47年前、石綿麻袋で中皮腫東京●生前の労災認定間に合わず
東京都内に住むTさん(62歳、男性)は、昨年5月、悪性胸膜中皮腫を発症した。
埼玉県内のある運送会社で長距離トラックの運転手として勤務し、定年退職されていた。
この病気がアスベストが原因であることを医師に告げられたTさんは、一生懸命これまでの記憶をたどる中で、確かに思い当たることがあった。
中学校を卒業後、東京に出てきて台東区浅草にある小さな椅子の製作所に住み込みで働くようになった。そこでは見習いとして、椅子の座席部分、ソファーの寝床にバネをつけたり、藁、綿を敷き詰め、その上から生地の下地に麻袋を裁断して張り付ける作業をしていた。
その当時の麻袋は石綿が入っていたものを再利用して使っていた。社長がどこからかまとめて仕入れてきて、倉庫に保管してあった。麻袋を倉庫から必要な分だけ作業場に持ち込み、それを裏返し、付着していた白い石綿の粉を払い落とし、椅子やソファーベッドのサイズに合わせてハサミで裁断し、釘でそれを張り付けていた。麻袋の石綿は手で握ると固まるほど付いていたそうである。
作業場を掃除するときは、床に堆積した白い石綿をエアーで吹き飛ばしていた。もちろん、当時、石綿の有害性などだれも教えてくれなかった。
この仕事を7年やったあと、一時期家具店で働いたが、それからは運送会社で大型トラックの運転の仕事をしており、ほかに石綿ばく露の可能性は考えられなかった。
浅草の椅子の製作所はとうの昔になくなり、関係者もいない。幸い一緒に働いた先輩が横浜市にいることがわかり、石綿麻袋とそこでの作業について貴重な証言を得ることができた。
昨年9月、上野労働基準監督署に労災申請。この当時、石綿麻袋は商品として積極的に再利用され、流通していたことを裏付ける日本石綿協会の機関紙の記事もみつかった。それでも、上野労基署の調査は長引いた。
昨年12月、病院にお見舞いにうかがった翌朝、Tさんは旅立たれた。そして本年3月、やっと認定の通知が遺族のもとに届けられた。
記事/問合せ:東京労働安全衛生センター
安全センター情報2006年6月号