泉南アスベスト国賠訴訟最高裁判決の意義と課題-すべての被害者に迅速かつ全面的な救済を/村松昭夫

(泉南アスベスト国賠訴訟弁護団 団長、大阪アスベスト弁護団 団長)

【出典】 労働の科学 70巻9号 2015年「特集:アスベスト問題は終わっていない」

はじめに

泉南アスベスト国賠訴訟は,2006年5月の1陣訴訟の提訴から,1陣訴訟,2陣訴訟合わせて4つの下級審判決を経て,2014年10月9日,アスベスト被害において初めて国の責任を認める最高裁判決が言い渡された。その内容は,国には,1958年から1971年まで,石綿粉じんを発生源の近くで吸引して除去する局所排気装置の設置を義務づけなかった点で,規制権限不行使の違法があったというものである。

当然といえば当然の判決ではあるが,1陣高裁判決(2011年8月)が,産業発展やアスベストの有用性のためには,いのちや健康が犠牲になってもやむをえないなどとして原告らの請求をすべて退けていたこともあり,最高裁の判断が注目されていた。その意味で,最高裁が,アスベスト訴訟においても,いのちや健康を重視し行政の怠慢を厳しく指摘した意義は大きい。全国6ヵ所で取り組まれている建設アスベスト訴訟ばかりか,アスベスト救済制度や被害防止の規制や対策など行政の今後の施策にも大きな影響を与える判決である。

アスベスト被害の原点―泉南アスベスト

大阪府泉南地域は,100年前から石綿紡織業が地場産業として隆盛し,わが国の石綿紡織品の7割から8割を生産していた。しかし,早くから深刻な健康被害が進行し,1937年からは,旧内務省保険院による石綿工場労働者の健康影響調査が実施され,1940年3月には「アスベスト工場に於ける石綿肺の発生状況に関する調査研究」(保険院調査)がまとめられた。調査対象工場は19工場,対象となった労働者総数は1,024名,内泉南地域は11工場,416名であった。調査では,650名に対するレントゲン検査も実施され,実に12.4%が石綿肺あるいはその疑いがあると診断され,粉じん対策についても「防塵設備は大部分に於いて考慮が払われて居らぬ現状である」と報告されていた。こうしたことから,報告では,「特に法的取締まりを要することは勿論である」として,緊急対策や法的規制の必要性も指摘されていた。

戦後も,泉南地域を中心に継続的に調査が実施され,そのつど,戦前と同様あるいはそれ以上の石綿関連疾患の多発が報告されていた。

泉南地域は,70年以上も前から凄まじい石綿粉じんの飛散と被害の現場であり,わが国のアスベスト被害の原点であった。

なぜ国の責任か

2005年6月の「クボタ・ショック」を切っかけにして,泉南地域でも,弁護士や医師,市民らによる「医療・法律相談会」開催などアスベスト被害の掘り起こしが始まった。それと並行して,深刻な被害を発生させた原因,責任はどこにあるのか,その究明作業も開始された。そのなかで明らかになったのは,以下のような国の重大な責任である。

泉南地域で生産された石綿紡織品は,耐火性や耐熱性などの優れた特性のために自動車,造船などの基幹産業に使用され,その発展に大いに貢献した。その一方で,泉南地域の石綿工場の多くは,小規模零細で経営基盤も貧弱であったことから労働環境はきわめて劣悪であり,そのなかで,最も危険な石綿そのものを原料として扱っていた。従って,泉南地域の石綿工場は,もともと放置すれば石綿肺などの石綿関連疾患が多発する構造的な危険地帯であった。現に,泉南地域では早くから深刻な石綿被害が進行し,国自身による実態調査(保険院調査)も実施され,緊急対策,法的規制の必要性も指摘され,具体的な規制や対策の提言も行われていた。戦後も,国が関与した調査が繰り返し実施され,そのつど,驚くべき被害実態が報告されていた。にもかかわらず,国は,石綿製品がわが国の経済発展に不可欠であったことから,実効性のある規制や対策を行わず,そのため,泉南地域では,石綿粉じんが工場内外に大量に飛散し,工場労働者だけでなく,近隣住民や労働者の家族にも石綿被害が発生し,家族ぐるみ,地域ぐるみの被害として進行した。そこには,国による石綿産業の保護育成と,必要な規制や対策を行わないという怠慢(不作為)が深く関わっていた。

