アスベスト肺がん 建具職人に労災認定:退職後に石綿肺から発症、必要な退職後フォローアップ/福島

記事/問合せ 東京労働安全衛生センター

概要・解説

本件は、約16年の労働者として建具職人として働いたのちに独立し、建具店を長年経営していた男性が退職後に肺がんで死亡したが、建設労働組合の相談会にその男性の子が相談に来たことから、生前から、胸膜プラーク所見がある石綿肺で療養中に肺がんを発症していた経緯が確認され労災申請に至った。 建具の製造、組立、加工、建物の収支、解体、撤去の作業において長期に石綿にばく露していた。以上によりアスベスト肺がんとして労災認定された事案である。退職による建設国保脱退後のフォローが課題として認識された。

石綿肺で5年以上の療養後に肺がん死亡

2010年2月、福島で行われた福島建設ユニオン主催の二次診療で、肺がんで亡くなったAさんの息子さんが相談に来られた。

Aさんは長年福島市内で建具店を開き、建具職人として働いてきた。2009年10月、体調を崩し市内の病院に入院しましたが、肺がんと診断され亡くなった(84歳)。

息子さんが持参した胸部レントゲン写真では石綿肺の所見があり、またCTフィルムでも胸膜プラークが確認された。話をうかがうと、肺がんで急死される5~6年前ら、肺線維症、慢性気管支炎と診断され短期間の入院を繰り返されていることがわかった。おそらく石綿肺に合併した続発性気管支炎のような症状が続いていたものと考えられた。

息子さんと相談して、福島労基署に遺族補償一時金と葬祭料の請求をすることになった。Aさんは現役を退き組合を辞められたあとに、石綿関連肺がんを発症されている。父親のように仕事を辞めたあと石綿関連疾患を発症する建設職人も少なくないのではないか。息子さんは、職業病と気づかずに苦しんでいる人々に役立てばとの思いから、労災申請に取り組みたいと言われた。

職歴確認と同僚証言、労災申請

福島市内のAさんのご自宅にうかがい、息子さんと職歴などをまとめる作業を行った。Aさんは1945年から建具店で仕事を始め、61年に独立。建具職人として、主に建具の製造、組立、加工、建物の収支、解体、撤去の作業をしていた。Aさんの仕事仲間であった方にも、現役時代のAさんの仕事内容や石綿曝露との関係についての証言を書面にしていただいた。
2010年12月、Aさんの主治医と面談し、石綿関連肺がんで労災申請することに協力を求め、福島労基署に遺族補償の請求を行った。
石綿曝露歴と石綿肺及び胸膜プラークの所見があるため、労災認定は難しくないと思われた。しかし、福島労基署の調査は長引いた。どうも福島のじん肺診査医がAさんの石綿曝露歴の再調査を求めていたようだった。Aさんの仕事仲間だった職人にも聞き取り調査をしていた。たびたび息子さんとも連絡をとり、また福島労基署の調査官にも電話で調査の進捗状況を確認した。

退職後フォローの重要性痛感

そして今年2月、やっと業務上認定を知らせる支給決定通知が息子さんのところに届いた。
福島労基署が労災請求から決定まで1年以上もかかったことは職務怠慢のそしりを免れない。労災認定基準に照らしても、Aさんの肺がんを石綿関連肺がんとして認定することに何の問題もない。建設職人のじん肺・アスベスト関連疾患の労災に不慣れな労基署の対応に対して厳しく改善を求めなければならない。
Aさんの労災認定の取り組みは、地元で開かれた組合の二次診療に息子さんが相談に来られたことがきっかけだった。建設職人が退職後にじん肺・アスベスト関連疾患を発症しても、組合や建設国保から脱退している場合にはフォローが行き届かない。Aさんの事例を生かし、退職後のじん肺・アスベスト関連疾患の労災認定の取り組みにつなげていきたいと思う。

東京労働安全衛生センター

安全センター情報2012年11月号