石綿肺の除斥期間の起算点について-一審敗訴判決からの控訴審逆転勝訴判決
奥村昌裕
(大阪アスベスト弁護団・弁護士)
目次
1 控訴審で逆転勝訴
大阪高等裁判所第2民事部(三木素子裁判長)は、令和7年4月17日、石綿肺(管理区分2・非合併)の被害者の遺族原告が国に対し損害賠償を求めている訴訟において、除斥期間が経過したとして原告の請求を棄却した一審判決(大阪地裁第9民事部)を破棄し原告逆転勝訴の判決を言い渡し、同年5月2日、国が上告を断念し確定しました。
本件はアスベスト被害のうち、平成26年10月の大阪・泉南アスベスト国賠訴訟の最高裁判決を受けて、工場内で粉じんにばく露してアスベスト関連疾患を発症した被害者に対し、被害者・遺族が提訴すれば、国が訴訟上の和解によって損害賠償金を支払うという、いわゆる工場型アスベスト訴訟のひとつです。
2 提訴経緯および国の突然の対応変更
(1) 被害経過と提訴
本訴の被害者は下記の経過で国に対し和解を求めて提訴しました。
① 1999(平成11)年10月19日じん肺健康診断(X線撮影)
② 2000(平成12)年4月25日じん肺管理区分申請
③ 2000(平成12)年5月30日被害者じん肺管理区分2決定
④ 2020(令和2)年5月8日被害者提訴(石綿肺管理2・非合併)
(2) 国の突然の対応変更
本件で問題となった除斥期間とは、被害者の損害賠償請求権が、損害の発生時から20年経過すると消滅するというものです。
本訴において国が除斥期間の経過を主張する前まで、国は除斥期間の起算点である「損害の発生」について、長崎じん肺最高裁判決(平成6年2月22日)、筑豊じん肺最高裁判決(平成16年4月27日)、泉南2陣大阪高裁判決(平成25年12月25日)を受けて、石綿関連疾患については「最終の行政決定時」、あるいは、「石綿関連疾患で死亡した時」として、工場型での訴訟上の和解に応じてきました。そのため、本訴原告は、じん肺管理区分2の決定を受けた時点(上記③)から20年を経過する前に提訴したことから、和解によって速やかに損害賠償金が支払われるものと考えていました。
ところが、別の福岡高裁判決(令和元年9月27日)において、石綿起因の肺がん被害者に対する損害賠償金の遅延損害金の起算日である「損害の発生」について、「石綿関連疾患の発症が認められる時」と判断し、国が敗訴し上告することなく確定しました。これを契機に国は、秘密裏に、令和元年10月15日付けで除斥期間の起算点である石綿関連疾患による「損害発生時」について、従来の「最終の行政決定時」あるいは「死亡時」から「症状発症時」に遡らせる扱いに変更しました。そして、国は、本訴において突然、平成11年10月19日のじん肺健康診断を受けた時点で被害者は石綿肺の症状が発症しており(上記①)、その時点が除斥期間の起算点であることから国は和解に応じないと主張してきたのです。
弁護団としても、本件訴訟における国の主張や、その後の情報公開請求によって取扱い変更を始めて知り、ここから長い戦いが始まりました。
(3) 契機となった福岡高裁の経過と判断
福岡高裁も本訴と同様、石綿工場の元労働者が肺がんを発症したことから提訴して損害賠償金の国に支払いを求めた事案です。同裁判おける原告は、肺がんを発症した日から損害賠償金の支払いが遅滞となり、同時点から遅延損害金が発生すると主張しました。それに対し、国は長崎じん肺および筑豊じん肺最高裁判決や泉南2陣大阪高裁判決に基づき最も重い行政上の決定日(=労災認定日)が起算日であると主張していました。
最終的に福岡高裁は「石綿に起因する肺がんは、石綿肺(じん肺)のように特異な進行性の疾患であると認めることはできず、石綿肺(じん肺)のようなじん肺管理区分決定に相当する手続もないし、地方じん肺審査医の診断又は審査のような専門的な地検を有する医師による診断又は審査が行われるものでもない。したがって、本件のような石綿に起因する肺がんに関する『損害の発生』に係る解釈には、平成6年最判(=長崎じん肺最高裁判決)の射程が及ぶものではないと解される。」として国の主張を排斥し、遅延損害金の起算日を「肺がんの確定診断を受けた日」と判示しました。
国は、この「肺がん」の「遅延損害金」の起算日となる「損害の発生」の判断を根拠に、「石綿肺」の「除斥期間」の起算点となる「損害の発生」を争ってきたのです。遅延損害金は損害賠償請求権が存在することが前提ですが、除斥期間は損害賠償請求権そのものを失わせるものであり、全く性質の異なるものです。
3 国の主張を鵜呑みにした一審不当判決
(1) 国の主張
本訴において国は、福岡高裁裁判における国の主張と正反対の主張、つまり同裁判の原告の主張と同様の主張をしてきました。平気に国は“手のひら返し”をしてきたのです。
