労災発生件数の10分の1、摘発わずか1000分の1:抜本的な「労災隠し」対策を

古谷杉郎(全国安全センター事務局長)

毎日新聞(大阪本社)が昨年から今年にかけて紙面で展開してきた「なくせ労災隠しキャンペーン」には、大きな反響が寄せられたという。
関連記事の一覧は表のとおりだが、昨年10月2-4日に全国安全センターが行った全国一斉「労災職業病ホットライン」と安全センター情報2000年12月号(昨年5月号9-10頁にも関連記事)でお伝えしたように、社会保険庁で把握した「労災隠し」が、1999年までの10年間に58万件にものぼったということが、このキャンペーンのきっかけになっている。

今年2月27日付け朝刊の「記者の目」で、特別報道部の大島秀利記者は、次のようにキャンペーンを振り返っている。少し長くなるが、引用させていただく。

まかり通る「労災隠し」

まかり通る労災隠し 被災者に「二重苦」強いる

「仕事上の事故が起こっても事業者は国(労働基準監督署)に届けず、被災労働者は労災保険を使えない。治療費を自己負担したうえ解雇されたり、最悪の場合は障害が残ったり、死に至る一これを労災隠しという。言葉自体は以前から聞いていたが、日本中でまかり通っていることを、私は取材や読者の声で知った。実態にメスを入れるための本格的調査・対策はなかったと言っていい。『分かっていたけど、何もしない』では、労働行政の存在意義が問われると思う。
『本来は労災保険の適用を申請すべきなのに、健康保険で処理していたケースが社会保険庁の調査で多数ある』。取材のきっかけはこんな情報だった。
同庁は、健保で処理された年間約3億枚もの診療報酬明細書(レセプト)の中から労災事故が原因と疑われるものをチェックしている。その結果、労災保険扱いとすべきものが過去10年間に約58万件も見つかった。労災保険なら患者が支払う必要がない自己負担分(治療費の2割)も、約40億円に達した。
労災事故が起これば、事業者は労基署に届けることが労働安全衛生法で義務づけられている。労災と認定されれば、被災労働者は労災保険が適用され、治療費負担を免れるほか、休業補償、解雇制限という身分保障、障害に応じた年金支給など健保にはない補償を受けられる。健保で処理すると、就労不能に治療費負担という二重苦に遭う。
社会保険庁の調査結果を昨年11月、旧労働省(現厚生労働省)にぶつけた。答えは『大半は意図的な労災隠しではないのではないか』だった。『なぜそう言えるのか、58万件の追跡調査をしたのか』と重ねて聞くと全く答えられなかった。『労災隠しが多発している証拠』という非営利団体の労災相談スタッフの認識との落差は大きい。
こうした取材結果を記事にした日から、読者からの投書やEメールが届き始めた。その内容に、私は目を覚まされる思いがした。
『仕事で負傷したが、会社には労災にするなと言われた』『事故ゼロの連続記録達成のために、労災隠しをやっている』『労災事故を隠すため、救急車を呼ばないのは鉄則だ』……。
今日まで投書は大阪本社だけで約150件に上る。私は隠す側に『労災事故が起これば隠すのは業界の常識。しかも隠し通せる』といった労基署をなめ切った態度があるのを感じた。
確かに『10年間58万件』のすべてが労災隠しとは思わない。が、これはあくまでも書類が発覚した分だけの数字だ。しかも、調査対象は政府管掌の健保。市町村が運営する国民健康保険を使った労災隠しの存在も指摘されている。実際の労災隠しは、膨大な数に上るだろう。
この国を支えてきた大きな柱の一つが、勤勉な労働力といわれてきた。ところが、労災隠しは文字通り、体を犠牲にしてまで企業に尽くした人を使い捨てにする卑劣な行為で、重大な人権問題だ。一生懸命働いたものは報われる。仕事でけがや病気をしても補償される。そういう信頼があってこそ、品質の高いサービスや商品が生れるはずだ。
国は、その信頼関係の担保として事業者から総人件費の約1%の保険料を強制徴収し労災保険を運営しているが、労災隠しに対して寛容すぎたのではないか。
ここで労働行政の二つの問題を指摘したい。一つは『不作為』の問題だ。賃金を払って労働者を雇ったら、正社員だろうと、アルバイト・派遣労働者だろうと、事業者はその人の分の労災保険関係が成立する。事業者が保険料を未納でも、被災労働者は労災保険の支給を受けられる仕組みだ。そういったことが個々の労働者にあまりにも知らされていない。
もう一つは、旧労働省が事業者から受け取った労災保険料をどのように使い、運用しているのか、ほとんど明らかにしない点だ。労災隠しに甘かったり、保険制度そのものを十分に宣伝しないのは、労災保険料で積み立てたお金を何らかの理由で手をつけたくないからではないか、との疑念すら抱かせる。旧総務庁行政監察局も『厚生・国民年金財政と比較して、基本的事項が公表されていない』と指摘している。
厚生労働省所管の財団法人ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(KSD)をめぐる汚職事件が起きた今だからこそ、労災保険財政の詳細を分かりやすい形で公開すべきだ。
省庁再編で厚生労働省が誕生したのを機会に一つ提案したい。健康保険証の様式を改定して労災保険制度の概要や請求方法を分かりやすく説明する項目を設けたらどうか。そこに、パート労働者や派遣労働者らも労災保険の適用対象になることや、労災隠しは罰せられることを表記するのだ。
被災労働者の意思が圧殺されて、労災が隠されるような事態は、あらゆる手段を講じて防がなければならない。」

