毎日新聞社大阪本社 労災隠し取材班/(2004.11.15)web版
目次
- “労災隠し”がなぜ、まかり通るのか
- ●労災隠し、労災保険とは
- ●環境問題や原発、アスベスト被害の取材から職業病問題の取材へ
- ●書類で発覚しただけで年間6万件、10年で58万件の「隠れ労災」
- ●記事を見て「労災隠し」の情報提供や投書が殺到
- ●労災制度が知られていない、知らせないという実情が要因に
- ●下請け、孫請け・・・の重層構造が「労災隠し」の根底に
- ●安全記録の更新、受注資格維持のため労災保険を使わない
- ●半数以上の医療機関が「労災隠し」の経験がある
- ●「就労不能」に「治療費負担」という2重苦を強いられる
- ●労働者と使用者の力関係をみない労働行政に問題あり
- ●社内運動会でけが、「日当なし」のため労災認定拒否の例
- ●派遣、パート、アルバイトの多くが労災制度を知る機会がない
- ●「指を切れ」治るのに切断した「外国人労災隠し」も
“労災隠し”がなぜ、まかり通るのか
私たち取材班は、「労災隠し」について毎日新聞の大阪本社を中心に2000年11月初旬から連載をはじめ、キャンペーンをしてきた。次々と発覚し、寄せられる情報にとても驚いて取材をはじめ、調べれば調べるほどこれは大変なことだと思った。
●労災隠し、労災保険とは
「労災」というのは、労働災害の略称だ。政府は仕事で災害にあった労働者を守るために労災保険制度を設けている。
労災隠しは労災保険を使わない、労基署への報告(労働者死傷病報告)を怠る、ないしは嘘の報告をするなど、労災を労災として取り扱わないことだ(次の関連法令参照)。
●労働者死傷病報告の提出
【労働安全衛生法第100条】
1 厚生労働大臣、都道府県労働局長又は労働基準監督署長は、この法律を施行するため必要があると認めるときは、厚生労働省令で定めるところにより、事業者、労働者、機械等貸与者、建築物貸与者又はコンサルタントに対し、必要な事項を報告させ、又は出頭を命ずることができる。
【労働安全衛生規則第97条】
1 事業者は、労働者が労働災害その他就業中又は事業場内若しくはその附属建設物内における負傷、窒息又は急性中毒により死亡し、又は休業したときは、遅滞なく、様式第23号による報告書を所轄労働基準監督署長に提出しなければならない。
2 前項の場合において、休業の日数が4日に満たないときは、事業者は、同項の規定にかかわらず、1月から3月まで、4月から7月まで、7月から9月まで及び10月から12月までの期間における当該事実について、様式第24号による報告書をそれぞれの期間における最後の月の翌月末日までに、所轄労働基準監督署長に提出しなければならない。
●罰 則
【労働安全衛生法第120条】
次の各号のいずれかに該当する者は、50万円以下の罰金に処する。
5 第100条第1項又は第3項の規定による報告をせず、若しくは虚偽の報告をし、又は出頭しなかった者
【労働安全衛生法第122条】
法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関して、第117条、第=7条、第119条又は第120条の違反行為をしたときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対しても、各本条の罰金刑を科する。
「労災隠しが問題」なのは、被災に対する補償など保護されるべき被災した労働者の権利を奪うことになるからだ。労働者の人権侵害と言える。また、労災の発生に使用者の責任がある時、これを見逃すことになる。結果的に、再発防止のための教訓にもならなくなる。
「労災保険」とは、企業や会社、一般商店などが労働者(アルバイトやパートも含む)を雇った時は、必ず年間の賃金総額の0.5~12.9%を保険料として拠出して成り立っている災害保険制度だ。事故が多発する業種ほど、この保険料の率(保険料率)は高い。
