【特集1】事業主の不服申し立て認めず最高裁が初の歴史的判断~さらに労災保険のメリット制廃止に進むべき

舞台は結局最高裁に

厚生労働省は2022年10月26日に「労働保険徴収法第12条第3項の適用事業主の不服の取扱いに関する検討会」を参集し、わずか2回の検討を経て、同年12月13日に報告書を公表した。

報告書は、以下のように言う(太字は編集部)。

「[(労災保険のメリット制の適用を受ける]特定事業主は、自らの事業場における労働者について発生した業務災害に対する労災支給処分が被災労働者等になされた場合、当該労災支給処分の額がメリット収支率に反映され、労働保険料額が増大する可能性がある。このため、保険料認定処分の不服申立等において、労災支給処分の支給要件非該当性を主張することが考えられる。しかし国は、労災支給処分の早期安定の必要性並びに労災支給処分及び保険料認定処分が異なる法律効果を有することなどを踏まえ、特定事業主が既に被災労働者等に対して行われた労災支給処分の支給要件非該当性の主張することを認めていない
また、労災保険法は被災労働者等の法的利益を図ることを目的としており、事業主の利益を図ることは目的としておらず、特定事業主は労災支給処分の名宛人となっていないことなどを踏まえ、これまで特定事業主には労災支給処分の不服申立適格及び取消訴訟の原告適格も認められないという解釈をしている。
しかし、下記のとおり、特定事業主が提起した複数の取消訴訟において、
① 特定事業主は労災支給処分の取消訴訟の原告適格を有するか否か、
② 保険料認定処分において特定事業主が労災支給処分の支給要件非該当性を主張できるか否か
について、①を否定して②を肯定する地裁判決がある一方で、むしろ①を肯定して②を否定する高裁判決が続いているところである。」

これに対して検討会報告書は、「特定事業主には、労災支給処分についての不服申立適格等は認めるべきではない」としたうえで、「保険料認定処分の取消事由として、労災支給処分の支給要件非該当性の主張を認めるのが適当であると考えられる」と解釈を変更することを示した。くわえて、「労働基準監督署長は、労災支給処分の支給要件非該当性を理由として保険料認定処分が裁決又は判決により取り消された場合であっても、当該裁決又は判決の拘束力により労災支給処分を取り消す法的義務はない。また、職権取消との関係においても、前述の裁決又は判決が出されたことを理由に労災支給処分を取り消すことはしないという対応をとるのが、労災保険法及び労働保険徴収法の趣旨に照らして適当であると考えられる」ともして、以下のように「まとめ」ている。

「以上の検討を踏まえ、厚生労働省は、特定事業主には労災支給処分の不服申立適格等が認められないとの立場を堅持した上で、特定事業主が保険料認定処分に不服を持つ場合の対応として、以下3点を含めた必要な措置を講じることが適当であると考える。
① 保険料認定処分の不服申立等において、労災支給処分の支給要件非該当性に関する主張を認める。
② 保険料認定処分の不服申立等において労災支給処分の支給要件非該当性が認められた場合には、その労災支給処分が労働保険料に影響しないよう、労働保険料を再決定するなど必要な対応を行う。
③ 保険料認定処分の不服申立等において労災支給処分の支給要件非該当性が認められたとしても、そのことを理由に労災支給処分を取り消すことはしない。」

これを受けて厚生労働省は、翌令和5年1月31日付けで基発0131第2号「メリット制の対象となる特定事業主の労働保険料に関する訴訟における今後の対応について」(2023年3月号参照)を発して、上記のように対応を「変更」することを示した。

厚生労働省の意図は、保険料認定処分の不服申立等において労災支給処分の支給要件非該当性に関する主張を認めることによって、裁判所が、特定事業主に労災支給処分についての不服申立適格等を認めるという事態を回避することにあった。

しかし、2022年11月29日に東京高裁が、特定事業主は労災支給処分の取消訴訟の原告適格を有するとして、原告適格を認めず特定事業主の訴えを却下した東京地裁判決を取り消して、地裁に差し戻すという判決を下してしまった。

この特定事業主は、中小企業経営者に共済や福利厚生を提供する「あんしん財団」で、札幌中央労働基準監督署長による、精神疾患に罹患した被災労働者に対する労災支給処分の取り消しを国に求めたものであった。

あんしん財団は、東京管理職ユニオンの組合員である女性被災者の労災請求を「虚偽」だと主張して労災療養中にもかかわらず解雇し、組合員に対して損害賠償請求も行うなど、悪質なスラップ(嫌がらせ)訴訟の一環と考えられた。