大島秀利 「記者の目」毎日新聞2000年2月27日

国会でも「労災隠し」を追及

労災隠しの問題は、労災保険法の一部改正が議論された先の国会でも取り上げられた。
昨年(2000年)11月2日の参議院労働・社会政策委員会では、前川忠夫参議院議員が、「労災職業病ホットライン」の報告記事の掲載された安全センター情報2000年11月号をかざしながら、以下のような事例も紹介している。

「つい先日、10月に入ってから、全国安全センターの方でホットラインで調査しましたところ、これはある寄せられた内容ですが、中堅ゼネコンの下請工務店で大工として作業中に左手親指、人さし指を切断して1週間の入院をした、工務店の社長の頼みで健康保険で治療中に会社が倒産をして社長が行方不明になってしまったと。こういう事例が寄せられているわけですよ。」

そして、「むしろ弊害の方が大きい」労働災害の無災害競争をやめさせられたい、「労災隠し」防止のための、第三者も入れたきちっとした協議会をつくって常に点検を怠らないという仕組みをきちっとつくられたい、と要求した。
吉川芳男労働大臣の答弁は以下のとおり。

「いわゆる労災隠しの防止につきましては、これまでも労働基準監督機関において、臨検監督、集団指導等あらゆる機会を通じまして、事業者に対しこのようなことが行われることのないように指導を徹底したところでありますが、仮に労災隠しの存在が明らかとなった場合には司法処分も含めて厳正に対処してきているところであります。
今後とも、あらゆる機会を通じまして事業者に対し指導を徹底するとともに、新たに建設業等の関係団体に対する指導文書の発出、医療機関用ボスター等の作成、配布[「労災隠しは犯罪です」ポスター?]、安全バトロール等の労災隠し防止の取り組みを積極的に行うこととしております。さらに、労災隠しの対策について行政と労使がともに検討を行う場を設けることも考えていきたいと思っております。」

間違えて健保に行った?

