【特集1 石綿健康被害補償・救済状況の検証】対象期間外石綿ばく露」労災認定だったため情報提供サービス「提供情報なし」とされた中皮腫事案に建設アスベスト給付金認定

片岡明彦
(関西労働者安全センター)

前稿で述べた、いわゆる、建設アスベスト給付金の「対象期間外石綿ばく露」労災認定事案にあたる中皮腫患者Mさんのケースを紹介する。

Mさんは、実質上の事前審査的制度である「労災支給決定等情報提供サービス」において「提供情報なし」とされたため、給付金の「対象期間における石綿ばく露作業歴」を証する資料を作成、申請書とともに提出した。申請を受理した厚生労働省(給付金担当)からは、複数の追加資料を求められて提出し、審査結果を待った。Mさんがようやく認定通知を受け取ったのは、申請から1年後であった。

建設アスベスト給付金制度では、申請者である患者や遺族が審査途中に死亡すれば、その方の申請は「無効」となるが、すでに「無効」は60件にのぼっている。とりわけ予後が厳しい中皮腫患者の申請に対して、審査に1年もかける制度であってはならない。

71歳、胸膜中皮腫発症、労災認定

Mさんは1946(昭和21)年1月生れ。15歳から電気工事に従事してきた、M電気の親方、事業主である。電気工は、建設業における典型的石綿ばく露職種である。2019年3月(73歳)、別の病気でかかりつけであったS病院で胸部異常がみつかり、胸膜生検により胸膜中皮腫と確定診断された。

すぐにH病院に転院し胸膜剥皮手術実施となるも、開胸時、広範囲病巣進展確認により手術中止。以後、免疫チェックポイント阻害薬や抗がん剤による化学療法を断続的に受け、現在、療養中だ。

H病院のケースワーカーから当安全センターに「労災請求ができないだろうか」との相談があり、Mさんにお会いして、これまでの職歴を聴いた。

すると、親方になる前に労働者としての職歴があり(1961年~1975年)、1976年以降の親方時期において2001年12月~2016年3月まで労災保険特別加入歴があった。したがって、労働者時期または特別加入をしていた親方時期に石綿ばく露があれば、労災保険の適用を受けることができる。つまり、労災認定を受けられる可能性が高いということなので、さっそく労災請求を行ったところ2020年5月に認定された。

提供できる情報なし

2022年1月からはじまった建設アスベスト給付金申請のために、同年3月に情報提供サービスに申請したところ、6月末に次の内容の「回答」が送られてきた。

「貴方の石綿ばく露作業は給付金の支給対象となる特定石綿ばく露建設業務の期間外の作業しか確認できないため、給付金等の請求を行う上で必要となる情報であった、提供することができるものはございませんので、その旨通知します。
ただし、特定石綿ばく露建設業務に従事していたこと、石綿関連疾病との因果関係等について必要となる書類を添えて請求いただくことは可能です。」

Mさんの労災認定について個人情報開示請求で入手した開示資料によれば、Mさんの中皮腫の労災認定にかかる「石綿ばく露作業及び従事期間」は、
「昭和43年4月から昭和45年10月頃までの約2年7か月間、有限会社NK電設工業所において電気工として勤務し、電気配線を通すため吹き付け石綿を削ったりしていたことにより石綿にばく露していたものと認められることから、1年以上の石綿ばく露作業従事期間を有するものと判断される」とされていた。

45年間で「2年7か月だけ」

Mさんの電気工事業従事期間は1961(昭和36)年から2016(平成28)年までのおよそ45年間、労基署は、そのうちの約2年7か月間だけを石綿ばく露作業従事期間として認定していた。

していた「作業」そのものは同じなのに、どうしてそういうことになるのか。

開示資料にあった労基署のまとめ(「作業歴情報」)によると、有限会社NK電設工業所の前に、すでに労働者として2社で電気工事作業に就いていたが、

  • 昭和36年6月~昭和41年5月 SK電設株式会社
    「社会保険加入歴有り」だが、現場に石綿が吹き付けられた鉄骨はなかった、との本人申述より、石綿ばく露作業従事期間と認めず
  • 昭和41年頃~昭和43年頃 TE電興
    本人申述のみで、会社の存在や同僚等の証言がなく、石綿ばく露作業従事期間と認めず

