有機溶剤による中毒性調節障害に労災認定:同僚の聞き取り調査が決め手/神奈川

有機溶剤に関する相談は、東京労働安全衛生センターなど地域労働安全衛生センター、全国安全センターまで

航空計器整備作業

1998年10月、KK社(株)で働いていたSさん(26歳)が、有機溶剤中毒で藤沢労働基準監督署に労災申請を行った。
KK社(株)は、防衛庁を主な取引先とする航空計器専門の整備会社。神奈川県藤沢市の引地川の下流域の稲城地区にあり、ダイオキシン流出事故で問題になった荏原製作所藤沢工場はすぐ近くだ。
Sさんは、1996年4月1日に同社の生産1課1係に入社。航空計器の塗料の剥離(シンナー及び剥離剤使用)、はんだ溶接、計器の分解、洗浄(ベンジン、シンナー、ケトン、ブタノン、アルコール等)の整備作業に従事していた。

貧血と手足のしびれから

1997年8月頃から貧血と手足のしびれが発生し、北里大学病院神経科に入院。検査の結果、手足のしびれについては有機溶剤中毒が疑われた。翌年の1998年5月には、眼痛、頭痛、耳鳴りが発生し、とくに眼は視力の低下がはっきりと自覚できる状態だった。
同年6月には眼痛が著しく、白い膜がかかり、さらに視力が低下したので、北里大学病院眼科に入院。原因については、「有機溶
剤による中毒性調節障害の疑い」と診断された。

会社の妨害に抗し労災申請

有機溶剤を使用する際、ゴーグル、手袋、マスクを使用していなかった。これらの使用を要求したが、会社側に要らないと言われた。換気扇の整備も要求したが無視された。このような会社のずさんな安全管理に原因があることは明らかだった。
Sさんは父親を伴って会社に赴き、責任を追及した。会社側は、「環境整備は万全であり、責任はありません」の一点張り。また、診断書を提出しているにもかかわらず、産業医による尿検査を強要する対応を続けるばかりだった。そこで、Sさんは休業して療養に専念したが、就業規則の休職期間切れも迫ってきた頃、ついに労災申請することを決断した。

同時に違反申告

労災申請と同時に、Sさんは、防塵マスクの不使用など、安全衛生規則違反や有機溶剤中毒予防規則違反で藤沢労基署に申告。父親が会社に赴いて工場見学をした際、鼻をつく刺激臭がしていたことから、トルエンなどの有機溶剤が許容濃度を超えていることが疑われた。
藤沢労基署の監督官が立ち入り調査した結果は、就業規則に一
部違反らしきものがあった以外は、法違反を現認できないというものであった。また、Sさんは、会社が定期的に実施している有機溶剤の特殊健診を受診しておらず、手のしびれや眼痛、頭痛、耳鳴り、視力の低下などがどの有機溶剤の中毒症状なのか特定できなかった。
しかも「中毒調節障害の疑い」と診断した北里大学病院でも尿検査はされておらず、診断はあくまでも「疑い」の域を出なかった。悔しいことに、Sさんの労災が有機溶剤中毒であることの因果関係を立証する決め手を欠いていたのである。監督署の説明不足のために、立証責任が請求者側にあることなどをセンターが代行して彼に説明しなければならず、少々辛いものがあった。

同僚聴取記録に「再検査指示」記載

しかし、これを打開する突破口となったのが、同僚の聞き取り調書にある健診結果だった。Sさんは、労災申請するときに自己意見書を提出していたが、そこでは有機溶剤によるアレルギーで会社を辞めた同僚のことや仕事中に気分が悪くなり、工場内で倒れてしまった同僚がいることにも触れていた。そのこともあって、監督署は何人かの同僚の聞き取り調査を進めていた。
2000年2月24日の藤沢労基署との交渉で幸運とも言うべきか、ある同僚の聞き取り調書の中に、会社の特殊健診の尿検査の結果が悪く、再検査にひっかかっていたことが聴取してあることがわかったのである。しかも、その同僚が健診で再検査を指示された1997年4月は、Sさんが有機溶剤中毒によると思われる症状が出はじめた時期と重なっている。