11月15日の衆議院労働委員会でも、五島正規衆議院議員が「労災隠し」問題を追及している。
ここで、社会保険庁によって政管健保で給付を行った事案の中から労災であることが発覚したケースの数字について、野寺泰幸労働基準局長は、
「確かに、健保の方で給付を行ったものの中で労災扱いをすべしというものが毎年、5、6万件あるということでございますが、この中には、いわゆる労災隠しではなくて、請求人の方が単に申請先、請求先を間違えて健保の方に行ってしまったといったようなこともあるのではないかというふうに考えております」、と答弁している。

五島氏は、「年間に6万7千件という数は余りにも大きい。そういうふうな例外的な問題じゃないはずです」と批判しているが、だいたい実態を調査・把握もしていないのに、憶測で答弁してすませようという態度が不誠実である。
1999年の6万7千件は、1998年の5万1千件と比較すると、3割以上も増加している。労働災害の発生件数一労災保険の新規受給者総数は1998年で57万6,664件であるから、政管健保だけでも、労働災害発生件数の10分の1あるいはそれ以上の「労災隠し」が発覚しているということは由々しき事態だと言わざるを得ない。かりに「申請先、請求先の間違い」であったとしても、大問題ではないのか。

医療機関の三割がトラブル経験

本誌ですでに紹介しているように、この間いくつかの医師会の調査もまとめられている。すなわち、1995年の大阪府医師会(安全センター情報1995年4月号)広島県医師会(1996年6月号)の調査である。

大阪府医師会の調査では、労災隠しのトラブルを経験したことのある医療機関は38.1%。その内そのことを労働基準監督署に連絡したのは3.9%にすぎず、また、労災保険の請求用紙の提出がない場合にやむなく「健康保険で請求した」ものが74.4%(回答全体の28.4%)にものぼっている(複数回答可で、他には、「自費扱いとし患者または事業主に請求した」が64.7%、「未収として処理した」が11.3%であり、様々なケースがあるということを示している)。

広島県医師会の調査でも、トラブルを経験したことのある医療機関は30.2%。その内そのことを労働基準監督署に連絡したのは1.5%にすぎない。大阪府医師会と調査方法が異なるので簡単に比較はできないが、明らかに労災と思えるものの取り扱い(単数回答可)で、「健保扱いにした」ものが、この問いに対する回答数の38.4%、「自費診療扱いにした」ものが60.2となっており、両者合計の回答全体に占める割合は65.9%で、実際にはこれだけの割合で労災隠しを経験しているとも読める。

これらの調査結果を踏まえ、日本医師会の労災・自賠責委員会の1995年12月21日付けの答申(1996年4月号)は、「労災事故であることを隠し、その診療を健康保険等によって行ういわゆる労災隠しへの対応を求める医療現場からの声が、ここ数年徐々に強くなってきている。そこには、労災隠し事案が増加傾向にあるということばかりではなく、その内容が企業ぐるみで行われている疑いのある事案が増加しているという背景がある」と指摘している。2年に一度出されている同委員会の1997年、1999年の答申では「労災隠し」の問題がふれられていないが、状況が解消されていないからこそ、社会保険庁のデータのようになっているのだろう。

広島県医師会では昨年、県内すべての労災指定医療機関(約800)に、「仕事中や通勤途中に病気やけがをした場合は労災保険で受診を」、「健康保険での受診はできません」と書かれたパンフレットと一緒に常備用の労災保険給付請求用紙を送付した。
毎日新聞の取材に答えて、同県医師会の原田雅弘労災・自賠責委員は、「かなり前から広島労働局とこの問題に取り組んでいるが、労災隠しは減っていない。根気よく、対策を講じていく」と話している。日本医師会でも、「広島のように県レベルで徹底を図った例は聞いたことがない」としているという。

1998年に全国安全センターが初めて行った労働省交渉でも「労災隠し」の問題を取り上げたが、そのとき労働省は広島県医師会の調査は見ているが、大阪府医師会の調査と日医労災委員会の答申は見ていないとのことで、こちらから提供している。
にもかかわらず、その後も、労働省は、貴重なこうした医師会の調査や社会保険庁のデータを独自に検証しようともしてこなかったのである。

