胆管がん事件の経緯と現状・熊谷信二/胆管がんシンポジウム-報告1 2012年12月16日大阪

胆管がん事件の経緯と現状/ 熊谷信二

産業医科大学産業保健学部安全衛生マネジメント学

2011年の3月からこの事件の調査を実施してきたものですが、調査に当たりましては、多くの患者さんおよびご家族の皆様のご協力を得ることができ、報告書としてまとめることができました。この場をお借りして、お礼申し上げます。

さて今日は、この事件の経緯と現状、そして、このような事件を防ぐにはどうすればいいのかというようなことをお話ししたいと思います。
最初に経過を説明します。この事件が広く知られるようになったのは、2012年5月18日のNHKのニュース9の全国放送以降のことです。翌日の新聞には「元従業員4人 胆管がん死」「日本人平均の600倍」というような見出しで各社が報道しました。そして、厚生労働省による印刷事業所の全国調査なども行われるようになりました。

会社は株式会社SANYO-CYPですが、1969年に創業しています。その後、何回か移転を繰り返して、現在の社屋が建設されたのが1991年です。地上6階建ての建物ですが、実は地下1階があり、そこに多くの犠牲者を出すことになった校正印刷作業場が作られました。換気の悪い地下に作業場を作ったことで、この時以降、有機溶剤の濃度が非常に高くなっただろうと考えることができます。後で説明しますけれども、排気設備はあるのですが、効率が非常に悪かったことがわかっています。

患者の発生

図1は、患者さんの発生状況を時系列的に示したものです。さきほども言いましたが、1991年に現在の社屋が建設され、地下に校正印刷作業場が作られました。最初の患者さんが出たのは1996年です。在職中の方です。その次の年には2番目の患者さんが、やはり在職中に発症しています。1999年には3番目の患者さんが出ています。この方は退職した後に発症しています。時期を同じくして、また別の方ですけれども、劇症肝炎になられる。それからもう1人、急性肝炎になられます。いずれも在職中です。

したがって、1990年代後半に肝臓・胆管の非常に重篤な病気が相次いで発生したことになります。このため会社の中でも問題になったようで、会社内のミーティングで、これは有機溶剤のせいではないかと発言された従業員の方がおられたと聞いております。ただ、社長さんが「証拠はあるのか。証拠もないのに、そんなこと言ったらみんな不安になるやないか」ということで、かなりきついお叱りがあったと聞いております。それ以降、職場ではそういう話は一切できなくなったようです。

その後も職場の環境が変わってないわけですから、次々と患者さんが出てきます。2003年に在職中の方が発症する。2004年には、やはり在職中の方、2006年には、退職後の方が発症する。2007年には、7番目、8番目ということで2人の方が発症します。それから2009年には、9番、10番の方、いずれも退職後ですけども発症しています。それから2010年に11番目、12番目と在職中の方が発症される。今年(2012年)は、すでに4人の方が発症しています。いずれも在職中の方です。こんなふうに非常にたくさんの方が発症しています。

調査の発端と経過

次に、どんなかたちで私に調査依頼があったかということについてお話します。最初に、Aさんという患者さんのご友人が、Aさんの死亡に非常にショックを受けられて、この会社をこのままにしておいてはいけないと思われ、元従業員からの被害情報をまとめていかれます。この方が集められた情報というのは、「肝臓がん」「胆管がん」「胃がん」「濾胞がん」などのがんを発症された方が9人もいるというものです。そして、この情報を持って、2011年3月に、京都ユニオンを通じて関西労働者安全センターに相談に行かれたわけです。

9人が様々な部位のがんということなのですけれども、その後の調査で、すべて胆管がんであったということがわかりました。この情報がなければ、今回ここまで調査を進めることはできなかったと思います。それで、2011年3月に私に調査の依頼があったという経過です。

私は最初にお聞きしたとき、えらい多いなと思いました。本当かな?というのが最初の正直な感想でした。こんな若い人たちが、こんなにたくさんがんになるのだろうかと。印刷会社なので有機溶剤を使っているだろうと思っていたのですが、有機溶剤でこんなにたくさんがんが出るのだろうかというのが最初に思ったことで、他の原因ではないかと思っていました。ただ本当だったら、これは大変なことだなとも思っていました。

次に私が何をしたかということと、調査した結果がどうであったか、そして、原因は何であると考えられるのかについてお話します。

最初に、元従業員の方の記憶をたどって従業員名簿を作成しました。それから、まずAさんの医療情報の確認ということで、ご家族にご協力いただいて医療情報を取得して、肝内胆管がんであるということを確認しました。その後、4人の患者さんあるいはご家族に連絡をとり、医療情報を確認していきました。その結果、全員が肝内・肝外胆管がんであると判明しました。私自身、非常に驚きでしたし、この時点で、これはおそらく職業病だろうと思うようになりました。

