再生不良性貧血業務上判決に公団控訴-5年目にやっと産災認められたが、また長い闘いが始まった 2020年10月14日 韓国の労災・安全衛生

「二審が行われれば、私のような力のない被害者は、判決が下されるまで、また長い長い闘いをする他はありません。」

SKハイニックス利川事業場の品質管理(QC)工程で2006年11月から2008年2月までオペレーターとして働いたAさん(32)は、2015年に再生不良性貧血の診断を受けた。再生不良性貧血は白血病と同じ難治性の血液疾患だ。Aさんは診断の以後、勤労福祉公団に産災の承認を申請したが、公団はこれを受け容れなかった。

結局、Aさんは2017年に「公団の不承認処分を取り消して欲しい」と訴訟を提起し、一審の裁判所は先月9日、Aさんの手を挙げた。公団に産災申請をして5年目だった。だが、勝訴の喜びも束の間、勤労福祉公団が5日に控訴したという報せに接した。

Aさんは「疾病で産業災害を認められようとする人々の大部分は、癌や重病で、本当に無力で辛い人々」で、「長い間産業災害が承認されるのを待って、苦痛と闘わなければならない。このような現実にとても胸が痛い」と話した。続けて「本当に難しい中で、ソウル行政法院から産災認定の判決を受けたが、勤労福祉公団はこれを認められないと控訴した。」「私は勤労福祉公団がなぜこのように頑張って行動しなければならないのか理解できない」と話した。

半導体労働者の健康と人権守り(パノリム)は14日に声明文を出して、公団の控訴提起を批判した。

パノリムは「Aさんは100万人当たり何人かしか罹らない再生不良性貧血で産災申請をした。半導体職業病の特殊性などによって、因果関係を明らかにするのはかなり難しいことだったが、幸いソウル行政法院は科学的な知識の限界などを勘案して、相当因果関係が認められると判断した。」「しかし被害者の闘いはここで終わらなかった。公団が控訴を提起してもう一度『時間』との闘いが始まった」と話した。

公団は2017年8月に半導体・LCDなど、先端産業現場で労働者が体験する産災の特性を認めた大法院判決(多発性硬化症産災認定判決)が出た後には、パノリムが代理した被害者が一審で勝訴した場合は控訴を提起しなかった。パノリムは「被害者の苦痛を勘案して、公団がより改善された姿勢を示していると考えていた。ところが今回、公団が控訴を提起したのを見ると、公団が『立証』と『時間』という障壁を積み上げた過去に再び回帰するのでないかと憂慮する」とした。

http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=202010141610001&code=940702

2020年10月14日 京鄕新聞 キム・ジファン記者

パノリムの声明
勤労福祉公団は産災認定判決の控訴を止め迅速性を強化する方案を準備せよ

-状況概要

2006.11.~ 2008.2.  SKハイニックス利川事業場QC工程のオペレーターとして勤務
2015.3.  再生不良性貧血の診断
2015.10.  産災(労災)を申請
2017.7.  勤労福祉公団が産災を不認定
2017.12.  被害者が行政訴訟を提起
2020.9.9.  一審のソウル行政法院が産災認定の判決
2020.10.5.  勤労福祉公団が控訴

-被害者の声

疾病によって産災を認められたい人々の大部分は、癌や重病で、本当に無力で辛い人々です。長い間、産災が承認されるのを待ちながら苦痛と闘わなければならないこのような現実に、とても胸が痛みます。

勤労福祉公団は勤労者の福祉のために存在すると信じ、依存できる力だと信じて生きてきましたが、そうではありませんでした。本当に苦労をして、行政法院で産災認定の判決を受けましたが、勤労福祉公団はこれを認められないとして控訴しました。私は勤労福祉公団が、なぜこのように頑張って行動しなければならないのか、理解できません。

二審が行われれば、私のような無力な被害者は、判決が出されるまで、また長い長い闘いをする他ありません。ぜひ、勤労福祉公団が病気で苦しむ勤労者たちを蔑ろにせず、真に勤労者の立場に立つように願います。

-パノリムの声明

パノリムと共に産災を申請した被害者は、二つの相手と闘うことになります。最初は『立証』で、被害者は情報も研究も制限的という状況で、病気になぜ罹ったのかを説明し尽くさなければなりません。二つ目は『時間』です。被害者は、原因の確認も治療も容易ではない稀貴/重症疾患に罹った状態で、産災認定の結果を受けるまで、長い間を待って、また待たなければなりません。

今回の事件の被害者は、百万人当たりに何人しか罹らないという再生不良性貧血に罹って産災申請をしました。半導体職業病の特殊性などによって、因果関係を明らかにするのはかなり困難でしたが、幸いソウル行政法院は科学的な知識の限界などを勘案して、相当因果関係が認められると判断しました。しかし被害者の闘いはこれで終わりませんでした。勤労福祉公団が控訴を提起し、もう一度『時間』との闘いが始まったのです。

被害者は、産災申請をして2年目に公団の不承認判定の結果が分かり、それから3年がさらに過ぎて、やっと一審での産災認定の判決を受けることができました。このように既に5年も過ぎ去りましたが、二審ではまた数年かかるかも知れません。このように産災で『時間』の壁がとても高いということは、今回の事案の被害者だけでなく、働いて疾病に罹って産災申請を考えるすべての人々にとって絶望的な知らせです。

過去、勤労福祉公団はパノリム被害者の産災認定の判決に対して控訴をずっと行ってきて、このような批判を既に何度も受けました。そして2017年8月の大法院判決(2015・多発性硬化症産災認定判決)で、法院の産災判定法理が整理された以後、勤労福祉公団は3年間は控訴を提起しませんでした。パノリムは被害者の苦痛を考慮して、勤労福祉公団が一層改善された姿勢を執っていると考えていました。ところが今回、10月に勤労福祉公団が控訴を提起したのを見ると、勤労福祉公団が『立証』と『時間』という障壁を積み上げた過去に再び回帰したのでないかと憂慮します。

可成り良くなったとは言いますが、依然として産災の申請者は、長くて困難な過程を経てやっと産災を認められています。そして、このような現実を無視して勤労福祉公団が控訴を提起することは、産災申請者に耐えがたい苦痛を与えることです、勤労福祉公団は社会的な非難を受けても当然な控訴を直ちに止めなければなりません。勤労福祉公団は控訴によって産災認定の判決を逆転する方法に苦心するのでなく、産災申請者に『時間』が障壁にならないように、迅速な補償の責務を尽くせる方法で悩まなければなりません。

2020年10月14日

半導体労働者の健康と人権守りパノリム