いざ災害が起きた場合は、労災保険制度を用いて、労働者のけがや死亡、休業や後遺症に対する補償にあてるものだ。人を雇えば、雇用者は必ず加入しなければならない強制保険制度なので、仮に雇用者が保険料を納めていなくても、労働者の申告があれば、保険の対象として補償が受けられる。雇用者は過去にさかのぼって労災保険の保険料を支払うことになる。
ここで労働者の中からも「労災保険を適用しなくても、健康保険や国民健康保険に加入しているから、大丈夫だ」という声が上がるかもしれない。確かに治療の際に健康保険や国民健康保険ならば3割の自己負担で済む。しかし、法律上、労災の場合の治療費は、健康保険や国民健康保険を使うことができない。仮に知らずに、あるいは意図的に健保を使ったとしても、労災保険が適用されていれば、健保にはないさまざまなメリットがある。それは次の通りだ。
- 治療費の自己負担はゼロだ。仮に大けがで、治療費が1000万円かかったとすると、健康保険ならば自己負担として300万円を支払わなければならないが、労災保険では自己負担はない。
- けがや病気で仕事を休まなければならない場合は、健保ではいつももらっている賃金の60%が「傷病手当金」として支給される。ところが、労災保険では80%が「休業補償+休業特別支給金」として支給される。しかも支給期間は、健保の場合はどんなに休んでも「支給を開始した日から」1年6カ月で支給が打ち切られるのに対し、労災保険の支給は症状固定までは支払われ、1律の期間制限はない。国民健康保険には傷病手当金すらない。
- 後遺症が残った場合も、労災保険ならば、障害の程度に応じて手厚く補償される。介護に要する費用も支給される。
- 労災保険では、仕事に起因した事故や病気で本人が死亡した場合は、遺族数に応じ年間で平均賃金の153日分~245日分の遺族年金などが支給される。ボーナスに応じては遺族特別年金などが支給される。年金の対象資格者がいない場合は、1時金が1定の遺族に支払われる。
- 労災認定されると、労働者としての身分保障がある。それは、労働基準法(19条)に基づき、「休業期間+30日」は解雇されないことになっている。
- 以上が、労災保険が健康保険よりも有利な点だ。
だが、労災認定されるメリットはそれにとどまらない。被災労働者にとっては、労災保険が適用されることは、労災という事実が国から認定されたことを意味する。健保よりも手厚い労災といえども労働者が被った損害をすべて補償するわけではない。たとえば、慰謝料はすべて含まれない。その不十分な点を「労災認定」という事実を基礎に、民事上の損害賠償を求める訴訟を提起して、労災保険による補償では足りない分を補うこともできる。もちろん労災認定がなくても損害賠償は求められるが、労災認定された方が訴訟や交渉の上で圧倒的に有利だ。
このように労災保険の適用対象として認定されることは、さまざまな支給の対象となることはもちろん、身分保障や「認定の事実」という公的な認証が得られることを意味する。
裏を返せば、労災隠しとは、こうした身分や権利を労働者から失わせる行為といえるだろう。
●環境問題や原発、アスベスト被害の取材から職業病問題の取材へ
記者の1人は取材を始めた当初、調査報道を任務とする毎日新聞大阪本社の特別報道部にいた。それ以前は科学部や社会部で環境問題、特に原発の問題、プルトニウムや放射性核廃棄物とか、それに付随して環境問題全般を取材してきた。2000年春は、旧ソ連のチェルノブイリ原発に行き、残留する放射能汚染の被害を取材してきた。そういう取材を進める中でアスベスト、じん肺肺がんの問題を知らされ、職業病などの労働相談をする人たちと知り合うことになった。
仕事が原因で病気になったり、けがをした人たちが補償されずに放置されているというさまざまな話を聞けば聞くほど、「まだそんなものが残っているのか」と驚くことになった。例えばアスベストは発がん性が完全に認定されているし、じん肺についても国際的には発がん性が認定されているにもかかわらず、十分な対策が取られていなかった。そういう話の1つひとつが新鮮だった。そういう付き合いもあって、ある時「労災隠しがまかり通っているよ」という話を聞いた。情報提供者は信用している相手なのだが、新聞記者の基本動作として「本当にそうなのか」と取材に入った。私たちの感覚では「労災隠し」というのは前近代的なことであり、労働者の体の問題、人権問題にかかわることがまだまかり通っているとしたら、これは重大な問題だなと思って、知り合いの人に問い詰めた。そうして、示されたいくつかの情報をもとに各地に走った。
