法務局に広がる「死亡診断書5年廃棄」の動き、アスベスト(石綿)被害立証の大きな障害 2020年8月20日毎日新聞が大きく報道
「原則27年保存」を「5年廃棄は合法」と「説明」では済まない
2020年8月20日、毎日新聞がカルテや死亡診断書が5年で廃棄される動きが広がっていることの問題を大きく報じている。
アスベストによる疾患は、中皮腫、肺がん、石綿肺など、いずれも、潜伏期間が超長期の疾病である。
これまでも労災申請などの際、死亡原因や職歴立証にとって、カルテ(保存義務期間5年)が残されていない、会社が消滅しているといった問題に多くの被害者が悩まされてきた。
今回報じられたなかでアスベスト被害立証のにとっての新たな大きな問題として指摘されたは、死亡原因立証の最後の砦であった、法務局に原則27年間保存されているはずの死亡診断書について、「必要がなくなった」「法的に問題はない」として法務局が次々と廃棄していっている問題である。
法務省は 『「そもそも死亡診断書を保存しているのは戸籍情報の復元のためであり、死因を後から調べるのは主目的ではない」と強調している。 』と、涼しいでコメントしているというのであるから呆れる。
法務省をはじめとする昨今のずさんな公文書管理の実態のなかで起こっている事態でもあり、事の本質は石綿問題だけにとどまらないともみられる。
父の死は石綿被害、認めて カルテ・死亡診断書、5年で廃棄
毎日新聞2020年8月20日 東京夕刊
大手機械メーカー「クボタ」の旧神崎工場(兵庫県尼崎市)周辺で、アスベスト(石綿)による住民の中皮腫被害が明らかになった「クボタショック」から15年。中皮腫が原因の死者が全国で毎年1500人を超えるなど新たな被害が増え続ける中、被害証明が困難になるケースが相次いでいる。カルテやレントゲン画像、死亡診断書といった資料が次々と廃棄されているのだ。
中皮腫の原因 四半世紀経て知る
「このまま労災と認められないのであれば、とても納得できないですよね」
横浜市神奈川区の船津明雄さん(76)はもどかしさを隠さない。父親の寅一さんはかつて、石綿を取り扱っていた神奈川県内の鉄道車両製造会社に勤め、胸部にがんが見つかった後に75歳で死亡した。仮に石綿が原因だったとすれば、労働災害に当たる可能性が高く、遺族補償年金を受け取ることができる。しかし、病名や死因を証明する資料がどこを探しても見つからなかった。
寅一さんが亡くなったのは1996年8月。家族が寅一さんの体調に異変を感じたのは、亡くなる1年近く前のことだ。ひどくせき込み、繰り返しティッシュペーパーにたんを吐き出した。心配になって自宅近くのクリニックを受診したところ、胸部にがんが見つかった。
当時、医師から直接説明を受けた明雄さんの姉、富永美恵子さん(78)=横浜市都筑区=は「中皮腫」という言葉を聞いたことを覚えている。「『変わった病名だな』と思ったんです。だから頭の中に残っているんですよ」。肺の下の方が白くなったレントゲン画像を示され、「手術ができない」とも伝えられた。
中皮腫は胸部や腹部にできる難治性のがんで、発症者は石綿を吸い込んだことが強く疑われる。しかし、富永さんは医師から石綿との関連について説明された記憶はない。「肺がんのようなもの」と考え、病気について深く調べることもなかった。当時は「余命6カ月」という宣告に動揺し、気持ちに余裕がなかったという。寅一さんは、その後、県立病院で検査を受け別の病院に入院することが決まった。富永さんは母親と一緒に最期まで看病を続けた。
寅一さんの病気に石綿が関係している可能性に気づいたのは、死去から四半世紀近くが経過した2019年12月。きっかけは新聞記事だった。厚生労働省は毎年末、石綿によって従業員に健康被害が出た全国の事業所を公表する。事業所を一覧で伝える記事の中に、寅一さんが52~67年に勤めていた鉄道車両製造会社の名前があった。同社は00年まで石綿を取り扱っており、中皮腫を発症した10人が労災認定されていた。
