石綿鉱山労働者のアスベスト国賠 (泉南型)和解成立。注目すべき「非典型作業」の事例/北海道
記事/問合せ:東京労働安全衛生センター
本件担当弁護団:アスベスト訴訟弁護団(関東)
Tさんは、1949年に北海道の富良野市にあった山部石綿(株)に就職し、石綿鉱山でピックを使用しての掘削と露天掘りでの採掘、運搬作業に従事した。1964年閉山とともに退職し、その後石綿にばく露するような仕事に就くことはなく、1992年からは東京の長女家族と同居しながら年金生活を送っていた。
1997年7月、健康診断を受診したところ胸水が溜まっていることがわかり、大学病院に入院。精密検査の結果、悪性胸膜中皮腫と診断された。自宅療養を続けながらも翌年の5月に亡くなられた。享年87歳だった。
自宅で療養中にご家族から相談を受け、病床のTさんから当時の作業内容を聞き取り、意見書にまとめた。また、山部石綿が閉山後、秩父セメント系列の有限会社に吸収合併されていることがわかり、同社に対し労災請求への協力を求めた。
Tさんの死後、1998年7月に遺族が旭川労働基準監督署に労災請求手続をとり、翌年2月に遺族補償一時金等が支給された。
山部石綿では、鉱山から石綿含有の鉱石を採掘し、小さく砕いてから隣接する粗製工場にトラックで運搬し、工場内で鉱石を組製し、精錬工場で精錬した後に製品として出荷していた。組製工場では、ロータリーキルン(回転式の窯)を使って、石綿鉱石をボイラーで熱を加えて乾燥させる。石綿鉱石はその中でゆっくり回転しながら下に送られていく過程で砕かれて徐徐に小さくなり、破砕機(クラッシャー)にかけられてさらに細かく砕かれる。組製工場で細かく砕かれた石綿鉱石は精錬工場で、篩(ふるい)にかけられ、種類(品質)ごとに選別して石綿を解きほぐし、粉体状になった石綿を袋詰めにする。
鉱山の精製工場の建物は5階建てで、各階ごとに篩の機械があり、下に落ちていく工程で石綿が選別される。石綿の品質は6~7種類のクラスに分かれており、品質のよい石綿は綿状になり、蛇紋岩が混じっているような品質の悪い石綿は粉体(粉末状)になっていた。選別された石綿は種類ごとに分けられて1階の落とし口(シュート)に落とされる。落とし口のところに20キロ袋を取り付け、落下する石綿を袋で受ける。
工場には窓があっただけで排気装置等は設置されていなかった。とくに精錬工場の1階で行われていた石綿を袋詰めする作業では、すさまじい量の石綿粉じんが飛散していた。
Tさんは、入社後、採掘作業をしていたが、1960年頃には組製工場での「組製」作業に従事するようになり、また、残業で2番方に応援として入り、精錬工場で石綿の袋詰め作業もしていた。粗製工場内で石綿鉱石の破砕・乾燥工程での作業のほか、月15日~20日程度、精錬工場で石綿の袋詰め作業に従事していたのである。
2014年10月、泉南アスベスト国賠訴訟の最高裁判決では、国が石綿工場の労働者の健康障害を防止するため、工場内に局所排気装置を設置する義務を怠ったことを違法とし、国に賠償責任を認めた。その後、最高裁判決に基づく和解基準が作られ、一定の要件を満たす被害者が国に対して賠償請求訴訟を提起すれば、和解手続により救済されることになった。
遺族は当会の支援のもとアスベスト訴訟関東弁護団に相談。2018年4月、東京地裁に国家賠償請求の裁判を提訴した。裁判所での和解手続のなかで、国側から石綿ばく露作業を具体的に立証せよとの主張がなされた。埼玉県内にお住いの元同僚の方にお会いし、当時の山部石綿の工場内での作業について詳細にまとめた陳述書を作成し提出した。また、遺族からも、父親が働いていた工場に弁当を届けに行ったとき、構内には真っ白な石綿粉じんが大量に舞っていたこと、子ども心に粉じんが舞う工場で働くのは体に悪いのではないかと思ったことなどを申し立てた。
こうした取り組みをへて、今年1月、国との和解が成立した。
山部石綿は鉱業に分類される。しかし、Tさんのように、採掘、運搬作業にほかに、組製工場や精錬工場内でも石綿ばく露作業に従事している。泉南型アスベスト国賠訴訟による和解手続の要件を満たしていれば、救済される可能性がある。
山部石綿の元労働者Tさん遺族の取り組みから、石綿鉱山でのアスベスト被害者にも国賠訴訟による救済の道が開かれることになった。