最初に社会保険庁へ取材に行った。社会保険庁というところは、中小企業を対象にした政府管掌保険制度を管轄している。そこでレセプト(診療報酬明細書)を見て、不正請求があるかどうか、医者が点数以上の請求をしていないか、保険の対象にならない診療を点数化していないかなどをチェックする。また第3者行為といって、交通事故などの場合も基本的には加害者が治療費を払うことになっており、健康保険の請求はできない。それらのチェックの結果として、労災なのに何らかの理由で社会保険の方に回ってきてしまった件数が、毎年数万単位であった。
その取材をもとに旧労働省も取材することになった。旧労働省の官僚が「大半は労災隠しではない」と主張しており、被災者が労災保険制度を知らないで健康保険に回ってしまう例もあるために私たちの記事では「隠れ労災」という表現を使った。
表の「件数」は労災保険に回るはずのものが社会保険に回ってきた数だ。1999年は件数(6万7000件)・額(23億円)とも突出した。それまでは6万件前後で推移していて、金額も20億円だった。(件数は年度だが、送検数は暦年になっている。)
●書類で発覚しただけで年間6万件、10年で58万件の「隠れ労災」
58万件という数字をどうやって社会保険庁が調べたかというと、上がってきたレセプトを見て、それが外科なのか整形外科なのか、救急病院なのかを見る。内科などはなかなか労災を見分けるのは難しく、職業病や過労死などで関係するのがあるが、大づかみするには外傷性の病気を調べる。また平日であるかとか、時間帯を見たりして怪しいのを仕分ける。それから受診した人に「お尋ね」というハガキを送る。その結果として出てきたのが、年間3億枚に上るレセプトの中から約6万件、10年間で58万件という数字なのだ。都道府県別の件数は、人口比などを見ると大きなばらつきがあり、取り組みに差がありそうだ。
実は追跡調査や、直接の面接調査はしていない。自主申告で分かってきたか、隠し通せなかった分がこの件数になる。意図的にレセプトの段階で上手にウソをつかれていると分からなくなるから、可能性としてはそれ以上労災隠しがあるかも知れないという疑いが出てくる。
当時は旧の労働省(現・厚生労働省)だったが、担当者の言い方としては「労災隠しは含まれてはいないとは言わないが、そんなに多くはないのではないか」というニュアンスだった。しかし、最初に情報を寄せた人々は、「これは労災隠しの氷山の1角だ」と言っており、正確な結論は未だに出ていない。というのは、追跡調査を社会保険庁も旧労働省もやっていないからだ。私たちはせめてサンプル調査をしてみたらどうかと旧労働省の官僚に言ったのだが、今のところそれをやっている気配はない。
それで2000年11月11日付の朝刊1面(大阪本社版)で「”隠れ労災”58万件 過去10年健康保険扱いで処理」「患者負担40億円にも」の下の記事、社会面では「仕事にも事業所にも傷つけられ1結局泣くのは労働者」「労働省『実態は不明』」の記事(後述)を書いて、読者から意見や情報の提供を呼びかけたところ、翌日からファックスやEメールでたくさん寄せられたという次第だった。
●記事を見て「労災隠し」の情報提供や投書が殺到
その情報提供や投書の内容を簡単に紹介すると、「ウチのところでは、しょっちゅうやっているよ」とか、「似たようなケースだが、私の場合は労災ではないのか」という相談など、いろいろだった。
これまでに寄せられた情報提供や投書は約200件に上り、その内容を分類すると、約100件以上は何らかの労災隠しや隠れ労災と関係するもの、20件以上は労働基準監督署の対応への不満(処理が遅い、労災申請を妨げるような言い方をしているなど)、10件ほどは労災隠しは仕方がないというもの(企業から「治療費全額のお金を出しているからいいではないか」など)、2件は労災の不正受給に関する情報で、その他は提言や初歩的な質問だった。