と判断されていた。

有限会社NK電設工業所のあと、昭和45年11月頃から昭和46年頃までは、本人は複数の会社で日雇として仕事をしていたと申述しているが、会社の連絡先等が一切不明で、労働者性の有無・会社の所在地・ばく露の有無が確認できないので、石綿ばく露作業従事期間と認めず。

そして、個人事業主であった、昭和47年頃から平成28年3月までについては、「特別加入後の業務はA工場での電気工事であり、当該工場において石綿と接触する機会は無かった旨を申述している」として、石綿ばく露作業従事期間とは認めなかった。

開示資料にある労基署のMさんへの聴き取り記録をみると、電気工事における石綿ばく露は、鉄骨への吹き付け石綿からのばく露に主な関心があったようである。しかし、天井や壁に使用される石綿含有建材の切断、加工による直接ばく露、他職種作業からの間接ばく露など、石綿ばく露源は吹き付け石綿だけでない。電気工事作業は、よほどの例外を除いては石綿ばく露作業であるとの認識が、労基署側にあまりないのである。

社会保険記録があるSK電設株式会社の時期を簡単に除外できるのはそのためだ。

また、Mさんの方にも同様の認識があったことが聴き取り記録から窺え、あらためてMさんに「内装材の建材からもアスベストにばく露する」と説明すると「ホンマかいな」との反応であった。

ところで、建設アスベスト給付金の対象期間としては、「1975(昭和50)年10月1日から2004(平成16)年9月30日まで」の石綿ばく露の有無と期間が問題となる。

Mさんはこの時期、事業主として電気工事を行った。

労災請求を受け付けた労基署側では、「事業主の場合、(労災保険に)特別加入していない期間については、ばく露があろうがなかろうが労災認定するかどうかには関係が無い」との認識から、特別加入をしていない期間の石綿ばく露については調査しない、ということが一般的であることはMさんの開示資料をみてもわかる。

労基署側は、特別加入した2001(平成13)年以降についてMさんに聴き取りをしているが、Mさんが「石綿を吹き付けた鉄骨は現場でみたことはなかった」という意味において、「石綿は無かったように思います」と答えたことをもって、石綿ばく露従事期間ではないと判断したようである。そして、特別加入前の事業主期間については、聴き取りを行っていない。

以上の次第で、情報提供サービス申請に対して「提供できる情報なし」と回答してきたのであった。

通常請求

建設アスベスト給付金申請は、情報提供サービスによる「提供情報あり」の場合と「提供情報なし」の場合の2種類がある。前者は「提供情報」が記載された通知のコピーをつけるだけでよいが、後者は給付金の対象期間に対象業務をしていたことを証する資料を作成して提出することが必須となる。これを「通常請求」と称している。

「被災者の就業歴・石綿ばく露作業への従事を証明する資料」として「被災者の就業歴・石綿ばく露作業歴の分かる資料」を提出しなければならない。
『就業歴等申告書(通-様式3と続紙)』及び『別紙(通-様式3別紙)』である。

別紙は、申告書記載の所属事業場-就業期間ごとに記載が必要で、「可能な限り」事業主又は同僚等の証明をとってくれ、とされている。

通常請求となったMさんは、労基署が調査しなかった(労災認定そのものにはとっては、事案的に不要だった)事業主であった期間について申告書と別紙の作成をすることとなった。

幸い、Mさんが事業主であるM電気は、SK電興の下請としての仕事がほとんどであり、SK電興の正社員のK氏の協力が得られたので、K氏がかかわった期間についてのK氏の上記の「別紙」への証明が得られた。K氏はSK電興在職時からMさんと現場をともにすることが多かったが、同社を退職した後は、M電気の労働者としてMさんとともに電気工事に従事した期間が長かったため、資料により証する必要のあった全期間について、同僚として証明することができた。

