築炉工の石綿肺がん、不支給決定から13年後の逆転認定。石綿救済給付調査で切除肺から大量の石綿小体検出し、新証拠として提出/兵庫

概要・解説

本件は、製鉄所で下請けの築炉工として22年間働き、肺がんで死亡し、遺族が労災申請したところ1995年に不支給となっていたが、2006年に施行された石綿健康被害救済法の救済給付を申請したところ調査過程で切除肺から大量の石綿小体が検出され救済認定をうけたので、その検査結果を新証拠として労基署に再調査を要求したところ、不支給決定について自庁取消しとなり労災認定された事案である。当初の労災申請時の労基署調査の不備、主治医の不親切が不支給に至った要因だったとみられる。

1991年死亡、1995年不支給決定

労災申請において一度不支給が決定した事案は、再申請を行っても受理してもらえず、不支給事案として取り扱われる。しかし今回、1995年に不支給となった事案について、新たな資料を労働基準監督署に提出することで、不支給決定から13年を経て認定されるという、画期的な決定が行われた。

築炉工として約22年間働いてきた姫路市のAさん(男性・当時50歳)は、1991年に肺がんで亡くなられた。じん肺手帳(管理区分2)を持ちながら働いてきたAさんの遺族は、肺がんの原因はじん肺であると考え、1994年4月に姫路労基署に労災申請を行った。

当時の認定基準は、①石綿合併肺がんの場合は第1型以上であること、②石綿肺の所見がない肺がんの場合は、従事歴が概ね10年以上であって、胸膜プラークまたは肺組織内の石綿繊維・石 綿小体の医学的所見、の要件を満たす場合となっていた。

姫路労基署が行った調査の結果は、「じん肺の程度は管理区分4相当でなく、また、石綿によるものとも認められず…業務上の疾病とは認められない」ということであり、1995年6月に不支給の決定が行われた。

諦めなかった家族

2005年にクボタ・ショックによりアスベストが社会問題化する中で、納得できない遺族は、姫路労基署に再調査の申し立てを行ったが、一度不支給になった事案であるため取り合ってもらえなかった。
そこで遺族は、2007年12月に、石綿健康被害救済法に基づき環境保全機構に特別遺族給付金の請求を行い、調査の推移を見守っていた。そうした中、2008年3月末に石綿労災認定事業所名が公表され、Aさんの勤めていた事業所において中皮腫で1名が認定となっていることが判明し、ホットラインを開設していたひょうご労働安全衛生センターに相談が入ったのだった。

13年前の労基署資料と救済法認定資料を開示請求し取得

早速、姫路労基署の調査復命書を入手するため個人情報の公開請求を行った。なにぶん13年前の資料であり、資料が残っているか不安だったが、6月に開示されることとなり、労基署の調査内容が克明に判明した。また、5月には環境保全機構から救済法の決定の通知が届き、決定に至る経過と収集した資料の提供を求めた。

Aさんは入院されていた姫路市内の病院で手術をされたのだが、その際の切除組織が病院に残されていた。環境再生保全機構は、病院に残されていた組織から石綿小体の測定を行い、乾燥肺1g当たり29,000本という結果を得ていた。現在、世界的にはlg当たり1,000本以上なら労働曝露といわれており、この数字からもAさんがいかに高濃度で石綿に曝露したかがうかがえる。

「石綿小体2万9千本」新証拠提出で不支給処分見直し

センターでは、石綿小体測定調査書を基に「調査不備である」と兵庫労働局へ申し入れを行ったが、労働局は「判断できない」との回答であったため、厚生労働省に問い合わせるよう申し入れるとともに、全国安全センターの厚労省交渉の要求課題に盛り込むことにした。7月29日の厚労省交渉では、「個別事案なので回答できない」としながらも、「決定後に、当時提出されなかった新たな情報が出てきて、その証拠が当時の認定基準等に照らして業務上と認められるような場合であれば、再調査して原処分を見直す」との回答を引き出すことができた(安全センター情報2008年10月号参照)。

そして、なんとその日の夕方、姫路労基署から遺族に、支給が決定したとの電話が入ったのだった。実際に認定通知書が遺族に届いたのは9月中旬、Aさんが亡くなられてから17年、不支給決定から13年が経過していた。

13年前の病院・主治医の「関係ない」との決めつけが問題だった

なぜこうした事態が起きてしまったのか。労基署の復命書を見ると、調査官は当時の労災認定基準に基づき丁寧に調査を行っていることがうかがえる。ところが、Aさんが入院をしていた病院が、「じん肺と肺がんとの因果関係はない」「摘出肺に石綿肺の病理学的所見は指摘できない」と意見を述べていることが判明した。病院側が、もう少し丁寧な検査・対応をとっていれば、13年の空白は生まれなかったのである。
Aさんのご遺族は、「(主人は)生前から『自分が死ぬときは肺で死ぬ』『これだけ粉じんを吸えば長くはないだろう』と言っていました。いったん不支給と言われとても残念でしたが、今回決定の通知をいただき、やっと主人がうかばれます」と話されている。こうした事例が、まだまだ埋もれている可能性がある。引き続き、すべての被災者が救済されるよう取り組みを強めていく必要がある。

ひょうご労働安全衛生センター

安全センター情報2008年12月号