私たちの心証や状況証拠からすると、58万件のほとんどは「労災隠し」だろうと見られる。しかも、10年間58万という件数は、政府管掌の健康保険だけの数字だ。市町村が運営する国民健康保険などを使っての労災隠しの存在も指摘されているから、実際の労災隠しは、膨大な数になるだろうと考えられる。
●労災制度が知られていない、知らせないという実情が要因に
労災隠しがまかり通る原因を考えると、1つは、事業者が労働者に対し、労災保険制度とはどういうものか、適用範囲やどういう補償があるのかをはっきりは知らせていない問題があることを改めて強調しておきたい。労災保険の施行規則に、「事業主は、労災保険に関する法令のうち、労働者に関係のある規定の要旨、労災保険に係る保険関係成立の年月日及び労働保険番号を常時事業場の見易い場所に掲示し、又は備えつける等の方法によって労働者に周知させなければならない」(第49条)という条文があるが、1般の企業で周知しているかというと、ほとんどがそうはなっていない。労働組合を通じても労災保険制度はあまり知らされていないようだ。
2番目が意図的なもので、事業所が隠そうとすることだ。
3番目の要因として、労働基準監督署など旧労働省が十分に知らせようとしない、あるいは事業所を厳しく指導しないということがある。
●下請け、孫請け・・・の重層構造が「労災隠し」の根底に
事業所でどうやって「労災隠し」をしているのかを取材した。特に建設業はひどい例が多い。1990年(平成2年)に旧労働省が調査した際、建設関係で労災隠しが1番多いというデータがある。
ある大手ゼネコンの建設現場監督を10年ほどやっていた人に会って取材すると実態が明らかになった(後述)。
けが人が出ても救急車を呼ばずに、下請けなどの事業所用の車で知り合いの病院に運ぶというのが原則になっている。
●安全記録の更新、受注資格維持のため労災保険を使わない
なぜ労災隠しをするかというと、ゼネコンとしては特に公共工事では、事故を起こしてしまうと受注資格がなくなるということがある。あるいは建設工事が止まる影響も大きい。しかも他の事業所に作業停止などの影響が広がることがあるからだという。
元請け、下請けなどのほかに元請けの監督とその上司……2重、3重に労災隠しが生まれやすい状況になっている。
紙面で情報提供を求めたところ、下請けや孫請けの立場の人たちから電話がかかってきた。言い分は「けがをしたら治療費の自己負担分を現金で払っている。被災者は損をしていないからいいではないか」というものだった。健康保険は本来、労災では使ってはいけない。労災が起きた時に選択できるのは自費払いか労災保険の適用だ。労働者が同意する場合には自費払いでも構わない制度になっているが、問題は労働者の意見が圧殺されて、本来は労災保険を適用してほしいにもかかわらずそうはならないケースが多いということだ。
電話をかけてきた人たちは、受注できないことと治療費の現金負担をすることとどっちがいいかというと、元請けの意向を考えると、現金負担をした方がいいと言う。健康保険では本人は3割負担で、実際の診療報酬全体は結構大きいのだが、それを全部払ってでもペイする。「ウチはこういうふうにちゃんとやっているから労災隠ししても構わないのだ」という論理だ。
確かに労災保険を使わなくてもいいと言えばそうだが、しかし休業を要する事故が発生した時は労働基準監督署に届け出る義務が法律上、定められているので、こういった場合でも労災隠し、法律違反ということになる。最終的に被災者は十分に補償されることもないと思われる。
何よりも問題なのは、後で後遺症が残ったり、再発した場合に何の補償もないことだ。
●半数以上の医療機関が「労災隠し」の経験がある