次に作業内容について調べていきました。元工場長の方が非常に協力的だったので、いろいろなことをお聞きしました。使用していたインキや洗浄剤の商品名がわかりましたから、販売会社に連絡をして、成分を調べるということをしました。成分がわかると、次に文献調査ということで、どういう毒性があるか、動物実験ではどういう結果が出ているか、疫学調査ではどんな結果が出ているかということを調べました。そして、これらの調査結果を意見書にまとめて、2012年3月に労災申請を行いました。

労災申請後は、5月に日本産業衛生学会で発表する予定でしたので、マスコミの取材がはじまり、さきほど言いましたように、5月18日にNHKが報道、19日に新聞等が報道することになりました。
これ以降、マスコミによる大々的な報道があり、そのおかげで多数の元従業員と連絡が取れるようになってきました。5月18日の時点でわれわれが胆管がんであることを確認できていたのは5名だけだったのですが、それ以降は多くの方が連絡してくださるということで、だんだん全容が判明してきました。

現在までに判明している概要は、16人の方が肝内・肝外胆管がんを発症して、うち7人が亡くなられているということです。それ以外の方でも、肝機能異常を指摘されている方が多数おられるという状況です。

医療情報の確認

私の方で医療情報を確認しているのは現在、16人中11人です。全員が男性です。そのうち6人の方がお亡くなりです。診断時の年齢が25歳から45歳ということで、非常に若いです。それから、勤務時期が1985年から2012年で、勤務期間が8年から20年です。B型肝炎及びC型肝炎は胆管がんのリスク因子ですが、検査結果は全員陰性でした。多量飲酒者はいませんでした。

肝内胆管がんと肝外胆管がんの違いについて少し説明します。
まず胆管ですが、これは肝細胞から分泌される胆汁を十二指腸まで送る管です。肝臓の中を網目状に走っているのが肝内胆管、肝臓から出て十二指腸までつながっている胆管を肝外胆管と呼んでいます。それぞれどこががんになったかということで、肝内胆管がん、肝外胆管がんと呼んでいるわけです。

さきほど発症年齢が25から45歳で非常に若いと言いましたが、その点を説明します。図2の左のグラフは、肝内胆管がんの5歳階級別の死亡率です。年を取ると比較的多く発症しますが、25歳から45歳まででは非常に少ないことがわかります。図2の右のグラフは、肝外胆管がんの5歳階級別の死亡率です。やはり、25歳から45歳まででは非常に少ないことがわかります。
したがって、この会社の校正印刷部門における胆管がんの発症は、明らかに異常であることがわかります。

疫学的検討

次に疫学的検討についてです。
校正印刷部門に1991年から2006年までの間に1年間勤務した方は男性62人、女性11人です。この期間はどういう時期かと言いますと、1991年は現在の社屋が稼働した時期です。つまり、地下に校正印刷作業場ができ、さらに校正印刷機の台数が増えてますから、有機溶剤の濃度が非常に高くなったと考えられる時期です。2006年というのは、私がいま原因と疑っている1,2-ジクロロプロパンの使用をしていた最終年です。

つまり、この時期に1年以上勤務した方というのは、1,2-ジクロロプロパンの非常に高いばく露を受けていた方たちということが言えると思います。この方たちの中で、2011年12月までに男性6人が肝内・肝外胆管がんで亡くなっているわけです。7人亡くなっているのですが、私の方で医療情報を確認できたのが6人ということです。

これらの数字から日本人男性の平均と比較して何倍死亡しているかを計算すると、2,900倍という数値が得られました。つまり、もし日本人の男性と同じ死亡率で胆管がんになって亡くなられるとすると、何人くらい亡くなられるかというのを計算するのですけども、その2,900倍ということです。
この会社では、事務・営業部門では胆管がんの発症は聞いていません。以上のことから、校正印刷部門の従業員の胆管がん発症が校正印刷部門の業務に関連していると結論するのが、普通の考え方だと思います。

