石綿肺がん労災認定の元門司港労働者に「港湾石綿被災者救済制度」初適用/福岡

概要・解説

本件は、港湾におけるアスベスト被害について労災認定を受けた被災者に会社が労災補償とは別に補償を行った場合に会社に補助金を支出する「港湾石綿救済制度」により、元・門司港港湾労働者Aさん(アスベスト肺がんで労災認定)の遺族が会社から補償を受けたことにより同制度適用第1号となった事案である。 同制度は日本港運協会(日港協)の会員事業者が、石綿被害で補償した場合、その一部を会員事業者に補助を行う制度である。補助金支給対象行為は、公的機関による和解・調停・あっせん、確定判決、弁護士関与示談である。

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港湾における石綿被害

日本で使用された約1,000万トンのアスベストは、ほとんどが輸入された。アスベスト輸入量は1960年台初めに10万トンを超え、1970年に30万トンに達し、1974年に35万2000トンの最高を記録した。

そのため、船内や水際で荷役作業に従事した労働者だけでなく、倉庫作業や検数作業に従事した労働者へと被害が拡がっている。厚生労働省が毎年発表している「石綿曝露作業による労災認定等事業場の公表」を基に、2005年から2011年までの港湾貨物取扱事業ならびに港湾荷役作業における労災認定者数を数えると、全国で117名となっている。港湾関係では、他にも検数・検定労働、倉庫内作業等があり、これらの作業において石綿曝露により労災認定を受けた方を加えると140名を超えるのではないかと思われる。

港湾における石綿補償基金の発足

港湾で働き石綿関連疾患として労災認定を受けた方の中には企業補償を求める声もあり、港湾における全国初の石綿損賠訴訟となった三井倉庫事件は、地裁・高裁判決で会社の安全配慮義務違反が認められた。この事件は、会社側が最高裁へ上告したため、現在も争いが続いている。

港湾では中小企業も多く、石綿健康被害者に企業が補償を行う場合に、一時に多額の支出が必要となり、経営に大きく影響することが想定される。そのため、港湾運送事業者が港湾石綿対策基金を設立し、2008年に1億円、09年に1億円、11年に3億円を積み立てて、現在の基金総額は5億円となっている。この基金を活用した独自の補償制度をつくることが労使で話し合われてきた。

そして、2012年の春闘において補償制度の設立が合意に至った。新しく設けられた港湾石綿被災者救済制度は、日本港運協会(日港協)の会員である事業者が、石綿健康被害者に対して補償を行った場合に、日港協がその一部を会員である事業者に補助を行う制度である。補助金の支給の対象となるのは、港湾運送事業においてアスベストに曝露し、アスベストを原因とする中皮腫・肺がんなどの疾病を発症し労災認定された者。また、日港協が会員に補助金を支給する対象となる行為として、①弁護士が関与した示談、②公的機関による和解・調停・あっせん、③裁判所の確定判決、となっている。

設立されたが進まぬ補償

港湾石綿被災者救済制度は2012年6月1日から施行された。しかし、施行から1年以上が経つものの、まだ1例も運用実績がない。その原因のひとつに、制度についての周知が十分に行われていないことがあげられる。

昨年12月には、神戸港で働き石綿関連疾患を発症し労災認定された被害者と遺族16名が、神戸簡易裁判所に調停を申し立てた。被害者の方々は「今日も病院で治療を続けている仲間がいる。一日も早い解決を」と訴えている。これまで3回の調停が行われたが、企業側は「アスベストに曝露した日数を示すように」等と求め、話し合いが難航している。
そもそも港湾石綿被災者救済制度は、訴訟ではなく話し合いにより一刻も早い被災者の救済を行うことを目的として制度化されたもの。話し合いで解決できないのであれば、何のために補償制度を設けたのか理解できない。

神戸では代理人同士の話し合いが決裂したため、今年7月に、中皮腫と診断され労災認定を受けた男性が勤務先の赤沢荷役と元請の篠崎倉庫を相手取り、3,300万円の損害賠償を求め神戸地裁に提訴した案件もある。そのため、「制度はできたが本当に補償してもらえるの」との声が聞かれはじめてた。

門司港における石綿状況

1978年10月、関門港の全港湾労働組合が組合員173名の健康診断を行った結果が残っている。このうち、運動器障害の著しい65名について二次検診を行い、29名については胸部レントゲン撮影を行い、18名については肺機能検査が行われた。その結果、29名中14名(48.3%)にじん肺が認められ、18名中13名(72.7%)に肺機能障害が認められたとの結果であった。

厚生労働省が毎年発表している「石綿曝露作業による労災認定等事業場の公表」によると、平成23年度までに門司港における石綿労災認定件数は、関光汽船の2名と門司港運の1名の合計3名。関光汽船の2名の認定は当センターが支援した方であり、それ以外で1名というのは、全国の他港に比べ石綿輸入量が少ないとはいえ、あまりにも少ないという印象が否めない。

Aさんの石綿肺がん被害

被災者Aさん(1932年9月3日生まれ)は、59年から92年まで、関光汽船(本社:山口県下関市竹崎町)北九州支店に在籍し、港湾荷役作業員として石綿の運搬作業にも従事した。
Aさんは、2010年1月、小倉記念病院を受診したところ「肺がん」と診断され、入院・治療を行うも同年11月20日に亡くなられた。Aさんは生前中に労災申請を行い、北九州東労働基準監督署は、胸膜プラーク及び石綿肺の所見が認められるとして、Aさんが発症した肺がんについて労災であると認定した。

関光汽船との交渉・合意内容

そして、港湾石綿被災者救済制度が施行された事を受け、2012年9月、広島アスベスト弁護団の協力を得て、関光汽船に対して損害賠償請求を行い行った。その後、代理人同士の交渉が行われ、本年8月13日付けで合意に至った。合意した内容は、関光汽船がAさんのご遺族に金2,500万円を支払うというもの。
港湾石綿被災者救済制度は、訴訟に訴えることなく当事者間の話し合いで解決をめざす制度であり、裁判での判決相当の解決水準を想定していると考える。今回、制度の趣旨にのっとり、関光汽船が誠実に対応したことは大いに評価できる。港湾作業により石綿関連疾患を発症した多くの労働者に、話し合いで解決できるという道筋が明らかとなったことは大きな意義があり、今後の補償交渉につながる今回の合意である。

Aさんのご遺族のコメント

主人は、定年退職後も70歳までアルバイトとして関光汽船で働いていました。仕事一筋の主人でしたが、仕事を辞めてからは孫やひ孫と一緒に過ごす時間を何よりも楽しんでいました。2010年1月に肺がんと診断されてから亡くなるまではアッという間でした。私が健康でないため、毎日病院に行けませんでしたが、「無理して来なくていいから」といつも私のことを気遣ってくれていました。

主人が病気になって初めて、石綿は、吸ってから何十年も経ってから病気が起こると聞きました。本当に恐ろしい病気だと思います。主人の弟も同じ会社で働いていましたが、弟は石綿健康管理手帳を持ち、年に2回の健康診断に行っています。肺の中に、石綿が刺さっていると聞いています。

今回、弁護士の先生同士の話し合いで、補償問題が解決できたとことをありがたく思っています。裁判になれば何年もかかると聞いていましたので、私も高齢ですので、話し合いで解決できたことがなによりです。港湾で働いていた方の補償問題では、私が初めてだと聞きました。他の方々へも良い影響が出ますよう祈っています。このたびは、ありがとうございました。

ひょうご労働安全衛生センター

安全センター情報2013年12月号