企業ぐるみの「労災隠し」が増加:啓発の努力必要/日本医師会

先月号で日本医師会の「産業保健委員会答申」(1996年1月30日)を紹介したが、昨年12月21日には、同医師会の「労災・自賠責委員会」の答申がまとめられている。「Ⅰ 労災医療の現状と問題点」「Ⅱ 自賠責診療費算定基準の普及とその課題」のうち、前者を紹介する。

労災隠しの増加傾向のなか

注目されるのは、「労災隠しの増加傾向」、とくに「企業ぐるみで行われている疑いのある事例の増加」を指摘していることである。
昨年2月には、大阪府医師会労災部会が府下の労災指定医療機関を対象に「労災隠しに関するアンケート調査結果」をまとめ、38.1パーセントの医療機関が「労災隠しで何らかのトラブルを経験したことがある」という実態を明らかにしている。(安全センター情報1995年4月号)。
労働省は、平成3年12月15日付けで基発第687号「いわゆる労災かくしの排除について」(安全センター情報1992年3月号)を出している。
ここでは、「労災隠し」を「労働災害の発生に関し、その発生事実を隠蔽するために故意に労働者死傷病報告書を提出しないもの及び虚偽の内容を記載して提出するもの」として、「労働者死傷病報告書の提出を適正に行うよう指導の徹底、労災隠しの把握、再発防止徹底のための厳正な措置」を指示した。
しかし、「労災隠しの実態の一端を示す労働安全衛生法第100条(報告等)・第120条(虚偽の報告等)違反で書類送検された数は、表のとおり年々増加しているのが実情である。1993年の85件の業種別内訳は、建設業62件、製造業17件、その他6件である。

すでに指摘したことがあるが、

  1. 労働者死傷病報告書に被災者、遺族、労働者代表等の確認欄を設け、提出された報告書等の閲覧・謄写の権利を認めること
  2. 事業主に労災保険請求手続に対する助力義務だけでなく周知・徹底の義務づけを強化し、罰則規定を設けること
  3. 労災隠し等の法違反に対して元請や親企業を含めた企業のトップを処罰すること

などの対策が必要である(安全センター情報1992年5月号外国人労災白書92年版13~16頁参照)。
また、答申が指摘する「労災隠しの背景にある無事故表彰制度、保険料率に係るメリット制等」の問題も重要である。
なお、とくに問題の多い広島や大阪では府県単位で医師会と労働基準局で協議の場を設けて改善に努めてきたが、この答申を受けて日本医師会では、それを広く全国的に行うという(社会保険旬報No.1990)。
「症状固定後の問題点」も興味深い。「労災指定医療機関と産業医との有機的連携」については、先月号の「産業保健委員会答申」も参照されたい。
医師会としては、「労災診療費の改定」に大きな関心があり、「健康保険診療報酬が医療費適正化対策の名のもとに抑制」されている中で、「労災診療費の特掲項目」で突破口を開きたいという面もあるのだろう。その点では、「RIC((財)労災保険情報センター)」について、その運営は「発足当初懸念された医学的審査への介入等の問題も解決され良好に保たれている」としているが、会計検査院が指摘している「地域特掲料金」等の問題(安全センター情報1996年1・2月号61頁)も含めて注目していきたい。

労災医療の現状と問題点
日本医師会労災・自賠責委員会答申
平成7年12月21日

近年の産業構造の変化と併せて、作業環暁の改善等労働者に対する種々の安全対策が実施され、労災事故発生件数は漸次減少傾向を示し、これに伴い労災保険の総診療費及びレセプト件数も減少している。
一方、レセプト1件当たりの診療費は増加傾向にあり、これは医療内容の高度化や健康保険診療報酬点数表の改正とともに、労災診療費算定基準の改正の影響が適切に反映されている結果と解釈される、しかしながら、労働者の保健・医療・福祉の一貫した体制の確立という観点からとらえると、労災医療も未だ構造的・制度的な問題点を多く抱えており、その早急な改善が求められている。