送検事例は氷山の一角

五島氏は、「6万7千件もの政管健保だけでも発覚した件数がありながら、労働省が虚偽報告として摘発されたのは74件、その前の年が79件、その前が72件。本当に千分の一のオーダーでしか摘発していません。これについて現在どのようにお考えなのか」と質している。

これは、正確には労働安全衛生法第100条の「報告等」違反による送検件数。
労働省は、これまで「労災隠し」というと、この数字を持ち出してあたかも実態を示しているかのように使ってきたのであって、社会保険庁のデータなどが公に議論されるようになったこと自体が前進とは言える。
ちなみに、1999年の2回目の全国安全センターとの交渉の場で労働省は、労災隠しの「数字的なものははっきりとわからない」としながらも、「送検件数の何倍かくらいだろうという発想では、もちろんない。少なくない件数がまだ把握されていないということは、そういう前提でいる」(監督係長)と明言した。このような認識を公言したのは、おそらくこれが初めてのことである。

昨年は送検件数も過去最高

労働安全衛生法第100条違反による送検件数は、1990年37件、1991年29件、1992年58件、1993年85件、1994年58件、1995年65件、1996年60件、1997年72件、1998年78件、1999年74件となっている(これとは別に、第120条違反「虚偽報告」による送検件数が、1993-1996年と1998年に各1件ある)。しかし、現時点では判明していないが、どうもこの数字自体が2000年には約90件と、過去最高になりそうと伝えられており、(旧)労働省の無策の中での「労災隠し」の増大が懸念されている。

五島氏の質問に対する吉川労働大臣の答弁がピント外れ(前出の前川氏の質問に対する総括答弁と同内容)であったため、五島氏は、「あらかじめ提出いたしました質問内容に沿うて原稿を読まれることも結構ですけれども、やはり私の質問を聞いてほしいと思います」。「6万7千件で74件やって、それで努力していると言えますか」とさらに追及。野寺労働基準局長は以下のように答弁している。先に引用した発言はこれに続けたものである。

「労災隠しというものの定義はなかなか難しいと思っておりますが、私どもが労災隠しとして摘発する場合というのは、これは労働安全衛生法第100条で、労働者が死亡または傷害、死傷病、そういったことにつきまして報告を提出する義務を負わせております。これにつきまして、その提出を行わなかった、あるいはその中で虚偽を記載して報告したといったような場合[後者は第120条違反]を労災隠しと呼んで、…平成11年で、送検件数全体では1,262件ですが、問題となりました100条、120条の件では74件といったような数字になっているわけでございます。したがいまして、もともと労災を隠すという状況にあるわけですから、外にあらわれてきてこれを摘発する、法違反で摘発する、刑事罰で摘発するわけですから、なかなかこれは難しいということもございます」。

「難しい」のであるなら、なおさら、労災保険新規受給者数の10分の1にも当たる、全国の社会保険事務所がレセプトをチェックする中で発見するこの貴重な情報を、「労災隠し」根絶のために活用しない手はない。その努力すらせずに、この答弁では無責任すぎるだろう。
実務的には、社会保険事務所は、翌月分の医療機関からのレセプト(診療報酬明細書)に対する支払の中から相殺するなどしてこの債権を回収できているようなので、健康保険側では取りはぐれていることはないようである。また、医療機関の側でどう回収しているかというと、医療機関は、あらためて労働基準監督署に療養補償給付の請求をし直して穴埋めができているものと思われる。

危惧するのは、被災者側の健保の自己負担分が確実に返還されているかどうか、そして、労災保険の休業補償請求手続等が行われているかどうかである。医療機関の関心は医療費を取りはぐれるかどうかということであるから、それさえできていれば、休業補償をあらためて労災保険に請求できることを被災者に知らせているかどうか、疑問である。
この間、労働基準監督署からは、このようなケースに対するアプローチを何もしていないのであるから、何の情報提供もサポートもなされていないのが現状である。