「申告書」とその「別紙」とともに、K氏申立書と筆者作成の意見書(別掲)を添付して、2022年8月上旬に給付金を申請した。

ところが、同年12月になって、申請書の記載事項の修正等をするようにとの「請求書等の不備・不足に係る返戻について」という書面が、返戻付箋のついた請求書原本とともに返送されてきた。

厚生労働省の給付金担当に電話連絡すると、「受け付けましたが、修正や追加資料の提出をまって審査をします」云々との話であったので「申請してから4か月もたって、いまからはじめるとはなにごとだ」云々と強く苦情を述べざるをえなかった。

追加資料として、労災休業補償給付支給決定通知の写し、作業日誌の類い、銀行通帳の写し、SK電興の登記簿謄本といったものが求められ、これに応じた。

また、療養中のMさん本人にはこうしたやりとりは負担になると思われたので、筆者は代理人となって給付金担当との対応にあたることにした。

Mさんの悪化する病状を心配する中、ときどき給付金担当に進捗状況を架電確認するものの具体的な返答はないままであったため、2023年7月の中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会省庁交渉の場で、具体的にMさん事案がこんなに遅延するのはきわめて問題だとも訴えた。

そして、2023年8月31日付で認定決定通知書が届いた。申請から1年が経過していた。

別掲/請求者・M氏の発症せる胸膜中皮腫が建設アスベスト給付金(以下、給付金)支給要件に該当することについての意見書

2022年8月10日
関西労働者安全センター
事務局 片岡明彦

1 要旨

M氏は、昭和47(1972)年から平成28(2016)年まで約45年間、一人親方等として、屋内における電気工事に従事し、石綿含有建材由来の石綿粉じんにばく露し、平成29年10月、胸膜中皮腫を発症し、現在療養中である。

建設アスベスト給付金の支給対象として要件とされている
(1) 特定石綿ばく露建設業務に従事したこと
(2) (1)の業務に従事したことにより石綿関連疾病にかかったこと
(3) 労働者や一人親方等であったこと
の3つについて、

(1)については特定石綿ばく露建設業務従事期間が14年以上であること、(2)については胸膜中皮腫を発症しすでに労災認定を受けていること、(3)については一人親方等であること、が認められることから、M氏の胸膜中皮腫にかかる建設アスベスト給付金申請は、減額対象にならないものとして、給付が認められるべきである。

2 M氏が一人親方等として電気工事に従事したことによる石綿ばく露について

① 建築物における電気工事による石綿ばく露について

建築物における電気工事は、建築物内の電気配線を行うための工事である。電線や電線を通すための電気管の敷設やそれに附随する作業を行う。
M氏はこうした電気工事に従事する典型的な電工(又は電気工)であった。一般的な説明を簡便にするならば、たとえば、M氏とともに長期間、現場電気工事に従事したK氏の申立書(2022年7月5日付)(以下、K氏申立書)の7ないし8のとおりであって、電工は業務上、石綿ばく露を受ける典型的な職種である。

その結果として、労災保険制度において石綿関連疾病によって業務上認定された電工の労働者、一人親方等は多数にのぼっていることは周知の事実である。

M氏もそのような一人であった。

② 昭和47年以降のM氏が従事した電気工事よる石綿ばく露について

(ア) SS社岡山工場(以下、岡山工場)での電気工事

K氏は、昭和51年4月1日にSD株式会社(以下、SD社)に入社し、以後、同社の現場監督として勤務し、下請業者社員とともに現場電気工事に従事した。1,2

K氏入社時の昭和51年4月からすでにM氏はM電気(当時、金田電気と称したが本意見書では、M電気に統一表記する)代表者であり、SD社の下請業者として電気工事に従事しており、ほとんどの仕事においてM氏とともに仕事をしたK氏は岡山工場におけるM氏の作業についても知悉している(K氏申立書1ないし6)。

岡山工場の電気工事はSD社の主力のひとつであり、そのすべてをM電気が行っており、M氏は岡山工場での電気工事において石綿粉じんにばく露した(K氏申立書9ないし27)。

