阪神淡路大震災後のがれき処理作業で中皮腫発症、公務災害認定を求め行政訴訟提訴/兵庫

震災がれきでのアスベスト曝露で中皮腫発症

阪神淡路大震災から23年を迎えた。震災後は、倒壊建物の解体・撤去作業が急ピッチで進められ、被災地はすさまじい粉じんに覆われた。そのため、解体・撤去作業に従事した労働者が建材等に含まれた石綿に曝露し、中皮腫を発症して労災認定される事例が次々と明らかになっている。

明石市環境事業所の職員であった島谷和則さんも、阪神淡路大震災で発生した瓦磯の収集作業等に従事し、石綿粉じんに曝露したため、悪性腹膜中皮腫を発症した。そこで公務災害の認定申請を行ったのだが、地方公務員災害補償基金兵庫県支部は、公務外と判断した。遺族は、不当な公務外の判断に納得いかず、2018年1月15日、処分の取り消しを求めて、神戸地裁に提訴した。

あきらかなアスベスト曝露作業

島谷さんは、1991年4月に明石市環境事業所の職員として採用され、主に廃棄物の収集及び運搬業務に従事した。
1995年1月17日未明に発生した大地震は、明石市にも大きな被害をもたらし、家屋の全半壊は9,614棟に及んだ。震災直後から崩れ落ちた瓦・プロック・壁材・屋根材・壊れた家財などの瓦礫類が大量に道路上等に排出され、至るところで瓦礫の山が築かれた。それらの震災瓦礫を撤去するため、震災直後は市の職員が、それらの収集を行ったのである。

当時の作業状況について、被災者本人も同僚も、「収集した廃棄物は様々な物が出ていた」「配管に保温材が付いたまま大量に出ていた」「屋根とかにあるグリーンのウロコみたいな形のものを収集したし、波形スレートもよく出ていた」「収集車にすっと積み込めないので、パッカー車の回転板を利用し、壊しながらの作業だった」と話している。そして、埋立処分場での作業に関しても、「積めるだけ積むため、埋立処分場でダンプしての排出ができず、(パッカー車に潜り込み)手作業で掻き出すことが必要」な状況だった。

また、震災時以外の粗大ごみ及び不燃系のごみ収集作業においても、「粗大ごみの排出場所には、家庭ごみだけではなく、事業系ごみも多く排出されていた」「建築廃材には、リフォームで取り替えた住宅屋根用化粧スレート、瓦、外装壁材のサイディング、内装壁材や天井材として使われるボード、床材のPタイル、ピニール床シート、風呂釜、スレート波板、煙突、ガスコンロ、上下水道の配管類、浄化槽ポンプなど、あらゆる物があった」と、石綿曝露の機会があったことを、同僚らは話している。

労働組合も支援

島谷さんは、発症後すぐに明石市職員労働組に相談し、労働組合は対策委員会を設置して、アスベスト曝露の可能性について本人や家族から聞き取り調査を実施した。そして、悪性腹膜中皮腫を発症した原因は、阪神淡路大震災で発生した瓦礫の収集作業等に従事したことにあるとして、2012年8月16日に公務災害の認定申請を行った。残念ながら、島谷さんは懸命な闘病の末、2013年10月15日に息を引き取った。49歳という若さだった。

しかし、2014年3月26日付けでなされた基金支部の判断は、「公務外」という内容だった。基金支部は、島谷さんが悪性腹膜中皮腫を発症したことは認めたが、震災瓦礫の収集作業や埋立処分場での作業において「大量の石綿が含まれた粉じんを吸引したと認めることはできない」と判断したのである。
遺族はこの決定を不服として、基金支部審査会に対し審査請求を行ったが、2017年7月27日付けで、棄却と判断された。

復旧復興の第一線で精一杯働いた人々のために

アスベストによる健康被害は、アスベスト粉じんを吸い込んでから10数年ないし40年といった長い潜伏期間を経て、中皮腫や肺がんなどの重篤な病気を引き起こす。潜伏期間の長さからすると、今後も阪神淡路大震災時の石綿曝露による健康被害の増加が非常に懸念される。

遺族は、「夫は一緒に作業を行った同僚や、同じ作業環境で働いた人たちのことを気遣っていました。『こんなしんどい思いをするのは自分一人で十分や。けど、今後、同じ病気を患う人が出てこないとは限らない。そのときのためにも、一本の道筋をつくらなあかん』と言っていました。引き継いだ私が主人の意思と無念を晴らしたい」と語っている。