国は、「肺がん」「遅延損害金」が争点であった前記福岡高裁判決に基づき、じん肺管理区分決定より前の時点で当該管理区分に相当する病状に基づく損害が発生していたことを証拠上認定できる場合については、じん肺健康診断を受診しエックス線写真が撮影された時点(上記①)でじん肺管理区分2に相当するじん肺を発症していたとして、除斥期間の起算点を同時点と主張しました。
なお、この主張の背景には、長崎じん肺最高裁判決に関する最高裁判所調査官による解説があります。そこに「じん肺の場合に損害が発生したといえるのは、じん肺の所見がある旨の行政上の決定(管理2以上の決定のうち当該患者が最初に受けた決定)に相当する症状が発現した時であるが、これは、事後的な行政上の決定がなければ、通常は認定し得ない。したがって、最初の行政上の決定を受けた時(行政上の決定を受けずに死亡した者については、死亡した時)に、損害が発生したとみてよい(厳密には、右決定の根拠となった診断を受けた時に損害が発生したというべきであるが、10年の時効が争われるような事件では、当該決定がいつの診断に基づくものかは、証拠上認定し得ないことが多い。)」との文言があることも国は根拠に挙げました。しかし、長年に及ぶ当事者の真剣な主張・証拠に基づいて出された判決と、調査官による解説は異なるものです。
(2) 原告の主張
私たちは、前述のとおり①長崎じん肺最高裁判決、筑豊じん肺最高裁判決および泉南2陣大阪高裁判決に基づき、本件の除斥期間の起算点は最終の行政決定時と主張するとともに、②損害を発生させた加害者が予見できる遅延損害金の発生と、被害者が権利行使できる始期であり法的安定性が求められる除斥期間の経過との制度趣旨の違いから、起算点となる「損害の発生」時の解釈が異なることも合理的であると主張しました。加えて、③国が、突然、損害賠償請求権を失うことになる除斥期間の起算点を、国民に全く周知することなく秘密裏に遡らせて変更したことについて信義則・禁反言違反を主張しました。
(3) 一審不当判決
一審地裁判決は、国の主張を鵜呑みにし、長崎じん肺最高裁判決を同事案に限った事例判決と考え、「じん肺管理区分の決定より前の時点で当該区分に相当する病状に基づく損害が発生していることを証拠上認定できる場合についてまで同じ判断をしているとはいえない。」として国の主張を認め、令和5年12月20日、私たちの主張を退ける判決を言い渡しました。
4 石綿被害の実態に即した控訴審判決
(1) 控訴審での主張・立証
控訴審においても、原告および国は同趣旨の主張を続けました。そして、私たちは追加証拠として、じん肺法が施行された昭和35年以降、じん肺健康診断を受診している労働者数等の資料を証拠提出しました。資料によると受診者数は、毎年10~30万人に上っており、多いときには5万人以上に管理区分2以上の決定が出されていて、近時減少しているといってもいまだに年1000~2000人の決定が出ています。権利を消滅させる除斥期間の起算点については法的安定性が求められ、客観性・統一性が要請されることから、個別に判断するのは不合理であることも主張しました。また、一審において、令和4年8月以降、除斥期間に関し定期的に勉強会を開いて頂いています立命館大学の松本克美教授に一審時に意見書を作成して頂きましたが、さらに控訴審において追加の意見書を作成して頂き提出しました。
(2) 控訴審の正当な判断
本判決は、消滅時効の起算点に関する長崎じん肺最高裁判決を引用し、症状の進行等が現在の医学では確定できないじん肺(石綿肺を含む)の病変の特質を踏まえて「じん肺に罹患した事実は、その旨の行政上の決定がなければ通常認め難いから、じん肺の場合の損害はじん肺の所見がある旨の行政上の決定を受けたときに発生したものというべきである」と判断しました。
そして、長崎じん肺最高裁判決について、損害賠償請求権が損害発生時に成立し、同時にその権利行使が法律上可能となることを前提として、じん肺病変の特質から判断したものであり、「じん肺は進行性の疾患ではあるが、管理二に相当する病状に基づく損害、管理三に相当する症状に基づく損害、管理四に相当する症状に基づく損害は、それぞれ質的に異なるものであるとの法的な評価を示した上で、法的明確性・客観性の観点から、各損害の発生時を各行政上の決定時と解すべきことを示したものというべきである。」とし、筑豊じん肺最高裁判決が、除斥期間の起算点を「損害の発生時」と判示していることに照らせば「じん肺被害を理由とする損害賠償請求権については、その損害発生時、すなわち最終の行政上の決定を受けた時が除斥期間の起算点となる」と明確に判断しました。加えて、国の主張について、じん肺の病変の特質や長崎じん肺最高裁判決及び筑豊じん肺最高裁判決を「正しく理解していない」と厳しく断じました。これは一審判決に対する非難とも評価できます。
(3) 一審判決と控訴審判決はなぜ違ったか