国は最高裁に上告し、特定事業主の労災支給処分の取消訴訟の原告適格について、初めて最高裁の判断が問われることになった。被災労働者も補助参加人として代理人弁護士を立てて訴訟に参加した。

弁論における関係者の主張

2024年3月28日付けで最高裁は、6月10日に弁論を開くことを決定した。東京高裁判決が見直される可能性ができたことに関係者は安堵した。6月10日になされた弁論の要旨は以下のとおりだった。

■上告人(国)指定代理人

「原判決の判断は、『原告適格』について定める行政事件訴訟(以下「行訴法」という。)9条1項の解釈適用を誤ったものである」と主張した。

行訴法9条1項は、「処分の取消しの訴え及び裁決の取消しの訴え(以下「取消訴訟」という。)は、当該処分又は裁決の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者に限り、提起することができる」と規定する。また、続けて行訴法9条2項は、「裁判所は、処分又は裁決の相手方以外の者について前項に規定する法律上の利益の有無を判断するに当たつては、当該処分又は裁決の根拠となる法令の規定の文言のみによることなく、当該法令の趣旨及び目的並びに当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮するものとする。この場合において、当該法令の趣旨及び目的を考慮するに当たつては、当該法令と目的を共通にする関係法令があるときはその趣旨及び目的をも参酌するものとし、当該利益の内容及び性質を考慮するに当たつては、当該処分又は裁決がその根拠となる法令に違反してされた場合に害されることとなる利益の内容及び性質並びにこれが害される態様及び程度をも勘案するものとする」と規定している。以上から、具体的には以下の3点を主張した。

  1. 行訴法9条2項が定める考慮要素を考慮することなく、特定事業主の原告適格を肯定する余地がないこと(支給処分が、特定事業主の法律上の地位に直接かつ具体的な影響を及ぼすような法的効果を有するとは言えない。また、厚生労働省は通達を発出し、特定事業主には、徴収法の解釈上、労働保険料の納付義務の範囲の増大に際して業務災害支給処分の支給要件該当性を争う手段が認められているのであるから、この点からも原告適格を肯定する根拠はない。)
  2. 行訴法9条2が定める考慮要素を考慮すれば、特定事業主の原告適格を肯定することはできないこと(労災保険法の規定は、特定事業主について、その保険料に係る経済的な利益を保護する趣旨を読み取ることはできない。徴収法におけるメリット制を含む労働保険料の徴収に係る規律の在り方が、労災保険法における保険給付の在り方を規律するような事態は、およそ労災保険法及び徴収法が想定していないものと言うべきである。原判決の挙げる特定事業主の労働保険料に係る経済的利益は、行訴法9条1項にいう「法律上の利益」、すなわち法律上保護された利益に当たるとすることはできない。)
  3. 労災保険制度上の重要な要請である業務災害支給処分の法的安定性を犠牲にしてまで、特定事業主の保護を優先すべきことが法令の仕組み上予定されているとはいえないこと(ここでも、①の括弧内最後のまた書きを補足的に主張している。)

■補助参加人(被災者)訴訟代理人弁護士

  1. 行訴法9条2項に照らせば使用者の利益は勘案されないこと(労災保険法の趣旨に、使用者・事業主保護は一切考慮されていない。一方で、徴収法は「目的を共通」としているとは言えず、あえて言えば「労災保険事業の効率的な運営」が目的であるのだから、労災保険法の趣旨が害されるような解釈ではできようがない。)
  2. 事業主の支給決定に対する取消訴訟を認めては労災保険法の趣旨が害されること(行訴法は行政処分の根拠法の趣旨を変更しないこと。労災保険法の趣旨は被災労働者の「迅速かつ公正な保護」、安心して療養することができるようにする、使用者と直接対峙せずに補償を受けられること。労基法もこのような事態は想定していない。)
  3. 被上告人の反論は当を得ていない(被上告人は、支給決定が取り消されたとして、これを返還請求しないことは行政の裁量として可能であるなどとと述べるが、このような措置を特段の法的根拠なく行うことはできず、また、厚生労働省の新たな通達と、支給決定が取り消されて支給の法的根拠が消滅した場合の不当利得返還請求とはまったく事情を別にしている。)
  4. 補助参加人訴訟代理人弁護士は、当該被災者の生活にとどまらず、多くの被災者や遺族の不安と悪影響についても指摘、強調した。

