オルトフタルアルデヒドによる疾病に労災認定(皮膚・呼吸器障害)/医療機関における内視鏡等の殺菌消毒剤に使用
目次
「医療機関におけるグルタルアルデヒドによる労働者の健康障害防止について」2005年通達改正と職業病リストへの追加が必要
片岡明彦(関西労働者安全センター)
はじめに
先日、兵庫県宝塚市の宝塚市立病院の検査技師がホルマリン、キシレンなどの化学物質にばく露し、シックハウス症候群、化学物質過敏症となり、公務災害として認定されたことが明らかになった。
シックハウス症候群で公務災害認定-宝塚市立病院 検査技師(2020.07.22)/「シックハウス症候群」「化学物質過敏症」労災事例まとめ
また従来から、医療現場における内視鏡等の殺菌消毒剤による健康障害、ばく露防止対策が課題とされている。これが原因で化学物質過敏症となった看護師の裁判事例もある。
グルタルアルデヒドなど含む殺菌消毒剤にばく露し労災認定された元看護師の化学物質過敏症発症、後遺症を認め大阪地裁が病院に賠償命令-2006年12月25日
本稿では内視鏡等の殺菌消毒剤としてはじめに問題とされたグルタルアルデヒドの代替剤として使用されるオルトフタルアルデヒドによる健康障害の報告、労災事例を紹介し、2005年通達「医療機関におけるグルタルアルデヒドによる労働者の健康障害防止について」の改正の必要性について述べる。
グルタルアルデヒドについては、職業病リスト(労働基準法施行規則別表第1の2及びこれに基づく告示)に掲載されているが、オルトフタルアルデヒドについては掲載されておらず、厚生労働省は、 労災認定実務の担う各労働局、労働基準監督署への周知を行い、この間の経緯を踏まえて職業病リスト掲載をおこなうべきである。
オルトフルタルアルデヒドばく露による健康障害(皮膚・呼吸器)対する労災不支給処分に取り消し裁決(皮膚のみ)、再調査により呼吸器症状も労災認定
医療機関における内視鏡等の殺菌消毒剤に使用されるグルタルアルデヒドによる健康障害については、2005年に通達が出されるなど、一定の周知がなされてきた。
一方、2005年通達においてグルタルアルデヒドの代替剤として紹介されていたオルトフルタルアルデヒドでも同様の健康障害の国内事例が2006年から2007年に報告されていたにもかかわらず、通達が改訂されていなかったことなどが影響して、2016年に内視鏡消毒労働者がオルトフタルアルデヒドばく露による皮膚・呼吸器疾患について労災申請したところ不支給とされ、2017年には審査請求も棄却、2018年になりようやく「皮膚症状だけについて不支給処分取消」との裁決が出され、そして、2019年に呼吸器症状について不支給処分が取り消されるという事案があったことが判明した。
内視鏡等の殺菌消毒剤についての調査、報告経験と本事案の労災相談を受けて意見書を提出するなどされた熊谷信二氏が「労働の科学」2019年6月号にそのことを書かれたことからわかったもので、以下は「労働の科学」2019年6月号の該当箇所からの引用である。
内視鏡消毒剤の使用状況調査(熊谷2019)
大阪府立公衆衛生研究所時代の2003年に,大阪府内の医療機関における内視鏡消毒剤の使用状況に関する質問紙調査(文献8)(2003年調査)を行ったが,その後の使用状況の変化を把握するために,2014年に福岡県内の医療機関を対象として同様の調査(文献9)(2014年調査)を実施した。
労働の科学2019年6月号「産業保健の仕事に携わって(11)」熊谷信二
図2に2003年調査および2014年調査の結果と,日本消化器内視鏡学会が実施した1998年調査(文献10)および2002年調査(文献11)の結果を合わせて示す。調査対象機関が異なるため,厳密な比較は難しいが,次のような傾向が見て取れる。
高水準消毒剤の使用を推奨した日本消化器内視鏡学会の1998年ガイドラインの施行前(1998年調査)は,90%以上の医療機関で高水準消毒剤ではない逆性石鹸が使用されていたが,施行後の2002年には使用する医療機関はなくなり,90%近くの医療機関で高水準消毒剤であるグルタルアルデヒド含有消毒剤(図3)が使用されるとともに,2001年に厚生労働省より高水準消毒剤として承認されたオルトフタルアルデヒド含有消毒剤(図3)および過酢酸含有消毒剤(図3)が使用され始めている。