以上のような,被害の掘り起こしと原因・責任の究明を経て,2006年5月,わが国で初めて,アスベスト被害に対する国の責任を問う集団訴訟として,泉南アスベスト国賠訴訟が提起された。

判断が分かれた下級審判決

⑴ 初めて国の責任を認めた1陣地裁判決と1陣高裁の不当判決

1陣訴訟は,4年間に及ぶ原告と国との激しい攻防を経て,2010年5月,わが国で初めて,アスベスト被害に対する国の責任を認める画期的な1陣地裁判決が言い渡された。

ところが,2011年8月,大阪高裁(三浦潤裁判長)は,原告らの請求をすべて退ける驚くべき不当判決を言い渡した(1陣高裁判決)。

判決は,冒頭部分で,生命や健康の保護,あるいはそのための法規制と産業発展の関係について言及し,生命や健康被害の「弊害が懸念されるからといって,工業製品の製造,加工等を直ちに禁止したり,あるいは,厳格な許可制の下でなければ操業を認めないというのでは,工業技術の発達及び産業社会の発展を著しく阻害するだけではなく,労働者の職場自体を奪うことにもなりかねない」として,「どのような規制を行うべきかについては,工業製品の社会的必要性及び工業的有用性の評価と…発生が懸念される労働者の健康被害等の危険の重大性…等」を「総合的に判断することが要求される」とし,「規制を実行するにあたっては…他の産業分野に対する影響を考慮することも現実問題として避けられない」とも判示し,規制権限の行使にあたって国に広範な裁量を認めた。

この判決は,「労働者の生命・健康」と「産業発展」を同一の天秤にかけ,場合によれば,石綿の工業的有用性や産業発展が優先しても構わないというものであり,生命・健康を至上の価値として最も尊重すべきとする現行憲法や従来の判例の価値判断に対する重大な挑戦と言わざるをえない不当判決であった。

⑵ 再び,三度(みたび),国の責任を認めた2陣地裁判決と2陣高裁判決

しかし,この不当判決からわずか7ヵ月後の2012年3月,大阪地裁は,2陣訴訟において,「経済的発展を理由に労働者の健康を蔑ろにすることは許されない」と明言し,再び国の責任を認める判決を言い渡した。

そして,2013年12月,大阪高裁(山下郁夫裁判長)は,三度(みたび),国の責任を認める2陣高裁判決を言い渡した。

判決は,1958年時点では,国は,石綿肺の重大な被害発生を予見することが可能であり,局所排気装置の設置を義務づける技術的基盤も存在したとして,この時点で局所排気装置の設置を義務づけるべきであったとした。また,旧特化則において局所排気装置の設置が義務づけられた1971年以降も,1972年には,発がん性や中皮腫の医学的知見が集積されていたことを指摘して,よりいっそうの規制強化が求められていたとし,使用者に対し,労働者に防じんマスクを着用させることや特別安全教育の実施を義務づけるべきであったとした。

さらに,1974年9月には,抑制濃度(局所排気装置の性能要件)の数値を日本産業衛生学会の勧告値(1㎤あたり2本)に見直すべきであったとし,その見直しが1988年まで遅れた点も違法とした。

判決は,以上のような国の責任の重大性を指摘して,国の責任範囲を全損害の2分の1とし,基準慰謝料額も従来のじん肺訴訟判決よりも増額した。まさに,1陣高裁判決とは正反対の内容であった。

こうして1陣訴訟と2陣訴訟はともに最高裁に係属することになり,最高裁には,いのちや健康よりも産業発展を優先した1陣高裁判決を支持するのか,それとも,人の生命,健康は,行政活動において常に尊重されるべきとする2陣高裁判決を支持するのか,その判断が厳しく問われることになった。

そして,2014年10月9日,最高裁判決が言い渡された.