作業内容の検討

では、どういう作業をしているか、これが重要になってくるわけです。
ここの会社は普通のオフセット印刷会社とは少し違っていて、色校正印刷の専門会社です。どういうことかと言いますと、外部の会社から、この原稿を刷ってみてくれという依頼を受けるわけです。それで、この会社では版を作り、10枚くらい印刷して、外部の会社に渡すのが仕事です。どこが違うかと言うと、1種類の印刷枚数が非常に少ない点です。ここが、ひとつのポイントになります。
当時の地下1階の校正印刷作業場には、校正印刷機が7台ありました。ほとんどずっと稼働していたと聞いています。こちらは前室で、校正印刷の進行を管理する方、版を作る方、紙を準備される方が働いていました。これらの方も頻繁に印刷作業場に出入りされていましたし、また、校正印刷も一部担当されていた方もおられました。

オフセット印刷の仕組みについて説明します。オフセット印刷の版は平たいアルミ板です。表面は平坦です。その表面のインキを付けたい部分を親油性に、付けたくない部分を親水性に処理します(図4)。
そして、平台の上に版と紙を置きます。水を含ませたスポンジで版の上を拭いて水を塗布します。そうすると、親水性のところに水が付いて、親油性のところは水をはじきます。次に、版の上をインクロールを転がしてインクを付けます。そうすると、親油性の所だけにインクが付くわけです。このようにして、インクを付けたい部分だけにインクを付けることができます。

その次に、ブランケットというゴム性のロールを版と紙の上を転がします。これにより、インクが版からブランケットに転写され、さらにブランケットから紙に転写されます。このように、版から紙に直接インクが転写されるのではなく、ブランケットを介してインクが転写されるのです。これがオフセット印刷の特徴です。(図5)

1色の印刷が終了すると、インクを落とす洗浄作業があります。つまり、赤を印刷したら洗浄して青の印刷をし、それが済んだら洗浄して黒の印刷というようにしていきます。黒から黄色に変更するときは、黒をよく落とすために2回洗浄します。したがって、1種類の印刷をするために、全部で5回洗浄するのです。普通のオフセット印刷でもこういうことをやっているわけなのですが、校正印刷では、1種類の印刷枚数が10枚程度と少ないために、色替えの頻度が非常に多いのです。

この作業場での洗浄回数は一日に300回から800回くらいあったと推計できます。元従業員の方は、「いつもどこかの校正印刷機で洗浄作業が行われていた」と言われていますので、この作業場の中でいつも有機溶剤が使われていたことになります。ブランケットの洗浄では、布に有機溶剤を付けて拭き取るのですが、使った布をそのまま放置しておくので、使った有機溶剤が全て蒸発して、作業場に拡散していたと考えることができます。

洗浄剤の成分ですが、インクロールの洗浄剤としては、灯油を使用していました。ブランケットの洗浄剤は、時期によって異なるのですが、1,2-ジクロロプロパン、ジクロロメタン、1,1,1-トリクロロエタン、脂肪族炭化水素、グリコールエーテル類、アルコール類などを使っていました。

換気設備については、印刷機の下の床に排気口があり、排気していました。ただし、換気効率が非常に悪かったことがわかっています。それから、呼吸保護具は支給されていなかったということです。だから、作業場の空気をそのまま吸っていたということになります。また、洗浄時には、プラスチック性の手袋を着用していたということです。

原因は何か?

次に、原因は何かということです。
図6は、11人の方の勤務時期、胆管がんの診断時期、使用していた洗浄剤の成分などを示したものです。これを見ればわかりますが、胆管がんになられた方は全員が、1,2-ジクロロプロパンにばく露されていたわけです。したがって、1,2-ジクロロプロパンが非常に有力な原因物質と考えられます。それから、ほとんどの患者さんが、ジクロロプロパンにもばく露されていました。したがって、ジクロロメタンも疑われます。

これらの物質へのばく露レベルがどれくらいだったかということが重要ですが、労働安全衛生総合研究所―国の機関ですけれども―が、同社の校正印刷作業場で再現実験というのをやっています。洗浄剤としては、1,2-ジクロロプロパンとジクロロメタンを混ぜたものを使っています。実際に模擬作業を行って、どれくらいの濃度の有機溶剤を吸っていたかというのを推定しているわけなのですが、そのデータを基にして、私の方で推定し直したものが、図7の数値です。時期によって違うのは、洗浄剤の成分が少しずつ変わっているためですが、大雑把に言うと1,2-ジクロロプロパンが100ppmくらいから、一番高い時期は670ppmくらいです。

1,2-ジクロロプロパンの許容濃度は、日本では設定されていませんが、アメリカの政府系機関の米国産業衛生専門家会議ACGIHでは10ppmと定めています。したがって、その数十倍のばく露を受けていたことになります。ジクロロメタンの方は80ppmくらいから540ppmです。日本産業衛生学会の許容濃度が50ppmですから、高ければ10倍くらいになっていたということです。一方、前室の方でも許容濃度を超えているようなばく露を受けていたということがわかります。
以上より、1,2-ジクロロプロパンとジクロロメタンが原因物質として疑われます。