2003年には,さらにオルトフタルアルデヒド含有消毒剤および過酢酸含有消毒剤の使用が増え,逆にグルタルアルデヒド含有消毒剤の使用は減少している。そして2014年には80%近くの医療機関で過酢酸含有消毒剤が使用されており,グルタルアルデヒド含有消毒剤およびオルトフタルアルデヒド含有消毒剤は20%前後まで減少している。
2005年の厚生労働省の局長通達(「医療機関におけるグルタルアルデヒドによる労働者の健康障害防止について」平成17年2月24日付け基発第0224007,0224008号)の中で,グルタルアルデヒド曝露による労災認定事例を紹介するとともに,医療機関に対して健康障害防止対策の実施を要請したこともあり,それ以降はグルタルアルデヒド含有消毒剤の使用が大幅に減少したのであろう。
またオルトフタルアルデヒド含有消毒剤は同通達で代替品として挙げられたものの,医療従事者の健康障害事例が報告され始めたため減少し,一方,過酢酸含有消毒剤は代替品として挙げられており,目,皮膚,呼吸器への刺激症状の報告もあるが,あまり知られていないため,あるいは感作性の報告が見当たらないため,使用が大幅に増加しているのであろう。
2014年調査では,過酢酸含有消毒剤を使用している医療機関でも,呼吸器症状,皮膚症状,眼症状の訴えが認められており,使用時には曝露防止対策が必要であることも明らかになった。
(文献)
8)宮島啓子ら.産衛誌 2006;48:169-175.
9)熊谷信二,渡辺裕晃.産衛誌 2017;59:149-152.
10)日本消化器内視鏡学会消毒委員会.Gastroenterol Endosc 1999;41:215-219.
11)日本消化器内視鏡学会消毒委員会. Gastroenterol Endosc 2002;44:llO2-1108.
内視鏡消毒労働者の皮膚症状と呼吸器症状(熊谷2019)
2016年2月には,内視鏡消毒労働者の皮膚症状と呼吸器症状について労災申請の相談を受けた。この方は,公立病院でオルトフタルアルデヒド含有消毒剤(図3)を使用していて発症した。私は,同じ消毒剤を用いていた看護師に発症した皮膚症状と呼吸器症状に関する論文(文献13、14)を公表していたが,本人がインターネットでそれを見つけて,相談してきたものである。
労働の科学2019年6月号「産業保健の仕事に携わって(11)」熊谷信二
診断書や作業環境測定報告書などを確認するとともに,本人から作業内容および症状について聞き取りを行った結果,オルトフタルアルデヒド曝露が原因と考えられたため,意見書を作成し,同年4月に本人が労働基準監督署に労災申請を行ったが,10月に業務外と決定された。しかし決定理由に納得できなかったため,2017年1月に審査請求を行ったが,これも5月に業務外の決定となった。
これらの経過の中で一番驚いたのは,私が意見書の中で,オルトフタルアルデヒド曝露により接触皮膚炎を発症した複数の症例報告を紹介して,オルトフタルアルデヒドには皮膚刺激性と皮膚感作性があることを示唆しているにもかかわらず,審査官は決定理由の中で,そのことには全く触れず,前出の厚生労働省の局長通達を引用して,「オルトフタルアルデヒドは……皮膚刺激性,皮膚感作性は陰性」と主張していたことである。ほぼ同時期に,米国産業衛生専門官会議(ACGIH)がオルトフタルアルデヒドを皮膚刺激性および皮膚感作性ありと評価していることからも,私の判断の方が適切だったと言える。
また審査官が「本件の内視鏡室のオルトフタルアルデヒド濃度(0.00007~0.00068ppm)がグルタルアルデヒドの規制値(0.05ppm)を大きく下回っているから,客観的にみて健康障害を発生させるほどのものとは認められない」と判断していることにも納得できなかった。このオルトフタルアルデヒド濃度は,多くの人にとっては健康障害を引き起こすレベルではないと考えられるが,洗浄作業者に喘息などの呼吸器症状が見られた過去の事例におけるオルトフタルアルデヒド濃度(0.0002~0.0030ppm)の範囲に重なっており,感受性の高い人にとっては安全なレベルは言えないのである。