■被上告訴人訴訟(あんしん財団)代理人弁護士

  • 「処分の公正・公平」の回復
    精神疾患を発症したとして労災申請に及んだ女性職員4名中2名の労災申請は、不支給処分を適法とする判断が確定しているが、本件補助参加人を含む2名については、支給処分がなされたため、被上告人は759万円弱もの労働保険料増額を強いられた。しかし、当該4名の女性職員は、いずれも事情が異ならない同種の労働者であり、異なる判断がなされる合理的理由は認められない。「区々な判断」の誤りを是正するとともに、無用な労働保険料増額負担を正すため、本件訴訟に及んだ。
  • 検討会報告書等は法令解釈を誤っている
    検討会報告書及び令和5年1月31日通達は、それまでの運用を改め、「労働保険料認定処分」に対する特定事業主の不服申立てを認めるに至ったが、この「運用」の改正によって、「業務災害不支給処分」取消し訴訟の「原告適格」が失われたと解釈することはできない。
    労災保険制度は、事業主のための「リスク分散の制度」でもあり、被災労働者の保護とともに、事業主の利益をも保護していることは明らかである。また、労基法は、事業主の不服申立ての権利まで認めている。「基本法たる労基法」が「使用者・事業主の利益」をも保護していることは明らかである。その上、「業務上」認定により解雇権も制限され、「最初の3日分の休業補償」責任も生ずるのであるから、検討会報告書等が「労働保険料認定処分」に対する特定事業主の不服申立てを認めても「業務災害支給処分」取消しの「原告適格」が「失われる」ことには、全くならない。
  • 労働者保護に欠けることにはならず、却って「給付の公正」に資する
    「労働保険料認定処分」の取消しであれば「[被災労働者が]完全に守られ」、「業務災害支給処分」の取消しでは「必ず返還請求される」ことになるものではなく、結局は国の運用や法令解釈次第であって、「濫用法理」の適用等によって十分労働者を保護できる。
    検討会報告書等は、誤支給はメリット制の適用のない事業所においても生じ得、その場合労働者は取消しを受けるリスクがないのに、メリット制の提要のある事業所の労働者のみ取消しリスクを負うのは不都合であるとするようだが、誤支給を放免して良いとするのが「保険給付の公正」の理念に適合するとは考えられない。
    検討会報告書等の解釈、すなわち徴収法12条3項の「保険料」を「有効に確定している労災保険料のうち、支給要件に該当するもの」などと読み替えることにはそもそも無理があり、そうするのであれば、それは行政通達などによるのではなく、「法律の改正」によって行うべきである。
    検討会報告書等は、本来給付がなされるべきでない支給がなされることによって生じる保険料増額分の「財源」の問題を全く考慮していない。本来負担を求められる理由がない負担を事業主ないし「事業主グループ」に強いて「済ませてしまう」問題では全くない。
  • 事業主の手続保障の問題
    調査・取り調べの「客体ないし対象」にすぎない事業主には、実際に誰に対する如何なる労災支給処分がなされどのような労災給付がなされた結果、「労災保険率決定通知書」記載の数値となったのか、その計算は全くわからない。労災が複数発生した場合などは、事業主が「労災保険料認定処分」を争うことは全く不可能である。また、「収支率算定期間」が3年度であることから生じる問題もある。さらに、「業務災害支給処分」を争えず、「労働保険料認定処分」がなされるまで待たなければならないとすると、その間、関係者が退職してしまう等、証拠も散逸する。
  • 被上告人が「具体的原告適格」を奪われる理由は全くない
    そもそも被上告人は、本件ですでに759万円弱もの具体的損害を被っており、後出しの検討会報告書等によって「具体的原告適格」を奪われることはあり得ない。「原告適格」の問題は裁判の「入口」の問題に過ぎない。事業主も、等しく「国民」の一人であり、裁判を受ける権利の「入口」が閉ざされることがあってはならない。

原告適格否定した最高裁判決

令和5年(行ヒ)第108号療養補償給付支給処分(不支給決定の変更決定)の取消、休業補償給付支給処分の取消請求事件

令和6年7月4日 第一小法廷判決

(処分行政庁の表示)

上告人 国
処分行政庁 札幌中央労働基準監督署長 A

主文

原判決を破棄する。
被上告人の控訴を棄却する。
控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人春名茂ほかの上告受理申立て理由及び上告補助参加代理人嶋﨑量、同西川治、同山岡遥平の上告受理申立て理由について

