エレベーター設置工の胸膜中皮腫に労災認定、アスベストばく露の多い「何でも屋」/東京

Sさんの家族から相談があったのは、2017年3月のことだった。
Sさんは、前年12月に咳が出て病院を受診し、ただちに入院し検査在受けたところ、胸膜中皮腫の診断を受けた。

Sさんは1934年に種子島で生まれた。1962年、27歳で家族を養うために東京へ出て、新たな仕事を探していたときに「エレベーターの保守・点検」の仕事を見つけたという。そこから55年間、Sさんは一貫してエレベーター工事の熟練工として働き、発病直前まで現役で活躍していた。

ご家族から相談を受け、早速労災申請の準備に入った。しかし、本人の聞き取りにうかがおうとした矢先、容体が悪化してSさんは亡くなった。82歳だった。本人から直接、半世紀にわたって貫いてきた仕事のことをうかがえなかったのが残念でならない。

その後、労災申請は、本人が生前に家族に語った証言や、雑誌のインタビュー記事、さらにかつてSさんの仕事を手伝っていた親戚の方の証言などをもとに進めた。
以前から、エレベーター設置工は石綿曝露の危険が高い職種のひとつとして指摘されてきた。例えば、海老原勇医師らが2003年に発表した論文(注1)では、エレベーター設置工は「石綿が吹き付けられている鉄骨構造と接して作業し、あるいは吹き付けられた石綿を除去する作業を行う。また、エレベーターのシャフトやブレーキ、動力室に石綿が使用されており、そこからの石綿曝露を受けている」と指摘されている。Sさんの場合も、吹き付け作業の中でエレベーター設置工事をしていたことや、現場で大量の粉じんがキラキラと光っていたことなど、かつての作業での石綿曝露を示す証言があった。

Sさんは途中で独立して自らの会社を起こしたが、残念ながら独立後の労災保険の特別加入について確認が取れなかった。そこで、独立前に勤務していたエレベーター会社(すでに廃業)での石綿曝露で労災申請した。

申請の手続きでは、医療機関の窓口が「労災申請用紙に労災保険番号の記載がない、会社の証明がない」と言って、「診療担当者の証明」のために受け取りを拒否する事態もあった。本来、書類にそうした不備があっても「診療担当者の証明」は可能なのだが、労災保険をよく知らない医療機関では、こうしたことがしばしば起こる。

ご遺族の頑張りで申請にこぎつけ、Sさんが作業をしたいくつもの現場の名前や作業実態を示す証言を提出したため、労働基準監督署の調査は比較的スムーズに進んだ。そして、申請から約8か月後に労災認定の決定が届いた(途中で、担当する労基署が移管されたため、時間がかかった)。

生前、Sさんは雑誌のインタビューの中で、自らの仕事について次のように語っている。「エレベーター職人の仕事は、何でも屋なんです。足場を組み立てる鳶の仕事もやれば、溶接もやる。重機や精密機械もあつかう。退屈しない。工夫ができる。だから面白いんです」(注2)。自らの仕事にやりがいと誇りをもって生きてきた一人の職人が、アスベストの被害に倒れたのであった。
現在、通夫さんの娘のNさんが患者と家族の会に入会され、アスベストの被害について社会に広く伝えていきたいと活動されている。

注1:海老原勇、川見正機、藤井正實、斎藤洋太郎「首都圏における建設作業者の石綿関連疾患」、『社会労働衛生第1号』2003年
注2:インタビュー記事「シリーズ土建の神々③ S」より引用。出典:『ブルース・マガジン第3号』、感電社、2015年9月30日

記事/問合せ:東京労働安全衛生センター