ある労災に詳しい整形外科の開業医に話を聞いた。事故があると、かつてはよくその医院に労働者が駆け込んできた。その人は労災のことをよく知っているので、後遺症のことも考え患者のことを思って労災申請を勧めると、再診に来た労働者が労災保険の申請をしたがために解雇になったことを告げたという(後述の医師の証言)。労災にあって休業になったからといって、解雇というのは労働基準法で禁止されている。しかし、被災者を側面からバックアップする人がいないと、労働者保護制度も分からずに立場上弱い労働者が解雇されるというケースもある。医者も制度を詳しく知らないということもあって手をつけられず、違法な労災解雇を許してしまうこともある。
労働者1人で来る場合もあるが、多くは会社の労務関係の人に付き添われて来るから、自由意思を発揮することもできないし、面倒だから他の病院にしようという意識が働いてしまう。
大阪府医師会の調査では、労災を仕方なく健康保険扱いにした経験は28%あり、労災申請の手続きに必要な書類を事業主が患者(従業員)に渡さないために事業主や患者とトラブルになった経験は38%に上った。
広島県医師会を取材したところ、労災と思えるケースを事業主の圧力や患者の立場を考えて健康保険扱いなどにしたという「労災隠し」に関係するような対応を迫られた経験を持つ医療機関が65%あった。たぶん、こうした医師たちの調査の方が社会保険庁などの調査が示すものよりも実態に近いのではないかと思う。
アウトプットされて出てきたのがレセプトのチェックで、入り口がお医者さんのところだから、ここのところの感触からすると、2つの医師会のアンケート調査が実態に近く、医療機関の半数以上が何らかの「労災隠し」を経験をしていると見た方がいいと思われる。
●「就労不能」に「治療費負担」という2重苦を強いられる
被災者本人も下請けなどの受注側の関係にあると、上に対してモノを言えず、ましてや不況下でなかなか仕事がとれない中では、親方に文句を言うのは難しく、ほとんどの場合、言いなりになってしまう。
被災者が労災の相談機関や支援団体、新聞社に相談に来たケースで多いのは、いったんは健康保険にしたものの後遺症が残って治療費がかかり、しかも仕事ができないという「2重苦」にあっている人たちだ。特に外傷性のけがはお金がかかって、最初のうちは請け負いの上の企業からお金が出るが、事業体などが解消すればそういうお金が絶たれる可能性があるし、ずっと治療や休業が続いたりすると、とてもまかないきれない。ぎりぎりの状態になって、相談にやってくるというのが現状だ。
そういった孤立している人たち、情報もなく困っている人たちをどうやってフォローアップするかということは、とても大きな問題だと言える。賃金の未払いなども同じような問題を抱えていると思うが、特にけがをして仕事ができなくて治療費もさらにかかるというケースはマイナスのダメージが大きいため、この人たちをフォローする体制を早急に作らなければならない。
●労働者と使用者の力関係をみない労働行政に問題あり
旧労働省に取材に行って驚いたことがあった。ある担当者は「労災隠しには被災者本人も関与しているではないか。健康保険を使ってはいけないと分かっていながら使っているから、被災者も悪いのだ」というような言い方をした。
お目付け役の労働基準局の監督関係の人が言うのだから、びっくりした。建設関係でいえば、重層的な支配関係というか、圧力の中での労使の力関係を無視してそういうことを言うのは大変に酷なことと言わざるをえない。
●社内運動会でけが、「日当なし」のため労災認定拒否の例
労働者と使用者の関係を象徴するようなケースで、よく考えてもらいたい問題がある。
労災は業務起因性といって、けがなり病気が仕事に関係したかどうかが労災認定のキーポイントになっている。あるメーカーで、ひどい例があった。社内の運動会だった。基本的には任意に3加するものだが、どれだけ強制力があったかということが関係してくる。試用期間中のある女性の場合、上司から「今度の運動会に来てね。全員3加だからね」と言われた。彼女が休みの土曜に仕方なく現地へ行ったところ、8~9割もの3加率だった。それでけがをしてしまったというケースだ。早く病院に行きたいと言っているのに、「病院に行くほどではないんじゃないの」と言われたものの、痛くてたまらなくて自分でタクシーで病院に行った。労災申請をしたところ、認定されなかった。