そのことは私の意見書に記載していたが,そのことには言及せず,別の物質であるグルタルアルデヒドの基準値と比較して,それより大きく下回っているから,「客観的にみて健康障害を発生させるほどのものとは認められない」と結論づけていたのである。「この判断のどこが客観的やねん」と突っ込みを入れたくなるというものである。
このような審査官の間違った判断に納得できず,2017年6月に再審査請求を行った結果,2018年3月に皮膚症状は業務上,呼吸器症状は業務外と決定された。この再審査の決定理由では,さすがに上記の局長通達を鵜呑みにはしていなかったし,またグルタルアルデヒドの基準値との比較もしていなかった。ただし,呼吸器症状については,曝露開始から発症までの期間に疑問があるなどとして,業務外となった。労災は再審査の決定が最終なので,これを覆すには行政訴訟をするしかない。
ところがその後,労働基準監督署から,再調査を行うとの連絡があり,1年後の今年5月になって,呼吸器症状についても業務上と決定したとの連絡があった。最初に労災申請してから3年かかったが,結論には納得した次第である。
(文献)
13)熊谷信二ら.産業医学ジャーナル 2006;29(5):23-26.
14)宮島啓子ら.産衛誌 2010;52:74-80.
オルトフタルアルデヒドによる健康障害、労災事例を踏まえた2005年通達改訂が必要
上記文章中で熊谷氏が書かれている中で重要な点は、オルトフタルアルデヒドによる被災労働者が労災申請した2016年時点で、すでに健康障害の国内報告は複数あり、さらに、審査請求中の2017年には権威のある米国ACGIHが皮膚刺激性および皮膚感作性ありと評価をしたこと、そして、そうした全てを熊谷氏が意見書で指摘したことを無視して、不支給処分と審査請求棄却決定を行政側が続けたことである。
労働行政の完全なミスと考えられる。
2005年通達の中に次の記述がある。
1 フタラール製剤
医療機関におけるグルタルアルデヒドによる労働者の健康障害防止について/2005年2月24日基発第0224007号
フタラール製剤は、オルト-フタルアルデヒドを0.55%含有する製剤である。
オルト-フタルアルデヒドはグルタルアルデヒドよりも揮発性が低く、粘膜刺激性も弱く、また、皮膚刺激性、皮膚感作性は陰性である。
(下線筆者)
下線部は特に間違いであり、上記のオルトフタルアルデヒドばく露による労災認定事案や以下に紹介するような報告などを踏まえての通達改訂が早急に必要である。
オルトフタルアルデヒドによる健康障害国内報告
2005年通達でグルタルアルデヒドの代替剤として紹介されたオルトフタルアルデヒドによる健康障害事例の報告は以下のようなものがある。
事例報告:オルトフタルアルデヒドばく露により皮膚・呼吸器症状を発症した2症例(熊谷2006)
熊谷信二、冨岡公子、宮島啓子、吉田仁
抄録
消毒作業でのフタラール製剤曝露によると考えられる2例を経験した。症例1(44歳女)。内視鏡スコープの消毒機材としては、2002年10月までは、強酸性電解水装置および自動洗浄機2台を使用した。2002年11月初旬、強酸性電解水装置の代わりに、市販のポリバケツに消毒剤としてフタラール製剤を入れた浸潰槽を用いるようになった。症例2(23歳女)。消毒剤としては、2001年10月まではグルタラール製剤、それ以降、フタラール製剤に変更した。症例1は、発疹の部位が作業着から露出した前腕部と膝周辺で、また同じ作業を行っていた者にも、同様の症状を認めた。症例2は、消毒作業を始めて2年8ヵ月経過後に症状が出始めた。症状は過酢酸製剤を使用しない下部検査の時にも出現し、フタラール製剤が原因と考えられた。消毒作業を離れると、症状が出なくなった。https://www.research.johas.go.jp/hifunavi/bunken/list_detail.php?id=9280
