腰痛・頸肩腕障害のフィリピン人女性 東京●6年ぶりに介護職場に復帰

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作業量4倍強

フィリピン女性のAさん(2013年発症当時45歳)が、介護老人保健施設で働きはじめたのは2007年だった。出産のためいったん退職し、2009年から仕事に復帰したAさんは入浴担当になった。

平日の午前9:30~11:00頃、午後は1:30~4:00頃までが入浴ケアだった。入浴の時間、各フロアスタッフと看護師が4~5人やってくるものの、浴室まではいるのは、午前中はAさんともう1名、午後はAさんを加えて3~4名ほど。他の人は着替えなどに対応する。
大型1台、小型2台の浴槽機械があり、順番を考えつつ進めるのだが、手馴れているAさんが対応する数が多くなるのが常だった。

入浴介助作業はしんどい作業である。
利用者さんたちの体重は30kg~60kg台までいろいろ。お湯、ボディソープ、シャンプ一、リンスなどを使うので、利用者が滑ってケガをしないようにしっかり支え、気を配る。右利きのAさんは、浴室内での移動、湯船で身体を洗う作業など、右手作業を繰り返す。その作業も利用者の身体を傷つけないように手元の力のコントロールが必要で、その分、肩などに余分な力が入りがちである。足に履くサンダルは滑りやすく、両足に力が入る。さらに、湯船での作業は腰をかがめての前屈み姿勢が続く。
他の職員が延べで週60人程度の入浴業務であるのに対し、Aさんは270名にもなった。また、Aさんは、入浴の仕事と自分の食事休憩以外は、フロアの手伝いもした。移動、おむつ交換、トイレや洗面所誘導、清拭、備品交換などだった。

腰から首、肩、腕、指、下肢と・・

2012年、トランスでバランスを崩し腰を痛めたAさんは、1週間ほど休んだ。そのあとも、腰痛がなくなったわけではなかったが、医療機関への受診はせず、なんとか仕事を続けていた。
2013年に入ってAさんは、腰痛の悪化とともに右の首・肩・腕、指、右の下肢にまで広がる痛みと痺れに悩むようになった。やがて痛みが強すぎて眠れなくなった。近所の病院では「疲れだろう」といわれ、点滴などを受けた。当時の施設長は有給休暇をなかなか使わせてくれなかった。欠勤になってしまうと家計に響いてしまうので、無理を押して出勤するしかなかった。

診断そして労働組合加入、団交

この年の6月、ひまわり診療所を受診したAさんは、腰痛症と頚肩腕障害の診断を受けた。労災請求の手続をとったうえで、労働組合に加入。身体の負担が大きい入浴ケアからはずしてもらうよう施設と交渉をした。団体交渉の結果、フロアの日勤に異動となった。フロアの仕事とはいえ、Aさんには、腰痛ベルトと鎮痛のための座薬なしにはできないきつい仕事だった。有給休暇を使うこともできるようになったため、残っている有休を一日一日使いながら労災の認定を待った。
腰痛・頚肩腕樟害の調査は時間がかかる。Aさんが業務上認定を受けたのは、2014年3月のこと。労災認定が決まるや否やいよいよ限界だったAさんは休業に入った。

労災認定から休業、そして障害申請

Aさんは、日々の強い痛みに恐怖すら感じるようになっていた。それもあって休業開始とともに日常レベルでも動く機会が少なくなり体重も増加した。足腰の筋力も弱まり、悪循環にはまり込んだため、一時期、杖を使って歩くようになった。
2017年末、労基署から「年明けには症状固定」との事前通知を受け取った。はじめは「打ち切りされたら困る」と不安でいっぱいだったが、労働組合とも相談し「症状固定」を受け入れ、障害補償申請することにした。

2018年7月に決定された障害等級は14級。彼女の痛みの日々からすれば、あまりに低い等級だったが、労働組合と相談して元の施設に復職を求めていくことに決めた。なぜなら彼女は、介護の仕事が好きだったからである。

「もう一度働きたい」
労組、職場の協力で復職

休んでいる間に痛めた膝がまだ治り切れていなかったAさんは、杖をついて元の職場を訪ねていった。「もう一度働きたい」と相談すると、新しい施設長は、彼女の熱意を受け止めてくれ、「週3日短時間勤務でフロア掃除からはじめてみてはどうか。少しづつ、体調をみて介護もできそうなら、また相談していきましょう」と言ってくれたそうである。2019年2月、Aさんは職場に復帰した。

この6月、ひまわり診療所に定期の受診に訪れたAさんは、「足腰が疲れる」とは言いながら、以前よりすっきりとして、表情も明るくなったそうだ。労働者の「働きたい」という意欲を受け止める職場と、労働者の「働けた」という実感の相互作用で回復が進んでいる事例である。

安全センター情報2019年10月号