学校・教員アスベスト-中皮腫公務外認定取消裁決書3件(判断部分)

2014.1.8 地方公務員災害補償基金大阪府支部審査会・大阪府立高校化学教諭事件裁決書の判断部分

1 認定の考え方
地方公務員災害補償制度において、災害(負傷、疾病、障害又は死亡)が公務上の災害と認められるためには、職員が公務に従事し、任命権者の支配管理下にある状況で災害が発生したこと(公務遂行性)を前提として、公務と災害との間に相当因果関係があること(公務起因性)が要件とされており、実際の認定は、地方公務員災害補償法施行規則(以下「規則」という。)及び「公務上の災害の認定基準について」(平成15年9月24日地基補第153号。以下「認定基準」という。)に基づいて行われる。
疾病については、一般的にその発生原因が外面的には明らかではないため、公務上外の認定に当たっては公務起因性の有無が重要な判断要素となる。
つまり、疾病は、種々の原因が複雑に絡み合って発症するものとされており、その原因のうちで、職員がもともと有していた素因や基礎疾患が疾病の発生に大きく関与している場合が多いため、公務起因性の判断は、個々の事案に即して、医学的知見をも参考にして総合的に行うこととなる。その結果、疾病を発症させたと考えられる種々の原因のうち、公務が相対的にみて有力な発症原因と認められる(公務と疾病との聞に相当因果関係がある)場合に限り、公務上の疾病として取り扱われるものである。

2 中皮腫の発症要因については、医学意見書では「胸膜中皮腫の発症要因の大半は石綿ばく露によるものとされている。」とされており、市立K病院主治医回答においても悪性胸膜中皮腫の一般的な発生機序として、「石綿を含有する業務でなくても発症する可能性はありますが、環境で石綿含有物質にばく露されることが多くなると、さらに、悪性胸膜中皮腫の発症する危険性は大きくなると推定します。」とされていることから、本件疾病の審理にあたっては、上記第三において認定した事実をもとに、被災職員が石綿粉じんにばく露したと考えられる要因ごとにその可能性を検証し、医学的意見を踏まえて、公務と疾病との相当因果関係について検討する。

(1)住居近隣の石綿製品製造工場等が排出する石綿粉じんの影響
被災職員の住所歴は第三の3の(1)乃至(2)のとおりである。石綿製造工場等については、第三の3の(5)の⑤乃至⑥のとおり、被災職員住居の周囲に確認できない。よって、本件疾病に対する住居近隣の石綿製品製造工場等の影響は考えにくい。

(2)職場近隣の石綿製品製造工場等が排出する石綿粉じんの影響
被災職員の職場の変遷は第三の3の(3)のとおりである。石綿製造工場等については、第三の3の(5)の①乃至④のとおり、KM高校で1件、I高校で3件、S校で1件、職場の周囲に石綿製造工場等を確認することができた。
しかしながら、そのすべてが職場から500m以上離れており、また、通勤経路にも面しておらず、被災職員が当該石綿製造工場等の石綿粉じんに濃厚にばく露した可能性は低いと考えられる。

(3)学校の建物内の石綿粉じんの影響
請求人は第一の3の(3)の①乃至②で、被災職員が赴任していた府立高校の建物に使用された石綿の影響を指摘している。請求人は、KJ高校については被災職員在籍時に完成した建物の屋上室に石綿が吹き付けられていたこと及び当時の建築材料には一般的に石綿が含まれていたことを、KM高校については被災職員在籍時の工事設計図書に石膏ボード、複合版、岩綿吸音板が多様されていること及び請求人が顧問をしていた柔道部が活動する柔道場の天井に石綿が吹き付けられていたことを理由として被災職員が石綿粉じんのばく露をうけていた可能性を指摘する。
しかしながら、上記の事実は、建築物に石綿が使用されていたことを示しているにすぎず、石綿粉じんが濃厚に飛散していた可能性までも認めうるものではない。よって、本件疾病に対する影響は低いと考えられる。

(4)理科の実験で使用した石綿金網の剥落による石綿粉じんの影響
請求人は、被災職員が本件疾病を発症するに至った主な原因は、理科の実験で使用した石綿金網の剥落により石綿粉じんにばく露したからであるとし、第一の3の(2)の②で知人が行った実験結果[23頁参照]を添えている。
しかしながら、第三の6の(3)のとおり、医学意見書では「被災職員は化学教諭として、石綿金網を使用していたことによるばく露の可能性は否定しえないが、石綿金網そのものは非飛散性の状態にあり、従ってそのばく露量はあるとしても非常に微々たるものであるものと思われる。」とされていることから、石綿金網の剥落によって被災職員が石綿粉じんに濃厚にばく露したとは考えられない。