富永さんはすぐに明雄さんに連絡を取った。「お父さん、アスベストが原因だったんじゃないか」。明雄さんが患者団体が開設していた相談ダイヤルに電話すると、「神奈川労災職業病センター」(横浜市鶴見区)の鈴木江郎さん(46)につながった。寅一さんは鉄の加工を担当していたが、こうした作業では熱や火花を避けるために石綿で作ったマスクや手袋を着用し、その繊維を吸い込んでしまう事例が多いのだという。
労災申請「遺族の負担大きい」
労災の遺族補償年金の請求は、死後5年が時効と定められている。ただ、寅一さんのケースのように、時間がたってから被害に気がつくこともある石綿の労災については、時効を過ぎても補償が受けられる特別な救済制度がある。鈴木さんと明雄さんはこれを利用しようとしたが、壁にぶつかった。病名や死因を記した文書がどこにもないのだ。
最初に受診したクリニック、入院先の病院ともにカルテを残していなかった。検査を受けた県立病院にも診療記録の開示を求めたが、既に廃棄されていた。医師法が定めるカルテの保存期限は5年で、病院側に落ち度はなかった。
期待したのは、自治体に提出した死亡診断書だった。死亡診断書には直接死因だけではなく間接的な原因も記されており、一定期間を過ぎると法務局に送付される。法務局では、市区町村が保管する戸籍情報が災害などによって万が一消失した際に情報を復元するための基礎資料として、原則27年間保存するルールになっている。
ところが、横浜地方法務局に問い合わせても、保存期限が過ぎていないはずの寅一さんの死亡診断書は既になかった。法務局が市区町村が管理する戸籍情報そのものを共有保存している場合、死亡診断書は5年で廃棄できる特例があるためだ。
近年は自治体の戸籍情報の電子化がほぼ完了し、更新されると自動的に法務局のサーバーにも送られて保存される仕組みになっている。死亡診断書を残しておく必要性はなくなっており、5年で廃棄する法務局が増えている。横浜地方法務局も、16年度から5年廃棄に切り替えていた。
死因が分からなければ、労災の時効救済制度が適用される可能性は極めて低い。それでも明雄さんは20年2月、寅一さんの死因を特定できないまま、横浜南労働基準監督署に制度適用を申請した。明雄さんは「昔の死亡診断書を自分で残している人がどれほどいるのだろう。遺族に求められるものが大きすぎるのでは」と語った。
進む保存期間短縮 立証年々困難に
石綿の健康被害の立証に必要な資料集めが難しくなっているのは、全国的な問題だ。愛知県を拠点に石綿被害者を支援している「名古屋労災職業病研究会」(名古屋市昭和区)の成田博厚さん(48)は「10年前だったら記録が残っていて、何とかなるケースも多かった。事実関係の立証は年々難しくなっている実感がある」と打ち明ける。
石綿が原因で死亡した可能性があるものの、肺がんの診断が確定しないまま05年に亡くなった男性(当時68歳)について、18年に長野地方法務局に死亡診断書を請求したところ、既に残っていなかった。長野地方法務局も、横浜と同様に5年で廃棄するルールに変更されていた。
石綿の特徴は健康被害が「遅発性」であることだ。中皮腫など石綿が原因となる病気は複数あるが、吸い込んでから20~50年たって発症するケースが多い。このため、死亡時は石綿との関連に気づかず、何年もたってから被害を訴える事例が後を絶たない。
最近も成田さんの元には、91年に肺がんで父親を亡くした遺族から「父は石綿の吹き付け作業をしていた。何とかならないか」という相談があった。労災だと証明するには、吹き付け作業をしていたことを誰かに証言してもらう必要がある。しかし、勤めていた会社の経営者は既に亡くなっており、同僚捜しも難航している。「だからこそ、形で残る資料はできるだけ保存してほしい」と成田さんは訴える。
死亡診断書を廃棄する動きは加速している。東京法務局は16年度から、千葉地方法務局は19年8月から、さいたま地方法務局は20年4月から保存期間を5年に短縮した。法務省によると保存期間の短縮は、保存に必要なスペースの状況などに応じて各法務局が判断しているという。担当者は「そもそも死亡診断書を保存しているのは戸籍情報の復元のためであり、死因を後から調べるのは主目的ではない」と強調している。【大久保昂】
父の死は石綿被害、認めて カルテ・死亡診断書、5年で廃棄 毎日新聞2020年8月20日 東京夕刊