1 処分行政庁は、被上告人に使用されて業務に従事していた上告補助参加人に対し、労働者災害補償保険法(令和2年法律第14号による改正前のもの。以下「労災保険法」という。)に基づき、上告補助参加人が業務に起因して疾病にり患したことを理由として、療養補償給付及び休業補償給付の各支給決定(以下「本件各処分」という。)をした。

本件は、被上告人が、上告人を相手に、本件各処分の取消しを求める事案であり、被上告人は、労働保険の保険料の徴収等に関する法律(平成28年法律第17号による改正前のもの。以下「徴収法」という。)12条3項の規定によれば、本件各処分により、その納付すべき労働保険料(同法10条2項所定の労働保険料をいう。以下同じ。)が増額されるおそれがあるなどとして、本件各処分の取消しを求める原告適格を有すると主張している。

2 労働保険料の徴収等に関する制度の概要は、次のとおりである。

(1) 政府は、労災保険法による労働者災害補償保険(以下「労災保険」という。)及び雇用保険法による雇用保険の事業に要する費用に充てるため、事業主から労働保険料を徴収する(労災保険法30条、雇用保険法68条1項、徴収法2条1項、10条1項)。

(2) 事業主は、保険年度ごとに、まず概算額として徴収法15条1項各号所定の労働保険料の額を申告してこれを納付し、保険年度が終了してから、確定額として.法19条1項各号所定の労働保険料の額を申告し、納付した概算額が申告した確定額に足りないときは、その不足額を納付しなければならず、政府は、上記の各申告に係る申告書の記載に誤りがあると認めるとき等には、労働保険料の額を決定し、これを事業主に通知する(同法15条、19条。以下、同法15条3項の規定により概算額を決定する処分及び同法19条4項の規定により確定額を決定する処分を併せて「保険料認定処分」という。)。

(3) 労働保険料のうちの一般保険料(徴収法10条2項1号)の額は、賃金総額に一般保険料に係る保険料率を乗じて得た額とされており、一般保険料に係る保険料率は、労災保険及び雇用保険に係る保険関係が成立している事業にあっては労災保険率と雇用保険率とを加えた率、労災保険に係る保険関係のみが成立している事業にあっては労災保険率とされている(同法11条、12条1項1号、2号)。

労災保険率は、労災保険法の規定による保険給付等に要する費用の予想額に照らし、将来にわたって、労災保険の事業に係る財政の均衡を保つことができるものでなければならず、政令で定めるところにより、労災保険法の適用を受ける全ての事業の過去3年間の業務災害等に係る災害率その他の事情を考慮して厚生労働大臣が定めるものとされている(徴収法12条2項。以下、同項の規定により定められる労災保険率を「基準労災保険率」という。)。

その上で、厚生労働大臣は、連続する3保険年度中の各保険年度において徴収法12条3項各号のいずれかに該当する事業であって当該連続する3保険年度中の最後の保険年度に属する3月31日において労災保険に係る保険関係が成立した後3年以上経過したもの(以下「特定事業」という。)については、同項所定の割合(以下「メリット収支率」という。)が100分の85を超え、又は100分の75以下である場合には、当該特定事業についての基準労災保険率を基礎として所定の方法により引き上げ又は引き下げるなどした率を、当該特定事業についての上記の日の属する保険年度の次の次の保険年度の労災保険率とすることができる(同項)。そして、メリット収支率は、上記連続する3保険年度の間における、同項所定の労災保険法の規定による業務災害に関する保険給付(以下「労災保険給付」という。)の額等に基づき算出するものとされている(同項)。

3 原審は、要旨次のとおり判断し、被上告人はその特定事業についてされた本件各処分の取消しを求める原告適格を有するとして、これを否定して本件訴えを却下した第1審判決を取り消し、本件を第1審に差し戻した。

特定事業について、労災保険給付の支給決定(以下「労災支給処分」という。)がされていると、これによりメリット収支率が大きくなるため、当該特定事業の事業主の納付すべき労働保険料が増額されるおそれがある。そうすると、特定事業の事業主は、その特定事業についてされた労災支給処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者として、上記労災支給処分の取消訴訟の原告適格を有する。

4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

(1) 行政事件訴訟法9条1項にいう処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者をいうところ、本件においては、特定事業についてされた労災支給処分に基づく労災保険給付の額が当然に当該特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額の決定に影響を及ぼすこととなるか否かが問題となる。