(5)石綿金網以外の理科教諭としての業務により石綿粉じんの影響
石綿金網以外にも、被災職員は理科の実験の際に石綿を使用した製品を扱ったことがKM高校、I高校、S高校在籍時で認められており、扱った石綿製品はそれぞれ第三の3の(9)の②乃至④に記載のとおりである。
この中で、第三の3の(9)の②のエのKM高校在籍時に扱った繊維状アスベストについて、医学意見書では「『鋼線のメッキの際に、錆止め液を絞るために石綿紐を切断して棒に巻き付けたり、製品に鉛炉の鉛が付着するのを防止するために鉄板の上に石綿を二重三重に巻き付け、古くなる度に取り替える作業で、胸膜プラークを伴う胸膜中皮腫を発症した事例』(「石綿ばく露と石綿関連疾患:基礎知識と補償・救済」、三信図書、平成20年4月、p46参照)があり、この前者の例と類似点がある。被災職員のニクロム線の先端に石綿を付ける作業は、適当な大きさに石綿紐を切断する必要も考えられ、石綿金網を扱うよりも高濃度の石綿ばく露があったと推測することができる。」とされており、繊維状の石綿製品を切断するなどの処理の際に高濃度の石綿粉じんにばく露した可能性が認められる。
また、潜伏期間について、医学意見書では「KM高校勤務時代(1978年~)のばく露によるとすれば、ばく露開始から発症(2006年)の潜伏期間は約28年、KJ高校時代にも同様のことをしていたとすると約31年と計算される。仮に被災職員は大学時代にも石綿の接触歴があったとし、潜伏期間は大学時代のばく露が20歳と仮定すると、約37年と計算される。KM高校時代の勤務期間は6年間であり、大学時代の2、3年間と比べて長い。以上のことから、被災職員の胸膜中皮腫発症の主たる要因は、KM高校時代の石綿ばく露によるとするのが妥当」とされており、潜伏期間の点からみても、KM高校在籍時の繊維状アスベストの切断などの処理は、本件疾病との関連性を否定するものではないと考えられる。

(6)府立高校に教諭として就任する以前にばく露した石綿粉じんの影響
被災職員の父、母、妻の職歴は第三の3の(6)乃至(8)のとおりである。同居していた被災職員が一定量の石綿粉じんを吸引するほどの濃厚な石綿粉じんへのばく露があったとは認められない。
また、第三の3の(4)のとおり、被災職員のアルバイト歴は不明であり、府立高校に就任する以前の石綿粉じんへのばく露の可能性も不明である。

(7)上記(1)乃至(6)による検討の結果、被災職員が高濃度の石綿粉じんにばく露した可能性が認められ、潜伏期間の点からも本件疾病と関連性があると認められるのは、上記(5)のKM高校在籍時の繊維状アスベストの切断などの処理による石綿ばく露であり、また、他に本件疾病と関連性がある事実は認められない。よって、本件疾病の主たる要因はKM高校時代の上記業務とするのが妥当であり、本件疾病と公務との聞には相当因果関係が認められる。

3 以上の点から判断すると、本件疾病と公務との聞に相当因果関係が認められるため、本件疾病は公務に起因して発症したものであると認められる。
したがって、処分庁が請求人に対して公務外の認定処分は取り消すべきである。
よって、主文のとおり裁決する。

2014.3.19 地方公務員災害補償基金北海道支部審査会・苫小牧市立小学校教諭事件裁決書の判断部分

上記の認定した事実に基づき、当審査会は、次のように判断する。
本件疾病が公務上の災害と認められるためには、被災職員が公務に関連して石綿ばく露作業に従事し、そのことによって中皮腫を発症したものと認められる必要がある。
これを本件についてみると、

1 被災職員が中皮腫に罹患していたか否かについては、「処分庁と請求人の間に争いがなく」、被災職員は中皮腫に罹患していたものと認められる。

2 次に、国際的な石綿関連疾忠の診断基準であるヘルシンキ基準では、職業での石綿粉塵ばく露が高い可能性のある人物である事を確定するガイドラインを肺乾燥重量1gあたり1,000本以上の石綿小体としている。
被災職員の石綿小体消化試験は、石綿小体数が肺乾燥重量1gあたり1,300本と、このガイドラインをはるかに上回る結果であり、写真としても典型的な石綿小体が多数認められている。
そこで、中皮腫の診断が確定し、石綿小体数は職業性とされる数に達していることから、職業ばく露がどこで生じたのかを中心に被災職員の石綿ばく露歴を検討する。
被災職員の勤務環境下における石綿ばく露の可能性については、上記第6の1(6)のとおり、被災職員が勤務した学校で石綿含有建材が使用されていたのは苫小牧市立H小学校、T小学校、W小学校及びB小学校の4校であり、そのうち、石綿含有建材を使用した工事期間等の推定が可能な学校は、上記第6の1(7)のとおり、苫小牧市立H小学校、T小学校及びW小学校の3校である。