(イ) 岡山工場について調査を実施

労災請求当時において当職は、岡山工場で火事がかつて発生し、その復興工事のときにアスベストを多く吸ったということを、M氏より聞かされていた。

すなわち、岡山工場の鉄骨の梁、柱、天井裏の折板鉄板にはびっしりと耐火のための吹き付けがなされており、M氏の主な作業現場でもある電気室などは吹付材ががむき出しになっており、天井のあるところの天井裏での作業も多く、そうした作業現場では剥離した吹付材が散らばっており、作業中にたくさん粉じんを吸う、火災復旧工事のときは特にたくさん吸った思うということであった。

そこで、当職は、M氏、K氏が記憶していた岡山県内の場所を地図上で特定して、古い住宅地図やGoogleマップや空中写真、文献の調査を行った結果、岡山工場の建設、操業、火事の経緯が判明した。

そして、岡山工場の当時の施設が現存していることがわかったために、当職は現地調査を実施し現場から吹付材標本を採取して専門分析機関にアスベスト分析を依頼したところ、岡山工場の吹付材は、石綿を含有したロックウール(岩綿)吹付材であることが判明した。

以下に、調査によってわかった事実を述べる。

(ウ) 岡山工場の建設と操業

SS株式会社(以下、SS社)岡山工場は、岡山県M市某所(当時、岡山県A町某所)に昭和48(1973)年に建設され、操業を開始した。3

当時、地元期待の新鋭工場であった。

『工場誘致きまる 町内に働く場所をと。優秀な企業の誘致を勧めておりましたが、SS社岡山工場をT地区に誘致することになり、4月着工現在進入道路、工場敷地工事を10月操業目標に向かって急ピッチで進行しています。この工場はKM社の斡旋による最新式の織布工場です。工場敷地10,000平方メートル、工場建物8,327平方メートル、投資金額約22億円、従業員70人(現地採用)』(広報A 1973年5月号№73)4

『T地区へ、SS社株式会社岡山工場を誘致、地権者の協力を得て10000坪の用地を確保、スイス製の優秀な機械を導入して被服用の原反を製造する工場で、10月操業をめざして今、急ピッチで工事が進められ、工場建物、2,100坪の建築が終わり機械の据付工事、ならびに独身寮、社宅、食堂の建築工事が始まっています。この工場の全機械が動き本格的な生産に入るのは、来年4月になる予定で、社員は町内の優秀な人材70人が、生活環境の良好なT地区で、三交替で勤務し、世界一の機械を駆使して、立派な原反が、出来上がる日も間近かで岡山県内でも有名な立派な工場となることと思います。』(広報A 1973年9月号№75)5

「デニム地織布(業)」(‘75A町制20周年記念誌)6を生産する「全国有数の工場」であった(角川日本地名辞典33岡山県、1989、232頁)。7

岡山工場は平成7年11月までSS社が所有しており、それ以降はKS株式会社の所有となった。8

M氏の記憶でも、岡山工場の電気工事に従事したのも平成7年頃までである。

(エ)岡山工場の火事

岡山工場の火事について、当職は、M市消防本部に対して昭和51年以降の昭和50年代前半頃の岡山工場のあった「M市某所」への消火出動記録を電話にて照会したところ、「昭和53年8月6日である。火事の詳細については利害関係者以外への開示はしない。」旨の回答を得た。

そこで、当時の新聞記事を検索したところ、次の記事9を確認した。

「縫製工場一部焼く原糸など損害1億8千万円6日午後1時55分ごろ、A郡A町某所、SS社岡山工場=K工場長(46)=の縫製作業場ののりつけ室から出火、鉄骨スレート葺き平屋建ての同工場6,860メートルと中にあった機械、原糸などを焼いて同3時頃消えた。損害約1億8千万円(S署調べ)。同署の調べでは、同工場には出火当時従業員はおらず、のりがかたまらないよう自動かくはん機を動かしていたことから、モーターが過熱したらしい。」