組合健保や国保はどうなっている

衆議院の国会質問で、五島氏はさらに問題提起を続けている。
「この社会保険庁の調査は政管健保に限って調べた内容です。国保あるいは組合健保においてどのような労災隠しがあるかというのは、この数字には含まれておりません。
なぜそのようなことを問題視するかといいますと、実は、建設業と言われている人たちは基本的には国保のはずです。例えば、大手、準大手のゼネコンから、それぞれ各県の10番目ぐらいまでの建築会社の職員、これは事務の人たちも含めて全部いわゆる全国土木の国保に入っておられます。すなわち、政管健保や組合健保ではございません。建設関係は国保であります。そして、中小の一人親方の皆さん方はいわゆる建設国保という、二つの国保団体でございます。…あるいは、災害の罹災率が非常に高い林業関係、この方々はほとんどが、ほとんどというよりもまず100%近い方が市町村国保に入っている。すなわち、国保の中にも当然このような労災隠しがたくさんあるだろうというふうなことが想定されます。
…土木国保や市町村国保の中における労災隠しの問題、こうしたものをどのように点検される予定があるのか、大臣、お答えいただきたいと思います。」

吉川労働大臣は、この質問にまったく答えてはいない。

政管健保以外では、まず、健康保険組合の場合も重要である。
もし、企業が意図的に労災隠しをしようとすれば、個別企業の影響力が大きい組合健保の中では、情報が隠滅されてしまう可能性もより大きいからである。

市町村国保には、労働者でない被保険者もいることは念頭に置きつつも、五島氏が指摘する林業従事者やパート、アルバイト等も含めて、ここにも「労災隠し」が紛れこむ余地は少なくないと考えられる。生活保護等においても同様の実態が存在しているのではないかと危惧されるところである。

2001年2月3日付けの毎日新聞によると、同紙が国民健康保険の保険者である12政令指定都市と東京都内の1区を対象に行ったアンケート調査では、レセプトの点検で労災を項目に入れているかどうか尋ねたところ、「点検している」と答えたのは世田谷区だけで、同区では1999年度は労災事故の事例を18件発見したとのこと。
12政令市では、交通事故などを点検している例はあるが、労災に特定した点検はゼロ。理由は、「労災が少ないと思われる」、「費用対効果が不明」などだが、2市は「今後チェックしたい」と答えたという。

職種別の国保組合は、まさに働いている者が被保険者となっているのだから、健保と同様の問題を内包していると当然予測できる。
とくに五島氏が問題視する全国土木建築国保組合は、大手、準大手のゼネコン中心でつくられる国保組合であり、保険料が一律定額制の他の国保組合とは異なり、定率の「事業主、役員その他常用労働者」を対象とする第1種保険料と、定額(13等級)の「日雇労働者」を対象とした第2種保険料の2本立てという独特の構造をもっている。
五島氏が指摘するポイントのひとつは、このような大手ゼネコン等は、本来、国の補助の厚い国保組合ではなく、自前の健保組合をつくるべきだという点で、実にもっともなことである。
もうひとつは、第2種一日雇労働者被保険者に労災隠しが内包されているとしたら重大問題であるということ。調べによると、この第2種被保険者は、1990-95年は5万7千人から4万5千人からで推移していたものの、1996年になって急に572人へと大激減、1999年には11人という状態になっている。何ともわけのわからない実態である。
いずれにしろ、この際、労働省と厚生省が統合されて厚生労働省となったことを最大限生かして、労働基準行政と社会保険行政の両面から力を合わせた「労災隠し」対策を確立することを強く要望したい。両者の連携は、労災未手続事業の解消という面からも望まれている。