除斥期間の起算点となる「損害の発生」は、一般的に被害者の認識に関係なく発生している損害であることから、一審判決は、自然の事実経過の流れの一時点の「損害の発生」と判断したと考えられます。
しかし、一審判決は、過去の判決が繰り返し判示しているじん肺の特質や、権利行使が法律上可能か否かの視点を欠いており、損害賠償請求権を失わせる除斥期間の判断として極めて不合理なものでした。
事実経過の流れの中の損害と、法的評価を伴う損害とは異なります。権利行使の喪失に関わる「損害の発生」の判断であることから、被害の性質に即した規範的判断が求められます。まさに長崎じん肺および筑豊じん肺最高裁判決がじん肺の特質に即し、「損害賠償請求権は、その損害が発生したときに成立し、同時にその権利を行使することが法律上可能となるというべきところ、じん肺に罹患した事実は、その旨の行政上の決定がなければ通常認めがたい」「損害の発生を待たずに除斥期間の進行を認めることは、被害者にとって著しく酷」という規範的判断をしています。
本件控訴審判決も、前述のとおり「法的な評価を示した上で、法的明確性・客観性の観点から、各損害の発生時を各行政上の決定時と解すべきことを示したものというべき」とし、じん肺の特質等に即した法的評価を加えての「損害の発生」を判断したものといえ、この点が一審判決と異なるものと考えられます。
6 派生する時効・除斥期間問題-肺がん、悪性中皮腫
国は、各地の訴訟で、悪性中皮腫で死亡した被害者(遺族原告)に対し、時効・除斥期間(注)の起算点は、悪性中皮腫を発症した時点(被害者生存中)であると主張し、前述の過去の裁判例、これまでの工場型和解の取扱い、また建設アスベスト給付金での定めである「死亡時」から遡らせる変更をしました。
このきっかけは、悪性中皮腫で死亡した被害者の遅延損害金の起算日を死亡時ではなく、悪性中皮腫を発症した時点と判断した令和4年の札幌高裁の2つの判決です(国の上告不受理で確定)。国は、本件と同様、遅延損害金の起算日に関し敗訴した判決に基づき、時効・除斥期間の起算点を遡らせる主張をしているのです。
なお、悪性中皮腫死亡の時効・除斥期間の起算点が争点となっている裁判で、本年1月23日高松地裁が「中皮腫を原因とする死亡損害は、死亡時に発生したものと考えるのが相当」とする国敗訴判決を言い渡し、国が控訴しています。
(注)令和2年4月1日の民法改正により除斥期間がなくなり20年間の消滅時効となった。
7 今後の課題
(1) 上告断念後の国の対応
国は本訴の上告断念後、すぐさま厚生労働省のホームページに、損害賠償請求権の存続期間について、提訴の時期は損害賠償請求権の存続期間内であることが必要とし、工場型和解における除斥期間・長期消滅時効の起算点・遅延損害金の起算日ついて次のように掲載・公表しました。
① 石綿関連疾患の発症に係る損害賠償請求
・ 石綿肺:じん肺管理区分決定日
・ 肺がん、中皮腫、びまん性胸膜肥厚、良性石綿胸水:発症日
② 石綿関連疾患による死亡に係る損害賠償請求
・ 石綿肺、びまん性胸膜肥厚、良性石綿胸水:死亡日
・ 肺がん、中皮腫:発症日
つまり、国は石綿肺を除く石綿関連疾患を発症した被害者、および肺がん・中皮腫で死亡した被害者について、時効・除斥期間のこれまでの取扱いを遡らせることを一方的に決めて公表しました。これは、本判決を受け、国が秘密裏に取扱いを変更したことの不当性が広く報道されたからと考えます。
しかし、私たちの主張の重要な点は、石綿関連疾患の特徴や石綿被害の性質、被害者を保護する観点から、これまでの取扱いが正当であって国は取扱いを維持すべきことです。公表したからといって被害者に不利益となる変更を許すことは出来ません。
(2) 本判決の内容と今後の課題
本判決は、じん肺(石綿肺)について、その特質を正確に捉え、長崎じん肺・筑豊じん肺最高裁判決に基づく時効・除斥期間の起算点の解釈に決着を付けたものといえます。
他方、本判決は、国が根拠とした福岡高裁判決について「最高裁判決ではないし、診断方法や進行等についての医学的知見がある程度確立している肺がんと、病状の進行等が現在の医学では確定できないじん肺とは異なるから、福岡高裁判決は本件とは事案を異にするというべき」と判示しました。また、前記中皮腫死亡を判断した高松地裁判決も、前記札幌高裁2判決と見解を異にすると判示しています。つまり、肺がんや中皮腫、同疾患による死亡については最高裁の判断が出ておらず、今後も国は激しく争ってくると考えられます。
今後、石綿被害救済に取り組んでいる全国の弁護士が協力し、学者の力も得ながら、石綿関連疾患の特徴・性質、死亡していないにもかかわらず死亡損害について時効・除斥期間が始まる不合理性などを分析・検討し、国による不当な時効・除斥期間の起算点の主張を排斥するため知恵を結集し、勝訴を重ねることが私たちの使命と考えています。(おくむら・まさひろ)
安全センター情報2025年7月号