昭和53年8月6日は日曜日であった。

以上より、岡山工場の火事は昭和53年8月6日に発生したものである。

なお、大阪労働局高度労災補償調査センター(ARC)によるM氏聴取書には、岡山工場火災についての記述はない。

推察するにその理由は、M氏の長期の電気工職歴のうち労災保険制度において石綿ばく露期間と認め得る労働者期間及び労災保険特別加入期間としてARCが業務上外判断の前提としたのは、昭和36年~昭和47年(労働者期間)であったため、すでに自営に転じ、かつ、労災保険特別加入非加入期間に含まれる昭和53年については、聴取の対象になっていなかったためと考えられよう。

ちなみに労災支給決定において認定対象とする石綿ばく露及び期間として認められたのは「昭和43年4月から昭和45年10月頃までの約2年7か月、有限会社NK電設工業所において電気工として勤務し、電気配線を通すために吹き付け石綿を削ったりしていた」(原処分庁Y労基署の調査結果復命書10)ことであった。そのためにM氏が「労災支給決定情報等情報提供サービス」に申請したところ、「貴方の石綿ばく露作業は給付金の支給対象となる特定石綿ばく露建設業務の期間外の作業しか確認できないため、給付金等の請求を行う上で必要となる情報であって、提供することができるものはございませんので、その旨通知します」との回答(令和4年6月30日付)がなされている。

(オ) 岡山工場の現在の状況及び石綿含有吹付材の分析

現在、岡山工場の建物・土地はY商会株式会社(以下、Y商会)(高知県T市某所)所有の太陽光発電所となっている。下の航空写真(以下、全体写真。googleマップより)のごとく工場屋根と敷地北側の土地に太陽光パネルが設置されている。当職が、Y商会の了解を得て、2022年2月16日に岡山工場の立ち入り調査を実施し、吹付材サンプルを採取した時点において同発電所は稼働中であった。

立ち入り調査の際、岡山工場の南西角に位置する電気室内に落下せる吹付材を採取し、採取サンプルのアスベスト検査を特定非営利法人東京労働安全センターに依頼した。

その結果は、
石綿含有:あり(クリソタイル)
推定含有率:0.1~5%
非繊維石綿:ロックウール
であり、これにより、岡山工場の鉄骨(梁、柱)及び天井折板の吹付材は、石綿を含有していることが証明された。11

①ないし⑨の写真は、当職が現場立ち入り調査を行った2022年2月16日に撮影した。

岡山工場の天井や梁や柱の鉄骨部分にはびっしりと吹き付けが行われており、経年劣化や電気工事等によって剥離、落下することは常識的にも明らかであるので、この吹付材起源の石綿含有粉じんにM氏が各種作業や現場への滞在自体によってばく露していたことは事実として認められる。

また、織機室の天井部分には石膏ボードと推測される建材が使用されており(施工状況はK氏申立書23に記載されたとおりであった)、穿孔作業などにより石綿含有粉じんにばく露されていたこともまた確実である。ちなみに、岡山工場が建設された昭和48年は、後述するように石綿含有せっこうボードの製造期間に含まれる。

(カ) 岡山工場での電気工事によるM氏の石綿ばく露期間

M氏は昭和47年よりM電気として仕事をはじめていること、岡山工場の操業開始は昭和48年であること、岡山工場の電気工事はすべてSD社-M電気によって行われていたこと(K氏申立書10~12)、平成7(1995)年までSS社が岡山工場を所有し、M氏の記憶でも同年まで岡山工場で仕事をしたことより、M氏が岡山工場で就業したのは、昭和48(1973年)から平成7(1995)年までの約22年間と認められる。

そして、この間の岡山工場での電気工事をしていた全ての期間において、M氏が石綿にばく露していたと認められる。

M氏によれば、合計にして年間最低1か月は岡山工場で就労していたということであり、また、K氏も、「SD社として工場に常駐していた訳ではありませんが、年間にすると最低1か月程度は岡山工場で仕事をしていたと思います。」(K氏申立書15)としている。したがって、M氏は、少なくとも22か月間(1年10か月)は岡山工場で就労したということができる。

加えて、昭和53年8月火災後の復旧工事では少なくとも6か月間は岡山工場で就労した(K氏申立書17)。

よって、M氏は、短くとも、22+6=28か月(2年4か月)間、岡山工場で就労したと認められるので、M氏の岡山工場での電気工事による石綿ばく露作業従事期間は、最低でも2年4か月と認められる。