彼女の場合も含め、旧労働省は日当が出ていれば労災と認めるという基準を持っている。日当が出ていないので業務起因性はないと判断された。しかし、新人時代に「運動会に出てくれ。お金は出ないよ」と言われたら、出ざるをえないだろう。
ひどいケースだなと思った。こういう基準があるために、タダ働きでいやいや出ていて、しかもけがをしたにも関わらず、全部自費払いになる。靱帯を切ってしまったため、リハビリなどで全治2~3ヵ月かかっているから、自己負担も相当な金額になった。
実際の労働現場の実態や力関係を見ずして、1律に「日当が出ていないから」「強制3加だと文書に書いていないから」として労災認定を拒否していいのか、これは弱い労働者の立場を考えていないと強く感じた。
●派遣、パート、アルバイトの多くが労災制度を知る機会がない
これから問題になってくるのは、1つは労働組合の役割だ。個人では限界があるため労働組合が労災保険制度の仕組みなどを労働者に知らせなければならないと思うが、労働組合が組織されていないところが増えている。旧労働省の調べでは、雇用者のうち派遣労働やパート、アルバイトなどの非正規社員が28%も占めている(1999年。1994年には23%)が、労働組合でさえもなかなか周知できないのに、フリーターやアルバイトなどには、どういう時に労災が適用できるのか、知識を得る機会は少なく、情報はほとんど届いていない。制度の周知徹底に行政が取り組むべきだ。
派遣労働者の問題を複雑にしているのは、労災保険は派遣元が担当して、派遣先は労働安全衛生の責任を持っていて、バラバラになっている点だ。仮に労災が適用されても、派遣先の労働安全に反映されない可能性がある。
派遣労働は、これまで事務職に限定していたのが、いわゆる「3K」職場にも広がっているため、ますます労災の発生の可能性が高まってくると予想されている。表に出てくればまだ良いが、労働者個人にとっては労災にあったことをどこに言ったらいいのか分からないまま、うやむやになってしまうと指摘されている。
特に現業の製造部門はほとんど派遣労働で占めていて、その事業所などに組合がありながら、派遣労働者の問題にはあまり関与しないというケースが多い。これは大きな問題だと指摘する声が出てきている。
労働組合に入っていない人がほとんどのアルバイトやフリーターでも、分け隔てなく労災保険が適用されるのが当然だ。ところが、私たちも取材をして初めて知ったが、アルバイトやフリーターの人たちはみんな本当に労災適用となることを知らされていない。
このままでいくと非正規社員の28%の数字がどんどん膨らんでいってしまう時に、生産性を高めようと競争はするけれども、労働者はどんどん傷んでいって泣き寝入りする、労災保険制度も知らずに、最悪の場合は生活保護を受けるような事態になる。これは前近代的というか、昔に組合がなかった時代に戻るようなものだ。大きな人権問題に発展する可能性があると心配している。
●「指を切れ」治るのに切断した「外国人労災隠し」も
さらに外国人労働者の問題がある。オーバースティ(超過滞在)で働いているケースでは、ほとんどの場合、企業の健康保険や国民健康保険に入っていないから、けがの治療費は自分か雇い主かによる自費払いになる。
バングラデシュの男性の場合、ゴム加工をしていてプレス機に手をはさまれ親指に裂傷を負ったが、建設業界の”鉄則”のように救急車を呼んでもらえず、同僚の車である市民病院に行ったところ、治ると告げられた。しかし、経営者から接合の治療費は払えないと言われた。それで結局、泣く泣く親指の切断手術を受けた(報道記事後掲)。
外国人労働者は3K職場でも本当に一生懸命働くので、経営者は重宝して雇っている。便利に安く使ってけがをしたら、まさに「使い捨て」というようなことは、絶対にあってはならない。ましてや今、日本の地位が落ちていると言われている中で、国際理解を深める上でも、企業のため、あるいは日本の経済のために働いてくれた人たちを切り捨てにするようなことをしていいはずがない。そういうことがまかりとおってしまうと、日本の人権レベルはもちろん、日本の労働の質がどんどん落ちてしまうだろう。