40年前の石綿吹付作業-作業期間2週間で中皮腫、労災認定/兵庫
1969年の学生アルバイト-鉄道車両石綿吹付
昭和44(1969)年、東京の大学に学んでいたAさん。当時は、学生紛争が盛んで、授業はほとんど行われていない状態だったそうだ。夏休みを利用し帰省したAさんは、弟さんに誘われ、神戸市兵庫区にある川崎車両で2週間アルバイトをした。
雇われたのは川崎車両の下請会社で、仕事内容は車両内部への石綿吹き付け作業だった。作業手順は、石綿とセメント粉末をかくはん機に入れ、ホースで水を入れながらかくはんし、それをポンプでもって車両内の側面と天井面に吹き付ける。そして、吹き付けたあと水分が残っているうちに、木の板で軽く押し付ける作業を行っていたそうである。石綿が人口雪のようにポンプから噴き出される中での作業であり、車両内はものすごい量の粉じんが舞っていたという。
雇われていた会社からはヘルメットだけを支給されるだけで、マスクの支給もなく、防じん対策もなかった。そのため、アルバイトの人たちはタオルを顔に巻きつけ、後ろで縛っていた。社員の方はマスクをしていたが、それでもマスクを取ると鼻の穴が石綿で塞がれるほど付いていて、このことが強く印象に残っているそうだ。
2007年、胸膜中皮腫発症。石灰化プラークも。
2007年、Aさん(60歳)が近院を受診したところ、胸水とプラークが確認され、東京医科大学病院で悪性胸膜中皮腫と診断された。アスベストセンターに相談され、聞き取りを行う中で、先ほどの2週間のアスベスト曝露が判明した。もちろん、40年前の2週間の出来事であるからほとんど記憶がなく、一緒にアルバイトとして働いたAさんの弟さんとその友人からの聞き取りを行う中で、作業内容をいろいろと思い出された。
2008年12月に神戸西労働基準監督署に労災申請を行った、きわめて短期間の石綿曝露であるため調査に時間を要し、Aさんのもとに業務上であるとの通知が届いたのは2009年10月だった。神戸西署は、「本例は短期間ではあるが石綿の比較的高濃度曝露があったことが、胸部CT上に存在する石灰化プラークから疑われ、昭和44年の曝露と考えて矛盾しない」と判断したものだった。
Aさんは、「会社は、アスベストの危険性を知っていて、アルバイトである私たちを使い捨てにしたのではないかと考えてしまう。私の場合、弟やその友人の協力があり労災の認定を受けたが、証明できない方が沢山いるのではないか。川崎車両では沢山の労災認定者が出ているが、その数倍の被害者が埋もれているのでは。2週間のアルバイトで中皮腫になり、あまりにも切ない」と話され、「私のような人間がいることを広く知らせて欲しい」と訴えている。
記事/問合せ:ひょうご労働安全衛生センター
安全センター情報2010年4月号