なお、K氏の同僚証言が得られるのが、同氏がSD社に入社した昭和51年4月以降であるのでそれ以降に限定したとしても、M氏の岡山工場における石綿ばく露期間は、28か月から3か月(3年分)を減じた、「少なくとも25か月」(2年1か月)と認められる。

(キ) F工業株式会社K事業所(以下、K事業所)での電気工事によるM氏の石綿ばく露とその期間

K氏は、平成元(1989)年7月にSD社を退職し、すぐにM電気で電気工事に従事するようになった(K氏申立書5.37、添付資料01)。

K氏のM電気働き始めからの仕事はほぼ100%がF工業での電気工事だった(K氏申立書37)。

M氏によると、K事業所の仕事については、はじめは元請・Tエンジニアリング、一次下請け・T電工、二次下請・M電気の系列の仕事であったが、昭和53(1978)年に元請・SP電気(大阪市北区某所)、一次下請・TG電気(寝屋川市)、二次下請・M電気の系列に変わった。

理由は、K事業所の電気工事は、製造工程一式はTエンジニアリングが行い、それ以外の事務棟、研究棟などの弱電関係一式はSP電機の担当であったところ、昭和53年にF工業T工場Ⅱ期工事竣工(F100年誌、200頁)12ののち(このとき、M電気はT工場の電気工事をTエンジニアリングの下請として行った)TエンジニアリングがK事業所から撤退したことを契機に、M電気はSP電機の下請系列に移行したので、以後、K事業所における電気工事についてはほぼM電気が担当することになったというものであった。

その時期以降、K事業所はM電気の仕事(売り上げ)の主力となっており、K氏がM電気に来た平成元年頃には9割以上はK事業所での仕事であった。その状態は、K氏がM電気を平成15(2003)年に辞めるまで続いた。M氏のK事業所での就業の事実については、K氏申立書で充分ではあるが補足証拠資料として、M氏に対して平成7年7月3日付でSP電機より贈られた「感謝状」13を提出する。同感謝状には、「F工業(株)大阪工場R-6準備工事他」と記載されている。F工業(株)大阪工場とはK事業所のことであり、宛名の記載より、M電気が2次下請・TG電気からの3次下請であったことも示されている。

K事業所はF工業の製造・研究の本拠地であって、M氏やK氏が就業していた平成7年当時には、研究棟、工場棟、事務棟など多くの建物があった。14毎日、電気工事のためにK事業所に出勤していたというのも首肯できる(K氏申立書40)。

以上の経緯の中で、M氏がK事業所で従事した電気工事は、K事業所内の事務棟、研究棟、工場における改修、補修に伴う屋内の電気工事であり、石綿ばく露作業であった。石綿ばく露の原因建材となったとみられるのは、M氏、K氏によれば、化粧ケイカル板、プラスターボード(せっこうボード)等である(K氏申立書41~43)と考えられる。

「化粧ケイカル板」とは、表面に仕上加工を施したけい酸カルシウム板第1種である。「石綿(アスベスト)含有建材データベース」に示されている「石綿含有けい酸カルシウム板1種」の解説15のなかの「けい酸カルシウム板を基材として、表層材に塩ビシート、突板、化粧紙、樹脂塗装などの化粧化工をした不燃化粧板がある」との記述が該当する建材である。

プラスターボード、化粧ケイカル板を作業対象とする切断、開口作業においては大量の粉じんが発生し、防じんマスクを装着することもなかった(K氏申立書43)ので、K事業所における電気工事に際して発生せる粉じんに含有するアスベストにばく露したものと認められる。

M氏によれば、M氏のK事業所での電気工事従事は、おおよそ昭和50年頃からはじまった。その後、上述のとおり、昭和53年頃から工事量増加、M電気の売り上げ主力となり、ほぼ常時、K事業所での電気工事に従事するようになった(M氏、K氏申立書37ないし44)。

