石綿曝露-四国電力アスベスト中皮腫労災死事件/鈴木意見書参考文献-⑯「ニューヨーク市のアスベスト訴訟」

第2部 アスベスト疾患のひろがり
第2章 悪性中皮腫とはどんな病気か
Ⅱ 鈴木康之亮意見書添付資料 Ⅲ「参考文献」翻訳
6 ニューヨーク市の連邦、州、両裁判所で起こった発電所由来の石綿関連疾患裁判のドキュメント

⑯「ニューヨーク市のアスベスト訴訟」

Kenneth R.Feinberg
特別審判官
Mealey’s Litigation Reports–Asbestos, Vol.7, #4, 3 / 20 / 1992、pp. C1-C10

(前書き・略)

ニューヨーク市の連邦及び州裁判所におけるアスベストによる人身被害及び死亡事件の解決に関する特別審判官(Special Master)報告書

この報告は、ニューヨークの東部及び南部地区におけるアスベスト事件の事件一覧表が一掃される経過を述べるものである。これまでに及そ1,100件の連邦裁判所事件が終了してきた。これとは別に457件が、(ニューヨークの)東部及び南部地区連邦裁判所で和解協議や審理が終わる前に、多くの陪審員団によって、ペンシルバニア東部地区に移送された。特別審判官に任命される直前の時期に、ニューヨークの東部及び南部地区において、さらに数100件の事件が解決したり審理されていた。さらに加えて、提訴されていない多数の事件が解決してきたし、将来の事件についての解決の合意も作られてきた。この2つの地区以外の多くの事件もこの手続の過程で解決してきた。州裁判所の事件では1,000件以上が解決してきた。

1990年1月30日、私は、ニューヨーク東部及び南部地区連邦地方裁判所のJack B.Weinstein氏とニューヨークの州最高裁判所のHelen E.Freedman氏によって、特別審判官に任命された。私の任務は、「ブルックリン海軍工廠集団訴訟」と呼ばれる、約600のアスベストによる人身被害及び死亡事件の解決を援助することであった。続いて、1991年4月18日、私は、Chairles P.Sifton判事(ニューヨーク東部及び南部地区連邦地方裁判所)とHelen E.Freedman判事から「発電所集団訴訟」と呼ばれる、連邦裁判所で約700件、州裁判所で約800件のアスベストによる人身被害及び死亡事件の全般的な解決を援助するために特別審判官に重ねて任命された。

1991年7月12日、私は、Robert W.Sweet判事からニューヨーク南部及び東部地区で残っているアスベスト関係事件すべての解決を援助するための特別審判官に任命された。

私の特別審判官としての責務は次のようなものである。原告個々人の医学的状況と位置付け及び個々の原告がアスベストに曝露したといっている期間と環境についての情報を含む、有効な解決に必要な情報の交換を指揮監督すること。解決に向けての証拠開示に関する議論に決着を付けること。主張(特に第三者の寄与についての主張)を基礎付ける事実に関する議論や疑問に決着を付けること。全面的解決のための方法論を進展させ、実施すること。多様な関係者間の解決に思いをめぐらせること。当事者や裁判所の求める情報や統計を収集し、提供すること。個々の原告に解決金を配分すること。解決のあり方について、決着を付け、確固たるものとし、情報を提供する、そして、解決に向かう過程で生じるあらゆる議論を分析すること。

喜ばしいことに、連邦裁判所のアスベストによる人身被害及び死亡事件の正式な和解手続はもはや終了したといえる。

「ブルックリン海軍工廠集団訴訟」と「発電所集団訴訟」に含まれるすべての連邦裁判所の事件は、満足すべき解決に至った。加えて、州裁判所の集団訴訟に巻き込まれた被告らのほとんどは提訴された事件の大部分で和解に応じた。こうして、なにはともあれ、ニューヨーク市の連邦裁判所は、手間暇がかかるばかりのアスベストによる人身被害及び死亡の裁判という亡霊から解放されたのである。州裁判所の事件に関する和解の手続も同様に終了しつつある。ある種の事件は継続したままだが、Helen Freedman判事は、「ブルックリン海軍工廠集団訴訟」と「発電所集団訴訟」に含まれる1,000以上の事件を訴訟と和解によって解決してきた。

この報告の以下の部分では、集団訴訟に含まれるすべての事件についての裁判所によって設けられた解決手続とその現状に関して、特別審判官が行った活動を概説する。

Ⅰ.要約

Ⅱ.ブルックリン海軍工廠集団訴訟(略)

Ⅲ.発電所集団訴訟

(前書き・略)