最高裁判決の内容と意義

⑴ 最高裁も生命,健康を重視し,国の責任を認める

最高裁判決は,まず,規制権限不行使が違法となる判断基準について,安衛法等の「各法律の目的及び上記各規定の趣旨に鑑みると,……規制権限は,……労働環境を整備し,その生命,身体に対する危害を防止し,その健康を確保することを主要な目的として,できる限り速やかに,技術の進歩や最新の医学的知見等に適合したものに改正すべく,適時にかつ適切に行使されるべきである」とし,それに反して国が規制権限を行使しなかった場合は,著しく合理性を欠き違法となると判示し,具体的には,2陣高裁判決と同様に,1958年には,国は,石綿工場においての深刻な石綿被害の発生を認識していたことや,有効に機能する局所排気装置を設置することが可能であったとして,同年から局所排気装置の設置が義務づけられた1971年まで,国には, 局所排気装置の設置義務づけを怠った違法があったと認定した。同時に,2陣高裁判決が国の責任の重大性を指摘して,国の責任範囲を2分の1とした点も維持した。

その一方で,防じんマスクの着用の使用者への義務づけや濃度規制を強化しなかった点などは,石綿工場における粉じん対策としては粉じんマスクは補助的手段である。あるいは,抑制濃度の規制値が許容濃度よりも緩やかであってもよいなどを理由に「著しく合理性を欠くものではない」として1972年以降の国の責任を否定し,近隣ばく露や家族ばく露の被害者の請求も認めなかった。

⑵ 最高裁判決の意義

最高裁判決は,上記の通り原告らにとってはさまざまな不満が残る内容ではあったが,司法の最終判断として,アスベスト被害について初めて国の責任を認め,それも,わが国のアスベスト被害発生の当初から,著しい怠慢があったと認定したことの意味は大きい。これまで国は,過去のアスベスト施策の検証において,国が違法を問われることはないとの立場を取ってきたが,この最高裁判決を受けて,過去のアスベスト施策の再検証が求められているのではないだろうか。

また,いのち・健康と産業発展を同一の天秤にかけて,いのち・健康よりも産業発展を重視した1陣高裁判決を完全に否定した点も重要である。これは,4大公害裁判をはじめとする公害訴訟や1970年の公害国会における「経済との調和条項の削除」など,長年築き上げてきた公害訴訟等の到達点,すなわち人間性尊重の原則を最高裁が再確認したものである。「人はその職業によって,生命及び健康を失ってはならない」という人間性尊重の原則は,効率化とともに近代的工業の根幹的な原則である。

さらに,最高裁判決に至る過程では,1陣高裁の不当判決があり,国からも司法は被害者救済に偏るのではなく,国の財政事情等も考慮すべきであるなどとする「司法の逆流」を求める攻撃も加えられていた。今回の最高裁判決は,こうした攻撃や不当判決を乗り越えて,民衆の闘いによって勝ち取られたという点でも,きわめて貴重な成果である。

最高裁判決によって,国には,行政措置というにとどまらず,アスベスト被害を発生させた加害者として,少なくとも最高裁判決の救済基準に適合した被害者はすべて救済しなければならないという重い責務が課された。国にはこの点での取り組みの強化を強く求めたい。

おわりに―最高裁判決後の課題

最高裁判決によって,泉南アスベスト被害がすべて救済されたわけではない。現に,最高裁判決後も20名近くの被害者が救済を求めて提訴している。また,アスベスト被害は,泉南ばかりか全国各地,各産業でも深刻に発生している。とりわけ,輸入された石綿の7割以上が各種建材に使用されたことから,建設現場は最大の被害現場であり,中皮腫や肺ガンの労災認定は毎年500件を超えている。A&Aマテリアルやニチアスなどの建材メーカーと国の責任を追及している建設アスベスト訴訟も,関西建設アスベスト訴訟(大阪,京都)が来年1月22日,29日と相次いで判決が予定されるなど,いよいよ大きな山場を迎えている。

泉南アスベスト国賠訴訟最高裁判決を大きなステップとして,引き続きすべての被害者の救済と万全な被害防止の規制や対策の実施を求めて取り組みを強めていきたい。

むらまつ あきお
泉南アスベスト国賠訴訟弁護団 団長
大阪アスベスト弁護団 団長

主な論文:

  • 「公害と国の責任―西淀川判決と国道43号線最高裁判決の積極的意義」『法律時報』1995年10月号.
  • 「大阪・泉南地域の石綿被害とアスベスト国家賠償訴訟―国の責任の明確化と全面的な救済に向けて」『環境と公害』37巻2号,2006年.
  • 「大阪・泉南アスベストの闘い―弁護団は何を考え,どう取り組んだか」『労働法律旬報』2015年4月上旬号.