一方、K事業所における石綿ばく露原因となったと考えられるプラスターボードと化粧ケイカル板の石綿含有時期については、「目で見るアスベスト建材(第2版)」(国土交通省)9頁によると、石綿含有せっこうボードの製造時期は昭和45(1970)年~昭和61(1986)年とされ、石綿含有けい酸カルシウム板第1種の製造時期は昭和35(1960)年~平成16(2004)年とされている。16

ところで実際上、けい酸カルシウム板第1種全体での石綿含有製品の割合が経年的に減少していったことは公知の事実であるところ、たとえば、石綿含有けい酸カルシウム板第1種について、2001年以降の施工時期において問題となる可能性のある製品を石綿含有建材データベースで検索した結果17をみると、石綿含有けい酸カルシウム板第1種の大手メーカーであるニチアスは検索されてこないし、浅野スレートやエーアンドエーの製品は検索されてくるが、化粧ケイカル板の可能性がある製品は、タイラックス(浅野スレート、2000年製造終了)くらいである。

したがって、K事業所の電気工事における改修工事に施工される化粧ケイカル板は、いくら遅くとも2001年までには石綿を含有しない製品になっていたと考えられよう。もちろん、階層単位の大きな改修工事における既設建材の撤去、小規模改修工事における開口作業等によって、工事時期以前に施工された石綿含有建材からの石綿発じんはあったとみるべきであるが、その種のばく露についても2001年よりかなり前の時期から減少していたと考えられる。けい酸カルシウム板第1種における主要メーカーのニチアスは非石綿建材への代替を1992年までに完了しているなど、非石綿含有建材への代替は1990年代に相当進んでいたとみられるからである。

以上の次第であるので、M氏のK事業所における石綿ばく露作業従事期間は、昭和50(1975)年ごろから、遅くとも平成13(2001)年までの最大27年間と認められる。

なお、M氏はARCによる聴取書において、「10.私が特別加入をした平成13年12月以降には石綿作業をすることは無くなっていたと思います。特別加入後に行った電気工事の現場は主にF工業という会社です。当時淀川区の研究所と工場がありましたが、これらの施設に石綿は無かったように思います。」と述べている。当職がM氏に対して、ここで述べている「石綿作業」「石綿」について何を指しているのかときいたところ、「鉄骨の吹き付け石綿を削ったり、触ったりすることを念頭においたものでF工業では吹き付け石綿を見たことがなかった」ということであった。つまり、「F工業の研究所や工業には、吹き付け石綿はなかったので、石綿作業はなかった」という趣旨を述べたということであった。したがって、(キ)で述べた石綿ばく露作業の存在とは矛盾するものではない。M氏の石綿ばく露作業に対する認識不足があったに過ぎない。実際、当職がM氏から聞き取りを実施した際、当初M氏には、化粧ケイカル板やプラスターボードが石綿含有建材であるという認識はなかったので、改めて当職より説明しなければならないという一幕があった。

③ まとめ

M氏は、昭和47年以降、M電気を屋号とする自営業者として建築物の改修等の工事において電気工事に従事した。その期間は、昭和47年から平成28年までの約45年間である(M氏は平成13年12月から平成28年3月まで労災保険特別加入履歴があり、平成29年10月に胸膜中皮腫を発症していることから、終期はおおむね平成28年と認められる)。

このうち、

  • (ア)ないし(カ)で述べたとおり、岡山工場での電気工事は、屋内における建築物の改造、修理、変更等の作業に該当する。岡山工場における電気工事における石綿ばく露作業従事期間は、昭和48年から平成7年までの間における、2年1か月から2年4か月と認められる。したがって、岡山工場での電気工事は、建設アスベスト給付金制度における特定石綿ばく露建設業務に該当し、従事期間は少なくとも2年1か月と認められる。
  • (キ)で述べたとおり、K事業所での電気工事は、屋内における建築物の改造、修理、変更等の作業に該当する。K事業所での電気工事における石綿ばく露作業期間は、昭和50(1975)年ごろから、遅くとも平成13(2001)年までの最大27年間と認められる(少なくとも1年間を優に超えることは明らかである)。したがって、K事業所での電気工事は、建設アスベスト給付金制度における特定石綿ばく露建設業務に該当し、従事期間は少なくとも約26年間と認められる。