1 RICの現状とその評価

RIC(注:労災保険情報センター)の現状等については前期答申にも詳しく述べられているが、労災医療における積年の課題であった診療費の支払保留、不支給問題は、平成元年からのRICの運営によってほぼ全面的に解決されたといっても過言ではない。
平成7年6月末現在のRICの契約状況をみると、対象となる労災指定医療機関数25,696に対して契約医療機関数は21,232、契約率は82,6%となっている。これは、RICの運営が開始された平成元年当初の状況を考えれば、順調に推移しているといえよう。
また、事業運営については、労災診療被災労働者援護事業、労災診療共済事業というRIC本来の活動と併せて、平成5年度から実施している事務協力費の各都道府県医師会への配分、同じく労災保険広報誌「労災インフオメーション」の発行・配布等、種々の活動に積極的に取り組んでいる。
特に、平成6年度からは「長期運転資金貸付制度」を創設し、6年度は251医療機関に対して総額4億9,950万円、7年度は93医療機関に対して総額2億6,840万円の融資を実施した。
併せて、平成7年1月に発生した阪神・淡路大震災による被災契約医療機関に対しては、その復興援助のために金利等の条件をさらに緩和した特別貸付を設定し、137医療機関に対する総額6億4,100万円の融資を実現した。
このようにRICの運営は、発足当初懸念された医学的審査への介入等の問題も解決され良好に保たれているが、今後はこれらの事業のさらなる充実を図るとともに未契約医療機関の理解を促し、全国的な展開を推進すること、すなわち、契約率の地域的なバラッキの解消、公立病院の契約促進が残された課題といえよう。
これらの解決によって、RICが行う各事業がより強固なものとして確立され、制度として成熟するものと考える。

2 労災かくしへの対応

労災事故であることを隠し、その診療を健康保険等によって行ういわゆる労災かくしへの対応を求める医療現場からの声が、ここ数年徐々に強くなってきている。そこには、労災かくし事案が増加傾向にあるということばかりではなく、その内容が企業ぐるみで行われている疑いのある事例が増加しているという背景がある。
これらの状況によって、制度上当然のこととして労災診療を実施する医療機関側、健康保険等による診療を求める患者あるいは事業主側との間のトラブルは深刻化の一途を辿っている。
本委員会としては、労災かくしの背景にあるいわゆる無事故表彰制度、保険料率に係るメリット制等、現行の制度に係る問題点の根本的な解決が必要であると考えた。
しかし、このような医療機関側からの指摘も、企業側の労働安全対策の促進という総合的な視点からは、メリット制をはじめとした現行制度は適正かつ有効に稼動しているとの判断がなされ、緩和よりもむしろその強化を求める方向にある。また、制度改革には関係法令の改正が不可欠であり、そのためには拙速を避けて現行制度の課題を客観的かっ多角的に検討する必要があり、現実的な方途を模索せざるを得ない。

まず、業務上及び通勤途上の傷病は健康保険等の給付外であるとの認識が事業所のみならず指定医療機関にも十分浸透していないのではないかという判断から、その啓発のための努力が是非とも必要であると考えた。
これについては、平成7年4月に日本医師会と労働省との共同作成によるポスターが完成、全国の指定医療機関に配布されることとなったが、次年度以降については、事業所側に対するより強い啓発活動を行政が中心となって推進していくことが必要であろう。併せて、既に複数の県において実施されていることではあるが、各都道府県単位で医師会と労働基準局との協議の場を設け、積極的かつ緊密な連携を保ち、その傾向が認められる事業所への指導強化を図・る等の対応が必要である。
いずれにしても労災かくしをこのまま放置することは、労働安全衛生法違反を容認することになるばかりではなく、健全な健康保険財政の運営に支障を来すという重大な問題であり、各指定医療機関は初診の際に傷病発生時の状況をより詳細に把握するように努め、その疑いがある場合には速やかに所轄の労働基準監督署に連絡する等の努力を継続していくべきである。