A.発電所集団訴訟のプロフィール

前記のとおり、連邦裁判所の発電所集団訴訟は、6つの法律事務所が提起した、696人の事件からなる。(連邦裁判所の発電所集団訴訟に含まれる事件のリストは添付書類Bに記載されている。)原告らは、主に建設、管理、運行の業務の様々な条件下—ニューヨーク市やニューヨーク州内のその他の場所での発電設備、オフィスビル、空港などの交通設備など—でアスベストを含む製品に曝露したと主張した。原告らのうち約21パーセントは、死亡や悪性の疾患(悪性中皮腫、肺がん、その他のがんを含む)を主張した。他の51.3パーセントは石綿肺、27.7パーセントは胸膜肥厚斑と胸膜線維症であると主張した。

和解への働きかけが始まった時点で、連邦裁判所の集団訴訟の中では194社が被告あるいは被訴訟告知者もしくはその両方とされていた。そのうち約109社が裁判で被訴訟告知者としての主張のみをしていた。(被訴訟告知者は主に敷地の所有者、建設業者、その下請け業者、土木会社であったが、「伝統的な」製造業者や運送業者もいくつかの事件では被訴訟告知者とされていた。)さらに、少なくとも7つの被告あるいは被訴訟告知者は、発電所の建設と修理にかかわった及そ25の建設業者、土木、設計会社に対して建築工事契約書の条項に基づいて、賠償を請求していた。連邦裁判所の事件についてのより詳しい情報は、添付書類Aにある1991年7月25日付け特別審判官報告書に記載されている。

州裁判所の発電所集団訴訟も、連邦裁判所の集団訴訟と基本的には被告を同じくしており、原告らの曝露の状況は、基本的には同様である。州裁判所の事件は、相当数の被訴訟告知者をも含んでいる。訴訟告知者であるオーエンス・コーニング・ファイバーグラスは、1991年7月25日から8月13日までの間の様々な事件に関して、約131社に対して訴訟告知をした。

B.和解手続

およそ1991年5月1日から同年6月10日までの間、連邦裁判所の集団訴訟の当事者は、和解に向けての集中的な情報交換及び証拠開示を行った。この証拠開示段階の期間、原告側の弁護士は、個々の原告が罹患していると主張するアスベスト関連疾患についての医学的資料と、個々の原告がアスベストに曝露したと主張する場所と期間に関する情報を特別審判官のところに提出するよう求められた。この命令に従って、原告側の法律事務所は特別審判官に個々の原告に関するファイルを預け、特別審判官はそれを被告側が閲覧・謄写できるようにした。

さらに、特別審判官は、和解に必要なすべての情報を引き出せるよう計画された、解決を早めるための証言及び質問書を指示した。手続の過程で、169人の原告が証言し、少なくとも183人が原告が主張するアスベスト曝露の日時と場所についての質問書に回答した。

この証拠開示段階の期間、特別審判官は、この裁判にかかわる原告側弁護団と被告企業側の弁護団の双方に会い、可能性のある和解の仕組みのあり方と現実的な和解の条件について議論した。いくつかの案が検討された、(1)被告間で負担割合について交渉し、続いて被告らと原告側法律事務所との間で全事件についての解決金の総額を決めるための調停を行う、(2)個々の原告の法律事務所と各被告及び被訴訟告知者との間での直接交渉を直ちにはじめる、などである。結局、特別審判官は、同種訴訟における和解例を基礎にして、全事件についての解決金の総額を確定した上で、すべての被告及び被訴訟告知者に解決金総額を割り振る、というやり方が、もっとも効果的で成功の見込のあるものだと確信した。そこで、証拠開示が行われている時期に、特別審判官は、原告側弁護団にたびたび会って、原告側の各法律事務所の同種事件についてのニューヨークでの和解の経験をもとに、全体を通じての解決金の総額について議論した。結局、解決金の総額は、原告主張の様々な病気や集団訴訟に含まれる事件の数や過去の同種事案についての裁判の和解例などを考慮することで、原告側法律事務所の同意を得た。

1991年7月2日、特別審判官は、連邦及び州の裁判所の発電所集団訴訟の解決に関する117の別々の当事者を対象に106の提案をした。この提案は連邦裁判所の事件について解決の条件を勧告し、こうした条件が州裁判所の進め方をも導くであろう事を明らかにしていた。続いて、特別審判官は、追加して16の当事者にも和解案を示した。(提案を受けた当事者のリストは添付書類Cに記載されている。)当初訴訟を提起されていながら提案を示されなかった被告ないし被訴訟告知者は、出頭してこないか、すでに和解済みか、破産しているか廃業しているものである。

