CCTVが撮った「悲惨なあの日」・・・傍聴席は「嗚咽」した/韓国の労災・安全衛生2025年1月8日
労働者23人の命を奪った華城リチウム電池製造業者・アリセル工場の惨事前後の動画が法廷で公開された。電池の爆発当時の状況が詳しく公開されたのは今回が初めてだ。映像にはアリセルの労働者が火災にきちんと対処できず、右往左往する姿がそのまま映されていた。
通路に備品が「いっぱい」、仮設の壁が作業場の中間を塞ぎ
水原地裁刑事14部で、8日に行われた「アリセルのパク・スングァン代表の重大災害処罰などに関する法律違反などの疑い」の一回目の公判で、検察は昨年6月24日の火災前後の状況の工場CCTV映像を公開した。
電池が爆発した当時の緊迫した状況が再生された。事故当日の午前10時30分頃、作業場の右下通路に積載された電池から火花が飛び散り、わずか15~20秒後には火炎が大きく拡がった。爆発を発見した職員たちが作業場の片隅に慌てて駆けつけた。この姿を見た遺族たちのすすり泣く声が法廷を満たした。
職員たちは電池が爆発しても直ぐに待避せず、火花が散る電池を探そうとしたり、消火器で火を消そうとした姿がCCTVに撮られていた。あっという間に火が大きくなったが、一部の職員だけが一人の管理者について、正規職だけが利用できる研究室側に移動し、災難から逃れた。安全教育と火災避難教育を実施しなかった結果だ。
検察は「日雇い勤労者たちは事故発生場所の反対方向に追い込まれ、待避できなかった。」「爆発力が大きくて、直ぐに待避しなければならない状況なのに、電池を分類し、消火器で火を消そうとしたということは、安全教育と待避教育が行われていなかった証拠」と説明した。
惨事前の状況もこれを裏付けた。事故18日前の昨年6月6日の映像を見れば、午前9時6分頃、教育担当者が出勤後約1分で、派遣労働者を連れて作業場に出て行った。業務投入前の教育は2分余りだった。検察は「業務投入前に、休憩室の前で教育するだけだった」と指摘した。
その上、電池と備品が通路と出入り口を塞ぎ、迅速な待避ができなかった。6月7日午前に撮影された映像を見ると、貨物昇降機の前の通路に物が積まれていた。事故当日にも、廊下に積載された備品が出入口を塞ぎ、労働者が孤立しやすい環境が作り出された。検察は作業場の図面を示し、「サンドイッチパネル二個が作業場の中間を遮り、窓も塞いでいた」と明らかにした。
遺族8人の供述「合意を慫慂、裁判官の前で謝罪」
動画を見ながらすすり泣いた遺族たちは、発言の機会を得て陳述して号泣した。アリセル研究所長として在職し、亡くなった故イ・ビョンチョル氏の妻のチェ・ヒョンジュさんは「初めての裁判で検事が、『アリセル問題を解決するためには、六ヶ月間、すべての業務を止めて原因を探して改善しなければならない』という生前の夫の意見を公開した」とし、「夫は労働者と経営者のいずれもが満足する会社にしたがっていた。そのような夫の名誉を守りたくて、六ヶ月間『半狂乱』になって暮らした。人間としての礼儀を知らないパク・スングァン父子を厳重に処罰して欲しい」と訴えた。
故チェ・ウンファさんの夫のパク・チャンソンさんは「惨事以後、パク・スングァン代表側の労務士と弁護士の合意の勧めと、エスコネク職員らの嘲笑だけがあった。」「ところが、パク・スングァン代表が裁判官の前で謝るというから、血が逆さまに登った」と胸を叩いた。息子と嫁を一度に亡くしたイ・ビョンリョルさんとラオス国籍の故チュ・イさんの夫のイ・ジェホンさん、故オム・ジョンジョンさんの母親のイ・スンヒさんら遺族も声を一つにして、パク・スングァン代表と息子のパク・ジュンオン運営総括本部長の厳正な処罰を訴えた。
アリセル重大災害惨事対策委員会法律支援団団長であるシン・ハナ弁護士は「試料のすり替えと不法間接雇用、安全教育未実施などが作った必然的な事故」で、「遺族に残ったのは法的手続きだけ」と強調した。パク・スングァン代表とパク・ジュンオン総括本部長は頭を下げたまま、被害者の供述を聞いた。パク・ジュンオン総括本部長は手で顔を覆ったりもした。
検察はパク・スングァン代表の拘束期間満了日の3月23日前に、週二回以上裁判を開き、審理を終えて欲しいと裁判部に要請した。しかし、パク・スングァン代表側は被告人の防御権のために二週間に一回の公判を希望し、裁判部は一週間に一回の期日を開くことにした。次の公判は13日午後2時に弁護人の証拠意見で続行される。
2025年1月8日 毎日労働ニュース ホン・ジュンピョ記者
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