3 労災指定医療機関と産業医との有機的連携について

昭和22年の制度発足以来、労災医療は労働災害による負傷の治療を主として行われてきた。
しかし、近年の職業性疾病の多様化に伴い、労災医療も対応の変化が求められている。
一方、産業保健活動は労働者の保健衛生を向上させ、健康確保、作業環境の改善等を圏的とした産業医制度の発足、産業保健センターの設立等、日本医師会が積極的に推進して成果をあげている。
しかし、これら2つの制度あるいは活動は、それぞれ別個の体系として運営されており、労働者の健康を確保するためには、双方が有機的に連携し機能することが肝要である。
受傷、発症の状況と当該労働者に係る基本的なデータ等の情報伝達、労災防止のための医学的知識の交換、治療状況の報告、さらには長期リハビリ患者の職場復帰の時期・手順の検討等、産業医と労災指定医療機関の担当医師(以下「指定医」という)が共同して当たるべき問題は山積みしている。これらに具体的に対処するためには、医療担当者が相互連携機能を持つべきであり、各地域において両者が相互理解と協力をなしうる体制が確立されなければならない。
また、指定医も労災患者の治療に当たるのみではなく、労働者の保健・医療・福祉という一貫した流れの重要性を理解し、研修会の開催等を通じて新しい時代に即した労災医療の方向性を探るとと載こ、産業医との協力・連携の拠点として産業保健センターへ参画する等、産業医活動への積極的なアプローチを展開していくべきであろう。

4 労災診療費の改定について

労災診療費算定基準の基礎となる健康保険診療報酬は、医療費適正化対策の名のもとに抑制されてきている。
このような状況は、適正な医療技術評価の反映を困難にし、種々の歪みを派生させている。
労災医療においては、これらの問題は労災診療費算定基準の中で特掲項目として徐々に修正されつつはあるが、なお適正に評価されるべき部分が多く残されており、これらの問題の解決が課題のひとつといえよう。
本委員会としての具体的な改定要望項目については別紙資料に示すが、例えば、労災の受傷部位別構成比(死亡及び休業4日以上)をみると四肢の受傷が全体の7割近い数値を示しており、これら労災医療の特性である四肢の傷病(特に手の外科)に係る診療報酬は積極的に評価されるべきであり、これらの機能回復のためのリハビリテーション等についても現行の包括的要素を改め、適正な評価がなされるべきである。
また、部位に関わらず、受傷・発症直後の早期治療は、まさに当該患者のその後の医療ひいては職場復帰等を大きく左右する重大なポイントであり、外来・入院ともにその評価は不可欠である。
特に、入院早期に十分な加療を必要とするケースの割合は、健康保険診療のそれと比べても圧倒的に高く、積極的な評価が強く望まれるところである。
いずれにしても、労災医療については、その特殊性を正しく評価した診療報酬体系が確立されなければならず、現行の労災診療費算定基準のあり方を含め、改めて検討していく必要がある。

5 症状固定後の問題点

現行の労災保険制度と健康保険制度とのはざまで.労災医療においていわゆる症状固定が認定された後の診療費は、制度の建前上どちらの保険給付の対象にもなりえないという問題がある。
すなわち、健康保険法第1条は、その目的の中で業務上の傷病に対する給付を否定しており、一方、労災保険においては症状固定後は基本的には「治癒」とみなし、同様に保険給付の対象外としている。
医療機関としては、患者の主訴があれば診療を拒否することはできず、本来その傷病が労働災害によるものであれば、当然のことして改めて労災保険の適用が認められるべきと考えるが、これを認めることは休業補償、傷病年金等、他の労災保険給付等の関係からも種々の困難を生じさせるという問題を内包している。
この問題は、現行の症状固定及び再発の認定のあり方(医師の関与のあり方を含め)等とも密接に絡むものであり、これらの是正を含めて制度の総合的な検討が将来的には行われるべきと考える。
しかしながら、これらの問題を早急に対応するためには、現行の制度の運用によってカバーする方法も併せて検討しなければならない。
そのひとつの手段として、「労働福祉事業としてのアフターケア制度」(以下「アフターケア制度」という)の活用があげられる。
アフターケア制度は、平成7年4月より、それまで一部の委託契約医療機関のみによって行われていたものが、原則としてすべての労災指定医療機関で実施できることとなった。
しかしながら、現行のアフターケア制度は、文字どおり積極的な治療を認めておらず、また、その対象傷病、対象患者等も極めて狭く限定している。
本来、労働福祉事業としてこれらを行うのであればより手厚いフォローが求められるのは当然であり、その診療報酬、治療範囲、傷病等級等に係る制限を緩和し、実質的に症状固定後の治療をこれらの制度の活用によってカバーするような対応が必要である。
また、暫定的措置として、RICの共済事業の運用によってこれらをカバーしていく等の対応も検討の余地があろう。

