大工・胸膜中皮腫に特別遺族給付金支給決定、救済給付だけで終わっていたところを時効救済<大阪>
地域活動で声をかけられて
Nさんは長年大工をしていた夫を2012年8月に胸膜中皮腫で亡くしていた。当時、石綿救済法の救済給付を申請し、認定を受けて、すべてが終わったと思っていた。ところが、地域活動で知り合ったAさんが夫が同じ病気で亡くなったということで声をかけてこられ、「労災にはしているの?」ということになり、そのAさんの紹介でNさんに会って話をお聞きすることになった。
聞けば、当時、Nさんの夫は肺炎のような症状で豊中の国立病院機構刀根山病院に入院し治療を受けたが、かいなく亡くなられたということだった。
大工になったのは中卒後すぐの1956年で、1962年から豊中のS工務店で十数年働き、「独立」して病気になるまで働いた。大工一筋50年以上。
Nさんは生前に、救済給付の認定を受けた。労災のことはまったく知らなかったということだった。あっという間の数ヶ月でNさんとっては過去のことになっていた。
S工務店は木造民家を中心とする典型的な地元の大工で、今は廃業しているが、親方のSさんは存命しているといい、当時、Nさんといっしょに働いていたOさんが高知で元気にされているということだった。
S工務店では木造民家の建築のほか大阪空港の防音工事を多く手がけていたということであった。大工という職種におけるアスベストばく露は、一般的に認識されていることを説明し、石綿救済法の時効救済制度である特別遺族給付金の申請をされてはどうかと説明し、Nさんは申請することになった。Nさんはさっそく淀川労基署に「特別遺族年金」を申請した。この年金は、請求月の翌月からしか支給されないので、気がついたら即申請する必要がある。
高知市在住の元同僚Oさんがおられるということだったので、高知に行き聞き取りを行った。労基署はS工務店の関係者などに対する調査を進め、8月中旬には認定の知らせが届いた。
労災補償されて当然のケースが見過ごされていた
建設労働者である大工であれば、はじめから労災認定されるのが当然のように思えるが、このように、労災補償を受けずに時効となり、救済給付だけになってしまっている方が普通にいる現実に驚かざるを得ない。
改めて、制度運用の問題や被害者運動の取り組み不足を痛感させられた。
特別遺族給付金の請求期限は2022年3月27日とされているが、中皮腫などの石綿疾患の潜伏期間が非常に長いことからもこれはやはり撤廃されなければならないし、労災の救済給付(労災より水準が極めて低い)への紛れ込みは解消されなければならない。同時に、こうしたことがどうしても起こるということへの対応として、救済給付側の給付水準の改善(療養手当増額や遺族給付の改善)を実現することも必要である。
記事/問合せ:関西労働者安全センター