特に、M氏の同僚証言者・K氏が証言できている期間が、K氏がSD社に入社した昭和51年4月からM電気を退社した平成15年までであることに限定して考えるとするならば、昭和51年~平成元年までの岡山工場における従事期間については14か月+6か月=20か月=1年8か月、平成元年7月~平成13年までのK事業所における従事期間については12年6か月、合計14年2か月となるので、M氏の特定石綿ばく露建設業務従事期間は、どんなに少なくとも14年2か月と認められる。なお念のため申し添えると、M氏は岡山工場以外のSS社の工場(天理)(K氏申立書26)、K事業所以外のたとえばF工業本社ビル(K氏申立書37)などでも同様の電気工事を行っているので、以上の石綿ばく露作業従事期間の計算値は最低限の数値であることに留意する必要がある。

3  結語

建設アスベスト給付金の支給対象として要件は、次のとおりである。

(1) 特定石綿ばく露建設業務に従事したこと
(2) (1)の業務に従事したことにより石綿関連疾病にかかったこと
(3) 労働者や一人親方等であったこと

M氏は労働者としての石綿ばく露従事期間が1年以上認められ、胸膜中皮腫の確定診断を得ていることから労災保険制度における労災補償請求につき業務上支給決定を受けて療養中である。また、昭和47年以降、自営業者=一人親方等として電気工事をしていたことは、労災支給決定に至る調査内容によっても明らかである。したがって、上記の(2)(3)については、要件を満たしている。

ところが、その支給決定の対象とされたばく露期間が「昭和43年4月から昭和45年10月頃までの約2年7か月」であるため、「労災支給決定情報等情報提供サービス」申請については「提供情報なし」との回答を受けることとなり、今般、情報提供サービスを「ご利用でない方」として、建設アスベスト給付金申請を行ったものである。

当職は、M氏から協力を求められ、M氏及びM氏の仕事上の同僚たるK氏の聴き取りをするとともに種々の調査を行い、本意見書を作成した。

その結果、「2③まとめ」で述べたとおり、昭和51年~平成13年の間において少なくとも14年2か月の間、M氏が特定石綿ばく露建設業務(昭和50年10月1日~平成16年9月30日に屋内作業場で行われた作業に関する業務)に従事したと認められることが明らかとなった。したがって、M氏の建設アスベスト給付金申請は上記の(1)の要件にも該当する。

よって、M氏の胸膜中皮腫にかかる建設アスベスト給付金申請については、特定石綿ばく露建設業務従事期間1年以上であるので減額対象にならないものとして、給付が認められるべきである。

1 添付資料01 K市年金定期便抄写し
2 添付資料02 SD社会社情報(ネット検索例)
3 添付資料03 A町某地区住宅地図(1991年1月、ゼンリン)
4 添付資料04 広報A 1973年5月号№73抄
5 添付資料05 広報A 1973年9月号№75抄
6 添付資料06 A町制20周年記念誌抄
7 添付資料07 角川日本地名辞典33岡山県、1989抄
8 添付資料08 SS社岡山工場登記簿
9 添付資料09 山陽新聞朝刊1978年8月8日全県版面
10 添付資料10 M氏の業務上外調査結果復命書(淀川労基署)
11 添付資料11 石綿分析報告書(2022年3月3日特定非営利活動法人東京労働安全衛生センター)
12 添付資料12 F工業100年史抄
13 添付資料13 感謝状(平成7年7月3日、SP電機からM氏宛)
14 添付資料14 K事業所の建物配置図、写真(F工業100年史、1995年)、案内図
15 添付資料15 石綿含有けい酸カルシウム板第1種(積怨含有建材の特徴、石綿含有建材データベース)
16 添付資料16 目で見るアスベスト建材(第2版)抄、国土交通省
17 添付資料17 石綿含有建材データベース検索結果(けい酸カルシウム板第1種、施工年2001年~)

安全センター情報2024年1・2月号