(2)ア 労災保険法は、労災保険給付の支給又は不支給の判断を、その請求をした被災労働者等に対する行政処分をもって行うこととしている(12条の8第2項参照)。これは、被災労働者等の迅速かつ公正な保護という労災保険の目的(1条参照)に照らし、労災保険給付に係る多数の法律関係を早期に確定するとともに、専門の不服審査機関による特別の不服申立ての制度を用意すること(38条1項)によって、被災労働者等の権利利益の実効的な救済を図る趣旨に出たものであって、特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額を決定する際の基礎となる法律関係まで早期に確定しようとするものとは解されない。仮に、労災支給処分によって上記法律関係まで確定されるとすれば、当該特定事業の事業主にはこれを争う機会が与えられるべきものと解されるが、それでは、労災保険給付に係る法律関係を早期に確定するといった労災保険法の趣旨が損なわれることとなる。

イ また、徴収法は、労災保険率について、将来にわたって、労災保険の事業に係る財政の均衡を保つことができるものでなければならないものとした上で、特定事業の労災保険率については、基準労災保険率を基礎としつつ、特定事業ごとの労災保険給付の額に応じ、メリット収支率を介して増減し得るものとしている。これは、上記財政の均衡を保つことができる範囲内において、事業主間の公平を図るとともに、事業主による災害防止の努力を促進する趣旨のものであるところ、客観的に支給要件を満たさない労災保険給付の額を特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額を決定する際の基礎とすることは、上記趣旨に反するし、客観的に支給要件を満たすものの額のみを基礎としたからといって、上記財政の均衡を欠く事態に至るとは考えられない。そして、前記2の労働保険料の徴収等に関する制度の仕組みにも照らせば、労働保険料の額は、申告又は保険料認定処分の時に決定することができれば足り、労災支給処分によってその基礎となる法律関係を確定しておくべき必要性は見いだし難い。

ウ 以上によれば、特定事業について支給された労災保険給付のうち客観的に支給要件を満たさないものの額は、当該特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額を決定する際の基礎とはならないものと解するのが相当である。そうすると、特定事業についてされた労災支給処分に基づく労災保険給付の額が当然に上記の決定に影響を及ぼすものではないから、特定事業の事業主は、その特定事業についてされた労災支給処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者に当たるということはできない。

(3) したがって、特定事業の事業主は、上記労災支給処分の取消訴訟の原告適格を有しないというべきである。

以上のように解したとしても、特定事業の事業主は、自己に対する保険料認定処分についての不服申立て又はその取消訴訟において、当該保険料認定処分自体の違法事由として、客観的に支給要件を満たさない労災保険給付の額が基礎とされたことにより労働保険料が増額されたことを主張することができるから、上記事業主の手続保障に欠けるところはない。

5 以上と異なる原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、以上に説示したところによれば、本件訴えは不適法であり、これを却下した第1審判決は結論において正当であるから、被上告人の控訴を棄却すべきである。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 堺徹 裁判官 深山卓也
裁判官 安浪亮介 裁判官 岡正晶
裁判官 宮川美津子)

それでもメリット制の廃止を

今回の最高裁判決は、特定事業主の労災支給処分取消訴訟の原告適格についての初めての判断であり、原告適格は認められないことを明示した歴史的判決となった。

一方で、保険料認定処分の不服申立等において、特定事業主による労災支給処分の支給要件非該当性に関する主張を認めるように解釈-対応を変更することによって、裁判所が原告適格等を認める事態を回避するという厚生労働省の思惑が成功したかたちではある。

しかし、これによって、保険料認定処分の不服申立等において、労災支給処分の支給要件非該当性を主張する事例が増え、いずれ労災支給処分の支給要件非該当性が認められる事例が出てくることが非常に危惧される。

厚生労働省通達や検討会報告書が言うように、当該労災支給処分が労働保険料に影響しないよう労働保険料を再決定する一方で、そのことを理由に労災支給処分を取り消すことはしないという対応をとればすむという問題ではない。

後者の対応自体、法的に問題にされない保証はなく、被災者に対する不当利得返還請求の可能性も否定できないうえに、労働基準法第19条の解雇制限との関係、療養・職場復帰・再発防止等々に対する事業主の対応への影響、労災支給決定を行う労働基準監督署の担当者に対する影響等々、重要な問題が山積みである。

本誌が一貫して訴えてきたように、労災保険のメリット制自体の廃止に進むことが不可欠である。

安全センター情報2024年9月号