毒性及び動物実験

ただし、許容濃度より高いばく露があったからがんを起こしたということにはならないわけです。そこで、この物質が実際に胆管がんを引き起こす可能性があるのかを考えてみました。

まず動物実験ですが、1,2-ジクロロプロパンはマウスに肝細胞腫瘍を引き起こしますが、ラットでは引き起こしません。したがって、マウスの方が肝細胞腫瘍になりやすいのです。一方、ジクロロメタンも同様の傾向があって、マウスでは肝細胞腫瘍が増加、ラットでは増加の傾向が有りということです。このようにラットとマウスを比べると、マウスの方が1,2-ジクロロプロパンあるいはジクロロメタンにより肝細胞腫瘍を発生する可能性が高いと言えます。

これについては、一般的に次のような説明がされています。グルタチオン-S-トランスフェラーゼ(GST)という酵素があるのですが、この酵素が、ジクロロメタンを発がん性物質に変えていると考えられています。したがって、この酵素の活性が高けれど高いほど発がん性物質ができやすいということなのですけれども、肝細胞でのGSTの活性が、マウスはラットの10倍以上高いのです。だから、マウスの肝臓の中でジクロロメタンを発がん性物質に変える能力が非常に高いと。だから、マウスでは腫瘍ができるのだというのが、一般的な考え方です。

一方、ヒトの肝臓でのGSTの活性はラットよりも低いということで、これまではジクロロメタンのヒトへの発がん性は低いと考えられてきました。ただ私が重要だと思っているのは、ジクロロメタンの代謝にもっとも重要な役割を果たすGST T1という酵素があるのですが、この酵素が存在する部位に違いがあるということです。マウスの場合は、肝臓の中では肝細胞の核内にあります。だから、肝細胞腫瘍を引き起こします。ところが、ヒトでは胆管上皮細胞の核内にあることがわかっています。したがって、ヒトの胆管上皮細胞の中でこの酵素が働いて、これらの化学物質を発がん性物質に変えている可能性は十分にあると考えられます。
ただ誤解していただきたくないのは、GSTというのは重要な酵素で、いろいろなものを別のものに変えて毒性を低くするような役割もあるのです。ただ、たまたまジクロロメタンの場合には毒性の高いものになってしまうということであり、悪者ではありません。

疫学調査

次に疫学調査を見ます。
疫学調査というのは、ヒトを対象として、この場合ですとジクロロメタンを使っている労働者ですが、彼らをずっと追いかけて、ジクロロメタンに曝露されるとどんな影響がでるかを明らかにするための研究です。

例えば、図8の調査であれば、フィルムベースを作る過程でジクロロメタンを使っていた労働者1,473人の方をずっと追いかけていって、どういう原因で亡くなられているかというのを調べています。人間というのは必ず死亡しますが、その集団が普通の人と同じように死亡しているのであれば、とくに影響がないわけですが、例えば、肺がんによる死亡がすごく増えていたら、使用している化学物質が肺がんを引き起こしているのではないかというように考えていくとわけです。

これらは、ジクロロメタンを使用していた4つの労働者集団の調査結果です。
ジクロロメタン濃度でみると、右側の2つの集団がばく露濃度が高い集団です。ここに肝臓・胆道の悪性新生物が原因で死亡した労働者の人数が示されています。左側の集団から順に、0人、1人、4人、2人ということです。これらは肝細胞のがんも含んでいるのですが、胆道がん(胆管がん・胆嚢がん)に絞ると、右側から二つ目の集団では、4人のうち3人までが胆道がんであった。一番右側の集団では、2人のうち2人とも胆道がんであったということです。それで、この最初の調査(54~86年の観察)では胆管がんだけで、一般人と比べて何倍多いかというのを計算していて、20倍だと述べています。ただし、その後の観察期間を延長した調査では、新たな胆道系のがんが出なかったので、一番最後の報告にはまったくこのことをふれていないんですけれども、計算すると、おそらく高かったと考えられます。したがって、いまから考えると、この調査は、ジクロロメタンの高いばく露を受けると胆道系のがんが増えるということを示していたんではないかと考えることができます。

結 論

結論ですが、まず第1に、S社で発生した肝内・肝外胆管がんは業務に起因するということです。

これは明確だと私は考えていまして、厚生労働省は早く労災認定するべきだと考えています。それから2番目ですけれども、原因として1,2-ジクロロプロパンとジクロロメタンが疑われるということです。つまり、業務に起因するのは間違いないだろう。そして、その原因としてこの2つの物質が疑われるというのが現在の考えです。