調査報告:大阪府内の医療機関における内視鏡消毒作業の現状(宮島2006)
宮島啓子,田淵武夫,熊谷信二
大阪府立公衆衛生研究所生活衛生課
(熊谷氏の上記文章で引用している文献14)
抄録
内視鏡消毒作業の実態と洗浄従事者の健康状態を明らかにするため,大阪府内 173 医療機関を対象にアンケート調査を行った.医療機関の 55.5 %がグルタラール(GA)を,32.4 %がフタラール(OPA)を,8.7%が過酢酸を使用していた.また,57.8 %の機関で,最近 5 年間に消毒剤の種類を変更しており,代替品の使用が徐々に広がっていることが確認された.消毒作業中の症状の訴えは 35.8 %あった.症状の訴えは GA 使用時が最も多いが,OPA使用時にもあった.浸漬槽洗浄法は自動洗浄機洗浄に比較し症状の訴えが多く,曝露が大きいと考えられる.内視鏡消毒室は,全体換気装置に比較し局所排気装置の設置が少なく,また,保護具の使用状況も十分ではなかった.今後,医療現場の環境測定を実施し,局所排気装置や全体換気装置の設置,あるいは保護具の着用を推進していくとともに,消毒剤取り扱いに関する衛生教育が不可欠であると考えられる.また,代替品として OPA や過酢酸の導入が進みつつあるが,これらの物質のヒトへの影響はまだよく分かっていないため,疫学調査を行い,許容濃度などを設定する必要がある.
(産衛誌 2006; 48: 169–175)
http://joh.sanei.or.jp/pdf/J48/J48_5_02.pdf
内視鏡消毒剤オルト・フタルアルデヒドによる健康障害とその対策(藤田2007)
藤田 浩 1,沢田泰之 2,小川真規 3,圓藤陽子 3
東京都立墨東病院 1 輸血科,2 皮膚科,3 東京労災病院産業中毒センター
抄録:近年,内視鏡殺菌のためのグルタルアルデヒド(GA)の代替品としてオルト・フタルアルデヒド(OPA)の使用が増加している.我々は,内視鏡検査室に従事している医療従事者において,気管支喘息と接触皮膚炎の発症を見た.そこで,我々は定期外健康診断と作業環境測定を実施し,アレルギー疾患に対する予防的な対策を講じた.70 名の当該医療従事者のうち 17 名が,皮膚,呼吸器または眼症状を経験していた.接触皮膚炎は4人の労働者に見られ,そのうちの 1 人は喘息も合併していた.内視鏡洗浄室の OPA濃度は 0.06 ~ 2.01 ppbであった.最も OPA 濃度が高いのは内視鏡検査器具を浸漬するためのバケツの蓋が開いている時だった.その後,我々は内視鏡備品の浸漬洗浄を止め,各従事者に個人防護具を装着させ,自動洗浄機に局所排気装置を設置し,従事者に対して衛生教育を実施した.翌年の定期健康診断で,83名のうちの 2名が軽度の眼刺激を訴えたが,接触皮膚炎ならびに気管支喘息の新規発症はなかった.本報告は,非常に低い OPA濃度にもかかわらず,皮膚および気道症状が起こったことを明らかにした.GA の代替品として OPAが広く使われることは重大な健康影響の危険性を孕んでいる.健康障害を予防するためには,個人保護具の装着と局所排気装置をつけた自動洗浄機が必要である. (下線筆者)
(産衛誌 2007; 49: 1–8)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sangyoeisei/49/1/49_1_1/_pdf
オルトフタルアルデヒドによる労災事例を周知し、職業リストに加えるべき
以上述べてきたことを踏まえて、オルトフタルアルデヒドについて職業病リストに加えるべきだろう。
職業病リストの改訂作業を行う「労働基準法施行規則第35条専門検討会」は直近では2018年11月30日報告書を作成して、現在は開かれていないので、とりあえず厚生労働省は、オルトフタルアルデヒドの労災事例について現場の労働基準監督署に対して周知するべきである。