強度率度数率の突き合わせ

衆議院での質問で、五島氏は続けて次のような提起を行っている。
「労働省が今回の改正に対して出されたデータで、非常に奇異に感じて、これで何も感じられないのかなと思ったわけですが、全産業と建設業の災害率、その度数率と強度率を出しておられます。例えば昨年度、全産業の度数率は1.80であります。…(一方)強度率は0.14である。ところが、建設業を見てみますと、度数率は1.44である。強度率は0.30である。その前年をとってみましても、1.72に対して0.14が全産業、建設業は1.32の度数率に対して強度率が0.39。
強度率からいえば全産業の倍あります。

注:「度数率」は、100万延べ労働時間当たりの労働災害による死傷者数。「強度率」は、1,000延べ労働時間当たりの労働損失日数をもって災害の重さの程度を表したものである。

建設業というのは、けがをすればすべて4日以上の重傷になる率が高いというふうな職種が多いということを配慮しても、度数率と強度率のこの割合というものは、他の産業に対して突出しすぎている。そのことを気がついていないはずがない。
それは、すなわち、軽傷の労働災害に対しては、ほとんど労災に上がってこずに、一般医療の中で処置させていっている。だけれど、重度災害、死亡とか重傷とか隠しようのないものは結果的に労災に出てくるから、強度率は高いけれども災害の発生率は低いというばかげた結果になっているわけです。」
まさにばかげた結果なのである。

重傷事故の背後には傷害を伴わない無数の事故が存在しているといういわゆるハインリッヒの「1:29:300の法則」というのがある。
安全センター情報2001年5月号で紹介した2000年9月にまとめられた中央労働災害防止協会「安全対策の費用対効果一企業の安全対策費の現状とその効果の分析一」によると、同調査で実施した事業場アンケート調査結果では、「死亡災害と永久労働不能災害の合計」を1とした場合の「一時労働不能災害」、「不休災害」、「ヒヤリハット災害」は各々、「1:7:27:5,541」である。
また、平成7年の労働省「労働安全衛生基本調査報告」をベースに全国の事業場における災害程度別の度数を推計試算したところ、製造業において、「死亡災害(度数率0.01)及び永久労働不能災害(度数率0.07)」を1とした場合の「一時労働不能災害(度数率1.01)」、「不休災害」、「ヒヤリハソト災害」は各々、「1:13:40:1,200」になったという。
これらの比率をひとつの目安にしながら、「隠すのが難しい」死亡災害や重度災害と比較して、それ以外の労災請求が著しく低い業種・事業所等、また、強度率に比較して度数率が著しく低い業種・事業所等にターゲットを絞った重点的な「労災隠し」対策を実行していくことができるし、必要なことだろう。

衆議院での五島質問は続く。
「…そういうふうな状況をどのように是正されるお気持ちがあるか、それをしない限りは、重度障害が発生しない限り建設業界における労災の発生を押さえることはできない、労災隠しは一般化してしまうということになりませんか。」
「労災隠しをしている事業主に対して、それを摘発して告発するということのほかに、それに対するペナルティーとしての何らかの対応を考えるお気持ちはあるかないか。」

これに対する野寺労働基準局長の答弁は以下のとおり。
「労災隠しの対策ということは、…基本的には、私どもの労働基準監督機関を通じまして、臨検監督あるいは指導等を通じまして事業主に対する御理解を十分図りながら、労災隠しの存在が仮に明らかになった場合には、司法処分も含めまして厳正に対応するということであるわけでございます。」
「今の限度以上に、…労災隠しに対しますペナルティを設けるべきかどうか、これはなかなか難しい問題であろうと思います。つまり、具体的に安全衛生法といったような罰則を伴います法律に違反する場合には、それが明らかになれば現在の制度の中でこれは処罰が十分なされるわけでございますが、その中間領域的なことについてさらに罰則的なものを強化すべきかどうか、これは必ずしもコンセンサスが得られないのではないかというふうに思っております。」
年間百件に満たない送検件数で、「違反する場合には、処罰が十分なされている」と認識しているのだろうか。社会保険庁の政管健保のデータと比べてみただけでも、労災隠しのわずか1000分の1しか摘発できていないととらえるのか、摘発できていないものは法違反に該当するかどうかが灰色の「中間領域的なこと」ととらえるのかでは、「労災隠し」対策に対する腰の入れ方もおのずと違ってくるだろう。