その後、厚生労働省の調査が行われて、いま現在50数人の印刷労働者が胆管がんで労災申請しています。宮城県のある印刷会社では、30代と40代の方が胆管がんになっており、仕事が原因と疑われます。その会社では、洗浄作業を長時間行っていたこと、洗浄剤として1,2-ジクロロプロパンをかなり大量に使っていたこと、そして、窓を閉めた状態で作業をしていたことがわかっています。この件も、1,2-ジクロロプロパン原因説を支持するものと考えています。

図9は、新聞にも出ていますけれども、厚生労働省が実施した7,105の印刷事業場の状況ですけれども、局所排気装置とかプッシュプル換気装置の設置状況が3分の1程度にすぎないことがわかります。あるいは、有機溶剤の特殊健康診断を73%の事業所が実施していない。有機溶剤の作業主任者も58%の事業所では選任していない。作業環境測定も57%の事業所で実施していないということです。印刷業界の実態がわかります。

この事件の教訓

最後になりますけれども、この事件を教訓として、このような事件を発生させないために何が必要かという観点で3つあげてみました。

1つは、事業主の責任の明確化ということが必要だと思います。
これは法的規制がない化学物質であっても健康被害が発生すれば、それは事業主の責任であることを法律で定める必要があるということです。どういうことかと言いますと、いま私は原因を1,2-ジクロロプロパンではないかと言っているのですが、1,2-ジクロロプロパンは有機溶剤中毒予防規則には入っていないのです。だから事業主に対して、局所排気装置を設置しなさいとか、作業環境測定を実施しなさいというような義務付けがされていない物質です。しかし、そのような物質であっても、労働者に健康被害が出たら、それは事業主の責任であるということを明確に規定する必要があると思います。そうすることで、化学物質の安易な使用を防ぐことができるのです。

次に、労働者の権利を明確にすることです。
まず、自分が扱っている物質の成分と毒性を知る権利です。化学物質を販売する会社は、成分と毒性を記した文書SDSを販売先に提供するべきことが法律で定められていますが、ただそれは事業主に渡すのであって、事業主が自分のとこの労働者にそれを見せなければ、労働者はそれを知ることができないのです。今回の事例では、私がSDSを提供してほしいと依頼した会社の中で1か所は、「うちは販売先の会社にはSDSを提供しているけれども、他には提供しないことにしている」というのです。たしかに現行の法律ではそれでもいいのですが、それでは被害が出ているときに原因究明の調査が進まないわけです。したがって、法律を改定することが必要です。労働者自身から依頼があれば、事業主を通さなくても販売会社は提供するように義務付ける。また、退職者からの依頼にも対応するよう、法律を改定するべきです。

次に、化学物質による健康影響を予防する権利。
これは当たり前のことなのですが、そのひとつとして、職場の化学物質対策の決定に参加する権利ですね。働いている人がどういう場面で化学物質のばく露を受けるかというのを一番よく知っているので、労働者が対策を決定する場面に関与する権利を明文化する必要があるのではないかと思います。

それからもうひとつは、職業がんの労災認定の時効の撤廃ということですね。
これはいま問題になっていますけれども、労災の申請というのはお亡くなりになって5年以上経つと、ご遺族は申請すらできないというのがいまの制度です。職業がんの場合はばく露を受けてから非常に長い間を経てから発症します。退職されてから発症する場合もよくあるということから考えると、職業がんの労災申請に時効を作っていることそのものがおかしいと思います。この件に関しては、既に石綿により発症する中皮腫や肺がんでも問題になりました。今回の事件は同様の問題を提起しているのですから、早急に時効を撤廃する必要があると思います。

最後に、医療従事者の役割と書いたのですが、異常を発見したら労働基準監督署に通報するシステムが必要ではないかと思います。
今回、お亡くなりになった方の中にも、治療中に「同僚の中から4人の胆管がんが出ているが、仕事のせいじゃないか」と訴えられた方がいます。実際に使っていた商品名もあげられています。カルテを見るとそういうことが書いてあります。そこで、もし聞かれた医療従事者が―もちろん病院は治療が最優先なので、そこですぐに原因究明はできないと思うのですけれども―少なくとも労働基準監督署に通報することができていたら、このような実態はもっと早く明らかになったと思います。だから、通報するシステムを作ることが必要だと思います。

以上で私の話を終わります。ご清聴ありがとうございました。

安全センター情報2013年4月号