震災後の被災地で暮らし働いた多くの市民・労働者は、アスベストによる健康被害に不安を抱えている。今回の裁判は多くの人々が関心を持ち注目することとなるだろうし、公務災害の認定のあり方そのものも関われる訴訟となる。

提訴にあたり明石市職員労働組合は、「一生懸命、震災復旧に携わった結果、発症した病気が認められないのであれば、危険な現場で働く人は報われない。復旧復興の第一線で精一杯働いた人々のために全力で裁判に取り組みたい」としている。

「震災廃材で石綿禍」提訴へ
元明石市職員の遺族公務災害認定求め

阪神・淡路大震災で明石市職員としてがれき収集などに従事し、アスベスト(石綿)が原因とされる悪性腹膜中皮腫で2013年10月に亡くなった島谷和則さん=当時(49)=の妻(54)が、地方公務員災害補償基金兵庫県支部を相手取り、公務災害認定を求めて、神戸地裁に近く提訴することが分かった。(小林伸哉)

支援団体によると、阪神・淡路大震災の復旧・復興作業に従事し、亡くなるなどした少なくとも4人が労災認定を受けたが、公務災害認定を求める訴訟は初めて。中皮腫は石綿吸引から十数~40年程度の潜伏期間後に発症するとされる。被災地では建物のずさんな解体などに伴う石綿飛散で、吸引による疾患発症が懸念されており、患者や遺族の救済に向けた認定のあり方が間われる裁判となる。
遺族らによると、島谷さんは1991年4月、明石市に採用され、震災後は石綿含有とみられる建築廃材などのがれきを収集。パッカー車に積み込んだり、処理場で荷台からかき出したりする作業などに当たった。粉じんが舞い上がる中、石綿専用マスクはなく、衛生マスクで作業を余儀なくされた。

12年6月に悪性腹膜中皮腫と診断され、12年8月に同支部に公務災害認定を請求した。しかし、14年3月に同支部は「公務外の災害」と認定。「(収集作業で)大量の石綿が含まれた粉じんを吸引したとは認められない」「震災から約17年での発症は、医学一般的な潜伏期間としては短い」などとした。
遺族側は14年5月、認定を不服として同支部審査会に審査請求。「91年以降、建設廃材収集に従事し、震災時を含めて石綿にさらされた期間は、通算で公務災害認定基準の1年を超える」「腹膜中皮腫の潜伏期間には10~20年と短い事案が少数ある」「業務外で石綿に触れる可能性はない」などと反論したが、審査会は請求を棄却。17年8月に再審査を請求している。

島谷さんの妻は「このままでは夫がなぜ亡くなったのか、分からないまま。夫は同僚たちの体調も気遣っていた。裁判で声を上げないと、次に同じ病気になった人が苦しい思いをしてしまう」と訴訟に踏み切った思いを語る。

中皮腫認定公務員42%止まり
支援者「基準厳しすぎる」

阪神・淡路大震災で明石市職員としてがれき収集に従事し、アスベスト(石綿)が原因とされる悪性腹膜中皮腫で亡くなった島谷和則さん=当時(49)=の公務災害認定を求め、妻(54)が近く訴訟を起こす。支援団体は「石綿疾患の認定では、会社員対象の労災保険に比べ、地方公務員災害補償基金の認定が厳しすぎる」と問題視。妻は早期救済を求めて提訴に踏み切った。
支援団体によると、同基金による石綿関連疾患の認定割合は低水準という。中皮腫の認定割合は近年、労災保険が94.6%だが、同基金では42.4%にとどまる。石綿起因の肺がんでも労災保険が86.5%、同基金は24.1%という。
妻を支援しているひょうご労働安全衛生センターの西山和宏事務局長は「阪神・淡路の復旧の先頭に立って取り組んだ公務員には、島谷さんと同様に石綿を吸った人が多くいるはず。今後に備え、きちんと救済の道があってしかるべき」と指摘。「潜伏期間の長い病気で今後の被害増加が懸念される中、発症した場合の補償や救済のあり方が間われている」と指摘する。
今回の訴訟では「島谷さんが石綿にさらされた作業日数は、1日8時間として1年以上に上る計算だ」と主張。「中皮腫に関して国は、労災と公務災害の認定基準をおおむね1年と定めている。労災保険も基金も同じ判断をするべきだ」と訴える。
島谷さんと震災時に同じ職場でごみ収集をした明石市職員労働組合のメンバーも「一生懸命、震災復旧に携わった結果、病気が認められないのなら、危険な現場で働く人間は報われない」と声を上げる。(小林伸哉)

神戸新聞 2018年1月10日

記事/問合せ:ひょうご労働安全衛生センター

安全センター情報2018年5月号