このような認識であるから、1991年12月5日付け基発第687号労働基準局長通達「いわゆる労災かくしの排除について」および同日付け同名の監督課長、補償課長、計画課長連名の基監発第52号「部内限」通達(安全センター情報1992年3月号)を発出して以来、実効的な新規施策を打ち出せないままできたことも無理からぬことかもしれない。
今回、前川氏、五島氏の質問に答えて、吉川労働大臣は、「行政と労使がともに検討を行う場を設けることも考えております」と答弁した。1月5日付け毎日新聞では「2001年度内にも設置する」と報じられているが、現在までのところ、その内容は明らかになっていない。
たんに協議するだけでなく、実効性のある対策が確立されることを強くのぞみたい。すでにふれた、社会保険関係当局との連携や度数率・強度率等を利用したターゲットを絞った対策のほかに、あらためて以下のことも提案したい。

死傷病報告書の被災者確認

1991年の労働省通達では、「労災隠し」の疑いのある事案の把握・調査にあたって、災害の原因や発生状況、傷病の部位、被害の程度等々に関して、労働者死傷病報告書と労災保険の休業補償給付支給請求書等の関係書類を相互に突き合わせることをあげている。
労働安全衛生規則第97条に規定される労働者死傷病報告書は、労働安全衛生法第100条の「報告」に該当するもので、労働省の労働災害統計はこの報告に基づいている。

全国安全センターでは、この労働者死傷病報告書に、被災労働者および労働者代表が記載内容を確認して署名する欄を設けるべきであると要望してきた。様式の変更に時間がかかるのであれば、当面、行政指導により、様式欄外または別紙を用いて実施することも可能だとも提案している。

この点に関する労働省の回答は、「死傷病報告書の対象は、労働災害『等』(安衛則第97条の文言では『労働災害その他』)としており、業務上外がわからない場合も含めて(この点を強調していた)、事業主に迅速に届け出させようとするものである。労働者・労働者代表の確認を求めることによって、届出が遅れてしまったり、また、内容に関して争いが起こる可能性もあり、そのために客観的内容が伝わらなくなってしまっては困る」、というものであった(1998年の労働省交渉)。

とうてい納得のいく説明とは言い難いが、では、この報告が出されているかどうか、また、虚偽の報告がなされていないかどうかを、被災労働者や家族、その代理人等が労働基準監督署に確認しようとすると、現状では、確認することすらできない。
「部内限」扱いとされる秘密通達・平成4年3月31日付け基発第189号「情報公開基準の取り扱いについて」で、労働者死傷病報告書には「個人に関する情報」が含まれているから非公開、とされているからである。労働災害の原因等の調査結果(災害調査復命書)も「調査の目的・実効をそこなうおそれがある」等から非公開、労災保険給付支給請求書等も非公開、とされているのである。
情報公開法の施行を4月1日に控えた今日、このような取り扱いは即刻撤廃し、同時に、死傷病報告書に被災労働者本人等の確認欄を設けるということも真剣に検討すべきである。

事業主届出と労災補償の突き合わせ

また、1991年通達では、個々のケースについて、事業主が届け出た労働者死傷病報告書と被災労働者・遺族から提出された労災保険給付支給請求書等を突き合わせることを指示しているのだが、労働災害・職業病統計レベルでもこの突き合わせを行って、「労災隠し」対策に活用すべきだということも要望してきた。
労働基準行政が自ら保有しているこの二つの統計データは、そもそも十分に公表されていないだけでなく、両者を有機的に関係づけて活用しようという努力は、再三の要望にも関わらず、一部の地方労働局で自主的に活用されているほかは、ほとんどなされてこなかったと言ってよい(直近のデータについては、2000年8月号12-18ページを参照)。