まとめ

今期の委員会審議においては、主に労災医療を取り巻く現行制度の問題点と現実的な対応について触れるにとどめた。それぞれの項目で掲げた将来的な問題、特に適正な技術評価体系としての労災診療費算定基準のあり方、労働者の保健・医療・福祉の一本化、症状固定後の診療のあり方等については、現行制度の根本的な歪みを明らかにするとともに、あらゆる角度からの総合的な議論が必要である。
時間をかけた慎重な討議を経て、労働者の健康確保、被災労働者の早期社会復帰の確立を目措し、これを支える指定医療機関の真摯な努力によって・労災医療体制がより強固なものとして構築されることを強く望むものである。

資料/労災診療費改定要望事項

1 基本的事項

(1)労災診療の特殊性である緊急性及びこれに対応する救急医療体制を積極的に評価する。
(2)労災による受傷部位の約7割を占める四肢の傷病に対する手術、処置、リハビリテーション等をより厚く評価するとと韻こ健康保険にみられる包括化等の現行の矛盾点を改善する。
(3)「手の外科」の概念を的確に反映させ、正しい評価を行う。
(4)入院、外来ともに、診療早期の対応は被災労働者の運動能力の回復、職場復帰に大きな影響を与える。これら早期の診療に対する積極的な評価を行う。

2 具体的事項

(1)初診料、再診料、指導管理等
①医師の無形の技術評価として、初診料再診料、再診時療養指導管理料を引上げる。
②労災診療継続中に他の労災事故による傷病が発生した場合、初診料を別に算定できるようにする。
③労災診療の緊急性の評価として救急医療管理加算を引上げるとともに全初診例へ適用させる。
④週休2日制の普及に対応して、初診料、再診料における現行の休日加算の算定要件を見直す。
⑤初診時ブラッシング料に対する運用が設定当初に比して変化してきている。これらの状況からこれを廃止して、当該点数相当分を初診料に上乗せする。
⑥外来管理加算に係る矛盾を是正する。
⑦再診時療養指導管理料については現行どおり傷病にかかわらず指導の都度算定できることをより明確にし、算定要件等の強化を排除すべきである。

(2)入院料
①労災患者に対する早期の積極的治療の重要性に鑑み、入院早期の入院時医学管理料等を厚く評価する。
②昭和63年から据え置かれている入院室料加算の上限を引上げるとともに、普通室が満床の場合の日数制限(現行7日)を緩和する。
③労災傷病による入院患者に提供された特別食について、労災保険による請求を認める。
④1週間以内程度の外泊については、当該期間中の病衣貸与加算の算定を認める。

(3)処置料、手術料、その他
①消炎鎮痛処置と同概介達牽引理学療法等についても受傷部位ごとに3部位までの算定を認める。
②消炎鎮痛処置と湿布処置を併施した際に、それぞれの実施部位が異なる場合は両方の算定を認める。
③労災診療の特殊性の評価として、指に対する手術にっいては項目にかかわらず通貝脇こ示す同一手術野の規定を適用せず、それぞれの指ごとの算定を認める。
同様に、四肢に対する手術についても同一手術野の規定を適用せずそれぞれの算定を認めるか、あるいは主たる手術の所定点数に従たる手術の所定点数の100分の70を加算できるようにする。
④四肢の傷病に係る手術の加算(健保点数の1.5倍)の対象として、植皮術、皮膚移植術等の形成手術を加える。
⑤デブリードマン加算の対象を「挫滅創」と限定せず、他の同様の傷病についても算定を認めるとともに、火傷の場合は創傷処置においても算定を認める。
⑥切傷等の創傷による腱の断裂に対する縫合については、創傷処理を準用する現行の矛盾を是正し、腱縫合術により算定できるようにする。
⑦ギプス料の点数を引上げるか、あるいは材料費を別途加算できるようにする。
⑧四肢に対する単純CT撮影診断の制限(対象疾病の限定)を緩和する。

注:労災・自賠責委員会
委員長:伊藤潤造/副委員長:高瀬佳久
委員:桂 司/清成正智/七條茂文/竹村山村悳/鶴上純一/豊田馨/森田要/八幡雅志
専門委員:奥平哲彦/保原喜志夫(平成7年3月31日まで)

安全センター情報1996年4月号