3 苫小牧市立H小学校における石綿ばく露の状況については、昭和32年の新築時図面では、多数の石綿建材の使用箇所が見られ、工事に際して周囲に石綿の飛散があったことが推定される。
昭和38年度の増改築でも、アサノライトボード、アスタイルが使用され、周囲に石綿の飛散があったと推定される。
昭和39年10月の増改築工事では、廊下の天井と床、便所の天井に石綿建材が使用され、周囲に石綿の飛散があったと推定される。
また、昭和38、39、44、46年の構改築工事箇所は、担当教室から約10数から数十メートル離れた場所でフレキシブルボード等の石綿含有建材が使用されており、石綿飛散部位からの石綿濃度は上昇していたと推定され、石綿は校舎内へ飛散し、さらに、児童や教員の動作により再飛散していったと考えられる。
石綿の床への沈着には10数時間要するものとされているが、児童生徒の校内掃除を通じて再飛散を繰り返していたと考えられる。

4 次に、苫小牧市立大成小学校における石綿ばく露の状況については、昭和47年及び昭和49年の増改築箇所では、フレキシブルボード、ジプトーン、硬質石綿板、有孔石綿吸音材等の建材が使用されており、石綿は校舎へ拡散するとともに児童や教員の動きで更に拡散し、床に沈着後も朝になると児童生徒の活動により再飛散し、さらに、掃除により再飛散するサイクルを繰り返していたと考えられる。

5 最後に、苫小牧市立W小学校における石綿ばく露の状況については、昭和58年の改修工事箇所は、担当教室から約数十メートル離れた箇所にあり、フレキシブルボードや石綿セメント押出成型板等の建材が使用されており、石綿建材の切断による飛散は、校舎内へ拡散し、日常活動と掃除により飛散と再飛散を繰り返していたと考えられる。

6 被災職員は、元同僚が「本人は、きれい好きでよく掃除をしていた。職員会議でよく特別教室を掃除するように言っていた。本人は異常なくらい掃除好きであった。」、「掃除も子供と一緒に雑巾がけをし、箒で子供と一緒に先頭にたってしていました。黒板消しも一生懸命に叩いていました。本人が一生懸命に掃除をすれば子供もついてくるので、一生懸命するような先生でした。」と証言しているように、大変掃除熱心な教員であり、直接、被災職員が石綿作業に携わっていない場合でも、他職種や他人の飛散させた石綿粉じんを吸入してしまうことが推定されることから、被災職員は、石綿建材作業周囲の校舎で掃除を行ったことにより、中程度ばく露以上と恩われる石綿繊維を吸入した時期があったと考えられる。
他方、上記第6の1(5)のとおり、請求人によれば、被災職員の住居及びその周辺施設において石綿の使用はなかったとされている。

7 被災職員の石綿小体数は、肺乾燥重量1gあたり1,300本と、ヘルシンキ基準のガイドラインを超えたものであり、上記第6の1(7)エのとおり各勤務校において増改築工事に使用された石綿含有建材により1年以上の石綿ばく露日数があった推定され、また、「家族に起因する石綿曝露、居住地での石綿の環境曝露、吹き付け石綿のある建物からの石綿曝露はない」と考えられることからも、被災職員が各勤務校において「石綿による疾病の認定基準について」の(1)①サ[編集部:アスベスト作業の周辺等において、間接的なばく露を受ける作業]に該当する職業性石綿ばく露を受けたものと認めることが相当である。

以上のことから、被災職員の発症は公務上、公務に起因して生じたものというべきであって原処分庁の公務外の認定は妥当ではなく、請求人の請求には理由があるので、これを取り消すこととする。
よって、主文のとおり裁決する。

2010.3.29 地方公務員災害補償基金審査会・東近江市立小学体育教諭事件裁決書の判断部分

(1)被災職員が中皮腫に罹患していたか否かについては、S病院研究検査科N医師の病理組織検査報告書によれば、上記第5-2-(3)のとおり、感性中皮腫との病理組織学的診断がなされており、また、上記第5-1-(1)のとおり、独立行政法人環境再生保全機構も被災職員が罹患した疾病が「中皮腫」であると認定していることから、被災職員は中皮腫に罹患していたものと認められる。