和解のための議論と交渉は1991年の夏を通じて続いた。1991年8月、連邦裁判所で審理されていた事件の損害賠償について陪審の評決が出された。この評決は、45の事件について総額9225万ドルを認めたものであり、これにより和解手続は何点かの改訂を余儀なくされた。すなわち、評決のあとの交渉は、連邦裁判所で審理中の事件における別個の要求を含むこととなった。1991年の秋から1992年はじめまで、当事者は特別審判官との会談を繰り返した。1992年2月6日までに、連邦裁判所の訴訟で残っている主な被告らについての審理中及び審理前の事件が解決し、かくて連邦裁判所の集団訴訟は実質的には終了した。結局、連邦裁判所の発電所事件のうち2つだけが評決に持ち込まれ、陪審に委ねられたが、それぞれの事件で1被告のみが残った。

C.連邦裁判所の発電所集団訴訟の現状

後に述べるわずかな例外を除いて、連邦裁判所の発電所集団訴訟の696件の事件は解決した。特別審判官は、11,871人の原告を含む連邦裁判所の発電所事件に関する、202件の解決の全体を報告した。さらに、連邦裁判所における解決と共に、州裁判所の発電所集団訴訟相当数の当事者が解決を果たした、ニューヨークやコネチカットやオレゴンやテキサスの他の裁判所に継続していた事件も同様である。添付書類Dには連邦及び州の裁判所の発電所集団訴訟全体のリストがある。このリストには、各被告企業の名称、原告側法律事務所のそれぞれが解決した連邦裁判所事件の数、州裁判所の解決についての記録が含まれている。以下は、連邦裁判所の発電所事件のうち完全には解決していないものの現状である。

1.審理中の事件

 当初連邦裁判所の審理グループに属していた48件のうち、46件が和解により完全に解決した。はじめの48件のうち2件だけが評決に持ち込まれたが、これらは2つの被告以外については解決済みなのである。1つの事件(McPadden事件)の被告の JohnCraneと、もう1つの事件(Lewis事件)の被告のKeeneである。

2.非審理事件

連邦裁判所の集団訴訟の649件の非審理事件は、すべての被告との関係で解決した。ただし次の例外がある。

a.原告側のGreizer&Locks法律事務所が提起した7つの事件でThe Center forClaims Resolutionに属する会社が被告として残っている。

b.原告側の Silber,Pearlman and Worthington法律事務所の1つの事件でOwens-Illinois 社と Garlock 社が被告として残っている。 被告が残っている連邦裁判所の発電所事件のリストを添付書類Eとして添付する。

D.州裁判所の発電所集団訴訟の現状

Helen E. Freedman 判事は、1991年4月25日、約880件の州裁判所の発電所の事件を併合した。この880件の事件は5つの原告側法律事務所が提起したものである。これらすべては1991年秋の開始に向けて審理の準備中であり、これらのうち30件はすべての問題について、それ以外のものは責任論のみについて審理する予定であった。1992年4月13日までに、この30件については証拠調べを終了していた。30件のうち、はじめに審理をする20件については、完全に決着が付いていた。残りの10件については、大部分の被告との関係では解決していた。1992年4月9日の時点で3つの会社(W.R.Grace、Keene、Robert A. Keasbey)だけが被告として残っていた。さらに、非審理事件も実質的には解決してきた。1992年の2月下旬の時点で、原告側の Wilentzs,Goldman & Spitzer 法律事務所は、集団訴訟の中の670件を全面的に解決し、残りの事件についても大部分の被告との間で解決してきた。添付書類Fは、州裁判所の発電所の事件における原告側法律事務所ごとの事件数と残っている被告を示す表である。

Ⅳ.Sweet 判事担当の集団訴訟(略)

Ⅴ.結論

幸いなことに、前述した少数の例外を除いて、連邦裁判所の発電所集団訴訟は解決に至った。2つの事件だけが評決に持ち込まれ、陪審に委ねられたが、それぞれの事件で1被告のみが残った。加えて、少数の被告が、わずかな数の非審理事件で残っている。これらの残された事件はほかの被告との間では解決されている。frredman 判事の州裁判所の発電所事件が実質的には解決しつつあることも喜ばしいことである。3つの被告に関する10の裁判が残っており、850件のうち、650件が完全に解決し、200件は実質的に全被告との解決がされつつある。

(以下 略)

1992年4月13日
特別審判官
Kenneth R. Feinberg

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