その宇部集会開催の案内をみてKさんが参加した。その瞬間から今回の「医療現場のタルク」問題につながったのだ。このように一人ひとりの出会いが問題提起につながり、大きな社会現象を起こすことはクボタショックの時に実証されている。
労災認定の影響
タルクによる石綿曝露はよく知られているが、医療現場で元看護師による作業事例は初めてだ。しかし、先にも書いたようにそれ以外にも大変に幅広く使用されている。ベビーパウダーは1987年代に大きな問題になったとこは周知の事実だ。多くの国民が使用したベビーパウダーだが、自分の使用していた商品にアスベストが混入していたのか否かは知らない人も多い。この件に関しては先日厚生労働省に調査を申し入れしているので、報告待ちの状態だ。その要請の席で「タルクは薬剤や動物の飼料にも含まれているが、経口摂取するには被害はない」と厚生労働省は言っている。しかし、製造過程で石綿曝露する危険性は否めないと思う。
ある接骨院経営者が今回のニュースを見て慌てて問い合わせをしたという。「私どもほねつぎも長年患者さまの患肢にかけ軽擦法を行ってきた。不安に想い、N衛生材料にデンワ、製造元に問い合わせ確認。厚生労働省の定める含有量も0.1%以下とあり、なんら健康に問題ないとのことで安心した」ということをプログで紹介している。
日本看護協会は8月29日付けでホームページで呼びかけた。
「7月24日、山口県の准看護師が中皮腫を発症したのは、1981年~86年に医療用ゴム手袋を再利用するため、アスベスト(石綿)を含む粉(タルク)を使った作業をしたのが原因として、山口労働基準監督署が労災認定しました。ゴム手袋等の再利用のために、アスベスト(石綿)が含まれる粉(タルク)を利用することは、1980年代まで一般的に行われていました。現在は、アスベスト0.1%以上含むタルクの製造や使用は禁止されています。みなさんの職場でも、タルクが原因となった中皮腫の発症とその労災認定について情報共有を行ってください。」 https://www.nurse.or.jp/home/news/00886.html
ちなみに最近の聞き取り調査の中で元看護師の中皮腫患者Kさんが「1988年に看護職につ
きましたが、私がゴム手袋再生に使用していたのはJメーカーのベビーパウダーでした」という証言もある。タルクとベビーパウダーの違いは香料の有無でも解る。この方の曝露原因は他にあるようだ(脚注※)。
「元准看護師の労災認定」が巻き起こした問題はとてつもなく大きな課題だ。
(中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会 古川和子)
安全センター情報2012年12月号
※ベビーパウダーの主原料はタルクなので、ベビーパウダーとタルクが別物であるというのはそこまでの記述に照らすと筆者の誤解か誤記だと考えられますが、原文のママ掲載しました。