事業主が届け出た労働者死傷病報告に基づく労働災害統計としては、休業4日以上の死傷災害と業務上疾病のデータの一部のみしか公表されていない。
休業4日未満のデータも公表されれば、労災保険の新規受給者数との比較が可能になる。
事業主が届け出た死亡災害と労災保険の遺族(補償)給付、葬祭料・葬祭給付の新規受給者データを比較すると、後者の方が2倍程度多い。これは、事業主届出件数には、通勤災害や労災保険の特別加入者、退職後の発症・死亡は含まない等ということによって説明できる部分かもしれないが、労災保険の方のデータの内訳が明らかにされれば、より意味のある比較が可能になる。

事業主届出は休業4日以上のものに限定されるのに対して、労災補償の方は、療養のみ・休業なしのものも含まれ、退職後の発症や事業主が労災と認めずに死傷病報告書を提出しないものも含まれることから、労災補償件数の方が事業主届出件数を上回ることが予想され、事実、多くの職業病関係のデータではそのような傾向がみられる。
ところが、災害性腰痛を中心とする「業務上の負傷による疾病」および「非災害性腰痛」、「がんを除く化学物質等による疾病」では、これが逆転している。事業主の届出件数よりも労災補償件数が少ないのである。

1998年(度)の数字で見ると、「業務上の負傷による疾病」は事業主届出が6,002件に対して労災補償は4,693件、「非災害性腰痛」は事業主届出が109件に対して労災補償は45件、「がんを除く化学物質等による疾病」は事業主届出が330件に対して労災補償が202件となっている。
事業主が労災と判断して届け出ているにもかかわらず、労災保険の手続が行われていない(あるいは手続されても認定されなかった?)という事実を示しているとしか考えられないのであるが、労働省は前出の「死傷病報告には業務上外がわからない場合も含まれる」ということで説明できると主張して、実態の調査・把握すら拒んでいるのである。

注:なお、事業主届出統計は、その年(暦年)中に発生したもので翌年3月末日までに把握したもの、労災保険統計は、年度内の補償件数で、発生はそれ以前の年度のものが含まれるが、これらの差は何年か分を通覧すれば、その影響は無視ないし把握できるだろう。

1999年12月21日の総務庁行政監察局の「労災保険事業に関する行政監察結果に基づく勧告」(2000年1・2月号)は、「労災保険財政に係る情報開示については…国民に分かりやすい形で公表されたい」と指摘された。上述の内容も含めた労災保険事業に関する情報開示を図ることを強くのぞみたい。

「労災隠し」摘発マニュアル

一部の都道府県労働局においては、「労災隠し」を見つけ出すための手引きのようなものを作成(しようと)していると聞いている。やはり、厚生労働省において、労働基準監督署、社会保険事務所、健保組合、国保組合や地方自治体の国保所管部署等を対象とした実効性のある手引きを作成するべきであろう。その際は、本文で提起した内容以外も含めて協力を惜しまないつもりであり、民間の英知を結集しながらぜひ実現すべきであると考える。
なお、その際、労災未手続事業を見つけ出すこととはぜひ結びつけるべきではあるが、いわゆる「不正受給」対策と「労災隠し」対策を並列して取り扱うべきではないことは指摘しておきたい。

事業主の義務・罰則の強化

さらに、労災保険法施行規則第23条の「事業主の努力義務等」を強化し、罰則付きで、法に格上げすべきである。それ以外の手段も含めて、労災隠しに対するペナルティを強化すべきである。
労災は「隠せる」し、「ばれてもたいしたことはない」と労働行政がなめられ切っているのが実状なのでないだろうか。労災隠しを根絶するためのあらゆる努力がなされなければならない。

安全センター情報2001年4月号