そこでセンターでは、この件について同僚全員の聞き取り調査を行うこと。また、同じ職場の同僚が尿検査の結果、有機溶剤に曝露されていたことが証明された場合、尿検査を受けていないSさんの中毒症状が有機溶剤によるものであるかどうかについて、化学物質過敏症で著名な石川哲三氏に意見書依頼をすること、などを監督署に要請した。
藤沢労基署が退職者した同僚も含めて12人の同僚に聞き取り調査し、会社にも健診結果の提出を求めたところ、1997年には1名、1998年には2、3名にトルエンが原因の馬尿酸値が基準値より高いことがわかったのである。
石川意見書でも確定診断はできないが、同僚の尿検査の異常値が出たことを前提にすれば、Sさんの視力障害と有機溶剤との関係は否定できないということだった。他の医師らの意見書がすべて因果関係については否定的であったため、この石川意見書は最後の頼みの綱とも言うべきものであった。

本省りん伺経て「業務上」

しかし、残念ながらこれですぐ業務上との結論が出たわけではない。藤沢労基署はこれだけの材料を揃えても自前で判断する自信がなく、2000年5月以降は神奈川労働局りん伺扱いに。専門医に意見を求めることがその理由だったが、それでも最終的判断ができないため、結局、最後は本省りん伺になった。

そして、半年後の年も押し詰まった2000年12月23日に業務上の認定が下りた。
理由は、同僚に有機溶剤に曝露したものが何人かいることから、Sさんの中毒症状が有機溶剤によるものである蓋然性が認められる。また、石川意見書によりSさんの視神経症状が有機溶剤によるものであることが否定できないこと、等であった。石川意見書の詳しい内容はわからないが、Sさんの視神経症状が一般的な化学物質過敏症と鑑別されていたものと思われる。
急増する化学物質過敏症の中でも因果関係さえ証明されれば、そこに少なからずの有機溶剤中毒が含まれていることを考えると、今回のSさんの有機溶剤中毒の労災認定の意義は大きいと思う。

「どぶずけ」が眼にしみる
<Sさんの手記>

私は1996年4月1日、KK社(株)に入社しました。仕事の内容は航空機の計器の整備点検で、具体的作業は、部品の塗料の剥離と洗浄.半田溶接、部品の分解、部品の機能点検です。特に、塗料の剥離と洗浄では有機溶剤を使用して作業しました。
部品を溶剤へ「どぶずけ」する際、溶剤の揮発により眼がしみて、めまい、臭気がひどい状態でした。上司に作業の改善を求めましたが、ゴーグルや手袋は必要ないと言われ、新品の手袋があるのに課長は使わせてくれず、仕方なく素手で作業を行いました。
1か月程すると手が荒れはじめ、指の皮が剥けるようになりました。同僚も同じ状態でした。1997年8月頃からは、めまいと手足のしびれが発生し、北里大学病院で検査した結果、有機溶剤による中毒症状が疑われました。神経内科に約3週間入院しましたが、全治しませんでした。退院後も会社の仕事内容は前記と変わらず、体調が悪く早退したり、休むことが度々あり、上司から良く思われず大変辛い日々でした。
1998年5月下旬、朝起きると目が見えず、痛み、頭痛、耳なりがします。病院で、有機溶剤使用による「中毒性調節障害」と診断され、また、全盲になる可能性があると言われ、精神的に大きな打撃を受けました。約1か月入院治療し、体中の溶剤は解毒されましたが、障害を受け
た視神経は元へは戻りませんでした。視野が狭くなり、視力は低下し(両眼で0.08)、眼痛のため鎮痛剤を服用する日々が続きました。
会社とは、病気について、医者の診断をもとに何度か話し合いましたが、会社は作業が原因ではないと言います。私は入社する前は海上自衛隊に入隊しており、運動神経の良さと体力と健康をかわれ、潜水艦の乗員に選ばれた程で、健康には自信がありました。
さらに、会社から解雇通知を受け、大変ショックを受けました。私の病気の原因は会社の職場環境にあるのに、一方的に首を切られるのはとても納得いきません。何回か会社と話合いましたが、らちがあきませんでした。その後、神奈川労災職業病センターやソーシャルワーカーの助言もあり、労基署に労災申請をし、今年1月に労災認定されました。時間もかかり、一時はほぼ無理だと内心思ってましたが、皆さんのおかげです。ありがとうございます。監督署の対応にはあまり納得はいきませんでしたが、結果は良かったと思います。
これで終わりではないので、これからも頑張っていきます。会社に対しては、謝罪と慰謝料を求めることも考えています。今後は、眼の治療をしながら,このような健康状態でも働ける職場を探して両親を安心させたいと思います。
2001年2月8日 S

神奈川労災職業病センター

安全センター情報2001年5月号