(2)次に、被災職員の勤務環境下における石綿ばく露の可能性については、上記第5-1-(3)のとおり、被災職員が勤務した学校及びその周辺施設で石綿が使用されていたのはI小学校の体育館及び音楽室のみであったとされていることから、同校の体育館及び音楽室における被災職員の勤務状況等について検討することとする。なお、上記第5-1-(4)のとおり、請求人によれば、被災職員の住居及びその周辺施設において石綿の使用はなかったとされている。

(3)まず、I小学校体育館における使用状況等について検討すると、上記第5-1-(6)のとおり、任命権者の聞き取り結果によれば、体育館は児童や教諭のみならず、PTA・地域住民・企業等のバレーボールやスポーツ少年団も体育館を利用していたとされていることが認められる。また、同僚教諭等からは、天井が低いためよく天井にポールが当たり、きらきらしたものが散っていたとの証言がなされ、H市教育委員会学校教育課長の証言によれば、体育館の天井にはボールの当たった跡がいくつも認められたとされている。これらの証言からすると、石綿が吹き付けられていた体育館の天井には相当高い頻度でボール等が当たっていたものと考えられる。
なお、吹き付けられた石綿の飛散の可能性については、東洋大学神山宣彦教授によれば、上記第5-1-(8)のとおり、「施工後の新しい時期でも空気の流れによっては石綿が飛散しやすい状態にある。その上、ボール等がぶつかればかなりの石綿飛散が生じる。」とされている。
以上のように、体育館の使用頻度が高かったこと、その際に天井にはボ―ル等が頻繁に当たっていたこと及び施工後間もない吹付け石綿であってもボール等が当たれば石綿は飛散することからすれば、当時の体育鎗内には相当程度の石綿が飛散していたものと考えられる。
次に、体育館の清掃及び換気の状況については、上記第6-1-(6)のとおり、任命権者によれば、毎日児童がモップで清掃し、その際は天候や風通しの状況を考慮し、換気に努めていたとされているが、その一方で当時の児童からは新しい体育館の割にはほこりが舞うことが多かったとの証言がなされていることから、体育館の清掃及び換気が十分に行われていたと認めることは困難である。また、東洋大学神山宣彦教授によれば、上記第5-1-(8)のとおり、「床に落ちたほこりは再飛散の危険性も高い。」、「モップを清浄な水で頻繁に洗うなどしてモップに付いた微細な石綿を再飛散させないように清掃することは、大変難しかったと想像できる。」とされており、一度床に落ちた石綿は十分な換気及び清掃がなされていない環境下で再飛散していたものと考えられる。
被災職員の体育館における滞在状況については、上記第5-1-(5)のとおり、被災職員は体育担当の教諭であったことから、授業等により相当の時間は体育館に滞在していたものと考えられ、また、上記第5-1-(6)のとおり、当時の児童によれば、被災職員に会いたいと思ったら体育館に行けば大抵出会えたとされ、行事で体育館のフロアにいすを並べたりするときは若い被災職員が指揮をしていたとされている。この点については、上記第5-1-(2)のとおり、当時被災職員は、採用6年目の比較的若い教諭であり、体育館における行事の準備等を率先して行っていたことが十分推認できるものである。さらに、上記第5-1-(6)のとおり、昭和48年11月に発生した校舎火災により、数か月間、体育館が職員室として使用され、その問、被災職員は宿直勤務も行っていたことを併せ考えれば、被災職員が石綿が飛散する体育館に長時間滞在していたものと推認することができる。
以上のことから、被災職員は、3年間勤務したI小学校の体育館において、石綿ばく露作業に相当する業務に従事していたと認めることが相当である。

(4)なお、I小学校音楽室での勤務については、上記第5-1-(7)のとおりであり、被災職員は、昭和49年度に石綿が吹き付けられていた音楽室の隣の教室で勤務していたことは認められるものの、音楽室における石綿の飛散状況は明らかではなく、また、任命権者によれば、当時は音楽は女性教諭、体育は男性教諭が担当することが多かったとされていることから、被災職員が長時間音楽室で勤務していたとする事実も認められない。

(5)以上のことから、本件疾病は被災職員がI小学校体育舘における勤務を通じて石綿にばく露したことにより発症したものと認められる。
したがって、支部長の処分及び支部審査会の裁決は失当であって、取り消されるべきものである。
よって、主文のとおり裁決する。

安全センター情報2014年6月号