がん細胞が広がっているのに調査に四年、サムソン労働者の乳がん労災申請不承認 2023年11月06日 韓国の労災・安全衛生
「妹が亡くなる前に、訃報のメールを送る人を別に整理しておきました。私たちも、送った時に失礼になるのではないかと思ったのですが・・・・」
4日夜、慶熙大学医療院の葬儀場で会ったチェ・ジンギョンさん(48)の姉のジニョンさんが話した。チェ・ジンギョンさんは2018年7月、乳がん3期の診断を受けて闘病生活を送ってきたが、自分の病気が仕事によって発生したことをついに認められず、この日に死亡した。
チェ・ジンギョンさんは1603日間、国の判断を待った。サムソンディスプレイ器興研究所で17年間研究員として働き、退社の翌年に乳がんの診断を受けた彼女は、2019年3月4日に、「研究中にベンゼンなど多量の有害物質と放射線、電磁波などにばく露した」として、勤労福祉公団に労災承認申請書を提出したが、4年後の今年7月24日になって、ようやくその結果を受け取ることができた。
公団は『疫学調査報告書』を元に、「ポリ塩化バイフェニル(PCB)と放射線のばく露レベルが高くない状態」として、最終的に不承認の判定を出した。審議委員の一人は、「乳がんに関連する有害要因(放射線、エチレンなど)の複合的・累積的な作用で疾病が発生した蓋然性があり、特に先端産業では、法的・規範的(普遍的)な観点から相当因果関係が認められれば労災と認定すべきだという最高裁の判例がある」という意見を述べた。
不承認の判定が4年以上も遅れた背景には、『疫学調査の長期化』という問題があった。調査機関の産業安全保健研究院は2019年5月3日に公団から疫学調査の依頼を受けたが、2023年2月までにサムソン電子に対して二回、『事業者追加資料』の提出を要請した以外の調査は行わなかった。2023年3月15日になってようやく、チェ・ジンギョンさんに面談調査を要請したが、これはハンギョレが『疾病労災ファン・ユミたちの733年』という企画報道で、チェ・ジンギョンさんの事情を報道してから五日が過ぎた時だった。サムソン電子は『開発業務は確認不可能』と回答した。
労災申請の当時、既にチェ・ジンギョンさんが働いていた研究室と現場の状況などの資料が消えた状況では中身のある疫学調査は難しいと、労働界からも指摘された。それでも産業安全保健研究院は、『疫学調査の長期化』の問題が本格的に提起されたため、たった二ヶ月で疫学調査を終えた。これを見ていたチェ・ジンギョンさんは当時、「何を調査するために4年間も必要だったのかを理解できない。退社する前に既に廃棄された開発ラインの業務を、4年間も調査していたということか」と、悔しさを爆発させた。
労災の承認を願って貯めておいた金を、すべて治療費に注ぎ込んだチェ・ジンギョンは、公団の労災不承認判定に異議を提起する一方で、最後の瞬間まで、疫学調査の長期化の問題の解決に声を挙げた。これに国会も応えた。共に民主党のウ・ウォンシク議員は先月4日、疫学調査の期間を法で定め、これを超えれば、国が被災労働者に保険金を先に支給するようにする労災補償保険法の改正案を発議した。約束のない疫学調査の結果だけを待ちながら、入院費で財産を使い果たし、家族まで一緒に倒れる状況だけは防がなければならないという判断からだ。
しかし、既に脳を含めて全身に広がったがん細胞がその足を引っ張った。チェ・ジンギョンさんは先月12日、国会・環境労働委員会の国政監査に出席し、疫学調査の長期化による被害を証言しようとしたが、病状が悪化して入院し、ウ・ウォンシク議員が証言を代読しなければならなかった。チェ・ジンギョンさんは、ウ・ウォンシク議員が代読した証言で、「四年間引きずって、納得できる根拠も示されないまま不承認になった。(中略)労災を認定されれば治療に役立っただろうが、私の体調は一日先を言うのが難しい」と話した。チェ・ジンギョンさんの事情に触れたイ・ジョンシク雇用労働部長官は、「胸が詰まる」、「サンプルで丁寧に検討する」と言ったが、チェ・ジンギョンさんはついに病院の外に出られなかった。最近五年間(2018~2022年)で、疫学調査の結果を聞けないまま死亡した労働者は111人に達する。ウ・ウォンシク議員は「これは正常な国の制度とは見られない」と批判した。
「チェ・ジンギョンの最後を見て、本当にジンギョンらしいと思います。学生時代でも不義を見ると我慢できない、そんな性格でした。もう少し時間があれば、一所懸命に問題提起したのに残念です」と、姉のヨンギョンさんが笑いながら話した。
遺影された写真の中のチェ・ジンギョンさんはサングラスをかけて明るく微笑んでいる。「がんと診断される前に、家族と原州にあるカフェで撮った写真です。一緒に選んだ写真で、家族も好きで、弔問客もみんな『本当にジンギョンのようなスタイルだ。よく選んだ』と称賛一色ですね。「退社後には生き生きとしていた妹の姿を描いていた姉の目つきが、蛍光灯の下でしっとりと輝いた。
2023年11月6日 ハンギョレ新聞 チャン・ピルス記者